第9場 凡才はぱちぱちと

 それは今から約一年前。入学したての俺は、この学校に文芸部が存在しないことを知り、どうしたものかと頭を悩ませていた。文武両道をモットーにした校風で、部活に所属するのは絶対と決められていた。校則にはないものの、入らなければ内申点ががくっと下がり、必然的に入らざるを得ない仕組みになっているらしい。

 部活見学に行くクラスメイトたちを横目に、俺は校内をふらふら歩いていた。つるむような旧知もいないし、一人でどこかに飛び込む勇気もない。第一どこの部活も体育会系の気質で、俺は馴染めそうになかった。

 そんなことを思いながら下駄箱近くを通りかかった。何やら罵るような声がする。修羅場だろうかとこっそり覗けば、部室棟下の空間に二人の人間が立って会話をしていた。いや、会話ではない。仰々しい手の動き、必要以上に張った声。

 これは劇だ。

 しばらく見入っていると、ぱん、と手を打ち鳴らす音で二人は動きを止めた。座って見ていた部員たちが入り交じり、ああだこうだと意見を言っている。その様子に気を取られ、俺は背後の人影に気づかなかった。

「よ」

「わ、ああ!」

 一人の男が片手を上げて見下ろしている。影のある、れっきとした人間だった。俺は慌てて口を塞いだ。うつむけた顔が熱くなる。

「あはは、お手本のような叫び声だなあ!」

 口を大きく開けて笑う彼の名は、三ツ木東治という。元部長だと話した。演劇部に興味があるのかと聞かれて俺はさらにうつむく。部活には興味がなかったが、演劇に関してはすこぶる興味がある。俺は小さい声で舞台には立ちたくない、と言うことしかできなかった。

「じゃ、裏方か。裏の人間は万年人不足なんだが、一応希望を聞こう」

「俺、中学の時文芸部だったんですけど……」

 趣味で脚本ホンを書いていることはわざと伏せた。俺には自信があったのだ。この歳で書いてる奴はいないだろうと自負もしていた。

「あー……」彼は目を泳がせた。「実は、脚本ホンは間に合っててな」

「え?」

 間に合っている? もしかして教師が書いているとか、そういうクチか。俺の心に火が灯る。

「えっと、実はもう何本か書いてるんですけど。読んでもらうだけでも」

 好戦的な俺の言葉に、三ツ木元部長の顔がぱっと明るくなった。

「ああ、そういうことだったら預かろう。俺があいつに渡しといてやる」

「あいつって?」

 ふっふっふ、と彼はもったいぶったように顎を撫でる。

「我が演劇部の天才脚本家兼、副部長さ!」

「はあ」

 そのときは、そういう笑い方する人ほんとにいるんだな、としか思わなかった。彼が自慢気にする理由も天才と冠されている理由もよくわからなかった。実際の彼女と会うまでは。


 三ツ木元部長から脚本ホンが返されたのは、それから一週間後のことだった。びっしりと赤字が入っているそれを見た瞬間、頭が真っ白になった。自信作が、見るも無惨な姿になっている。噓だろ、と思った。シェイクスピアやサミュエル・ペケット、他にも戯曲はたくさん読んだ。俺の三年間はなんだったんだ。

 「ひとりよがり」、「伝えようという意思が感じられない」、「全員似た信条を持ちすぎてつまらん」、「一人でやってろ」……だんだん言葉遣いと筆跡が荒くなっている。俺にとってはどれも罵詈雑言に等しく、小さいながらも存在していたプライドがずたずたになった。強く握りすぎて、脚本ホンに皺が寄る。本当はびりびりに破いてやりたかった。それくらい、はらわたが煮えくりかえっていた。

 その怒りを持ったまま、俺の足は部室棟へと向いた。その日は土砂降りの雨が降っていて、外での活動はなかったのだ。足音高く俺は歩み、演劇部の看板がついた引き戸を開けた。

「すみません!」

 数人の女子生徒がいて、机には菓子や漫画が積まれていた。談笑が止まり、すべての視線が俺に向く。皆一様にぽかんと口を開けていたが、俺が副部長の居所を聞くと、訳ありげに目配せし合った。

「副部長なら、体育館横の階段にいると思うよ」

 一人が教えてくれたので、俺は速やかに退散した。このときすでに怒りは半分ほどに減っていた。もう半分は、一体俺は何をしているんだろうという空虚感に覆われていた。力が抜けそうな身体をなんとか前に進め、体育館横まで歩く。そんなところに階段があっただろうか、と俺が目を上げたとき、ぶわりと強い風が吹いた。と、どこからか大量の紙が飛んできて、俺の周りに舞い落ちる。

「あークソお前! ぼーっとしてないで拾え!」

 紙の合間から見えた長い黒髪と振り回す拳。それが、彼女と俺の出会いだった。

 ぱちぱち、と火花が散ったような気がした。

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