第15話 とあるおっさんと魔法少女と先生と

 とある、夕暮れ時。


「そういやさー。おっさんって、なんでいちいち魔法使う時に魔法名を口にすんの?」


「その方が、テンションが上がりませんか?」


「うん、うーん……いや、上がるかな……?」


 結菜と和夫は、魔法少女管理機構からの帰り道を並んで歩いていた。

 二人共、魔法少女コスチュームではなく私服である。


 結菜はともかく、和夫が有事の際以外で魔法少女コスチュームを纏っていると通報対象になるのは実績として証明されているので当然だ。

 なお、有事の際ならば通報されないとは言っていない。


 そんな和夫は現在、スーツ姿である。

 別段何か特別なことがあったからというわけではなく、普段から機構への行き帰りにはスーツを用いているのだ。


 夕方になって尚下がりきっていない気温に時折汗を拭いつつも、上着まできっちり着こなしている。

 そうしていれば実に平凡なサラリーマン風の出で立ちであり、基本的に事案要素は薄い。


 尤も。


「まぁテンション上がるかはともかく、いちいち口にしてたら邪魔っていうかタイムラグ発生しない?」


「どうせ、大抵の魔法は魔法陣を描く間に魔法名を口にする程度の時間は経過しますからね。そのラグを気にするよりも、口にすることによって自分の中でのイメージが明確になって魔力を乗せやすくなる効果の方を重んじた方が有用だと考えています」


「ふーん? そんなもん?」


 隣を歩く結菜がそんな風に自然な態度でいなければ、やはり通報されている可能性は高かったかもしれないが。


 例の公園での一件以来、結菜が和夫と接する際の距離感は縮まっていた。

 僅かにではあるが、確かに。


「てかおっさん、最初から普通に魔法名を口にしてたよね? イメージなんて、初めて出す前からわかるもんなの?」


「それは……おっと」


 ふと、和夫の足がピタリと止まる。

 とある交差点である。


 これも例の公園での一件以来、結菜の帰り道を和夫が送っていくのが通例となっていた。

 この交差点を右に曲がってしばらく歩いた先に、結菜の住む家がある。


 この辺りは普通に人通りも多いため、ここで別れるのもまた通例となっていた。


「それでは先輩、、また明日」


 とはいえ、だからといって話を切り上げてまですぐに別れる必要などないわけだが。


「……おっさんってさ」


 どこか心の内を見透かすかのような光を宿した目で、結菜が見上げてくる。


「なんでしょう?」


 和夫が返すのは、いつもの笑顔。


 いつも通りの笑顔だ。


「……まぁいいや、今は」


 諦めたかのような、安堵したかのような。


 そんな表情を浮かべた結菜が、急に和夫の手を取った。


「それよかさ」


 次いで、イタズラっぽい笑みを浮かべる。


「ちょっとそこで、訓練していかない?」


「訓練、ですか?」


 結菜の言葉に、和夫は目を瞬かせた。


「しかし先輩、ここでは……」


「わーってるっての、そんなこと」


 和夫の言葉を遮って、結菜は空いている方の手をパタパタと振る。


 魔法少女大原則第三条。

 『魔法を無闇に人前で行使するべからず』。


「そうじゃなくってさ」


 にも関わらず結菜は、自宅と逆方向、交差点を左に曲がって歩き出した。

 河川敷の方へと続く道だ。


 結菜に手を引かれる形で、和夫も足を進める。


「おっさんさ、アタシを助けてくれた時のアレあんじゃん?」


 結菜は、一見関係ないように思える話題を口にしながら首をかしげた。


「あれってさ、柔道? それとも、レスリングとか?」


「あぁ、いえ、どちらでもなくて……」


 思わぬ質問に、和夫は戸惑いの表情を浮かべる。


「あれは、うっちゃり……相撲ですね」


 しかし結局、素直にそう答えを返した。


「へー、すも……え、相撲!?」


 一瞬納得の様子を見せかけた結菜が、目を丸くして体ごと和夫の方に振り返る。


「おっさん、相撲やってたんだ……」


 後ろ向きで器用に歩きながら、結菜。


「えぇ、以前に。少しの間だけですが」


 和夫はチラリと前方に目を向け、危険がないことを確認しながら答える。


「学生時代に、部活でとか?」


「いえ、相撲部屋に弟子入りをしていた時期がありまして」


「へー、本格的じゃん。プロになろうと思ったりしてたの?」


 和夫の言葉に、結菜は感心の表情を浮かべた。


「残念ながら、入部屋時点でプロの年齢制限に引っかかっていましたので」


「ふーん。お相撲さんの年齢制限っていくつなの?」


「一定の実績がある場合を除けば、二十三歳未満ですね」


「へぇ、結構低いんだね。じゃあおっさんは、いつ相撲部屋に入ったん?」


「三年ほど前です」


「んんっ……? てことは……おっさん、四十超えて相撲部屋に入ったの!? そんなパターンあんの!?」


「最初は、入部屋そのものを断られたんですけどね」


「そらそうでしょ……」


「しかし試しにと一本取ってみたところ、特別に入部屋を認めていただきまして」


「それ、才能の片鱗を見出されてるやつじゃん……」


「なんだか特例としてプロ入りできるよう親方が協会に掛けあってくれたりしたようなんですけども、結局駄目だったみたいですね。ははは」


「完全に才能見込まれてるやつじゃん!? いや、はははじゃなくて!」


 驚きの声を上げた後、、呆れたような調子で結菜が嘆息する。


「う、うーん……思ってたのと違うけど、まぁいいや」


 微妙な表情となった結菜が、再び方向転換。

 和夫の手を引いたまま、土手をズザザッと滑り降りる。


「おっと」


 最初こそ少しバランスを崩しかけたものの、その後は安定した体勢のまま和夫も結菜に続いて土手を滑り降りた。


「おっさん、アタシにも相撲教えてよ」


 和夫が河原まで降りたところで、踵を返した結菜が和夫へと組み付いてくる。


「えいっ! ていっ! んっ……こんな感じ?」


 そして、和夫のベルトに手をかけてグイッグイッと引っ張り始めた。


 しかし、所詮は少女の腕力――体重を乗せるでもない、文字通りの腕の力のみ――では、和夫の鍛えられた体幹はビクともしない。

 小太りに見えるその体躯も、その実筋肉の塊なのである。


「うはは、全然動かないや」


 引き続きグイグイと引っ張りながら、結菜が愉快そうに笑う。


「先輩、見よう見まねでやると危ないですよ」


 うかつに触れるのも気が引けて、和夫は中途半端に手を上げた状態でどうしたものかと苦笑を浮かべていた。


「だから教えてって言ってんじゃーん」


 和夫に取り付いたまま、結菜が見上げてくる。


「しかし、なぜまた急に……?」


「んー? ほら、アタシって肉弾戦主体じゃん? その割に、そういや身体の動かし方ってほとんど自己流だからさ。なんか、格闘技的なことやっといた方がいいかなって」


 言いながら、結菜は和夫のお腹へと額を付けた。


「それにさ」


 それで、和夫からは結菜の表情がわからなくなる。


「次は、自分でなんとかしたいし。アタシ一人で……さ」


 少しトーンの下がったその声も、依然和夫のベルトにかけたままの手も、別段震えたりしているわけではない。


 しかし、今の結菜はやけに危うく感じられた。


「先輩……」


 慎重に言葉を選びながら、結菜の肩に手を置きかけたところで。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 そんな叫び声と共にズザザッと土手を滑り降りてくる音が後方から降ってきて、和夫は振り返った。


「このぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 変質者め、真山さんを離せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 よろめき転びそうになりながら、一人の青年が和夫に向かって駆けてきていた。

 結菜を庇う形で素早く身を翻した和夫は、青年の肩を正面からガッシと受け止める。


 青年の身体は痩せ型でお世辞にも鍛えられているとは言い難く、和夫は一歩よろめくことさえない。


「……あれ、先生?」


 和夫の背中からピョコンと顔を覗かせた結菜が、そんな言葉を口にする。

 どうやら顔見知りらしい。


「待っていてくれ真山さん! 今助けるから!」


 何やら勘違い――その内容は容易に想像がつくが――をしているらしい青年がブンブンと腕を振り回した。

 しかし荒事に慣れていないことは明白で、腰が引けてしまっている。


 更に目まで瞑っているため、その腕は虚しく空を切るのみだ。


 ふと、和夫はその声に聞き覚えがある気がして。

 その必死の形相が、確かに記憶のどこかに引っかかって。


「……吉川よしかわくん?」


 思い浮かんだ名前を、そのまま口にする。


 すると、青年の動きがピタリと止まった。


 恐る恐る、といった風に青年が顔を上げてくる。

 和夫の顔を見て、一瞬怪訝そうな表情に。


 しかし何か引っかかる所があったのか、次いで眉根を寄せた。


 しばし、場を奇妙な沈黙が支配する。


 それを破ったのは、何かに気付いた表情を浮かべる青年の言葉。


「……えっ、先生?」


 結菜に「先生」と呼ばれた青年が、今度は和夫に対して同じ呼称を用いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る