第21場 凡才のための自由研究

 次の日、父は俺を連れて特急列車に乗り込んだ。つくば行きと書かれているその列車はがらがらで、快適な時間を過ごせた。だが、俺はこれからどこに行くとも何をするとも聞かされていない。朝、祖母がいつになく機嫌が悪そうな顔をしていたのを思い出す。父は一体俺をどこへ連れて行くつもりなのだろうか。

 駅前に待っていたのは、父より少し若い男性だった。丁寧なお辞儀と共に名刺を渡される。肩書きは研究員となっていた。

「案内人の水戸みずとです。今日はよろしくお願い致します」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 大人同士の挨拶のあと、車に案内される。真っ白いバンだ。助手席から茶髪にサングラスをかけた女性が出てきた。俺は、その姿をどこかで見たことがある気がして足を止める。

「やっほ、久しぶり」

 声を聞いて確信した。煙草の影響でかすれている声。年齢を感じさせないすらっとした体型。

「……母さん」

「元気そうね、徹」

 横目で見た父の顔は相変わらず、柔らかな微笑みをたたえている。俺は唇を引き結んだ。


 俺たちはバンに揺られ、とある研究所へ向かっていた。気まずい空気になるかと思いきや、母はあっけらかんとしていて、車内で喋り続けた。

「それでね、今はこの水戸くんと一緒に宇宙環境で育つ植物の研究をしてるの」

「うまくいってるみたいだね」

「そうなのよ~! だから、今月の養育費はちょっと上乗せしといてあげたわ」

「ありがとう」

 当たり前のように返事をしている父と大きな声で笑う母。俺の胸で苛つく気持ちがむくむく膨らんでいく。まるで演劇のようだった。上っ面だけの、とんだ茶番だ。

「……なあ、なんで笑ってんの」

「徹。母さんは」

「俺はこの人に聞いてる」

 父の言葉を遮り、俺は助手席にいる母を指さした。

「随分口が悪くなったものね。まあ、私が言えることじゃないけど?」

「すまない」

 二人のやりとりは、あまりにも父母だった。八年も前に俺と父を置いていったくせに、母の顔をしているのが気にくわない。

「……答えてよ」

「ごめんごめん。あのね徹、周りがなんて言ってたかは想像つくけど、父さんと母さんはあなたが思ってるよりずっと円満に別れたの。私は思うように仕事ができなくて苛ついてたし、父さんは仕事仕事でしんどかった。何度も話し合ってこの結果になったのよ」

「……男、作ったって聞いたけど」

「あー、あれはわざと流した噂よ。だって、離婚したなんて言ったら誰が悪者か探られるじゃない。だから、私が悪者になったわけ」

 ふふん、と自慢気に笑う母は生き生きとしていた。そんな表情は俺の記憶のどこにもない。父を見れば、同意するように頷いている。噓をついているわけではなさそうだが。

「じゃあなんで俺には話してくれなかったの」

 父と母は顔を見合わせた。急に車内が無言になる。どちらが言うか、決めかねているようだった。

「……徹」口火を切ったのは父だ。「徹はまだ小さかったから。高校を卒業したら言おうと思っていたんだ」

「そう! そしたら徹が東京に出たいって言ったって聞いて。びっくりしたわよ」

 つまり、誰が悪いということもなく父と母の縁は続いていて、俺だけがそれを知らされていなかったということなのだろうか。申し訳なさそうにうなだれている父と、黙って窓の外を見ている母を交互に見やる。俺は深いため息をついた。

「納得は、してないけど。でも、うん。話してくれて、ありがとう」

「徹! 徹ならそう言ってくれると思った!」

 助手席から身を乗り出してくる母を両手で押さえながら、俺は怒りが消えていることに気づいた。別に、母に怒っていたわけではなかった。

 皆が皆、口をつぐんで遠巻きにして、大人たちだけでひそひそと話している。子どもだから、かわいそうだからと勝手に決めつけてくるあの視線が嫌だったのだ。そして、言い返さない父も、何も言わずに出て行った母も、嫌いだった。自分がのけ者にされたくなかったのだ。

 今、俺は心底ほっとしている。母に見捨てられたわけでも、父に嫌々育てられたわけでもないとわかったから。そして、父も母も何かと戦っていたことに気づいたから。

 母のチョイスで車内に陽気なロックが流れ始める。この道の先に、母が自由に研究している場所があるらしい。窓の外には、大きな海が広がっていた。

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