第23話 とある終わりと始まりの魔法

 全ての《箒》が停止したということは、和夫の《アモン》とて例外ではない。


 紐付いた魔法少女コスチュームも解け、和夫もまたいつものスーツ姿となっていた。


 スーツの内ポケットからシガレットケースを取り出す。

 蓋を開ければ二本だけ、かつて見慣れていた銘柄の煙草が残っていた。


「いかがです?」


「いただくミル」


 差し出すと、ミルクはフワフワの手で器用に一本取り出してそれを咥えた。

 残った一本を取り出し、和夫も口に咥える。


 同じく内ポケットから取り出したライターで、ミルク、自分、の順で火を付けた。


「煙草、吸うんだミルね」


「娘が出来てからは止めてたんですけどね。禁煙を始めた時に、お守り代わりに持っていたのが残っていたようです」


「そうミルか」


「えぇ」


 会話は、それっきり。


 お互い、黙って紫煙を吐き出す。


 魔力渦巻く漆黒の中で、随分と呑気な光景だった。


「さて」


 五分ほどかけて煙草を短くした後、和夫がそう呟く。


 携帯灰皿に吸い殻を放り込むと、ミルクもそれに倣う。


「そろそろ、やりますか」


「そうミルね」


 お互い、随分と気軽げな口調だ。


 既に覚悟を決めている以上、殊更深刻になるのも無駄なことなのだった。


 和夫が手をかざすと、そこから伸びた魔力の糸がみるみる魔法陣を構築していく。


 超大な魔法陣が完成するまでに、一分とかからない。



   ◆   ◆   ◆



「「第一階位魔法」」


 奇しくも、《魔門》で隔たれた内外でその言葉は重なった。



   ◆   ◆   ◆



「《ゼロ》」


 静かな声で告げ、和夫が全ての魔力を凍結させる終末の魔法を発動する。



   ◆   ◆   ◆



「《インフィニティ》ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!」


 結菜が叫び、弾丸を優に超える速度で飛翔して《魔門》へと拳を叩きつける。



   ◆   ◆   ◆



 魔力で満ち満ちたその空間は、和夫の魔法によって空間ごと凍っていった。


 闇が氷結していく幻想的とも言えるその光景に、和夫は僅かに目を細める。


 最期に見る景色としては悪くない。

 そう思った。


 ――ピシ。


 ふと、和夫の背後からそんな音が聞こえた。


 ――ピシピシ。


 最初は、それも空間が凍結する音だと思った。


 ――ピシピシピシピシ!


 しかしすぐに、それが周囲の音とは明らかに異なるものであることに気付く。


「……?」


 そこに至ってようやく、和夫は疑問符混じりに振り返った。


 それと、ほぼ同時であった。


 ――ビシビシビシビシビシビシビシビシビシ!


 空間に罅が入って、瞬時に広がり。


 ――パリン!


 割れる。


 そして。


「おっさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 少女が飛び込んできた。


 魔法少女のコスチュームではない。


 《箒》もない。


「先輩……!?」


 けれどそこにいるのは、確かに和夫の先輩たる魔法少女であった。


「ぜぇ……ぜぇ……おっさんさ……」


 大きく肩で息をしつつも、結菜は和夫へと強い視線を向ける。


「おっさんが……なんで、魔法少女を……終わらせようと、してるのか……アタシには、わかんない……」


 和夫を見据えて、語りかけてきた。


「おっさんのことだから、きっと色々考えてのことなんだと思う……アタシには考えつかないような、難しいこととかさ……」


 徐々に、結菜の息が整い始める。


「もしかしたら、おっさんの方が正しいのかもしれない」


 和夫は口を挟めず、ただその声に耳を傾けることしか出来なかった。


「でもさ」


 真っ直ぐ向けられた瞳に映る、情けない自分の顔を見つめながら。


「もしおっさんが、アタシたちを可哀想とか思ってんなら。それを、助けてやらなきゃなんて思ってんならさ」


 結菜の目が、僅かに細められた。


「そんなのは、許さない」


 低い声と共に向けられるのは、苛烈な怒りではない。


「アタシも今日、初めて知ったんだけどね」


 その瞳にあるのは純粋に力強い、前向きな光だった。


「アタシもずっと、勘違いしてたんだけどね」


 結菜が、大きく息を吸い込む。


「アタシは! アタシたちは! 他ならぬアタシたちが、アタシたち自身が望んで! 魔法少女になったんだ! 魔法少女をやってんだ! 誰かの代わりになるためじゃなくて! 罪滅ぼしのためなんかじゃなくて! 魔法少女って、そういうんじゃなかったんだ! 泣いてる誰かを笑顔にしたいから! 誰かに守ってもらうんじゃなくて! アタシたちがみんなの笑顔を守りたいから! 魔法少女はそういう存在だから! アタシたちは、魔法少女でも笑える! 魔法少女だからこそ、笑えるんだ!」


 言葉通り、結菜は笑った。


「だから、それを無理矢理奪おうってーなら!」


 不敵な笑みだ。


「奪わせてなんてやらない! 辞めてやったりなんてしない! 諦めてやったりなんて、絶対しない!」


 結菜がぶち開けた穴越しに、魔法少女たちの姿が見える。


 その誰もが結菜と同じ表情を浮かべ、目に結菜と同じ輝きを宿していた。


「アタシたちは、何度だって魔法少女になってやる!」


 その、少女の言葉に。

 少女たちの瞳に。


 和夫は、気圧された。


 抱えたまま死ぬつもりだった覚悟が、信念が、揺るぎ始めているように感じる。

 十年も前に捨てたはずの感情が、蘇ってきたように感じる。


 当然といえば当然だ。


 それは捨てたのではなくて、単に心の奥の奥の奥底に押し込んでいただけなのだから。


「だからさ」


 一転、結菜の声色が静かなものとなった。


「帰ろう?」


 和夫に向けて、手が差し出される。


「一緒に考えよう。もしかしたら、同じ結論になるかもしれないけどさ。それでも、みんなで考えよう」


 その手を、何も考えずに取りそうになってしまった。


「……ですが」


 それをどうに堪えて、和夫は絞り出すように声を出す。


「私には、魔法少女を始めてしまった責任があります」


 それは結菜には話していない事で、どういう意味かわからないだろう。


「そうなんだ」


 けれど結菜は、和夫の言葉をあっさりと受け入れたようだった。


「じゃあ、感謝しないとね」


 それどころか、そんなことを口にする。


「ですが、そのせいで先輩は……」


「違うよ」


 結菜の顔はどこか憑き物が落ちたかのようで、和夫の家で過去を吐露した時のような泣きそうな表情はもう欠片もなかった。


「魔法少女がなかったら、アタシは十年前に死んでた。魔法少女がなかったら、アタシはここにいなかった。魔法少女がなかったら」


 結菜が振り返る。


「アタシは、こんなに沢山の仲間を持てなかった」


 そこにいる少女たちを、手で指した。


「魔法少女は、おっさんは、アタシを救ってくれた」


「っ……!」


 和夫は思わず咆哮したい衝動に駆られた。


 魔法少女を救ってやらねばならぬと考えていた、自らの傲慢さを知って。


 彼女の言葉に、和夫こそが救われたような気分になって。


「……ですが」


 けれど、そうすることは許されなかった。


 救われるわけにはいかなかった。


 仮に一人の少女を救えたことが事実だとしても、多くの魔法少女を傷付けたのは事実だ。


 間接的にではあっても、自分の娘を殺したことは事実なのだ。


「ですが今ここでこの空間を内側から破壊しなければ、今後も魔物が……」


 だから、せめてもの罪滅ぼしに。

 魔法少女が終わらなかったとしても、ここで魔法少女たちの戦いは終わらせなければならないのだった。


 ……否。

 それはきっと本心ではないと、和夫は今更ながらに気付いた。


 和夫は、自分自身をここで終わらせたかった。


 もう何一つ持っていない自分を。


 何も得ることの出来ない自分を。


 過去を悔み続けるだけの自分を。


 もう、終わらせたかったのだ。


 みんなの笑顔を守りたいから……娘の、その言葉まで利用して。


「いいよ」


 そんな和夫の心に、結菜の言葉がスルリと入り込んでくる。


「それでもアタシたちは、おっさんがいる方がいい」


 まるで何でもないことように、気軽な口調。


「だっておっさんも魔法少女で、アタシたちの仲間なんだからさ」


 ふんわりと、結菜が微笑んだ。


「それにさ」


 それを、どこかイタズラっぽいものに変化させる。


「魔法少女は、泣いてる誰かを放っておけないもんらしいから」


 和夫は、自分の頬に触れた。


 そこで初めて、自分が涙を流しているのだと気付いた。

 果たしてそれが何の涙なのかは、和夫自身にもわからなかった。


 やはりそれが、救いの言葉に思えたからか。

 何一つ残っていないと思っていた心に、いつの間にか入り込んでいた光を見たからか。


 とっくに無くしたと思っていた、帰る場所がまだあったことに気付いたからか。


 娘の姿が、彼女たちに重なったからか。

 娘の意思が受け継がれていることを、そこに確かに感じたからか。


 娘の笑顔を、思い出せたからか。


 わからない。

 わからないが……気が付けば、和夫は結菜の手を取っていた。


「帰ろう、皆のとこへ」


 そっと手を引かれるまま、踏み出す。

 随分と久方ぶりに大地に足を着けた気がした。


 もう二度と戻ることはないと思っていた世界は、何事もなかったかのように和夫を迎えてくれた。


「おかえり、おっさん」


 和夫の手を握った結菜と。


「おかえり、山田後輩」


「おかえり~!」


「おかえりッス!」


「おかえりっ!」


「おかえりだニャ~」


「おかえりなさい!」


 口々に「おかえり」と口にする、大勢の魔法少女たちと共に。

 和夫の、仲間と共に。


 一瞬、和夫はその光景を呆然と見つめた。


「……ただいま、帰りました」


 けれどやがて涙を拭って、魔法少女たちへと微笑みを返した。


 そこにはもう、全てを拒絶せんとする壁は微塵も残っていなかった。

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