第16場 凡才、窓越しに将来を見る
文化祭が終わるとあっという間に七月。30℃を優に超える日が続き、もう夏真っ盛りだ。幸いなことにこの学校はすべての教室にエアコンが取り付けられていて、快適な毎日を過ごせている。
今日で期末試験も終了し、部活動は大会に向けて動き出す。まずは先輩に会って脚本を依頼しなければ、と思っていたのだが。HRで厄介なものを配られた。
そう、進路希望調査票である。クラスメイトたちの野次が飛ぶ中、担任は一週間以内に提出するよう指示してきた。一年半後のことなんてまったく考えていなかった俺にとって、この空白を埋めることは大きな課題だ。今日はひとまず部活のことは置いておいて、図書室にこもることにした。何かいい資料が見つかるかもしれない。
俺はペラペラの調査票を手にしたまま、廊下の窓越しにグラウンドを見下ろす。ギラギラ照りつける日を浴びながら、スポーツに勤しむ学生たちが走り回っている。あの中から何人がスポーツを生業にしようとしているのか。そもそも続けられる人間がどれだけいるのか。それは、演劇部においても同じだ。本気で役者を志している部員は、一学年に一人いればいい方だ。高校の部活ごときで将来を決める人間などほとんどいない。皆、勉強してそこそこの大学に入ることしか考えていないだろう。俺は、そのプランさえ頭になかったのだが。
演劇部に入ると告げたとき、父は喜びの笑みを見せた。あんなに嬉しそうな顔は、母がいなくなってから見たことがなかった。たくさん仲間を作れとか、打ち込めることに出会えてよかったとか、そんなことを言っていた気がする。本当はお金がかからない部活でよかった、と思っていたのだろう。父は最近帰りが早い。二人分の弁当を作り、洗濯や掃除などすべての家事を一手に引き受けている。仕事より、家にいる方が楽しいみたいだ。だから、将来はしっかり考えなければいけない。父の負担にならない、ということが最優先だ。
図書室の扉を開けると、静寂と本の匂いに包まれた。俺は本が好きな方だが、部活漬けで久しぶりの訪問だった。司書の先生に会釈をして進路関係の棚に向かう。
「……あ」
「お」
図書室の机に、先輩が座っていた。今日はきちんと夏用の制服を着ている。傍らには「~になるには」とタイトルに入った本が積まれていた。
「なんでいるんだって目をしてるな」
「別に。今日試験日ですし」
俺は『大学の選び方』など参考になりそうな本を引き抜き、二つ後ろの机に座る。今日は先輩に用はない。脚本の締切は三日後だった。
「進路調査か」
「先輩には関係のない話です」
「それもそうだな」
お互い、本に目を向けながら小声で言葉を交わす。他に学生がいなくとも、静寂は乱したくなかった。ぺら、ぺら、とページをめくる音とエアコンのモーター音がしばらく続く。
「これは独り言なんだが」先輩は頬杖をつき、紙面に目を落としたまま呟いた。「私は上京する予定だ」
次のページをめくりかけた俺の手が止まる。肘で押さえていた調査票が風に乗って飛んでいくのを、先輩が捕まえた。
「大手の劇団にオファーされてな。そこの本拠地が東京なんだ」
窓の外には広い青空と白い雲。緑の山を背景に、家と畑とピンクの壁のラブホテルが見える田舎町。俺はもう少し街に住んでいるが、先輩の家の周辺は、家と田んぼと川しかない。
俺の脳裏に、テレビによく映る交差点とビル群がよぎる。目の前にいる彼女とその都市はまるきり結びつかないようでいて、本当はすごく近くにあったのかもしれない。凡才には見えない、天才の歩む道。
俺は開いた本を大きくめくり、気づけば東京の文字を探していた。
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