第18話 とあるおっさんと同類少女
「ん……?」
結菜が、ゆっくりと目を開いた。
「……?」
明らかに自室のものではない天井が目に入り、未だモヤがかかったかのように上手く働かない思考の中に疑問を浮かべる。
「んん……」
やけにダルい身体を半ば無理矢理に動かし、上体を起こした。
改めて見回してみても、やはり見知らぬ部屋だ。
ピンクを基調にした色合いや多数のぬいぐるみ等から、どうやら女の子の部屋らしいということが推察される。
結菜は、その部屋からどうにも寂しい印象を受けた。
掃除は行き届いているよだが、随分と長い間使われていないように思える。
そんな中、学習机の上に置かれた写真立てがふいに結菜の興味を引いた。
そこに飾られた写真に写るのは、赤ん坊を腕に抱く女性とその肩に手を置く男性。
赤ん坊は眠っているようで、そちらに目を向ける二人の顔を彩るのは幸せに満ちた笑顔だ。
(昔のモデルさん……?)
髪型や服装にやや古臭さは感じるものの、二人共整った顔立ちをしている。
この二人の子供だとすれば、安らかな寝顔を晒している赤ん坊も将来は有望だろう。
(……って、あれ……?)
ふと、どこか既視感を覚えたところで。
ガチャリと部屋のドアが開き、結菜はそちらに目を向けた。
「目を覚まされましたか」
扉を開けた体勢のまま、和夫が微笑んでいる。
「アタシ……」
夢現から急激に現実へと引き戻された気分で、結菜は自らの額に手を当てる。
トリプルヘッダーの出撃で、魔物を一掃し終わったところまでは覚えていた。
その後、他の魔法少女たちに冷たい言葉を放ったことも。
それから……帰ろうと思ったところで、記憶が途絶えている。
もちろん、知らない家に上がりこんで眠った覚えなどない。
「もしかして、倒れたりした?」
「はい、過労だそうです」
ベッドの脇まで歩み寄った和夫が、サイドテーブルに置いてあった水差しとコップを手に取った。
コップに水を注ぎ、結菜に向けて差し出す。
「ん、ありがと」
素直に受け取って、結菜はコップに口を付けた。
思っていたより身体は渇きを覚えていたようで、一口のつもりが一気に全部飲み干してしまった。
水分が身体に染み渡っていくかのような感覚が心地良い。
考えてみれば、帰り際に倒れたということであれば激しい戦いを繰り広げた後そのままということになる。
渇いていたのも当然と言えよう。
「ここ、おっさんち?」
人心地ついたところで、質問を投げる。
といっても、半ば確信を伴っての確認のようなものだが。
「はい。機構より、ウチの方が近かったものですから」
果たして、そう言って和夫は頷いた。
「そっか」
言いながら、結菜は先程の写真に視線を移す。
「じゃああれ、やっぱりおっさんなんだね」
そう口にすると、和夫の顔に僅かに驚きが生まれた。
「よくわかりましたね……自分で言うのもなんですが、随分と変わったと思うのですが」
確かに和夫の言う通り、写真の男性は眼鏡を掛けていないし脂ぎっていないし痩せ型のモデル体型だしフッサフサだ。
だがその優しげな雰囲気は、今も昔もあまり変わらないと結菜は思った。
それから……写真に映るその笑顔には、何の憂いも壁も感じられない。
結菜と出会った時から変わらず、ずっと和夫が浮かべているものとは違って。
「おっさん、子供いたんだね……てか、結婚してたんだ」
結菜は、少しだけ踏み込んだ。
「はい」
和夫の微笑は変わらない。
「もう、二人ともいませんけどね」
その言葉は、あまりに何でもない響きを伴い空気を震わせて。
思わず結菜は、そのまま流しそうになった。
「……それって」
一瞬そのまま流すべきかとも思ったが、結局結菜は更に踏み込むことにする。
なんとなく、その答えは予想していたし……随分と年上の後輩の事を何も知らないままで済ませられるのは、ここまでだと思ったから。
「娘は、『大厄災』で亡くなりました。その後すぐ、後を追うように妻も病で」
その言葉は、やはり負の感情を纏っているようには聞こえない。
けれどそれは悲しみが存在しないことと同義ではないことを、結菜は知っている。
「……そっか」
結菜は、ただそれだけ返した。
「アタシもさー」
それから。
なぜ、そんな話をしようと思ったのかは自分でもよくわからなかった。
相手だけ話すのは不公平だと感じたのか、結菜自身が誰かに聞いて欲しいと思っていたからなのか。
「『大厄災』で、パパとママが死んじゃったんだよね」
いずれにせよそう口にする結菜は、その言葉が先程の和夫とよく似た響きを伴っていることを自覚していた。
「今でも、あの時のことはハッキリ思い出せる」
それは悲しみが無くなったわけでも、薄れたわけでもなく。
無理矢理に押さえ込んでいるからこその響きだ。
「大切なものは、こんな簡単に失われるんだなって。ぼんやり思ったことも」
もう完璧に心の奥底に根付いてこびり着いてしまっていて、出来ることといえば押さえ込むくらいしか無いのだった。
「今は、叔父さん夫婦のおウチに住まわせてもらってんの。とっても良くして貰ってて……パパ、ママ、って呼んでいいよって言ってくれてる」
今となっては実の両親よりもずっと多くの思い出を共有している、叔父夫婦の優しい笑顔を思い出す。
そして、その笑顔が少し悲しげに歪む様を。
「でも、アタシはあの人たちを絶対そんな風に呼んだりしない」
それを見る度に自身の心を痛めながら、しかし結菜は己の信念を曲げはしなかった。
「叔父さん叔母さんには凄く感謝してる」
これもまた、心の奥底に根付いてこびり着いてしまっているものだから。
今となってはもう、曲げようとしたって曲げ方すらもわからない。
「でも、だからこそ……アタシは、これ以上踏み込まない」
「それは」
こんな話をしているというのに、和夫の微笑はやっぱり変わらなかった。
まるで、その形のまま顔を蝋で固めてしまったかのように。
「いつか失うかもしれないものだから、最初から近づかないように……と?」
「そうじゃないって、本当はわかってるんでしょ?」
結菜は小さく笑った。
和夫が結菜の奥底にあるものを概ね察していることを、結菜もまた察している。
和夫が決してそれに触れないようにしてきたことにも、また。
「似てるのかもしれないけど、少し違うよね」
答え合わせをするように、結菜はそう語り始めた。
「アタシは、魔法少女だから」
なぜだかは、やっぱり自分でもよくわからない。
「そんで、エースだから」
ただ、今の結菜は不思議と穏やかな気持ちだった。
「アタシは、きっと周りの誰よりも早く死ぬからさ」
だから、笑ってそう口にすることが出来る。
「……なぜ、ですか?」
若干の逡巡を挟んだ後の和夫の問いには、対象が抜け落ちている。
しかし、何を問うているのかは言われずともわかった。
「アタシが魔法少女を続けるのも、エースであり続けるのも、誰より先んじて突っ込み続けるのも……理由は、全部一緒」
結菜は、笑みを深めた。
「みんなの笑顔を、守るため」
その言葉は、なんと空虚に響くことだろう。
今浮かべている笑みは皮肉げなものになっているに違いないと、結菜は確信する。
「そう言っていた魔法少女を、アタシが殺したから」
今度の言葉は、随分と重い響きを伴って口から出ていった。
「絶対エースを、魔法少女の支えを、アタシが奪ったから」
目を瞑る。
当時二歳だったにも関わらず、今でもはっきりその場面を思い出すことが出来た。
「東雲佳奈は、アタシを庇って死んだから」
続々と凶暴な魔物が襲い来る中、自分を庇って戦う魔法少女の姿を。
見る見る傷付いていく、年上の、けれど決して大人とは言えないお姉さんの姿を。
それでも全ての魔物を滅ぼした、眩しい戦士の姿を。
『もう、大丈夫だよ』
そう言って振り返った、彼女の笑顔を。
直後に倒れた、ボロボロになった身体を。
次々集まってくる魔法少女たちの、驚きと、悲しみと、絶望の混ざった表情を。
幼心に抱いた、自分が彼女たちのとても大切なものを奪ったのだという罪悪感を。
だから、結菜は決意したのだった。
「だからアタシは、魔法少女になった」
自分が奪ってしまったものの代わりに、自分がならなければならないと。
だから、魔法少女に志願した。
だから、鍛錬を欠かしたことはなかった。
だから、エースと呼ばれるまでにそう長い時間はかからなかった。
だから。
「だからアタシは、誰の心にも残らない。誰とも馴れ合わない」
自分もきっと、いつか彼女と同じように果てる時が来るだろう。
そうなっても、誰にもあの時と同じ顔をさせないように。
結菜は、誰にも心を晒しはしない。
唯一の、例外を除いて。
「でもさ」
目を開き、意識を現実に戻す。
「おっさんなら、大丈夫だよね」
最初は只々嫌悪していたはずの……いつの間にか随分心の中に入り込んできていた後輩へと、真っ直ぐ目を向ける。
「だって、おっさんもアタシと同類だもんね」
その言葉に、和夫は酷く驚いた表情を浮かべた。
声にならない声を上げたように見えた。
初めて見るその狼狽した様子がおかしくて、結菜は笑った。
今度は自然に笑えた気がした。
「そんなに驚くこと? おっさんがアタシのこと察せるんだったら、アタシだっておっさんのこと察せるよ」
果たしていつからそう思うようになったのか。
二歳の時の記憶は鮮明なのに、こんなに近くのことはなぜか上手く思い出せない。
「正直、最初は不思議だったんだよね……アタシ、他の魔法少女とはもっと距離を取ってたはずだったのに。おっさんには、割と早々にそこそこ心を許すようになってた。なんでだろって」
出会ったのが、随分昔のことように感じる。
もう、何年も一緒に過ごしているかのよう錯覚する。
こんなにも、自分と似ているから。
「けど、おっさんといるうちに……わかってきたんだ。おっさんなら大丈夫だって……最初から、悟ってたんだなって」
和夫を理解するということは、自己分析にも等しいものだった。
「おっさんの笑顔は、誰にも踏み込ませないための盾なんだよね」
結菜の刺々しい態度が、誰にも踏み込まないための剣であるように。
「おっさんは、結局誰も信用してなくて誰にも心を開いてないんだもんね」
結菜が、他の魔法少女たちを足手まといと断じて切り捨てているように。
「おっさんは、誰も心に残さないようにしてるんだよね」
結菜が、誰の心にも残らないようにしているように。
「アタシは、誰の心にも残らない。おっさんは、誰も心に残さない。ちょうどいいよね」
いつからか、結菜はそんな風に自分と和夫を分析するようになっていた。
「だからさ」
結菜としては、笑って気軽に言ったつもりだった。
「おっさんはこれからも、ずっとアタシを心に残さないでいてね」
それは、過労で弱っていたがゆえに出てきた言葉ではあった。
それでも、確かに結菜の本心だった。
けれど結菜自身、気付いていない。
拒絶を示すものでありながら、その言葉がどこか縋るような響きを伴っていることに。
それを告げる表情が、泣き出す直前のようなものになっていることに。
十年孤独を望み続けた自分が、初めて出会った同胞に安寧を求めていることに。
初めて、自分を曝け出しても構わない存在に出会えた喜びを感じていることに。
既に、それに対して依存しているということに。
気付いていなかった。
「先輩……」
和夫が押し黙る。
その顔に浮かぶのは感情が抜け落ちたかのような無表情で、内心を推し量ることは出来ない。
初めて、和夫の仮面が外れたように感じられた。
「……私は」
たっぷり数分は沈黙が流れた後、再び和夫が口を開いた。
【全魔法少女へ告ぐミル! 緊急招集ミル!】
同時に、そんな声が響く。
通信魔法を介して、頭に直接届けられたミルクの声だ。
【魔物の出現を確認……厄災レベル、十ミル!】
その言葉は、どこか現実感に乏しく結菜の頭の中を抜けていった。
厄災レベルは、通常一から九までの間で定義される。
そう、通常は。
ただし過去に一度だけ、例外的にその範疇を超えると判断された事象が存在することを結菜も知っていた。
【魔法少女管理機構は、これを『大厄災』と同等の事象と判断したミル! 繰り返すミル――】
頭の中で先程と同じ文言が繰り返されるのをぼんやりと聞くこと数秒。
「……そっか」
ようやく、結菜は我を取り戻した。
「ついに、来たか」
けれど、動揺はない。
いつでも、覚悟を持っていたから。
魔法少女になった日から……いや、十年前のあの日からずっと。
東雲佳奈と同じ道を辿る覚悟を。
「おっさん、行こう」
だから結菜は、穏やかな気持ちのままでそう言うことが出来た。
ベッドを降りて、立ち上がろうとする。
猛烈な目眩に襲われるが、無視。
「いえ」
しかし和夫に肩を押さえられ、中途半端な姿勢で固まることになった。
「先輩は、ここにいてください」
普段通りの落ち着いた声色で、和夫がそう告げる。
その表情も、いつの間にかいつもと同じ笑顔に戻っていた。
全てを受け入れ、全てを拒絶する笑顔に。
「ふざけてる場合? アタシが行かないと、みんなが……」
「すみませんが、先輩」
手を振り払おうとする結菜の額に、和夫の指がそっと触れる。
「えっ……?」
途端、結菜は抗いがたい眠気に包まれた。
まるで魔法でも掛けられたかのように、急激に。
否。
(これ、魔法……!?)
宙には、確かに魔法陣が構築されていた。
自らの意思とは関係なく閉じられていく瞼に遮られつつも、和夫の手を見る。
そこに、《箒》の姿は影も形もない。
「今のお話を聞いて、私の心も定まりました」
結菜は、《箒》を呼び出すため右手に魔力を集中させようとした。
しかし意識はもう半ば以上ブラックアウトしており、上手くいかない。
「今日だけは、エースの座を譲っていただきます」
それは遠ざかっていく現実から送られた声なのか、近づいてくる夢の中から迎えに来た声なのか。
その判別すら付かないまま、結菜の意識は再び完全な闇の中へと落ちていった。
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