第16話 とあるおっさんの秘する過去
「どうもすみませんでした、とんでもない勘違いをしてしまったようで……」
細いフレームのメガネを掛けた、見るからにインドアタイプな青年……吉川
「いえいえ、遠目では誤解も仕方ない体勢だったと思いますし……生徒のために身体を張れるなんて、いい先生をしているじゃないですか」
「そう言っていただけると……」
恐縮と照れの混じった表情を浮かべる彼のことを、先程結菜は「アタシの担任の先生」と紹介した。
「えーと、今は……山田先生、でいいんでしたっけ……?」
一方で、吉川も引き続き和夫のことを『先生』と呼ぶ。
「えぇ。もう、先生ではありませんけどね」
気遣わしげに尋ねてきた吉川へと、和夫は笑顔で頷いた。
「それにしても、山田先生が真山さんと同じボランティア団体に所属していたとは……」
「世の中狭いと言いますか、不思議な縁ですね」
ちなみに和夫は、先程結菜より「アタシがよく行ってるボランティア団体で一緒にやってる人」として吉川に紹介されている。
これは、あながち嘘ではない……というか、公式文書上においては紛れも無い事実であった。
魔法少女であることを公に出来ない都合上、魔法少女管理機構は表向きボランティア団体としての顔も持っているのだ。
保護者や学校からの問い合わせ等に対しても、バッチリ(偽造した情報で)対応可能なのである。
「で? 先生とおっさんはどういう関係なわけ?」
興味津々、といった様子で結菜が二人の顔を見上げた。
「こら真山さん、おっさんはないだろう」
和夫たちとしては非常に今更な点について、吉川が窘める。
「はは、いいんですよ。アダ名のようなものですから」
「そうですか……? まぁ、先生がそうおっしゃるなら……」
笑って取りなす和夫に小さく首をかしげてから、吉川は咳払いして表情を改めた。
「山田先生は、僕が大学時代所属していた研究室の教授だったんだよ」
「ぼひゅっ!?」
どことなく自慢気な吉川の紹介に、結菜がむせる。
「えほっ……おっさん、大学教授までやってたの……?」
「まで……?」
吉川が小さく疑問の声を上げた。
「というか、一応それが私の最初の職歴ということになります」
和夫の笑顔が、やや苦笑気味となる。
「それも、あまり長くは続きませんでしたが……吉川くんたちの世代が、私が研究室を持って初めての、そして結局最後の教え子になってしまいました」
少しだけ間を置いて、和夫は「……いえ」と首を横に振った。
「最後まで教えてすらいないのですから、教え子などとは言えませんね。君たちも、突然研究室が変わることになって大変だったでしょう。すみませんでした」
「いえ、そんな……!」
深く頭を下げる和夫に、吉川が慌てた様子で手を振った。
「仕方ないですよ……その、先生も大変だったのは知っていますので……」
目を伏せて、吉川は口ごもる。
「……?」
一人、話のわからない結菜が頭の上に疑問符を浮かべていた。
「あー、真山さん。もう日も暮れる、送っていこう」
確かにもう日は沈む直前だが、吉川のその言葉はあからさまな話題転換である。
「……いいよ。ウチ、すぐそこだし。人通りもあるし」
一瞬だけ不満げな表情を浮かべたものの、結菜は結局そう言って二人へと背を向けた。
「じゃあおっさん、また明日。先生は、次は登校日かな?」
最後に振り返って、笑みを浮かべる。
「はい、また明日」
「気をつけて帰れよー」
手を振ってくる結菜に対して、和夫と吉川も手を振り返した。
結菜が土手を駆け上がり、その背中が見えなくなったところ二人揃って小さく嘆息。
「気を、使われてしまいましたねぇ」
「……えぇ」
苦笑気味に和夫が言って、吉川も苦笑気味に頷いた。
「大人びているというか、しっかりしている子ですよ。まるで、あの歳でもう何年も社会人を経験しているかのように感じることさえあります」
「はは……」
なかなか鋭い吉川の見解に、和夫は愛想笑いを浮かべた。
「先輩は、学校でもそのような感じなのですか?」
「先輩……?」
和夫が用いる呼称に対して、小さく吉川が眉をひそめる。
「ボランティアに参加しだしたのは彼女の方がずっと先なので、そう呼んでいるんです。私が参加するようになったのは、最近なんですよ」
「そうなんですか……はは、自分の生徒が先生にそんな風に呼ばれていると、不思議な感じがしますね」
そう言って笑った後、吉川は結菜が去っていった方へと改めて目を向けた。
「そうですね……なんというか、誰も寄せ付けない子です」
それは、先程の和夫の問いに対する回答だろう。
「一見孤立することなく、みんなと仲良くやっているように見えますが……」
吉川の言葉に現れる結菜は、先日魔法少女たちと対峙した際の態度よりは随分と柔らかいように聞こえる。
しかしその本質は同じであると、和夫は思った。
「でも、なんていうんですかね……どこか壁があるっていうか、心を許していない感じがするんです。歳相応の顔を見せる時もあるんですが、それもあえて見せているような……なんて、考えすぎですかね」
はは、と笑うが、吉川の表情は冗談を言っている風ではない。
吉川が語ったように、結菜は恐らく周りを遠ざけている。
和夫もそう感じていた。
和夫に対しては幾分態度が軟化してはいるが、それでも未だその壁のようなものが全て取り払われているわけではない。
「まぁ、生い立ちを考えるとそれも仕方ないのかとも思いますが……」
何気ない調子で口にした吉川の言葉に、和夫は小さく眉根を寄せる。
「……何か、問題が?」
「っと」
慌てた様子で、吉川は自分の口を押さえた。
「すみません、生徒のプライベートに関することですので……」
「あぁ、そうですよね。これは私が軽率でした、すみません」
お互いに頭を下げ合うという、奇妙な構図。
「……あ、でも」
ふと、顔を上げた吉川が表情を改めた。
「さっきの笑顔は、なんだかいつもよりずっと自然だった気がします」
そう言って、嬉しげに目を細める。
「それに、あの子が学校の外で誰かと一緒にいるのを見るのも初めてです。先生には、心を許しているのかもしれませんね」
「そう……なら、良いのですが」
吉川に答えて笑みを浮かべながらも、結菜が未だ自分に対して心の核心的な部分を見せてはいないことを和夫は理解していた。
それが、不用意に触れて良いものではないということも。
「そういえば、先生は昔から子供に好かれてましたよね。先生のお子さんと……あっ」
懐かしげに笑って話していた吉川が、途中で色を失って再び自らの口を押さえた。
「……すみません」
そして、やはり先程と同じく頭を下げる。
先程よりも、ずっと深く。
「そんなに気遣わないでください。もう、随分と昔のことです」
「……はい」
和夫の言葉を受けても、吉川の表情は晴れない。
果たしてそれは、自らの失言を後悔してのことなのか。
あるいは和夫の口調が、「随分と昔のこと」を語るものではなかったからなのか。
和夫には判別つかなかった。
ただ、和夫はその顔に笑みを貼り付けるのみ。
いつものように。
いつも通り、全てを受け入れて。
いつも通り、全てを拒絶するために。
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