第22話 とある魔法少女と

「助けて……」


 結菜は、ただただ涙を流す。


「助けて……」


 もはや、泣き叫ぶ気力すらも消失している。


「助けて……」


 呪文のように、そう繰り返すことしか出来ない。


「助けてよ……」


 それは、誰かに向けて助けを求めたものではなかった。


 あえて言うならば、神様に縋るようなもの。


 結菜自身、この状況をどうにか出来る者など存在しないと思っていたから。


 にも、関わらず。


「誰か、助けてよぉ……」


 一際大きな涙の粒を地面に落としながら、喉から絞り出された掠れた声に。


「おぅ、任せな」


 応じる声が、あった。


「えっ……?」


 しゃくりあげながら、結菜は振り返った。


 無論、そこにいたのは神様などではない。


「ウチら、魔法少女にな」


 菜種を先頭に、よく見知った少女たちが集結していた。


 彼女たちも、今や魔法少女のコスチュームが解けて私服姿となっている。

 《箒》を手にしている者もいない。


 その光景が、ますます結菜に絶望を抱かせる。

 もう魔法少女は、特別な力を持った者は存在しないのだと。


「でも……アタシも、皆も……もう……魔法少女じゃ、なくなっちゃったよ……」


 改めて口にして、結菜は更に涙を溢れさせた。


「おいおい、真山結菜様ともあろうモンが情けねぇこと言ってんじゃねーよ」


 わざとらしく大げさに、菜種が肩をすくめる。


「魔法少女の格好してりゃ、《箒》がありゃ魔法少女か? それがなくなりゃ魔法少女じゃなくなるのか? ウチらの魔法少女ってのは、そんな薄っぺらなもんだったのかよ?」


 彼女の顔に、絶望の色はない。


「ウチはそうは思わないね」


 この場に、結菜以外にそれを抱いている者はいなかった。


「魔法少女大原則! 第一条!」


 突如、菜種が声高に叫ぶ。


「泣いてる誰かをほっとかない!」


 実際には、もう少し硬い言葉で表現されているものではあるが。

 それは、魔法少女になった者が真っ先に習う言葉だ。


 そして。


「それが出来りゃ、魔法少女さ」


 親指を立てる菜種に、後ろの少女たちが頷いた。


 彼女たちは、だからここにいるのだと。

 結菜にもわかった。


 泣いている結菜を、放っておけないから。

 魔法少女のコスチュームを身に纏っていなくとも、《箒》がなくとも、関係なく。


 彼女たちは、確かに間違いなく魔法少女なのだった。


 それでも。


「でも、《箒》がないと魔法が……」


「聞いたことねぇか? 《箒》ってのは、あくまで補助デバイスさ。妖精たちゃ、ナシで魔法使ってんだろ?」


「でも、《箒》無しで魔法を使うのは習得に時間がかかるって……」


「そりゃ、一から始めた時の話だろ? ウチら、何年魔法少女やってんだよ。魔法を使う感覚なんざ、身体が覚えてるさ」


「でも……」


 信じたい思いはある。


 しかしそれが裏切られたらという不安が、結菜の口から「でも」を排出する。


「アタシが《アガレス》を使ってた時でも、ちょっとしか傷付かなかったし……」


「ハッ、まさしくエースでもどうにも出来ない事態ってわけだ」


 菜種は、ニィと犬歯をむき出しにして笑った。


「なら、アンタの目で確かめてみなよ。アンタでもどうにも出来ない事態に、ウチらの力が加わればどうなんのかさ」


 菜種が後ろの魔法少女たちへと振り返る。


 かつて結菜が足手まといだと、力が加わったところで変わる事など何もないと、断じた彼女たちへと。


「いくぞおめぇら! 今こそ、借りを返す時だぜ!」


『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』


 響き渡る鬨の声。


 と同時、少女たちの身体を魔力の光が包んだ。

 細長い糸のようにそれが空中へと伸び、魔法陣を描いていく。


「ステップ一から二〇〇〇、オーケー!」


「二〇〇一から三〇〇〇、担当するッス!」


「へっ、ペーペーのアンタで大丈夫かい?」


「馬鹿にしてないでくださいッス、ペーペーはもうニ年も前に卒業してるッス!」


「ステップ二〇〇〇〇から二一五〇〇、安定度足りてません!」


「そんじゃあ私が補助に入るニャア」


「ステップ五〇〇〇〇前後、ちょっとズレてるよ!」


「すぐ直しまーす!」


 口々に声を掛け合い、結菜でも描ききれない程の巨大な巨大な一つの魔法陣を。


「凄い……」


 それを呆然と見つめる結菜の口から、自然と感嘆の声が漏れた。


 結菜にはそもそも、誰かと一つの魔法陣を構築するという発想がなかった。


 結菜なら、一人で十分だったから。

 それが、最適解だと思っていたから。


 限界を迎えたとて、それを乗り越えられるのは自身しかいないのだと思っていたから。


 けれど、彼女たちは違った。


 一人で足りないなら、合わせればいいと考えたのだろう。

 限界を迎えたなら、みんなで超えればいいと考えたのだろう。


 いや、恐らくは限界なんて定めていなかったのだろう。

 今の彼女たちは、結菜が限界だと思っていたところさえ軽く越えていた。


 その手際の良さは、明らかに今思いつきでやっているものではない。

 緻密な連携訓練の跡が伺えた。


「おぅ結菜、ボーッとしてねぇでアンタも手伝いな!」


 バン、と菜種が結菜の背中を叩く。


「えっ……」


 結菜は驚きの目を菜種に向けた。


 直後、気まずい気持ちと共にそれを伏せる。


「でもアタシ、皆と合わせる練習なんてしてないよ……」


「んなもん、問題ねぇさ」


 菜種が笑みを深めた。


「ウチらは、アンタに合わせる練習してんだからさ」


「へ……?」


 こんな時にも関わらず、結菜はポカンと口を開けた。


「んはは、なんて面してやがんのさ。ずっと一緒にやってんだ。アンタの癖ぐらいみんな知ってっさ」


「そ、そうじゃなくて……」


 みんな、結菜を見返すために訓練したのだと思っていた。


 結菜がいなくても大丈夫だと主張するためにやっていたのだと思っていた。


 けれど、これではまるで。


「アタシの、ために……?」


「んなもん、当たり前だろ? アンタが、ウチらのエースなんだからさ」


 何言ってんだコイツ、と言わんばかりの表情を浮かべる菜種。


「でも……」


 また、その言葉が結菜の口を突いて出た。


「アタシ、いっつもみんなに酷いこと言ってるのに……」


「あんなー」


 呆れた調子で、菜種はガシガシと頭を掻く。


「あんまバカにすんなよ?」


 そして、至近距離で結菜と顔を付き合わせた。


「ウチら、みんな知ってんだよ。アンタが誰より身体張って、ウチらを守ってくれてるってことなんざぁさ。言い方がアレなとこはあっけど、アンタが正論吐いてるってこともよ。だからさ……その、なんてーのかな……」


 一瞬視線を外して言い淀んだ後、再び結菜の目を見る菜種。


「感謝してんだ、アンタには。アンタの力になってやりてぇと思ってんだよ。ウチら、全員。ずっとずっと思ってたんだ」


 頭を掻く手が加速した。


「ったく……言わせんなっての、こんなこと」


 その頬は、僅かに赤くなっている。


「……はは」


 結菜は笑った。


 ポロリと涙がこぼれる。

 けれど今度のそれは、絶望から来るものではない。


 むしろ、それとは真逆のもの。


「菜種ちゃん、可愛い」


「うっせ!」


 随分と久々に、同僚の魔法少女と向き合ったような気がした。


 お互いそっぽを向いているのだと思っていた。

 ずっと、嫌われているものだと思っていた。


 そう振る舞ってきたつもりだった。

 誰の心にも残らないようにと思って魔法少女をやっていたつもりだった。


 勘違いだった。


 顔を背けていたのは、結菜だけだった。

 皆の心に、既に結菜は残っていたのだった。


 結菜が思っていたよりずっとずっと、彼女たちは強く優しかった。

 心の奥底に根付いてこびり着いてしまっていた結菜の信念を、解くほどに。


「ありがとう、ごめん……後で、いっぱいいっぱい皆に言うよ」


「いらんいらん」


 ひらひらと菜種は手を振る。


「それよか、エースなら背中で示しな」


「……わかった」


 頷き、結菜はようやく立ち上がった。


「みんな、アタシに力を貸して!」


 魔法少女たちへと向き直る。


「おっさんを……アタシたちの後輩を、助けるために!」


 魔法少女たちは、一瞬キョトンとした表情に。


『もっちろん!』


 しかしすぐに、笑顔で声を揃えた。


 今更、そんなこと言葉にするまでもないと言いたげに。


「ありがとう」


 小さく口の中で言って、結菜も集中する。


 いつもは無造作に《箒》へと流していた魔力を、引き絞るイメージ。

 すぐに結菜の身体からも、魔力の糸が浮かび上がった。


 それを伸ばして、魔法陣を描くのに加わる。


「ぐっ……」


 しかし、すぐにその難しさを体感することとなった。


 改めて、《箒》が如何にサポートデバイスとして優れていたのかを実感する。


 自分で直接、狂いなく緻密に魔法陣を描くのに比べればなんと平易だったことか。

 《箒》を扱うのに多少の慣れが必要とはいえ、これを思えば微々たる苦労だ。


 それに、複数人で魔法陣を構築するというのも想像以上の難度だった。


 自分で描いていない部分の意図を察しなければならない。

 誰かの描いた部分と矛盾が生じないようにしなければならない。


 如才なくこなしているように見える魔法少女たちに、どれほどの負担がかかっているのかが伺える。

 よく見れば、大多数の魔法少女たちは額に脂汗を浮かべていた。


 それでも、その表情は決して苦悶一色ではない前向きなものだ。


(そう……そうだね)


 今の結菜も恐らく、彼女たちと同じ表情を浮かべていることだろう。


 歯を食いしばりながらも、笑みを浮かべている彼女たちと。


(みんなとなら、きっと出来る)


 結菜の負担は、恐らく他の者より随分と少ない部類であるはずだ。


 菜種の言う通り結菜の癖は知れ渡っているようで、元々実に結菜好みの構築の仕方となっている。

 それに、結菜の描いた部分に矛盾が生じれば即座に誰かが修正してくれた。


 その安心感が、徐々に結菜の緊張をほぐしていく。


(それに、この魔方陣はよく知ってる)


 魔法少女たちが描こうとしている魔法陣が何なのかは、すぐにわかった。


 結菜にも、まだ使えない魔法。


 魔法少女の歴史を紐解いても、かつて東雲佳奈にしか扱えなかった魔法。


 けれどいつかそこに至るために、東雲佳奈の代わりになるために、結菜は穴が空くほどそれが描かれたマニュアルのページを熟読していた。


(こんな風に、使うことになるとは思ってなかったけど……)


 こんな時なのに、結菜は笑みが深まるのを抑えられなかった。


(なんだか、一人で使えるようになるよりずっと嬉しい気がするな)


 結菜は、己が内からかつてないほど力が湧き上がってくるのを感じていた。

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