第19話 とあるおっさんと魔法少女たちの苦境と戦略

 和夫が到着した時、既にそこは戦場と化していた。


 数多の魔法少女が、四方八方を飛び回りながら奮闘している。


 幸いにして魔物の発生地点は郊外のショッピングモール、それも既に閉鎖済みのもの。

 今のところ、人的被害は出ていないようだ。


 魔物が周囲に拡散しないよう張られた結界も、上手く機能しているらしい。

 ただし絶え間なくバチバチと魔物が結界にぶつかっており、結界の維持を担当している妖精たちは例外なく苦悶の表情を浮かべているが。


 戦場を一通り見回した和夫は、ある一点へ向けて飛翔した。

 そこに見知った顔があったのと、彼女が明らかな窮地に陥っていたためだ。


「《レモン☆トルネード》っ」


 和夫の手にする《アモン》から鮮やかに黄色い風が吹きすさぶ。

 ファンシーな見た目に反して第七階位魔法に座する凶悪な威力を持ったそれが、文字通り竜巻のように荒れ狂いながら少女の周囲に迫っていた魔物たちをズタズタに斬り刻んだ。


「山田サン!」


「和夫!」


 魔物に囲まれていた少女・木塚菜種と、その肩に乗ったミルクが喜色を宿した顔を和夫に向ける。


「ご無事ですか?」


 引き続きイエローの竜巻で周囲を蹂躙しながら、和夫は菜種の隣に降り立った。


「ウス、おかげさまで」


 右手に普段の結菜と同じような――しかし結菜のものに比べれば随分と小さい――魔力の爪を纏わせた菜種が、左手で額の汗を拭いながら答える。


「正直助かったミル」


 菜種の肩の上で、ミルクが「ふぅ」と安堵の息を吐いた。


「戦況はどうですか?」


 しかし和夫が問いかけると、サッと表情を改める。


「ハッキリ言って、だいぶ悪いミル」


 その顔には、苦い色が浮かんでいる。


「結菜は? ミル」


 どこか縋るような調子で、ミルクが問い返してきた。


「眠っています。少なくとも丸一日は安静が必要でしょう」


 その言葉に、嘘はない。

 過労で倒れた結菜に少なくとも丸一日程度の休息が必要なのは事実だ。


 ただ、和夫の魔法が強制的に丸一日は目覚めないようにしただけで。


「そうミルか……」


 和夫の回答に、ミルクの表情はますます苦みを増す。


「なぁに、むしろちょうどいいってもんさ」


 重くなり始めた空気を、菜種の明るい声が切り裂いた。


「前の『大厄災』の時も、一日ほど粘ってたら魔物共は勝手に帰ってったんだろ? 殲滅戦ってならともかく、時間稼ぎくらいはエース様不在でも出来るってことを見せてやるいい機会だね」


 そう言って、ニッと笑う菜種。

 しかし、それが強がりであることは誰の目にも明らかだった。


 事実、招集からまだ一時間と経っていないはずなのに彼女の顔には既に色濃い疲労が見て取れる。

 このペースでは、とてもではないが一日は保たないだろう。


「……私に、考えがあります」


 ゆえに和夫はそう口にする。


 否、戦況が如何なるものであろうと最初からそうするつもりであった。


 それは、自身が魔法少女になった時から。


 あるいは、十年前からずっと。


「前回と同じだとすれば、《魔門》は開きっぱなしになっているはずです。その奥にある核となる存在を壊せば、外の魔物もろとも全て消滅するでしょう。それどころか……今後、魔物の発生そのものを絶つことさえ可能かもしれません」


「はいぃ?」


 早口で説明した和夫に、菜種が眉根を寄せて懐疑の声を上げる。


「《魔門》の奥? 核? ウチ、十年近く魔法少女やってますけどそんなもん聞いたこもないですよ?」


普段魔門はすぐに閉じてしまいますし、人が通れる程の大きさにもなりませんからね。しかし、だからこそ『大厄災』は魔物を一掃するチャンスでもあるんです」


「いや、そうは言いますけどねぇ……」


 菜種が和夫に向けるのは、あからさまに胡乱げな目だ。


 その肩の上で、ミルクが難しい顔で腕を組んでいる。


「……和夫、その話は確かミルか?」


「おい、ミルク……?」


 固い声で尋ねるミルクに、菜種がギョッとした表情を向けた。


「十年の研究と、二ヶ月の魔法少女の経験にかけて。間違いないと断言します」


 はっきりとそう言って、和夫は頷く。


 喧騒渦巻く戦場の最中、三者の間に奇妙な沈黙が生まれた。


「……わかったミル。今後は、全魔法少女をその前提で動かすミル」


 やがて、ゆっくり頷いてミルクがそう告げる。


「ちょ、正気かよミルク!?」


 目を丸くして叫んだ後、菜種はハッとした表情に。


「いや、そりゃ、山田サンのこと信頼してないわけじゃないけどよ……」


 気まずげに、和夫を横目で見る。


「和夫が今語った内容は、元々機構としても可能性を検討していたミル。確証がなかったミルから、作戦投入は戸惑っていたミルが……」


 ふっ、とミルクが笑った。

 どこか、悲しげな雰囲気を帯びた笑みだ。


「ことこの件に関する限り、和夫ほど信頼出来る情報ソースは存在しないと思うミル」


 再び流れる、沈黙。

 菜種が、睨むような目つきでミルクと和夫を見比べる。


「……わかった」


 しかし暫しの後、頭をガシガシと掻きながらポツリとそう漏らした。


「山ほど聞きてぇこたぁあるが、全部後回しだ。今は、山田サンのこと信じるよ」


 ニッと笑う。


 今度は、無理は感じられない。


「山田サンは魔法少女で、ウチら仲間だもんな」


 それは、迷いを断ち切った気持ちのよい笑顔だった。


「うっし! んじゃ、《魔門》の向こうとやらに突入するメンツはどうする? 山田サンは確定として……」


「いえ」


 菜種の言葉を遮り、和夫は首を横に振る。


「《魔門》の向こうには、私一人で行きます」


 そして、決意を秘めた目と共にそう告げた。


 冷や水を浴びせられたかのように、菜種の笑顔が引っ込む。


「……やっぱ、ウチらは足手まといですか?」


 代わりに表れたのは、明確に傷付いた少女の表情だ。


「適材適所ということです。《魔門》の向こうは、高密度の魔力が満ちていると予測されます。一定以上の出力で障壁を継続出来なければ、何も出来ず押し潰されてしまうだけでしょう」


 それは結局、足手まといだと言っているのと同義であった。


「ですから皆さんには、私が《魔門》に辿り着くまでの道を作っていただきたいのです。どうか、お願いします」


 その欺瞞を自覚しつつ、和夫は頭を下げる。


「……りょーかい」


 自分の中で何かしらの折り合いをつけたのか、菜種がそう言って肩をすくめた。


「はーっ。しっかし、一番のペーペーに命運託すしかないたぁ泣けてくるねぇ」


 大げさに溜息を吐いて、冗談めかしてそんなことを口にする。


 場の空気が、少し弛緩した。


「……すみませんが」


 和夫も、菜種の気遣いに乗ることにする。


「美味しいところはいただいていきますよ、先輩」


 言って、菜種の方に拳を突き出した。


 菜種は、一瞬目をパチクリさせてそれを見つめる。


「ハッ」


 しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべた。


「しゃーねぇから譲ってやんよ、後輩」


 そして、コツンと拳を合わせる。


「っしゃ! んじゃ、可愛い可愛い後輩のために死ぬ気で道を切り開いてやりますか!」


 パン! と自分の両頬を叩く菜種。


「いえ、それは少し困りますねぇ」


 水を差すような和夫の言葉に、再び目を瞬かせる。


「先輩方には、後で順番に菓子折りと共にお礼を申し上げに参るつもりですので。持っていく先が墓前なんてことになったりしたら、締まりませんよ」


「……ははっ」


 菜種の顔に、不敵な笑みが戻ってきた。


「確かに、そりゃハッピーエンドにゃ相応しくないね」


 燃えたぎる決意を目に、ミルクを見る。


「ミルク! ウチらが外してる間、結界は保つんだろうね!?」


「愚問ミル。こちとら魔法少女以上に新人を入れられないもんで、今残ってる職員は全員前回の《大厄災》も経験済みのベテランだミル。こっちの心配なんて、文字通り十年は早いミルよ」


「ハッ、上等!」


 ミルク、菜種、似たような笑みを浮かべて頷き合った。


「木塚より全魔法少女へ! これより、山田後輩を《魔門》まで送り届けることを最優先事項とする! 全員、何がなんでも道を切り開け! ただし、何がなんでも生き残ることが大前提だ! ウチらなら両方出来る! そうだよな!」


 菜種が、《箒》越しに魔法少女へと呼びかける。


「ミルクより、魔法少女管理機構日本支部全職員へ! 聞いての通り、これより魔法少女たちは深部への突入を最優先任務として開始するミル! 結界を破られて足を引っ張るなんて真似は許さんミルよ! 大人の意地に賭けて、何がなんでも結界を維持するミル! 無論、死亡者を出すなんて真似は許さんミルよ! もう機構に労災下ろす余裕なんてないミルからね!」



 ミルクが、瞳に六芒星を浮かび上がらせ妖精たちを鼓舞する。


『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』


 戦場の騒音に負けないくらい大きく、地を揺らすような魔法少女たちと妖精たちの呼応の声が響いた。


 直後、魔法少女たちが続々と集まってくる。


 すると、その意図を察したかのように魔物たちも密集して壁を作り始めた。


 否、恐らくは察しているのだ。

 魔物が統率された動きを取るケースがあることは、これまでの例でも確認されている。


 それこそが、魔物を指揮する核の存在を裏付ける証左の一つでもあった。


「フォーメーションR!」


 菜種の声に応じて、魔法少女たちは鏃のような形の隊列を素早く組んだ。


「突撃ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 そして、魔物の壁に向かって一丸となって突っ込んでいく。


「私も……」


「おっと、ストップだ」


 自身も戦線に加わろうと動きかけた和夫を、菜種が腕を突き出し止めた。


「適材適所っつったのはそっちだぜ?」


「それは……」


 反論出来ず、和夫は口を噤む。


「さっき、ウチは後輩を信じた。今度は、そっちが先輩を信じる番さ」


 ニヤリと菜種が笑った。


「ま、見てなって」


「……はい」


 その自信ありげな表情に、和夫も一先ず戦況を見守ることにする。

 いつでも、飛び出せる準備だけは整えて。


 程なくして、ついに両陣営がぶつかった。


『せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!』


 先頭付近の魔法少女たちが攻撃を放つ。


 複数の魔法が折り重なって一点を穿つが、それでも結菜の突破力には及ばない。

 数体の魔物を葬っただけで、すぐに奥から新たな魔物が突っ込んでくる。


「っ!」


 あわや最前線の魔法少女たちに魔物が食いつかんとしたところで、和夫は身を乗り出しかけた。


 しかし、隣の菜種は余裕を崩していない。

 それどころか、当の最前線にいる魔法少女たちでさえも。


 一瞬の後、和夫はその理由を知ることになる。


『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』


 魔法少女たちの間を縫う形で高出力の魔法が放たれ、今にも牙を届かせんとしていた魔物たちをまとめて消滅させた。

 やや後方で、時間をかけて巨大な魔法陣を展開して魔法少女たちがいたのだ。


 それを合図に、最前線の魔法少女たちが退いた。

 間髪入れず、別の魔法少女たちが交代して戦線を維持する。


 細かく交代することで極力疲労を軽減し、しかし完璧なタイミングでの素早い入れ替わりにより隙を作らない。

 また、どこかが崩れかければすぐに後方から援護する。


 見事に統率の取れた彼女たちの動きは、まるで一個の生き物のように魔物たちを翻弄していた。


「これは……」


 和夫の口から、感嘆の響きが漏れる。


「なかなかやるもんだろ?」


「はい……これは凄い」


 自慢げな菜種の問いかけにも、素直に頷いた。


「ま、ウチらもいつまでもエースにおんぶにだっこじゃないってね」


 満足そうに肩をすくめる菜種を見て、和夫は内心で自身を恥じ入った。

 今の今まで、和夫は彼女たちのことを足手まとい……とまでは言わなくとも、自分が適宜フォローして引っ張る必要があると考えていたのだ。


 そんなものは、完全な思い上がりだった。

 彼女たちは自身の力量を理解し、それでも諦観に飲まれるでも怠惰に溺れるでもなく、切磋琢磨して牙を研ぐ立派な戦士だった。


 それはきっと、和夫なんかよりもずっと。


「後輩は、黙って先輩についてきな!」


 それだけ言って、菜種自身も戦線に加わっていった。


 その、背中に。


「はい!」


 今度こそ心からの信頼を乗せて、和夫はそう声を返した。

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