第20場 凡才は摩天楼へ

 駅から出ると、そこは摩天楼。青い空がビルの壁面に映り、夏の光を四方八方に跳ね返していた。どこを見ても山がない。緑といえば道に沿って植えられている街路樹だけだった。木よりも人、とにかく人、見渡す限り人が歩いている。

 俺は、東京にやってきた。部活が休みのお盆を利用して、父方の祖母の家へ行くことになったのだ。いつもは祖母がうちに遊びに来るのだが、今年は腰を悪くしてしまって動けないらしい。何はともあれ、初めての東京にわくわくするのは止められない。

 あっちの階段を上り、こっちの階段を下り。移動中は父についていくのがせいいっぱいだった。電車は人が少ないが、代わりに駅が迷路のようだ。都心から少し離れた下町に辿り着いたころには、俺は疲れ果てていた。

「よく来たね。シャワーを浴びてきな」

 座椅子によりかかり、祖母は顔を明るめて出迎えてくれた。言葉に甘えて洗面所に向かう俺に、父は買い物に出かけると言って再び出て行った。


 浴室は昔ながらのタイル張りでほっとした。開いた窓から聞こえる蝉の声が少し控えめで、ここは東京なのだと思い知らされる。

「てっちゃん、東京に来たいんだって?」

 まだ濡れている頭を拭き拭き居間に戻ると、祖母が言った。話が早い。父がすでに知らせていたようだ。

「うん、まあね」

「そうかい。あたしはね、実は反対してたんだ」

「え」

 水を飲みに台所へ行きかけた俺は振り返る。

「てっちゃんの母さんがここにいるかもしれないって聞いたのさ。そんなところに行かせるなんて、とあたしは怒ったよ。あの子が許しても、あたしはまだ許してないからね」

「……母さんが」

 初耳だった。近くにいないことはなんとなく察していたが、この街にいたとは。そういえば、祖母の家に行かなくなったのも母がいなくなってからだった。

「だけど、そうも言ってられなくなっちゃってね。老いってのはちゃんと来るもんだ」

 いてて、と腰をさする祖母に手を貸し、身体を起こす。祖母はふっと笑って俺の頭をくしゃりと撫でた。

「てっちゃんが一緒に暮らしてくれたら心強いと思ってね」

「……俺がここに? いいの、道子さん」

「部屋は余ってんだ。よけりゃおいでよ」

 へへ、としわくちゃに笑う祖母の顔は、いつもより小さく見えた。俺は、骨張った手を優しく握る。

「ありがとう。俺、きっとここに住むよ。だから道子さんも元気になって」

「おう、任せときな!」

 ぶんぶんと握った手を振られていると、父が帰ってきた。

「母さん、何をやってるんだ?」

「気合い入れてたんだよ! お前もやるかい?」

「いや、俺はいいや。昼飯はそうめんでいいか?」

「うん。俺も手伝う」

「冷蔵庫につゆが入ってるよ」

「なんだ、あったの」

 俺は立ち上がり、父と台所に立つ。首振り扇風機の涼しい風が素足の間をすり抜けて行った。

 東京の夏が始まるのだ。

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