温故知新

「……何か、良い案は浮かびましたか?」


「……いいえ。何も」


 とある宇宙の、とある施設にて。ダーテルフスから問われたユミルは、沈みきった表情と声でそう答えた。

 彼女達は今、ある対策について考えていた。

 それはこれまでなんとかしようとしてきた、侵入生物の撃退方法――――ではない。今のルアル文明でそれを研究・考案している者はごく僅かであるし、表立っては言わないが、政府機関もそこに注力はしなくなっている。

 何故ならルアル文明は敗退したから。

 これは揺るぎない事実である。持ち合わせていた全ての対抗手段……無限の力を持つギガス、あらゆるものに死を与えるタナトス、全知全能の神ヤントイッヒ……それらを全て打ち破られた。残る戦力は通常軍事力や特殊能力を持つ種族ぐらいであるが、彼等がどれだけ攻撃しても今更なんの効果もない。

 しかもヤントイッヒが撃破された(と思われる。ヤントイッヒの領域を観測する手段はルアル文明にもない)後、侵入生物は急速な種分化を始めた。捕食性の種が誕生したのだ。

 捕食者が観測されて最初の数十分間は、個体数抑制が期待出来るという楽観的な見方もあった。また生存競争を生き延びる事にエネルギーが使われ、繁殖・成長速度が大きく落ちるとも。実際最初は予想通り個体数の増加は幾分抑えられ、世代を重ねるほど侵入生物の成長速度は低下したが……十時間も経たずにその願望は打ち破られた。捕食者から逃げる個体が多量に現れた事で、拡散速度が却って増大したのである。今まで規則的だった被害拡大が不規則になり、防止策が上手く機能しなくなった。

 そして一番の問題は、衰えると予測されていた侵入生物の繁殖速度や身体能力が、逆に増大した事。

 観測結果によれば、どうやら侵入生物達の活動圏のエネルギーが急速に増加。豊富な餌が得られた事で、繁殖力や戦闘能力を強化する方が適応的になったらしい。

 この結果は、予測されていたものの一つではあった。侵入生物(厳密にはその祖先種)がここまで強大な生物に進化出来たのは、量子ゆらぎ操作に伴うエネルギー創生で、エネルギー的制約がないからだろう。喰う喰われるの食物連鎖が出来上がると、量子ゆらぎ操作の使用が活発化し、強大化する流れが出来るのではないか……ルアル文明ならばこの程度のシミュレーションをするのは造作もない。

 だからといってここまで、ほんの十数時間で手に負えなくなるほど強くなるのは想定外だ。

 ヤントイッヒが破れてから四日が経過した今――――ルアル文明に所属する一千六百万もの宇宙のうち、侵入が確認されたのは七割以上である一千百万以上。侵入生物の支配域は、ルアル文明全領域の三割に達するとの計算が出ている。支配された宇宙では復活用のバックアップも食い殺されており、犠牲者の蘇生は不可能。長らく失われていた『死』の恐怖がルアル文明全域に広まりつつある。

 ルアル文明管理化にある七割の領域もじわじわと侵食され、侵入生物の支配下となるのは時間の問題だ。おまけに最近(といってもほんの数時間前の話だが)では、ついに要観察対象宇宙にまで侵入したらしい。量子ゆらぎの力が強まった事で、ゲートよりも小さな痕跡でも『道』として使えるようになったのだろうか。

 ルアル文明ですら手に負えない相手だ。宇宙間の移動さえ儘ならない未熟な文明にどうにか出来る相手ではない。最早繁殖の抑制どころの話でなく、侵入生物達は思うがままに増えているらしい。五時間と持たず、侵入生物に食い尽くされた宇宙もあった。

 ルアル文明に観測された全ての宇宙……七×十の五十三乗個の世界が、ルアル文明の巻き添えによって滅びようとしていた。


「(もう、完全に負けてますね……)」


 全知全能のヤントイッヒが敗北した時点で分かっていた事であるが、改めて認識するとユミルの心に強い不安が湧き出す。

 現時点における侵入生物の支配域は、ルアル文明全域の三割。

 まだ七割残っているので戦える、という考え方もあるかも知れないが……現実に則していない見方だ。高度な文明というのは局所的に成り立つものではない。文明を維持する物資は文明内のあちこちで、その産業に特化した地域で生み出されるものだ。特化しなければ高度な物資は生み出せない(他のものに手を付ける)のだから仕方ないが……地域を分断すれば、簡単に物流を遮断出来るという事でもある。物資のないテクノロジーなどガラクタに過ぎず、物流が止まれば如何にルアル文明といえども戦う事は出来ない。

 侵入生物にそれを戦略的におこなう知性は恐らくない。しかし三割もの宇宙を支配した事で、今や文明宇宙同士の繋がりは虫食いのような有り様だ。最短距離と比べて何十倍になっても、迂回ルートがあればまだマシ。侵入生物の支配域に包囲されて身動きが取れない文明宇宙もある。

 既に一部物質が不足しつつあり、軍艦の稼働率も低下傾向だ。ごく少数の地域ではあるが、宇宙船のエネルギーが不足し、侵入生物を前にして遅々として避難が進まないところもあると聞く。足止めや誘導をやる余裕などない。

 仮に戦う力が残っていたとしても……種分化した侵入生物を撃破する事は最早不可能だ。

 侵入生物は進化・増殖速度が極めて早く、纏めて個体群を駆除出来なければたちまち適応してしまう。単一種の状態でもあらゆる攻撃に適応されたのに、そこから種分化して多様性を増したとなれば、纏めて撃滅する方法なんて存在しない。どうにか一つの種を絶滅させたところで、生き残りから新種が生まれて瞬く間に生態系は回復するだろう。

 ちなみに現時点で確認された侵入生物は凡そ二万三千種。侵入生物一種さえ絶滅させられなかったのに、その二万三千倍の多様性を滅ぼすなど到底無理だ。これだって、あくまで観測された数に過ぎない事を忘れてはならない。

 根絶はどう考えても不可能。侵入生物はこのまま、遠からぬうちにルアル文明と要観察対象宇宙を全て食い尽くす。

 故に今ユミル達が考えているのは戦い方ではなく、『逃げ方』。

 文明を放棄し、安全な場所に避難する……完全なる敗北者の考えだった。ルアル文明政府も今や避難方法の確保に尽力しており、多くの科学者もその検討に注力している。

 しかし残念ながら、それさえも困難なのが実情だ。


「……脱出を阻む一番の要因は、侵入生物がゲートの痕跡を辿って転移してくる事です」


 ダーテルフスがぽつりと、独り言のように問題点を語る。

 侵入生物は宇宙の全てを食い尽くす。なので侵入生物から逃れるには、別宇宙に避難する以外ない。

 ところが侵入生物は宇宙と宇宙を繋ぐゲートの痕跡を通り、宇宙間を移動してくる。つまり別宇宙に移動するのと同時に、侵入生物が来るための『道』を作ってしまうのだ。逃げたところで道が続いていては、行く先の宇宙も何時か食い尽くされてしまう。

 痕跡が残らなければ大丈夫な筈だと考え、観測すら行っていない『未発見宇宙』に逃げ込んだ富豪がいた。つまり一回だけなら痕跡を誤魔化せるのでは……それが浅はかな考えだったのは、その宇宙が今侵入生物だらけである事が物語る。

 一度でもゲートを使えば、今の侵入生物は容赦なくやってくるという事だ。しかしゲートを使わなければ、宇宙を移動する事は叶わない。ゲート理論は様々なものが使われているが、結局のところ宇宙同士を繋ぐ事には変わりなく、それでは侵入生物が来てしまう。


「逃げる手を封じられては、どうにも出来ないですね……」


「はい。それが一つ目の問題です。そして二つ目の大きな問題は」


「時間がない事」


 ダーテルフスの言葉を引き継ぐように、ユミルが答える。ダーテルフスは靄のような身体を揺らめかせながら頷いた。

 侵入生物の数は、今や指数関数的に増えている。

 エネルギーを無尽蔵に創り出す仕組みが出来上がり、侵入生物の繁殖力はかつての比ではなくなった。正確な観測ではない(詳細を知る前に観測用粒子が喰われてしまった)が、体長一センチの小型種が僅か一ミリ秒で成熟し、何万もの卵を生んでいるところが確認されている。体長三メートルの大型種でも、繁殖可能となるのに十秒と掛からない。そして段々と繁殖時間は短くなっていた。

 その進化速度も考慮して管理AIが計算した結果によれば、今から百時間後には、ルアル文明配下にある一千六百万以上の文明宇宙が食い尽くされると算出された。

 即ちあと百時間以内に避難手段を確保し、周知し、実行しなければ、ルアル文明は侵入生物から逃げられない。

 あまりにも残り時間が少ない。いくら手段があっても、道具の持ち出しや準備が出来なければ、何もしないうちに侵入生物の腹の中だ。しかも侵入生物の襲撃により、優秀な科学者や演算機器の多くが宇宙ごと喰われてしまった。アイディアを出す人材自体がいない。

 管理AIなど機械類も、エネルギー不足から稼働率は低下気味。動いているものも、侵入生物の行動予測や避難経路策定、そして今の侵入生物の解析に費やされている。それをしなければ百時間という猶予すら稼げず、だからこそ研究者を手助けする余裕がない。

 新しい事を考えねばならないのに、考える頭も設備も足りない。最悪の状況だった。


「……万事休す、というやつですかね」


「とはいえ思考を止める理由にはなりません。考え続ければ必ず名案が思い付く、等という非科学的な事を言うつもりはありませんが……思考を止めれば、助かる可能性はゼロになります」


 ユミルの吐いた弱音に、ダーテルフスは気丈な声で励ます。先輩の言うと通りだと、考えを止めた時こそが本当の万事休すなのだと、ユミルも思う。

 ……それでも、つい、思ってしまう。

 自分達が『ゲート実験』をしなければ、こんな事にはならなかったのではないか、と。


「(……なんとまぁ、非生産的な考え)」


 自分を責める発想に、ユミルは思わず自嘲してしまう。

 別宇宙の調査は、ルアル文明が何億年も前からやってきた事だ。自分達が考案・プレゼンテーションした実験ならば兎も角、一業務として遙か大昔に確立したものに、過失もないのにどうして責任を負う必要があるのか。探査する宇宙の選定も、発見したものから片っ端である以上責任も何もあったもんではない。

 そもそも新たな宇宙を探索し、新たな文明と触れ合い、新たな脅威を先んじて見付けたからこそルアル文明はここまで発展してきた。もしも他宇宙との繋がりがなければ、真空のエネルギーやクリエイションエネルギーなどのテクノロジーは生まれようがなかっただろう。ギガスのような無限のエネルギーがなければ、宇宙はやがて崩壊……熱的死やビッグリップ、ビッグクランチなどを迎えている。他宇宙との繋がりがあるからこそ、ルアル文明は宇宙を完璧にコントロール出来る術を会得したのだ。

 侵入生物との出会いは必然であり、侵入生物と出会わなければ滅びもまた必然。

 結局のところ此度の出来事は、全てのものに終わりが訪れるという、ごく当たり前の事の一つなのだ。人の死に方が(バックアップなどなければ)寿命以外にも色々あるように、文明の終わり方も様々。その一つを、この時引き当てただけに過ぎない。例え自分達がやらずとも、何時か何処かの誰かが侵入生物の宇宙を『発見』し、奴等を招き入れただろう。

 仮に侵入生物を克服したとしても、その時はきっと、将来別の形でルアル文明は滅びた筈だ。


「(技術がどれだけ進歩しても、したらしただけ新しい危機が訪れるか)」


 世の中とはなんと無情なものなのか。しかし考えてみれば、それは今更だろう。

 ユミル達人間の、エネルギーに関する『古代史』を辿ってみればよく分かる。薪からエネルギーを得ようとすれば、人類は森林を伐採し尽くし、土砂災害などを招いた。それら災害は農地の破壊を招き、深刻な食糧危機を誘発。幾つかの文明が壊滅、または衰退している。森の代わりに石炭・石油からエネルギーを取り出せば、今度は排ガスによる温暖化や大気汚染が起こる。温室効果ガスの出ない原発が作られれば、放射性廃棄物の問題が生じた。

 核融合発電が実用化しても、今度は排熱による局所的気候破壊が問題となった。クリーンな反物質炉が出来れば、事故で撒き散らされた莫大なエネルギーによる惑星消滅の危機に見舞われる。

 過去の問題を克服すれば、新たな問題が生じるのは文明のお約束なのだ。むしろ最先端になるほどエネルギーが増加し、被害の規模も増している。古い技術の方が、万一事故を起こした時の被害は軽かったぐらいではないか――――


「(……古い、技術?)」


 脱出方法の模索。その目的とズレた考えに耽っていたユミルだったが、ふと思う。

 今の技術では侵入生物から逃げられない。なら、古い技術ではどうだろうか?

 当然話にならない、と考えるのは早計だ。技術というのは、どれだけ発展したとしても早々単純な上位互換となるものではない。

 例えば人間文明の戦争は、古代では弓矢が使われていたが、時代が進むと銃に置き換わる。これは弓矢よりも銃の方が射程や殺傷力、扱いやすさに優れていた事が理由だ。

 しかしだからといって、銃が弓矢の上位互換とは言えない。例えば銃を作るには製鉄など高度な技術を要するが、弓矢は植物があれば(威力はどうであれ)作れる。また銃弾を撃ち出す火薬の生成には化学反応と長い時間が必要だが、矢は真っ直ぐな棒や骨があれば短期間で量産可能だ。遭難先の孤島で何年もサバイバルをするのであれば、何時か使えなくなる銃よりも、持続可能な弓矢の方が結果的には便利だろう。

 何事にも利点と欠点があるもの。そして使われなくなった理由が、単純な上位互換技術が誕生したから、というのは稀なのである。時代や場所に合わないから使われないのであり、適切な条件が整えば古い技術の方が便利というのは珍しくない。要するに適材適所というやつだ。

 ルアル文明の技術も同じように発展し、更新されてきた。今使われている技術よりも古いテクノロジーは、確かに『性能面』では劣るだろう。しかし『欠点』が同じとは限らない。むしろ性能が格段に向上しているのなら、理論が明確に異なる筈なのだ。欠点が同じになる訳がない。それこそ銃と弓のように。

 そしてユミルの頭の中には、かつて使われていたゲート技術の知識がある。それはゲート実験場の新人研究者として、憧れの先輩に呆れられてしまわないよう片っ端から学んだからだ。

 あの時は、精々先輩に褒めてもらえる程度にしか期待していなかった知識。されど今、その知識は――――ルアル文明最後の希望となる。


「あ……あああああああああっ!?」


「……どうしたのです、ユミル?」


 思わず叫べば、ダーテルフスはやや困惑した様子で尋ねてくる。至極当然の反応であるが、しかしユミルはこれを無視。今は答えている暇がない。

 傍にある端末を荒々しく引き寄せ、必要な情報を打ち込む。ルアル文明が誇る高度なコンピューター端末は、ユミルが欲しがっていた情報を数え切れないほど並べた。特に詳細かつ信頼度の高い情報を、一番上に載せた状態で。

 コンピューターの誘導通り一番上の項目を確認。調べたかった『技術』についての詳細が表示され、これにユミルは目を通す。


「せ、先輩! 見付けました……見付けました! アイツらに追われない、逃げ切れる移動方法!」


 そこでようやく確信に至り、ユミルは自分の考えを言葉にする。


「なん、ですって……!? 一体どんな方法があったのですか!?」


 これにはダーテルフスも驚きを隠せない。見せた事のない狼狽え方をしながら、ユミルに訊き返す。

 それは、決して喜ばしい発見ではない。

 自分達が滅びようとしている中で、辛うじて見付けた細い糸なのだから。侵入生物が蔓延る今、果たしてどれだけの人々が助けられるか分からない。そもそも本当に成功するかも分からない。実験して確かめるだけの時間的余裕もない。数が足りないからといって作る時間も物資もない。

 どう楽観的に考えても、悲劇的な結果しかもたらさないだろう。しかし今まで考えた中で、唯一希望のある作戦でもある。

 生き延びられるかも知れない。

 『究極の文明』の一員と言えども、ユミルもまた一つの命。例え文明が滅びるとしても、こんなところで死にたくない。まだまだ憧れの先輩と語らい、新たな発見に驚き、共に時間を過ごしたい。

 だからユミルは微笑みながら答えた。


「マジックゲート……一億五千万年前にお役御免となった、古代のゲート技術です!」


 『物持ちが良い超耐久性』を誇るルアル文明のテクノロジーの中でも、骨董品と言うのも難しい古ぼけた技術の名を――――

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