破局の予言

 ユミル達が未調査宇宙に避難してから、ルアル文明時間換算で二十日の時が流れた。

 この星の自転周期もほぼルアル文明と同じ(やや早いぐらい)であるため、こちらの暦でも凡そ二十日が過ぎている。ルアル文明の高度な技術を用いれば簡単に生活基盤は整う、が、その技術は物理法則の違いからほぼ使えない。

 なのでかなりの面で人力に頼らざるを得ず、生活基盤の形成はまだまだ終わっていない。とはいえ少しずつ改善が進んでいるのは間違いなく、日々生活が良くなっているのを感じられた。

 『政治』面でも良い傾向にある。この星の先住民であるエルフ達は争いを好まない性質で、彼等との交流は友好的に進んでいた。十日前にはダーテルフスとベーィム達をアステア達三人に紹介し、五日前にはやってきた貴族達や王族と面会した。皆最初は驚き、一部は恐怖や嫌悪を見せたものの、話し合いの末に「これからも仲良くしましょう」という方針で纏まっている。

 ……その平和の少なくない部分に、ユミルが教えたマヨネーズの影響がありそうなのだが。ただの調味料なのに、エルフには余程刺激的な味だったらしい。王族が来た理由も、何処まで本気かは分からないが、未知なる料理技術に惹かれたとかなんとか。これを聞いてユミルは愕然とし、ダーテルフスは呆れ、ベーィムは笑っていた。

 遥か未来がどうなるかは分からないが、当面は安心して暮らせるだろう。

 そんな日の事である。


「アステアさん? もしかして、体調とか悪いですか?」


 訪問してきたアステアの様子が、どうにもおかしかったのは。

 場所は宇宙船内。今日も技術提供(という名のほぼ談笑)をしようと船内食堂で向き合って座った時、ユミルは異変に気付いた。

 異変と言っても、あからさまに顔色が悪いとか、はたまた挙動不審だという訳ではない。しかし話し掛けると反応するのに僅かながら間があったり、話を訊き返してくる頻度が多かったり……些細なものだが、普段と様子が異なるように感じたのである。傍にイリアナやゾアックがいない ― 二人は今ベーィム達と話すため宇宙船の外にいる ― 事もあって、アステアの様子を集中して観察出来たのも察せられた一因か。

 勿論ただの勘違いだとか、偶々そういった事が続いただけかも知れない。なので否定されたら、ユミルとしてはそれで話を終わらすつもりだった。

 ところがアステアは大きく目を見開いた。

 更に口許をもごもごと動かし、肩をすとんと落とす。これだけの仕草を見れば、疑惑が確信へと変わるには十分。

 尤も、ここまで露骨な反応を見せた者が、今更隠そうとする筈もないが。


「……大した事じゃないんだけどね。少し、占いの結果が悪くて」


「占い、ですか?」


「そう。未来視魔法というのが正確な名称なんだけど、一般には占いという方が通りが良い。魔法の中でも特に歴史の古いもので、生活にも密着しているものなんだ」


 ユミルの問いに、アステアはそう答える。

 魔法。それはこの世界に存在する『法則』の一つである。エルフ達はこの魔法の力により、過酷な自然界を開拓してきたという。

 具体的にそれがどんなものかは、この世界に来て日が浅いユミルはよく知らないが……ルアル文明に参加していた宇宙の中にも、魔法を主体にした文明は幾つも存在している。マジックリングに使われているような『説明不能』の力もあるが、大半は物理法則の一つなので『科学的』に解明可能だった。エルフ達の使う魔法も、恐らくこの宇宙の物理法則に由来する力であり、科学に含まれるものだろう。

 そして「将来を予測する魔法」というのは、数多ある魔法文明の中ではさして珍しくもない。原理も理屈も精度も様々なものがあった。元ルアル文明人であるユミルからすれば驚くようなものではなく、故に存在を疑う事もない。

 ただ、興味はある。


「それは、どの程度当たるものなのですか?」


「人によってまちまち、かな。国に仕えるような大魔道士だとそれこそ百発百中らしいが、俺の腕だと七割ぐらいだね。信用はしないけど、無視は出来ないって感じだ。正確に意味を理解した上で行動すれば回避出来るから、尚更ね」


「ふむ。その的中率は何に依存しているのでしょうか」


 アステアが話していると、ユミルの傍に置かれていた鳥籠ケージ――――その中にいるダーテルフスが口を挟んでくる。

 アステアは靄のように蠢くダーテルフスを見て、少し眉を顰めた。

 どうにもエルフ達にとって、ダーテルフスの姿はかなり『おぞましい』らしい。それでも差別的な言動は見られないのだから、この世界のエルフ達の人権意識は(蒸気機関さえない文明水準なのに)中々素晴らしい。ちょっと表情が強張るぐらいは愛嬌のようなものだろう。

 その愛嬌も、エルフ的には悪い事をしたと思うようで。アステアは小さく咳払いをしてからダーテルフスの問いに答えた。


「うーん。俺は魔法の専門家じゃないけど、素質的なものとは言われているね。訓練でも多少は良くなる。でも素質も訓練もない子供でさえ、五割ぐらいは当たるからなぁ」


「ふむ、成程。それは中々興味深い事実ですね」


「興味深い?」


「ええ。素質や訓練で向上し、それでいて誰でも五割程度は的中する。そういった事が言えるのは、再現性がある証拠でしょう。ならばこれは科学の範疇であり、解明出来る事象です。誰にでも使える事を考慮すると、もしかすると魔法の根源にも関わっているかも」


「根源って、大袈裟だなぁ」


 ダーテルフスの言い分をジョークの類と思ったのか。アステアはけらけらと笑っていた。

 しかしこれは冗談ではない。あり触れた魔法だからといって世界の秘密を辿れないとは限らない。それこそ時間や空間を司る『重力』のように、生活に密着しているからこそ重要なものもあるのだ。

 尤も、もしも未来視魔法が重力並に重要なら、その解明が出来るのは遥か未来の事だろう。科学の世界は一歩一歩、積み重ねが大事である。


「……ところでアステアさん。占いの結果が悪かったと言いましたけど、どんな結果が出たのですか?」


 科学魔法の話はそこそこにして、ユミルは本題へ戻そうとする。

 アステアもちょっとおどけたように仰け反りながら、予知した事について話し始めた。


「いやね、なんでもこの世の終わりに出会うとかなんとか」


 その内容は、とても笑顔で言うようなものではなかったのだが。

 正直、ユミルは血の気が引いた。何しろユミル達は、それこそ『世界の終わり』から逃げてきたのだから。腹の底から恐怖が込み上がり、身体が強張っていく。

 とはいえアステアの態度に真剣味がなく、どうやら大事ではなさそうだ。深呼吸するように大きく息を吸い、吐き出して、ユミルは気持ちを落ち着かせる。


「……この世の終わりとは、また随分な表現ですけど。本当にそんな事が起きるんですか?」


「いいや、全然。占いの結果は基本的に言葉で語られるんだけど、まー、これが大袈裟でね。天変地異に出会うと言われたら、ガンコ親父のゲンコツに備えなきゃならないって具合さ」


「……だったら最初からそう表現すれば良いのでは? 魔法の事はよく分かりませんけど、言葉で理解するのなら、表現方法を変える事も出来そうなものですが」


「実際変えようとした魔法使いもいたみたいだね。ただ、なーんか上手くいかなかったらしい。それにさ、人ってのは大抵こういうのを見くびるものだから、大袈裟に言った方がちゃんと身構えるだろう?」


 さも当然のように語るアステア。気持ちはユミルにも分からなくもないが、だとしても弊害が大き過ぎる気がする。未来を言い当てるからには、正確な表現が必要ではないか。

 何より、未来視魔法を知らないユミル達には『この世の終わり』がどの程度の不運なのか分からない。


「それで? この世の終わりというのは、どれぐらいの厄災なのですか?」


 同じ疑問を抱いたダーテルフスが尋ねると、アステアは腕を組んで考え込む。

 考えるという事は、どうやら明確な基準はないらしい。定量化出来てないじゃん、と思いながらユミルは冷めた眼差しをアステアに向ける。魔法を見下すつもりはこれっぽっちもないが……不確実な要素をそのままにしておくのは、滅びたとはいえ高度な文明を持っていた『種族』として、ちょっと呆れてしまう。


「うーん、命が危ない、ぐらいか?」


 その呆れ状態で生命がどうこう言われても、正直信じる気が微塵も湧かなかった。


「……そうですか。とりあえず、お気を付けください」


「あ! 信じてないだろその顔!」


「いやだって信じるも何も、全部アステアさんの感覚じゃないですか。主観的判断は科学の世界じゃ厳禁です」


「確かに、これを鵜呑みには出来ませんね。とりあえずサンプル数三百以上の比較実験がしたいです」


「えっ? いや先輩。サンプル数は二十ぐらいで、十年ぐらい掛けた追跡調査の方が良くないですか? 魔法の的中率が個人の力量由来ですし、同一人物で傾向見た方が正確だと思うんですけど」


「それはこの魔法について、一つでも確かな事があればの話です。アステアから聞いた話はあくまで彼個人の見解ですから、まずはその証明が必要でしょう。あと個人の力量由来だとハズレ値があるので、平均と中央値を出してからの方が良いかと」


「あー、そっか。それなら納得です」


「ええぃ、異邦人共め。何を言ってるかさっぱり分からんぞ……」


 ダーテルフスと交わす科学者トークでアステアの顔を顰めさせたら、けらけらとユミルは笑う。

 アステアの身に不幸が起きてほしい訳ではない。しかしどうやらあまり真面目に取り合う話でもなさそうだ。アステア自身、真剣に悩んでいる様子もない。

 きっとこれは他愛ない会話で、明日には笑いの種になるのたろう。ユミルはそう願っていた。

 だが。


「た、大変だ!」


 食堂に駆け込んできたベーィムの慌てふためいた声が、その願いが叶わぬ事だと物語る。


「ベーィム? どうしましたか?」


「そ、空、空に……!」


「空?」


 ダーテルフスが訊くと、ベーィムは片言になりながら答える。

 よくよく見れば、ベーィムの身体は震えていた。水晶生命体である彼は、暑さ寒さに強い。人間であるユミルが焼け死ぬ温度でも、凍死する環境でも、けろっとしている筈だ。ユミル達が快適に過ごすこの部屋の温度が、過酷に感じる訳もない。

 ならば彼は、恐怖で震えているのか。

 それ以降言葉が出てこないのも、彼の精神が酷く乱されている影響だろう。落ち着くのを待つのも一つの手だが、この取り乱し方だ。悠長に待っているのが得策とは思えない。

 幸い、『場所』については教えてもらえた。


「……外に行きましょう。ただし、慎重に」


 ダーテルフスの提案に、ユミルとアステアは無言でこくりと頷く。

 ユミルはダーテルフスの入った籠を手に持ち、食堂から出て、宇宙船の外へと向かう。アステアも慎重に、ゆっくり外へと踏み出す。ベーィムは余程恐怖しているのか、その場で右往左往するばかり。仕方ないので置いていく。

 外に広がるのは何時もの景色。ユミルが作った不格好な畑と、ベーィム達が暮らす『地下空間』への入口である大穴があるだけ。

 しかし地上に異変がないかといえば、そうでもない。

 少なくともアステアの仲間であるイリアナとゾアックが、棒立ちしながら空を眺めている姿は異様と言うしかないだろう。彼等の傍には恐れ慄くベーィムの同族である水晶生命体達と、彼等が蹴飛ばしたのか(提供予定だった)鉱石が地面に散らばっている。


「ひ、ひぃぃいい!」


 やがて水晶生命体達は悲鳴と共に逃げ出した。

 何処に行くつもりなのか。何故逃げるのか。ユミルは尋ねようと彼等に手を伸ばす。


「逃げろ! こ、此処にいたら、みんな喰われちまう!」


 その手が触れる前に、水晶生命体達はユミルに理由を答えた。

 されどユミルには理解が出来ない。喰われるとはなんの事だ? 水晶生命体を喰うような生物が、この星には生息していたのか?

 訳が分からず、ユミルは呆けてしまう。しかしすぐに、ベーィムが『空』と言っていた事を思い出した。恐らく答えは、エルフ達が見ている先にあるのだろう。

 仮説に従い、ユミルもまた空を見る。

 そうすれば答えはすぐに分かった。分かったが故に、ユミルは一瞬で顔面蒼白になるほどの恐怖に見舞われる。

 空で、光が輝いていた。

 今は昼間であり、天頂で太陽が輝いている。にも拘らずその光はハッキリと見えるほど、とても強く輝いていた。色味は青が強い。浮かんでいる高さは、ざっと五百メートルの位置だろうか。形は円を描いており、極めて平たい。光は遙か頭上に浮かんでおり、正確な大きさを目視で測るのは困難だが、直径百メートルはあるとユミルは感じる。

 そしてその光は、円を描いていた。

 強烈な発光と、大きさ。加えて円のような形。全てユミルは見覚えがある。それが彼女に最悪の可能性を過ぎらせた。


「マジック、リング……!?」


「まさか、そんな……!」


 自分だけの思い違いであってほしい――――そう祈りながら声に出した可能性は、ダーテルフスの驚く声により肯定されてしまう。


「? 二人共、何か知っているのか?」


 ユミル達の反応から、アステアは二人が事情を知っていると察した。しかし今のユミルにその問いに答える余裕はない。

 マジックリングはルアル文明の産物にして、ユミル達がこの世界に来るために使った技術。今頃は『奴等』に全て喰われ、一つとして残っていない筈だ。

 仮に残っていても、説明不能の力を使えず、量子ゆらぎ操作で物理法則を都合良く改変し続ける『奴等』にあの魔法は起動さえ出来ない。魔法により直接宇宙を繋ぐそれは、ゲートのような通り道の痕跡も残さない。だから『奴等』が後を追ってくる事もない。

 幾重にも論理的に否定した可能性。だが、考えてみれば『奴等』は何時だってルアル文明の理論を打ち破ってきた。あらゆる進化を遂げて、『奴等』はルアル文明を喰い尽くした。

 だから光の中からが落ちてきたとしても、驚くような事ではないのだ。


「う、そ……」


 それでもユミルの口から、願うように否定の言葉が漏れ出てしまう。

 卵が出てきた次の瞬間、光は弾けるように消えてしまった。やってきたのはただ一つの卵。だがその一つは、間違いなくこの世界を訪れた。

 卵は現れてすぐ、破れてしまう。殻ではなく柔らかな膜で出来ていたそれは、破れると同時に中身が出てきた。遠く、そして速いがために、中身の姿はよく見えない。

 そのまま中身は地面に墜落。爆弾が炸裂したかのような轟音と、ちょっとした地震を引き起こす。

 ……飛び散った液体が全て地面に落ちた後、ユミルがそこを見てみると小さな、深さ一メートルほどのクレーターが出来ていた。いくら高度数百メートルからの落下とはいえ、単なる自由落下ではこれほどの衝撃は生まれまい。かなりの速さで『突入』し、そのまま地面に叩き付けられたと考えるべきか。

 そして何時まで経っても、卵の中身がクレーターから飛び出す事はない。


「……先輩、行きますよ」


「はい。ですが慎重に。我々の想像通りなら、いくら警戒しても足りない相手です」


 ダーテルフスの入った籠を抱きかかえながら、ユミルはクレーターに歩み寄る。アステア達も慎重な歩みでユミルと共に大地の傷跡に近付き、底を覗き込んだ。

 クレーターの中心部に、生物の姿があった。

 人のような身体を持っていた。大きな頭があり、太い手足が合計四本生えている。臀部から長い尾が伸び、黒い体毛に覆われた胴体は極めて筋肉質。翅は確認出来ない。額には大きな目が一つ、正面を向くように存在している。白目のない、真っ黒な眼球だ。口は左右に開く構造のようで、半開きになっている。頭には二本の角が生えていた。

 一般的な『奴等』とは異なる姿だ。されどルアル文明末期の『奴等』は急速に進化し、把握しきれないほど多様化していた。このような外観の種が生まれていてもおかしくない。

 直感的に言うなら、ユミルは確信する。

 この生物は進化した奴等――――侵入生物だと。


「(う、嘘! こんな事が……!)」


 受けた衝撃の大きさから、頭の中ですら言葉が詰まる。

 しかしどれだけ否定しても、侵入生物の身体は消えない。大地に横たわったまま動かないが、一度動き出せば此処にいる自分達、いや、この惑星さえも瞬く間に喰らい尽くす……

 そこまで考えて震え上がるユミルだったが、されど数秒遅れて気付く。

 動かない。

 何時まで経っても、侵入生物には動く気配すらなかった。


「……あ、あれ? 動きません、ね?」


「……活動が停止しているように見えますね」


 困惑するユミルに対し、冷静かつ合理的なダーテルフスも同じ見解を呼べる。お陰で自分の勘違いではないと分かるが、それでもユミルは戸惑いを隠せない。

 だが、落ち着いて考えてみると、動かない事こそが一番『合理的』だと思えてくる。

 あの侵入生物は死んでいるのではないか。完全に死んでいるのなら、いくら侵入生物でも量子ゆらぎ操作は出来ない筈だ。それならマジックリングを通れる事に不思議はない。マジックリングが喰われずに残っている点や、マジックリングをどうやって起動させたのかという点など、疑問は幾つか残るが……今、此処に侵入生物が現れた事は説明が付く。

 頼むからそうであってほしい。ユミルはそう思うが、同時に科学者である彼女は願望と真実が混ざるのを拒む。真偽は、確かめなければ分からない。


「見た事のない生物だな……良し、ちょっくら俺が見てくるか」


 ゾアックの勇ましい提案は、『科学』を追求する上では重要かつ欠かせないものだ。

 されど一人の人間として、ユミルはその危険を承諾出来なかった。


「だ、駄目です!? あれは、き、危険なんです!」


「私も接近は推奨しません。確証はありませんが、あの生命体は極めて危険な存在である可能性が高いです。出来れば遠距離から観測を行い、可能ならばここら一帯を封鎖・隔離すべきです」


「……ゾアック。俺としても止めておくぞ。未知の生物相手に迂闊に近付くな」


「あーん? 大丈夫だろ、見た感じ死んでるし。それに俺は強いからな!」


 ユミル達だけでなくアステアにも止められたが、ゾアックは聞く耳を持たない。

 彼はクレーターの斜面を軽やかに降りていってしまう。追い駆けて止めようにも、あまりにも軽快かつ素早い動きのためユミルでは追い付けない。


「ど、ど、どうしましょう……!?」


「……ゾアックは強い。少なくともあの槍捌きは王国随一だ。並の獣じゃ十体纏めて来ても簡単に蹴散らす。それにあんな奴だが、相手の力量が分からない馬鹿でもない。無茶はしないだろう」


 動揺するユミルを宥めるように、アステアは語る。だがいくら歴戦の傭兵とはいえエルフ……生物の範疇の筈だ。侵入生物相手にどうこう出来るとは思えない。

 そんなユミルの内心を他所に、ゾアックは倒れている侵入生物らしき生物の傍まで行ってしまった。ゾアックはある程度接近すると、歩みをゆっくりなものに変える。

 もう数歩進めば触れられるところで行くと、ゾアックは一度立ち止まった。ユミルの知らぬ間に槍を手にしており、それを構えながら様子を窺う。素人であるユミルにその構えが達人のそれなのか、達人を真似ただけなのかは分からない。しかしアステアの言う通りなら、歴戦の騎士として十分な立ち振る舞いなのだろう。

 ユミルが抱いたその印象は、正しいものだった。

 、ゾアックは反応する事が出来たのだから。


「フシャアォオッ!」


「ぬぉっ!?」


 侵入生物は上体を起こすや、大きく開いた口でゾアックに噛み付こうとする。ゾアックが大きく仰け反り、バク転しながら後退しなければ、今頃彼は頭のない死体としてそこに転がっていただろう。

 攻撃を外した侵入生物は、勢い余ってか前のめりに転倒する。その隙にゾアックは跳ぶようにして後退。安全な距離を取る。

 侵入生物は即座にゾアックの方を振り向く。

 アステアが言うように、ゾアックは馬鹿ではなかった。向き合った瞬間に、侵入生物の力量を理解したのだろう。


「クソっ! 死んだフリしてやがったか!」


 一人で戦おうとはせず、ゾアックは即座に逃げ出した。


「フシャオオオォ!」


 そのゾアックを侵入生物は這うような体勢で追う。

 侵入生物の歩みは力強く、それでいて豪快。しかしどうにもバランスが悪いようで、四つ足歩行にも拘らず時折盛大に転んでいた。どうやら重力環境に慣れていないらしい。

 お陰でゾアックは捕まる前にクレーターの外に脱出……しかし間髪入れずに、侵入生物もクレーターの外に出てくる。大きく跳躍したのか空を飛び、四つん這いの体勢で着地。その後ゆっくりと立ち上がる。


「フシュゥゥ……」


 荒々しい吐息を出しつつ、侵入生物は遠巻きに眺めるユミル達を見遣った。

 不気味な一つ目に見つめられる生理的嫌悪、何より侵入生物がやってきた事実。ユミルの思考は恐怖に塗り潰されていく。

 逃げなければ死ぬ。そうは思えども、恐怖に乗っ取られた身体は動かない。傍にいるアステアが何かを話していたが、真っ白になった頭は何も理解出来ず――――


「ユミル、落ち着きなさい」


 憧れの先輩が声を掛けてくれなければ、何時までも茫然自失になっていただろう。


「せ、んぱい……?」


「こんな時だからこそ冷静さを忘れてはなりません。落ち着いて考えるのです。何故我々は?」


 ダーテルフスからの問い。受け取り方によっては悪口にも聞こえるその言葉の意味を、僅かな思考を割いてユミルは考えてみる。

 そして、確かに妙だと思った。

 ルアル文明を滅ぼした侵入生物の力は圧倒的だ。ルアル文明末期の頃には、瞬く間に宇宙を往復する速力と、次元が崩壊しても耐えられる表皮、惑星どころか銀河すら滅ぼす攻撃力を持っていた。しかも奴等の生息域は自らが操る量子ゆらぎの力によって、次々と新しいエネルギーが生まれている。充足するエネルギーを利用するため、侵入生物の能力はどんどん高性能化していた。今時の個体は銀河どころか、宇宙すら簡単に破壊出来てもおかしくない。

 その力を僅かでも使えば、それこそ一秒も経たずにこの星は消滅しているだろう。勿論ユミルもダーテルフスもアステアも、一人残らず侵入生物の餌である。

 ところが現実のユミル達は今も生きている。侵入生物が手加減をしているのか? あり得ない。どの侵入生物も行動は極めて本能的で、最後まで対話すら出来なかった。恐らく知能などないと考えられている。故に一切油断なく、全力で侵入生物は繁殖を行う。

 自分達が何故生きているのか? 論理的に考えるなら、この侵入生物にはそれを為すだけの能力がないと思われる。しかし能力がないとはどういう事か。侵入生物は量子ゆらぎから無尽蔵のエネルギーを引き出す力があるのだから、どんなに落ちこぼれでも星一つ容易く滅ぼせる筈……


「……まさか……!」


 考え、辿り着いた答え。それにユミルは震え上がる。

 恐らく、この侵入生物は

 だからマジックリングを通過出来、この世界に来る事が出来たのだ。反面、量子ゆらぎ操作が出来ないためルアル文明を苦しめた数々の力……エネルギー吸収能力や超光速飛行、物理法則の書き換えなどの力は失われていると思われる。物理法則が書き換えられないなら、その身体を構成するのは一般的な元素、恐らく炭素を主体とした有機物の類だろう。

 ならばその力は『現実的』なものの筈。現にゾアックを追う速度は中々のものだったが、ユミルの目にも追える程度だ。地面の物質を無差別に吸収して、急成長や増殖をする素振りもない。

 十分な火力があれば、倒せる筈だ。

 そう、倒せる生物だ。今までのような『無敵』の化け物ではない。

 だからこそ、ユミルは恐怖する。


「(捨てた……あの力を……!?)」


 侵入生物が持っていた力は絶大だ。数多の宇宙を瞬く間に喰い尽くし、究極の文明を滅ぼすほどに。無敗の能力はおろか、全知全能の神さえも奴等は餌にしている。どんな敵が立ち塞がろうと、侵入生物は難なく食い滅ぼすだろう。

 だがこの個体は、その力を捨てている。

 進化に意思はない。ランダムな変異の中から、偶々環境に適したものが繁栄していくだけの事。侵入生物の進化も一般的な進化と変わらない事が、ルアル文明の観測で明らかとなっている。この個体が量子ゆらぎの力を持っていないのは、単なる偶然の筈だ。

 しかし生きるために必要な、根源的能力を失い、それを利用して新たな世界に『侵入』してくるなんて。

 意思を持つ者にこのような真似が出来るか? 力に対する思い入れ次第だろうが、まず無理だ。今まで頼ってきた『武器』を捨てるなんて、怖くて出来るものではない。最強だの無敵だのを名乗ろうと、その力を捨てる『勇気』があるのは一握りだけ。

 されど生物進化は違う。自分の意思とは関係なく重要な力を捨ててしまう事がある。大抵、そのような個体は死ぬだろう。だが上手く環境が噛み合えば生き残り、時には祖先達よりも繁栄する。求めているのは『強さ』ではなく『繁栄』。だから強さなんかに拘らない。繁栄するためなら、迷いなくどんなものでも捨てられる。

 何も躊躇わない生物進化に、自らその手を縛る叡智が勝てる筈がないのだ。


「(勝てる訳がない……技術じゃ、科学じゃあの生き物は倒せない……)」


 ルアル文明の全てを乗り越えられ、ユミルはすっかり意気消沈していた。立ち上がる気力もなく、その場にへたり込んでしまう。

 そんな彼女の前に、一人の男が立つ。

 アステアだった。彼は手に剣を持ち、これを構える。正に剣士といった出で立ちだ。

 ゾアックも改めて槍を構え、イリアナも弓を持つ。鋭い眼差し、漲る闘志。それらを見れば三人の意思はユミルにも伝わる。

 彼等は戦うつもりなのだ。数多の宇宙を滅ぼした、破壊的生命体の末裔と。


「あ、アステアさん……駄目です……逃げないと……!」


「いいや、逃げない。どうにもアイツは野放しにするとヤバそうだからな。それに……」


「それ、に?」


「俺達は王国騎士団の騎士だ。逃げなきゃならないヤバい奴なら、尚更戦わなければならない!」


 突如、アステアの身体から『覇気』が吹き出す。ユミルの目にはそう映った。

 アステアだけではない。誰もが力を漲らせている。肉体の力を極限まで高め、尽きない闘争心を湧かせている。

 それは、恐らく魔法の力だ。

 身体強化の魔法だろうか。自らの力を増幅する事で、強大な存在とも渡り合えるのだろう。そうして彼等はこの星で繁栄してきた。

 そう。彼等はこの星で何十億年も掛けて進化した『適者』である。

 対する侵入生物は『外来種』。まだこの星の環境に適応してはいない。更に究極の文明さえ蹂躙する力は失われた。その力は未知数であるのと同時に、決して無敵ではなくなった。

 まだ勝負は分からない。

 緊迫する場の空気。互いに睨み合うが、その時間は長く続かない。


「フシャアアアアアアアアッ!」


 雄叫びと共に、侵入生物がついに動き出したからだ。

 ただしそいつは、――――

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