第11場 凡才は錬金術師

 からんからん、とドアベルの音に隣人は身体を硬くする。放課後、いつもの喫茶店ではあるが、今日は俺ともう一人、桐野夏都がいた。桐野は現在部活動を免除されている唯一の一年で、その理由は昨年の新人賞受賞にあった。つまり、彼女と同じプロということだ。あの脚本の原案者でもある。

 桐野は小説に関してはプロだが、脚本はまるきり初心者だった。そんなやつに頼むなと顧問に文句を言ったが、引き受けてくれた彼女には何も言えない。というわけで、先輩に直しを入れてもらったのだ。おかげで無事に脚本ホンは完成し、今頃本読みの真っ最中だろう。

 この会は、桐野きっての提案だった。お世話になったから一度会って話がしたいと。そこで、二人で彼女を待っているというわけだ。

「あの……月森先輩って、どんな人なんですか」

 店内に入ってからずっとそわそわしている桐野が呟く。俺はアイスコーヒーを一口飲み、言った。

「すっごくズボラですっごく適当、な人だよ」

「脚本は几帳面に添削してくれましたけど……」

「仕事の手は抜かない人だから」

 そうなんだ、と桐野は腑に落ちたように肩の力を抜く。

「心配しなくても、怒鳴られたりはしないよ。ああ見えて優しい人だし」

「誰が優しいって?」

 頭上から声がして俺は顔を上げる。仁王立ちになった先輩とばちんと目が合った。

「後輩にあることないこと吹き込むな。信用されなくなるぞ」

「だって本当のことじゃないですか」

 向かいに座った彼女は髪を結び、黒のワンピースを着ていた。珍しくしゃれているのは後輩と初対面だからだろう。意外と外面をよく見せる人なのだ。彼女は背筋を伸ばし、後輩に右手を差し出す。

「桐野、だったか。はじめまして。冬森君子だ」

「あっこちらこそはじめまして! 桐野夏都といいます!」

 桐野は慌てて立ち上がり、両手でその手をしっかと握った。先輩は若干身体を引いたものの、顔はにこやかなままだった。

「あの、たくさん直していただいてありがとうございました。今までで一番大変でしたが、楽しかったです!」

 さすが、才のある人間の言うことは違う。一年前の俺が聞いたらさぞ憤慨していたことだろう。

「私も久々に腕が鳴った。なかなか面白かったよ」

「本当ですか! 嬉しいです!」

 あるべき人間はあるべき場所で。その論理はわかっているはずなのに、俺は沸々と身体の奥底から湧き出てくる感情を感じずにはいられなかった。意味のない羨望だ。

「ああ。あれだけでも充分だけど、これからもっと面白くなるだろうね」

「あっ確かに!」

 グラスに刺さったストローをぐるぐる回している俺に、二人の視線が集まった。期待という言葉が、目だけで伝わってくる。特に、隣の一年からは。

「忠海先輩は錬金術師ですからね! 私の原案なんか、材料の一つに過ぎませんから」

「んな、大げさな」

「大げさじゃないです!」

 お願いだから、そんなにきらきら輝いた目で見ないでほしい。俺はそんなに大層なことはしていない。ただ、どの要素を組み合わせれば完璧になるか、それを一番に考えているだけだ。完成度が高く見えるのは、材料がいいからに他ならない。

「あ、お前。お礼ちゃんと言ったか?」

「原案を書いてくれたお礼ならさっきちゃんとしましたよ」

「違う。この間のラブレターだ」

 その言葉に桐野の顔がぼん、と赤くなる。

「えっえっ、なんで月森先輩が知ってるんですか!」

「こいつが見せてきたから」

「誰にも読まれたくなかったのに! 忠海先輩、恨みますよ」

 後輩に睨めつけられ、俺は椅子に縮こまる。

「え、俺が悪いのか」

「悪いな」

「悪いです」

 ね、と言い合う二人はどこか楽しそうだ。急に仲が深まっている。俺はひたすら小さくなることしかできなかった。

「ほら、せっかくのファン2号なんだ。ちゃんと礼を言っておけ」

 ほらほらと足で小突かれ、俺は恐る恐る桐野に身体を向ける。

「手紙、ありがとう。……ございました」

「いいんですよ~!」

 にっこり笑う後輩はうってかわって機嫌が良さそうだ。手を大きく上げてワッフルを注文している。おごるから、とさっき促したときには頼まなかったのに。

「そういえば、私は2号なんですね」

「1号はもういるからな」

「あっそういうことか。先輩愛されてるう」

 わいわい楽しく話し始めて居心地が悪くなった俺は、そっと席を立った。封筒を取り出し、テーブルに置く。

「支払いはここからしてください。じゃ」

 そう言って立ち去ろうとしたが、桐野に腕をぐっと摑まれて引き戻された。

「え~! 先輩も何か食べましょ、ほらこのプリン美味しそうじゃないですか」

「駄目だ、こいつは甘いものは食わん。オムライスの方がいいんじゃないか」

「お腹は空いてないので」

 俺が言った瞬間、ぐううと腹の虫が鳴る。二人がその音に気づかないはずがない。渋々座り直した俺はこのあと、あれやこれやと食べさせられて動けなくなったのだった。

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