圧倒する命
正直なところ、ユミルはほんの少し希望を抱き始めていた。
量子ゆらぎ操作の力を持たない侵入生物。最初は繁殖に対する『執念』に慄きもしたが、アステア達の戦いを見ているうちに考えが変わった。量子ゆらぎ操作さえしなければ、侵入生物といえどもただの生物に過ぎない。ならば勝ち目はあると。
そしてエルフ達はこの星で進化してきた生物。環境への適応は、間違いなく彼等の方が上だ。侵入生物がどれだけの力を持っていても、地の利を持つ彼等の方が優勢に違いない。
そう信じていた。事実、最初は素人目ではあるがアステア達のチームは善戦しているように映っていた。
だが、甘い見通しだったと言わざるを得ない。
「シャォオオオオオオ……」
少し不機嫌そうに、侵入生物は唸る。
その顔にある一つ目が見ている先の大地は、どろどろに溶解していた。今も溶岩が煮え滾り、ゴポゴポと粘ついた泡と煙を発する。周りに生えている草花は熱で燃え始め、火災が広がりつつあった。
地獄のような光景である。しかし重要なのは、破滅的な光景そのものではない。
それが目の前にいる、一体の生物によって作られたものである事だ。口から吐き出された『吐息』――――ブレスとでも言うべき大技によって。
「嘘だろオイ……なんだよこれ……!」
「昔、帝国が飼い慣らした火竜と戦った事があるが……流石にこんな馬鹿げた威力は出さなかったぞ。下手したら火竜を焼き殺す威力だな」
「こ、これはちょっと、私達だけじゃ手に負えないわよ……!」
アステア達の間にも動揺が広がる。襲われ、そしてダーテルフスからの警告があったからこそ戦った訳だが……あまりにも侵入生物は強過ぎる。イリアナなど勝ち目がない事を口に出していた。
「まさか、量子ゆらぎの力がなくともこれほどの強さを持つとは……!」
ダーテルフスも驚きを隠せない。
あらゆるエネルギーを吸収する体質、宇宙を埋め尽くす繁殖力、全知全能さえ打ち破る身体機能……侵入生物がルアル文明で見せてきた力は、どれも量子ゆらぎ操作に由来するもの。超越した力に耐えられる肉体も、量子ゆらぎ操作に伴う物理法則改変により生み出されたインチキ物質により出来ている。
だからその量子ゆらぎ操作が使えなければ、そこまで『強い』筈がない。そんな現実的な考えが外れるなど、想定外も良いところだ。
「(ど、どうしよう……一度、逃げるべき……!?)」
ユミルの脳裏にも、撤退という選択肢が浮かぶ。
侵入生物を野放しにすべきではないと、今でもユミルは思っている。それはこの星の、或いは世界の終わりを招くと考えるがために。しかしそれは、勝てる、という前提があってこその話。
そして今の戦局は、どう考えても侵入生物が圧倒的に有利。ゾアックは武器を失った挙句に負傷、アステアもブレスの余波を受けて火傷ぐらいは負っただろう。イリアナは無傷だと思われるが、矢は消耗品だ。あとどれだけ戦えるか分からない。
何より致命傷を与えられない。槍で突き刺しても死なず、平然とブレスという大技を繰り出したのだ。しかも邪魔だと思ったのか、おもむろに槍を自分の手で引き抜き、そこらに捨てている。剣や弓矢を当てたところで、果たしてどれだけのダメージを与えられるか……
このまま戦い続けても、全員侵入生物に殺されるだろう。
ならば逃げ出すのは悪い手ではない。一人でも生き残れば侵入生物の情報を政府に伝え、大規模な部隊を動員出来るかも知れない。アステア達三人がエルフの中でどれだけ強いかは分からないが、匹敵する強者は他にもいる筈だ。より大きな戦力を率いれば、今度こそ討伐出来る可能性がある。
むしろ此処で全滅した場合、侵入生物の情報は誰にも伝わらない。結果、侵入生物は野放しになってしまう。自分達の遺体を食べ、野生動物を食べ、侵入生物は好き勝手繁殖するだろう。一体でも手に負えないのに、それが何百何千にも増えたなら……いよいよこの星の生物は滅ぼされてしまうだろう。
総合的に考えて、一時退却が好ましい。ユミルの優秀な頭脳はそう結論付ける。尤も、これは人間側の都合だ。
侵入生物にそれを許すとは限らない。
「フシャアアアアァッ!」
猛り狂った叫びと共に、侵入生物は動き出す。
狙いはイリアナ。後方支援である彼女に、侵入生物は肉薄しようとしていた。
侵入生物の動きは極めて速く、ユミルが掛けている眼鏡型端末の計測によれば時速三百五十キロを超えている。飛行生物でも早々出せるような速さではない。
しかし目視出来ないスピードでもない。非戦闘員であるユミルには反応すら儘ならないが、イリアナ達はこれに対応。イリアナは後退し、アステアは前に出てこれを受けようとする。
だが、侵入生物は『狡猾』だった。
「ボシュウゥゥーッ!」
開いた口から黒い煙を吐き出したのである。
恐らくそれは『灰』だ。ブレスを吐く前、侵入生物は大きく息を吸い込んでいた。ブレス自体は大気分子を主成分にしているのだろうが、その大気にはバクテリアや埃など、様々な物質がある。
衝撃波を撒き散らすほど多量の空気を吸い込んだのだ。燃えカスも大量に発生しただろう。それらをここで一気に吐き出したのか。
そして黒い煙がもわっと広がれば、視界を遮る煙幕の完成だ。
アステアは煙幕に飲まれる瞬間顔を顰める。それでも冷静さは失わず、彼は剣を構えていた。煙幕内を動く気配で、侵入生物と戦うつもりだったのかも知れない。だが彼の意気込みに、侵入生物は乗らない。
自分が吐き出した煙幕の前で大きく腰を落とし、次いで跳躍――――煙幕を跳び越える。
アステアを『無視』したのだ。遅れてアステアが煙幕から跳び出し、走る侵入生物を追うが……重たい鎧を着込む彼はお世辞にも足は速くない。ヘイストの魔法を使っても、侵入生物との距離は開いていく。
ゾアックはどうにか動こうとするが、彼はブレスの衝撃を近距離で受けている。立ち上がるのがやっとといった様子だ。そもそも武器がなければ素手で戦うしかない。
イリアナを守る近接戦闘者は皆無。
「くっ……!」
イリアナは弓を撃って牽制。だが侵入生物はこれもまた無視した。屈強な自身の身体は矢を通さないと学んだのだろう。ただただ突き進み、イリアナに迫っていく。
イリアナはヘイストの魔法を使い、高速で走り出す。すると侵入生物は一瞬、大きく腰を落とし――――
両足で跳んだ。
跳躍により生じた速さは、時速五百キロ以上。今までよりも数段上の速さに達していた。魔法により加速したイリアナを大きく上回るスピードであり、イリアナが驚きで目を見開く。
そしてイリアナは、身体も強張ってしまった。
「フシャウッ!」
その隙を逃さず、侵入生物は彼女の腕に喰らい付く!
噛まれた瞬間イリアナは苦悶の表情を浮かべる。ユミルは血の気が一瞬で引いていった。侵入生物は逃さぬためか、一層深く噛み付く。血飛沫が飛び、怪我の深さを物語る。
そのお返しとばかりに、イリアナはもう片方の手で握っていた矢を侵入生物の目に叩き込む!
渾身の力で打ち込まれた矢は、侵入生物の目に深々と突き刺さる。流石にこの一撃は少し堪えたのか。侵入生物は僅かに怯んだように身体を強張らせた。
だがその時間はほんの一瞬。胸を槍で刺されても平気な生物が、目玉一つ潰されたぐらいで仰け反る訳もない。
そう、怯んだのは一瞬。
だから侵入生物は逃げる事が出来た。背後から迫るアステアの剣が届く前に、イリアナの腕から口を離し、真横に跳ぶという形で。
「……ちっ」
逃げていく侵入生物を見て、舌打ちをしたのはイリアナ。アステアも顔を顰めている。
続いて侵入生物が今まで立っていた場所が、煌々と輝き始めた。
バインド……束縛魔法だ。魔法を発動させたのは、負傷して動けないゾアック。彼は手を前に突き出した体勢で、侵入生物を狙っていた。
あとほんの一瞬逃げるのが遅ければ、侵入生物はバインドにより拘束出来ただろう。イリアナは咄嗟に自身を囮にし、ゾアックと言葉もなく連携。片腕一本と引き換えに身動きを拘束し、アステアの剣を背後から叩き込むという作戦だった。言葉もなくこの作戦を瞬時に実行出来たのは、彼等が長年組んできたチームだからこそだろう。
しかし侵入生物はそれを見抜いた。何時、どの瞬間かは分からないが、攻撃を続行しては不味いと思ったのだろう。
……戦闘の立ち振る舞いなど、科学者であるユミルには分からない。ましてや肉弾戦の良し悪しなどさっぱりだ。しかし侵入生物の立ち振る舞いが、出現当初と比べて『冷静』になっているように思えた。深追いはせず、状況を素早く認識出来るようになっている。
「(成長、している……!)」
侵入生物は戦い方を学び、少しずつだが良いものへ改良しているのだとユミルは感じた。
これは極めて不味い。侵入生物は圧倒的な力で、アステア達を蹂躙しかけている。そうなっていないのはエルフ達が優れた騎士であり、卓越した戦闘技能を持ち合わせているからだ。あの侵入生物にはそんな技能がなかったから、今まではどうにか渡り合えた。だが侵入生物が学び、技を習得すれば、唯一のアドバンテージも消えてしまう。
成長する事自体は、決して予想外ではない。そこまで甘い見通しはしていない。だがいくらなんでも速過ぎる。或いは、この学習能力をルアル文明を滅ぼした侵入生物の種では確認出来なかった……知的種族が現れるまで粘れなかった、自分達が未熟だと言うべきか。
そして『成長』は他にも見られた。
「イリアナ、まだ戦えるか?」
「……出来なくはないけど、使えるのは片腕。噛まれた方は、骨なんてバキバキね。痛み止めの魔法を使わなきゃ、今頃泣き喚いているわ」
「そりゃ最悪だな。ゾアックは?」
「やる気はあるんだがなぁー……多分背骨を痛めた。這う事は出来るが走れねぇ。魔法での援護は多少出来るが、俺はイリアナと違って素質なんてないから期待はするなよ。あとなんか武器くれ。せめてナイフ一本もないと、刺し違える事も出来ねぇぞ」
「だろうな。イリアナは後ろに下がって魔法の援護を頼む。ゾアックは俺とイリアナを援護しつつ、ユミル達のところに行ってくれ。彼女からアイツについてもう少し詳しい話を」
イリアナ達を後退させ、ついでに情報も集めようというアステアの指示。彼は視線をユミル達に向けなかったが、言葉でそれを伝えてくる。
ヘイストの効果か、ちょっと早口で聞き取り辛い。それでもアステアの声はユミルの下にも届いており、動揺するユミルの心を幾ばくが落ち着かせた。アステア達はまだ、侵入生物の打倒を諦めていない。
侵入生物がこちらを逃がしてくれそうにない以上、戦うしかない。恐怖に飲まれそうになっていたユミルだが、覚悟を決める。確かに状況は不利だが、それは戦っているのがエルフ達三人だけだからだ。自分も参加すれば、何か変わるかも知れない。
戦おうとしても足を引っ張るだけだろうが、レプリケーターで鎮痛剤や止血剤を作る事は可能だ。ゾアックやイリアナの動きが良くなれば、少しはこの状況も改善するだろう。長期戦になれば侵入生物にも疲れが溜まり、違った展開となる可能性がある。
レプリケーターは宇宙船の中にある。今はゾアックがこちらに向かっているので行く訳にはいかないが、少しでも早く行動に移せるよう僅かに宇宙船の傍へと近付いた
刹那、侵入生物が動き出した。
ユミルには辛うじて動きが見える程度の、超高速移動。突然の動きに誰もが唖然とする中、侵入生物は五十メートルは動いて、ユミルとアステア達の間に割り込んだ。
「……………えっ」
侵入生物の予期せぬ行動に、ユミルは思わず呆ける。そして侵入生物の『意図』に気付き、顔面が蒼白になった。
どう見ても、侵入生物はゾアックがユミルの下に向かうのを邪魔している。
『意図』を察するのは簡単だ。ゾアックとユミルが合流するのを防ぐため。自身の情報が伝わる事を懸念し、先手を打ったのだろう。
だが、どうして?
ユミルとアステア達の言葉なんて知らない筈なのに、どうして情報交換が行われると分かったのか。本当は合流を邪魔する意図などなくて、偶々変えた立ち位置がそう見えただけ? 否、そう考えるにはあまりにも移動距離が長い。意図的な行動と考えるのが自然。
だとしたら。
「(こっちの言葉を……!? まさか、そんな!)」
可能性に気付いたユミルは目を見開き、頭の中で否定する。
対して戦闘経験が豊富なアステアは、否定する前に確かめる事にした。
「イリアナ! 右から回り込め!」
「えっ」
アステアのいきなりの指示に、イリアナは一瞬呆ける。すると彼女よりも先にアステアが示した方へ動くものがいた。
侵入生物だ。
猛烈な速さでアステアが指示した方に向かい、立ち止まり、侵入生物は構える。大きく口を開け、何時でも襲える体勢を維持していた。
それだけ見れば、確信するのは簡単だ。後はただ、受け入れるかどうかだけ。
侵入生物はこちらの言葉を理解していると。
言語を『学習』したのだ。無論完璧に把握した訳ではないだろう。恐らく学習に使われたのはユミル達が交わした言葉であり、数分の間に発した語彙などたかが知れている。暗喩や隠語、冗談なども理解出来ない筈。しかし簡単な単語が数言でも理解出来れば、戦況の解析に大きく役立つ。
そしてこれは、知的生命体の優位性が一つ失われた事を意味していた。
知的生命体は言葉で情報を交換する。何気なく行っている行為だが、この情報交換は極めて『秘匿性』が高いものだ。何しろ野生動物は言葉を理解しないため、目の前で堂々と会話しても作戦内容がバレる事はない。故に強大な存在と戦う時も、その存在の前で堂々と作戦会議を行い、臨機応変なチームワークで打ち倒す事が出来る。
しかし侵入生物はその言語を学んでしまった。もう堂々と言葉を交わし、不意打ちするための作戦を練る事は出来ない。覚えている単語はまだ少ない筈だが、学習速度を考えればすぐにでも日常会話が可能なほどの語彙を得るだろう。
力は圧倒的に上回る。
技術は間もなく追い付かれる。
言語はいずれ見透かされる。
戦いにおけるあらゆる点で、侵入生物が優位に立とうとしていた。
「……成程、これは強いな。しかもユミル達の話が本当なら繁殖力も旺盛。今日の占い通り、世界の終わりが来るかもな」
アステアの軽口を、最早誰も笑わない。
笑っている暇などなかった。
「フシャアアァッ!」
侵入生物が動く。『作戦会議』ばかりで攻撃に転じない人類側が今、手詰まりだと見抜いたのか。
事実ユミル達人類に、侵入生物を打ち破る手はなかった。
一気に接近した侵入生物は、まずは手負いのイリアナを攻撃。強烈な拳の一撃を腹に叩き込む。イリアナは身体をくの字に曲げ、胃の中身と血反吐を吐く。
ゾアックがその間に侵入生物に魔法を放とうとするが、侵入生物の動きの方が速い。瞬く間に肉薄すると、侵入生物は長く伸びた尾をゾアックの足に巻き付けた。そしてゾアックの身体を持ち上げるや、地面に強く叩き付ける。
最後にゾアックの身体をアステアに向けて投げれば、アステアも突き飛ばす。人一人分の衝撃を受ければアステアとて転倒し、立ち上がるのに少なくない時間を使う。ゾアックに至っては、果たしてまだ生きているのだろうか。
一瞬で体勢を崩された三人。最早誰が止めを刺されてもおかしくない状況で、侵入生物が見たのは――――正面。
ユミルの方だった。
「(あっ、私、狙われてる)」
まるで他人事のように、自分の状況を理解するユミル。
侵入生物は大きく口を開けた。何故今し方倒した三人ではなく、少し離れた位置にいる自分を狙うのか? 理由はユミルにも分からない。なんらかの反撃を警戒し、とりあえず今いる全ての知的生命体の無力化を優先しているのだろうか。
ただし非力なユミルの無力化は、殴ったり蹴ったりする必要はない。左右に大きく開いた口で、頭をぱくりと咥えれば十分だ。
「ユミル! 走りなさい!」
ダーテルフスが叫ぶも、ユミルの身体は力すら入らない。そうこうしているうちに、侵入生物が駆け出す。
動きは辛うじて見える。だけど思考が間に合わない。
迫りくる侵入生物を、ユミルは呆けた眼差しで見つめる事しか出来ず。
突如『青い壁』が現れなければ、ユミルは頭から丸齧りにされていただろう。
「――――きゃあっ!? え、あっ……」
何もなければ死んでいた頃になってから、ユミルは悲鳴と共に尻餅を撞く。混乱から身体の動きは鈍いが、もたもたしながらも立ち上がった。
ユミルが最初に感じた印象は、青く輝く半透明の壁が侵入生物の攻撃を防いでくれたというものだった。実際青い壁は今もそこにあり、侵入生物の攻撃を防いでいる。
その壁はドーム状に展開され、侵入生物を閉じ込めていた。
【大丈夫かユミル!?】
次いで、何処からか聞き覚えのある声が響く。
アステアとイリアナ(それとアステアから治療魔法らしきものを受けているゾアック)達も、声は聞こえているようで、キョロキョロと辺りを見回す。しかし声の主が見当たらず、戸惑っている様子だ。
いや、厳密には声の主は見えている。
ただアステア達は知らないのだ……『宇宙船』に備え付けられたスピーカーなんてものは。
「ベーィムさん!? え、宇宙船、動かせたのですか!?」
【今動かせるようにしたんだよ! まぁ、修理は前々からやっていたがな! アステア達に渡すための鉱物採掘が役に立ったぜ!】
声の主・ベーィムに向けて尋ねれば、彼は威勢の良い声で答える。
宇宙船が動くとなれば、青く半透明な壁の正体も理解出来た。
電磁マテリアルフィールドだ。電磁波を幾重にも重ねる事で、物理的干渉可能なほどの高密度電磁波を生み出す技術。簡単に言えば、視認可能なほど強力な電磁波で壁を作るというものである。
必要なエネルギーの割に強度が低い、原理が単純なため簡単に無効化出来る、等の理由からルアル文明ではもう殆ど使われていなかった技術だ。しかし電磁気力が存在する宇宙であれば、大概問題なく使用可能という利点もある。そして電磁気力は基本相互作用と呼ばれる宇宙の根幹を成す力でもあり、ほぼ全ての宇宙で見られる物理現象。故に宇宙船の修理さえ終われば、この宇宙でも問題なく使えるという訳だ。
「こ、この光は、君達が作り出しているのか? これは一体……」
【説明したいのは山々だが、その余裕はなさそうだぞ】
困惑するアステアに対し、ベーィムは焦りを滲ませた声で忠告する。
忠告の意味は、ユミルにはすぐ分かった。アステア達も説明なしに理解しただろう。
「フシァッ! シャウゥゥ!」
怒り狂ったような激しさで、電磁マテリアルフィールドを殴る侵入生物の姿を見たのであれば。
殴られる度、電磁マテリアルフィールドが僅かに明滅している。
ただ明滅しているだけで、フィールドが破られる気配はない。しかしだから安心、という訳にはいかないだろう。
まず、電磁マテリアルフィールドを維持するには莫大なエネルギーが必要だ。宇宙船が本来の機能を維持していれば、なんの問題もなくほぼ無限のエネルギーを得られたが……生憎この世界では満足に動かない。エネルギー源は原始的なソーラーパネルが作り出す電気のみで、それだってレプリケーター等々を日々動かすのに使っている。備蓄はあるが、そこまで多くはない。
そして攻撃を受けた時、電磁マテリアルフィールドは波長の再調整を必要とする。正確な波長を維持しなければ、防壁としての機能を果たさない。しかしこれにも多くのエネルギーを使う。つまり殴られた分だけ、消耗が激しくなるという事。
あんな激しさで攻撃され続けたら、数分と持たずにシールドは破られてしまう。なんとしてもこの僅かな間に、作戦を考えなければならない。
「(どうしたら……一体、何をしたら……!)」
ユミルは必死に思考を巡らせる。
例えば爆弾で吹き飛ばす。データが破損していてレプリケーターは兵器を作れないが、原始的な黒色火薬の原材料ならば辛うじて製造可能だ。黒色火薬から爆弾を作り、それを食らわせれば倒せないだろうか。
考えた結果は、あまり期待出来ないというもの。黒色火薬の威力は十分高いが、侵入生物の生命力を考えるとかなり大量に必要だ。あからさまに巨大な爆弾を作る羽目になり、恐らく猛烈に警戒される。大人しく直撃を受けてくれる可能性は低く、また人間側も大きな爆弾では扱いきれまい。
此処にいる全員で爆弾を抱えて突っ込み、自爆するという手もあるが……それでもなんやかんや生存しそうなのが侵入生物だ。爆弾は有効な策とは言い難い。
だからといってまた戦うのも難しい。アステア達は今のうちに回復魔法で治療を行っているが、体力自体は消耗している筈だ。三人の戦闘力は先よりも大幅に落ちているに違いない。対して侵入生物は学習し、先程よりもっと強くなっている。傍から見る限り、そこまで疲労もしていない。
逃げる事は勿論不可能。アステア達がここまで負傷した今、逃げたところで後ろから一人ずつやられるだけだ。各個撃破される事を考えれば、最悪の手段に成り果てたと言って良いだろう。
――――何一つ、効果的な対応がない。
「(せめて、動きが止められれば……!)」
一瞬でも動きを止め、そのタイミングでイリアナ達が魔法の縄を放てば、侵入生物の拘束が可能だろう。あの縄なら簡単には解けないと、実戦で証明している。
二度目の拘束となれば、侵入生物の次の動きも警戒出来るだろう。縄を二重三重に掛ければ、恐らく完全に拘束し、今度は一方的に攻撃出来る筈だ。侵入生物の再生力は凄まじいが、その再生にはエネルギーを使っている。無限に再生し続ける事はない。
拘束し、痛め付け、エネルギー切れを待つ。些か非道なやり方にも思えるが、これならば侵入生物を倒せるだろう。
だがどうやって動きを止めれば良いのか。相手は腹を槍で突き刺されても平然としている輩だ。直接的な攻撃で怯むとは考え難く、ブレスの威力からして熱も耐性があるだろう。量子ゆらぎ操作の力は失っている筈なのに、どうしてこうも隙がないのか――――
「(……あれ……?)」
必死に考えていたユミルだったが、ふと、気付く。
量子ゆらぎ操作。
それが侵入生物の力の根源である事は、ルアル文明が突き止めた。全知全能さえも打ち破る、究極の能力と言えるだろう。そして瞬く間に宇宙を埋め尽くす繁殖力と、究極の能力さえあっさり捨ててしまう繁殖意欲を持つ。
だからこそ、侵入生物はあの性質だけは備わっていない筈だ。繁殖に特化すればこそ、いらないものは持たない方が、その分の資源とエネルギーを子孫の生産に費やせるのだから。それに今までの侵入生物にはなかった、特殊な『器官』をこの個体は持っている。通用する可能性は高い。
躊躇う理由があるとすれば、確信がない事。だがそれがどうしたと言うのか。どうせこのままでは全員喰われて、この世界は侵入生物の新たな苗床と化すのだ。やらない理由はない。
ユミルはダーテルフスの入った籠を持ち、走り出す。行く先は、宇宙船の中だった。
「ユミル? どうしたのです? まさか、何か案が?」
ダーテルフスに問われたが、ユミルは答えない。今は口を答えのために動かすよりも、少しでも多くの酸素を取り込み、早く走るために使いたかった。
自分でも焦れったくなるぐらいの鈍足で、だけど過去一番の俊足で、ユミルは宇宙船を駆けていき……目的地であるレプリケーターの前に辿り着く。
ダーテルフスの入った籠を傍に起き、ユミルは早速レプリケーターを起動させた。懸念があるとすれば電磁マテリアルフィールドの使用により、レプリケーターの稼働動力が足りるかどうか。幸い、それは杞憂で終わった。
「ユミル、何かを作るつもりなのですか?」
「はい! 正直上手くいくかは分かりませんけど……」
改めてダーテルフスに問われたユミルは、設定の入力中に自分が思い付いた『作戦』について語った。
ダーテルフスは靄のような身体を揺らめかせ、驚きを露わにする。しかしその驚きに悪い感情は、少なくともユミルには感じられない。むしろ感心しているようにも見える。
「……素晴らしい。やはり有機生命体の知性は、私達に大きなイノベーションを与えてくれます」
その印象は、言葉によって確信に変わる。
「現在のレプリケーターで作れる物質は限定的です。ですが有機物から作り出したこの反応酵素を使えば、反応を三十パーセントは加速させられるでしょう」
「あっ! 確かに! 流石先輩です! 後はこれが出来上がったら、いい感じに丸めて……」
ダーテルフスの手助けも受けながら、ユミルは目的の道具を作る。レプリケーターに必要な情報を入力すれば後は待つだけ。
その待ち時間も大したものではない。レプリケーターは求めていたものを、躯体下側にある排出口からころんと生み出した。
出てきたのは、茶色い塊。
泥団子のようにも見えるそれを、ユミルはそっと掴む。起死回生の一手だからというのもあるが、それ以上に『危険』だからというのが大きな理由だ。
本当は素手で持つのも危ないが、時間も設備もない中で贅沢を言うつもりはない。
「先輩、あの……」
「分かっています。私はこれより先、手伝える事はありません。此処に置いていってください」
言おうとした事を先に告げられ、ユミルはこくりと頷いて籠を置く。
そう、これは自分がやらねばならない。
デスクワーク主体の非力な科学者に出来るだろうか? いいや、出来なければならない。出来なければ、きっとこの星は終わる……ルアル文明のように。
何も出来ず、『故郷』が滅びるのを見るのはもう御免だ。
「……いってきます!」
覚悟を胸に、作り出した道具と共にユミルは駆け出す。
直後に轟いた爆音から、事態が最早一刻の猶予もないと察し、震える足にもう一度力を入れ直すのだった。
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