第6場 凡才、呼吸を止める

「――はい、そこまで!」

 手を打つ音で俺ははっと我に返った。大きく息を吸って吐く。頭がぼうっとしているのは、思わず呼吸を止めていたせいだろう。ただのエチュードで、こんなに見入ってしまうとは。

 役者陣のリーダーを務めている疋田ひきだが休憩の指示を出し、場の空気が緩む。戻ってきた彼女に俺は声をかけた。

「あのさ」

「忠海。あんたも気になった?」

 お互いの視線が、水筒を傾けて水分補給をしている新入生の上で重なる。彼女の名前は長峰優衣。演技経験はなく、今回が初めてだという。疋田の解説はこんな感じだった。

「それにしてもうまいよね。あんなに自然な演技、初めて見たかも」

「ああ」

「でも、全然目立たないの。あれは感覚でやってるね」

 テレビドラマと演劇の違いは、突出して目立つような役者は使いにくいということだ。演技力に差があるのは当たり前で、その凸凹をどう平らにしていくかが肝になる。個ではなく集団で見られる点では団体競技に似ているかもしれない。ばらばらな役者を集めて、いかに"場"を作り上げるかを考えるのが俺の役割だ。

 長峰の演技力は他の役者と呼応している。どんな舞台でも難なく自分の役割を果たすだろう。

「あいつ、使えるな」

「悔しいけど同意」

 視線に気づいた彼女が振り向いた。そのタイミングで、疋田がちょいちょいと手招きする。と、長峰は足をもつれさせながら大慌てでこちらにやってきた。

「すいません、先輩!」

 開口一番、深々と腰を折る。疋田が「ええっ」と声を上げた。目は丸く見開いている。たぶん俺も同じ表情だ。

「ど、どした?」

 困惑しているのが伝わったのか、長峰はぱっと顔を上げる。

「あ、私がこっそり学校の水飲み場の水を水筒に入れてることがバレたわけじゃないんですね」

「知らなかったけど、それは別にいいんじゃない?」

「えっそうなんですか? なーんだ、よかった!」

 長峰はさっきとうってかわってにこにこ笑い出す。まるで百面相のように表情が変わる新入生に、俺も疋田もドキドキしっぱなしだ。ちょっと心臓に悪いような気がする。

「それで先輩方。私に用があったんですよね?」

 黙り込む俺たちに、長峰が不思議そうに問いかける。俺は横目で、長峰を呼んだ疋田を見た。疋田は少し目を泳がせたものの、用件を思い出したらしい。

「そうだった。優衣ちゃんは演技経験はないって聞いたけど、演劇は見たことある?」

「あ、あります! おばあちゃんが演劇サークルに所属してて、よく一緒に見に行ってました」

「なるほどね」

 すでにプロに近いものを見てたわけか、と疋田は呟く。疋田は底に理由を見出したらしいが、俺は理由はないだろうと直感した。

 才のある者は幼少期から何かが違うらしい、と聞いたことがある。きっと長峰も先輩と同じように、昔から場の空気に敏感だったのだろう。読み取った場が、たまたま演劇の舞台だったというだけだ。

「うん、ありがとう。もう少し休憩してて」

 長峰が去ってから、疋田はあーあと息を吐くと同時に声を出す。

「ああいう子って、本当自覚がないよね。ムカつく!」

「聞こえるぞ」

 俺は疋田をたしなめながらも、その嫉妬心は手に取るようにわかった。かつては俺が先輩に抱いた感情、そして今でも時折沸き起こっては俺を苦しめる感情でもあったからだ。

 俺は昔、脚本ホンを書いていた。一年前、先輩に出会ってからすべてが打ち崩されたのだ。

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