第2場 天才と喫茶店で待ち合わせ
「っ好きじゃない!」
放課後の教室に、俺の声はよく響いた。こんなに大きな声を出したのは初めてかもしれない。目の前にいるクラスメイトたちが、呆けたような顔で一瞬固まった。
「……えー、何、マジになっちゃってんの」
「こわ。なにー、忠海くんってそんなキャラだっけ」
「てか、そんな否定されると余計怪しいんですけどー」
クスクス笑う声を無視して、俺は教科書を鞄に放り込んだ。耳に障ってしょうがない。遠巻きに見てる奴らも同じ。この空間に、いたくない。
俺は教室を飛び出し、走って駅に向かった。部活をサボってしまったが、今日の分は明日やればいい。そもそも役者でない俺がトレーニングをする必要はないのだが。
二十分後の電車を待つ間、先輩にメッセージを送る。いつものところで待ってます、と。
学校の最寄り駅から一駅離れると、そこは街の中心部だ。たくさんの人が行き交い、この制服も目立たなくなる。
「いらっしゃいませ~」
駅から少し歩いた商店街の一角に、昭和レトロな純喫茶がある。三階建てで縦に細長く、螺旋階段が中央を貫いている。俺は中二階に当たる席でコーヒーとプリントップを頼んだ。ここのプリントップは先輩の好物だった。
先輩は、学校に来ていない。いわゆる不登校というやつだ。だが、いじめられているとか体調不良とかそういう理由ではない。先輩曰く、授業がつまらなすぎるから、だそうだ。出席日数ギリギリを保ちながら、学年一位をキープしている。あいつは本物の天才だと顧問が苦笑していた。
「おまたせ」
音もなく、先輩が現れた。部屋着のまま来たようで、伸びた前髪を雑にピンで留めている。
「あ、プリントップ。頼んでくれたんだ」
「はい。いつも食べてるんで」
「ありがと。これ、お金」
ポケットから無造作に取り出したくちゃくちゃの二千円札を、先輩はプリントップとコーヒーの間に置く。……二千円札、初めて見たな。平安中期の建物が描かれた紙幣に視線を奪われた。
「何? そんなに珍しい?」
「あ、えっと、すみません」
「遠慮するなよ。もう見れないかもしれないんだし」
先輩の言葉に甘えてまじまじと観察する。ちゃんと裏には源氏物語にちなんだ絵が入っていてちょっと感動した。
「まあ、最近流通してないしね。これはお父さんと物々交換したの。資料にしようと思って」
「これ、使っちゃっていいんすか」
プリンを頬張る先輩は首を少し動かして諾と返す。
「もう書いたから、いらないや」
眼鏡の奥の瞳は、こちらに向いていない。ジャージ姿の先輩は、端から見れば怠惰な女子高生に過ぎないだろう。だが、先輩は特別なのだ。
「それ、読ませてください」
「そう言うと思って、持ってきた」
俺はカップにかけていた手を離し、先輩から茶封筒を受け取る。何度も繰り返してきた行為ではあるが、毎回手が震えてしまう。
先輩の、
「ありがとうございます」
コーヒーを脇に寄せ、紙束をそっと机に広げる。無機質な印刷文字を一字、二字、読み始めた瞬間、俺の心は喫茶店にはいない。向かいのテーブルでカップとソーサーがこすれる音も、入り口で鳴るドアベルの音も聞こえず、ただただ文字を追い続ける。
やっぱり、先輩は天才だ。口角が徐々に上がっていくのを感じる。大会の脚本賞に選ばれてもおかしくない。
俺は先輩のことが好きなわけじゃない。先輩の書く脚本に心底惚れ込んでいるのだ。そのために演出の勉強もした。
先輩の世界をカタチにする。
俺は、そのために生きようと決めたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます