第10話 とあるおっさんに先輩少女が見せた感情

「あー……つっかれたー……戦闘の百倍は疲れたー……」


 魔物を討伐した後に公園へと戻って、午後五時まで律儀にキャンペーン活動をこなした結菜と和夫。


 げんなり具合を顔全体に表しながら、結菜は深く深く溜め息を吐いていた。


「結局、三回も警察に通報されたし……アタシ、この歳で前科者になんのかって最初はヒヤッとしたよ……」


「その点は心配ご無用ミル。妖精界では凋落著しい魔法少女管理機構ミルが、日本政界に対しては未だ幅きかせてるミルからね。国家権力如き目じゃないミル」


「警察の人、ミルクを見てめっちゃペコペコしてたもんね……無駄に社会の構図見ちゃった気分だわ……」


 と、結菜が弱々しい苦笑を浮かべる。


「お疲れ様でした、先輩」


 そんな結菜に声をかける和夫は、実にいつも通りの笑顔であった。


「うん……まぁ、一番お疲れなのはおっさんだと思うけどね……」


 結菜の苦笑が深まる。

 なにせ適当に流していた結菜と違い、和夫は本気でおよそ五時間に渡りガッツリ周囲を哨戒していたのだから。


 尤も、それこそが通報の原因であるわけだが。


「ともかく、こんで終わりね?」


「ミル」


 表情をフラットに戻した結菜が尋ねると、ミルクが軽く頷いた。


「んじゃ、解散かいさーん」


 手をひらひらと振りながら、結菜が和夫たちに背を向け歩き出す。

 ただし、その足が向く先は公園の出入り口とは逆方向。


「先輩、どちらへ? まだ何か任務があるならお伴しますが……」


 和夫の問いかけに、結菜はピタリと足を止めた。


「……トイレ」


 顔だけで振り返り、半目で睨みながらそう告げる。


「はは……失礼しました」


 今度は、和夫の笑みが苦笑気味となった。



   ◆   ◆   ◆



「ふぅ……」


 公園備え付けのトイレで『用』を済まし、結菜は気の抜けた息を吐きながら手を洗っていた。


 今、その身を包むのは魔法少女のコスチュームではなく私服である。

 何気に、魔法少女コスチュームは変身魔法以外の方法での着脱が不可能なのだった。


 不便なことこの上なく、魔法少女たちからは実に不評なのだが、一向に改善される気配はない。


「これも、例によって永遠に改善されない案件なのかな……」


 鏡に映る自身の顔がうんざりした表情を浮かべているのを見て、ますます結菜のうんざり具合が増した。


「てか、今日みたいな無駄なことやってる暇があんだったらそういうとこ改善するのに時間使えって話だよ……こういうとこ、機構ってホント駄目なんだよなぁ……それとも、社会ってそういうもんなわけ……?」


 ブチブチと不満を述べつつ手を洗い終え、ハンカチで手を拭う。


「はー、この後訓練室行っとかないとなー。今日の戦いの振り返りしないとだし……」


 呟きながら、結菜はトイレを出た。

 頭の中では、この後の予定とトレーニングメニューを組み立て始めている。


 意識の大半はそちらに割かれており、まして今は疲労困憊の状態だ。

 周囲への注意など、ほとんど払ってはいない。


 つまり端的に言って、それは油断であった。


「っ!?」


 いきなり後ろから大きな何かが迫ってきたかと思えば両手を掴まれ、結菜は驚きに身を竦ませた。


(魔物!?)


 咄嗟にそう考えて、右手に《アガレス》を召還するための魔力を集中させかけて。


(違う!? 魔力を感じない……男の人!?)


 必死に身を捩った結果、視界の端に映った情報からそう判断。

 魔力を霧散させる。


 魔法少女大原則第二条。

 『魔法の力を魔物以外に振るうことを禁ずる』。


 結菜はいかなる状況下においてもそれを忘れない、実に模範的な魔法少女であった。


 しかし。

 皮肉なことに、この場においてはそれが逆に結菜を『魔法少女』からただの『少女』へと引き戻すことになった。


(嘘!? なに!? なんで!? なんなの!?)


 これが魔物相手であれば、同じ状況でも……否。

 もっと遥かに過酷な状況だったとて、結菜は些かの動揺も見せずに対処していたことだろう。


(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!)


 けれど今、結菜の頭は混乱の極みにあった。

 身体を触れられる感触に、肌が粟立つ。


 もし結菜が魔法少女である時の半分でも冷静さを保てていれば、男の動きが洗練とは程遠い隙だらけなものであることにも気付けたかもしれない。


 平時であれば、御するのは容易かっただろう。

 戦力の大部分を魔法に頼るとはいっても、魔法少女は仮にも日常的に戦場に身を置く戦士なのだ。


 まして自らのフィジカルを最大限に利用する戦い方を好んでいる結菜ならば、かつて結菜本人も言って通り、変身せずとも暴漢の一人二人を相手取ることくらい造作も無い。


 しかし今の結菜はそもそも応戦という考えすらも抱くことが出来ず、ただただ身を固くするのみ。

 まさしくこういう場合に備えて持っているはずの、防犯ブザーに手を伸ばすことにさえ思い至らない。


(誰か、助けて!)


 頭の中にあるのは、そんな想いのみ。

 それを、声に乗せることも出来ない。


 そんな中。


「先輩!」


 ぐちゃぐちゃになった頭の中へと、その声は不思議とクリアに届いた。


 次いで響く、パン! という小気味の良い音。


「おぐっ!?」


 そして、男の呻く声と共に結菜の身体が解放される。


 それでも未だ身体を動かすことの出来ない結菜の視界に、男の顔面に張り手を見舞って突き放す和夫の姿が映った。


「んなっ!?」


 男は鼻血を撒き散らしながら、ギョッとした表情を和夫へと向けている。


「へ、へ、へ、変態だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 そして、そう叫んだ。


 なお、和夫は魔法少女コスチュームのままである。


「変態は貴方でしょうに!」


 険しい顔で言いながら、和夫が男に組み付き腰を落とす。


「いや、認めるよ!? 確かに俺も変態だろうけども! けど、どっちかっつーとアンタの方がレベル高――」


 男の言葉は、そこで途切れた。


 お互いの位置を入れ替えるように大きく身を捻った和夫が、男を投げ捨てたためである。

 地面へと背中を強かに打ち付けた男は、「カヒュッ!?」と息を吐き出しながら気絶した模様だ。


「ふぅ……」


 小さく吐息を漏らした後、和夫が結菜の方へと振り返った。


「先輩、ご無事ですか?」


 そこに浮かぶのが、あまりにいつも通りの笑顔で。


 ようやく、知っている世界に戻って来られた気がして。


「うぐっ……」


 結菜の目に、大粒の涙が浮かぶ。


 だが、どうにかそれを零すことだけは堪えた。

 後輩に、他の魔法少女に、弱い姿を見せるわけにはいかないから。


 結菜は、最強の魔法少女たらねばならないのだから。

 たとえ、今は魔法少女じゃなくたって。


 たとえたった今、一人の暴漢相手に為す術無く無様を晒したとて。


「あり、がど……おっざん……」


 絞り出すように、震える声で礼を言う。


「いえ、先輩にはいつもお世話になっていますので」


 和夫の返答は、それだけ。

 まるで、ちょっとした贈り物でも渡したかのよう。


 例えば、優しい声をかけられたなら。

 例えば、頭を撫でられたなら。


 結菜は、間違いなく反発していたことであろう。


 そして、それと同時に涙が決壊してみっともなく泣き叫んだだろう。

 助けてもらった和夫を相手に、醜く八つ当たりの罵倒を送ってしまったかもしれない。


 おかげで結菜はまだ辛うじて、魔法少女であれた。

 結菜にとっては、それが最も大切なことだった。


 和夫はいつもの距離感を保ったまま、ただそこにいる。


 それが今の結菜には、とてもありがたかった。

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