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侵入生物の繁栄は、留まるところを知らない。
ヤントイッヒを捕食して八日後、ルアル文明の八割が侵入生物の生息域となった。ルアル文明は総力を結集して食い止めようとしているが、最早侵入生物の勢いは少しも弱まらない。何もかも食い尽くし、個体数を増やしていく。
ルアル文明を構成していた文明宇宙は、二十時間以内には全滅するだろう。また膨大な数がある要観察対象宇宙も、次々と侵入生物の餌食となっている。ルアル文明ほどの力がない要観察対象宇宙など、器に盛られた餌のように食い散らかされていた。
全てが侵入生物と化す時は遠くない。
そして繁栄の証と言わんばかりに、多種多様な種が生まれた。今や侵入生物の総種数は三千億種を超え、その姿形は様々だ。
八割ほどの種は体長一〜三センチ程度で、祖先種とよく似た翅のあるイモムシ型をしている。だが中には十メートル近い大きさの、クジラのような外観の種もいた。巨大な腕で獲物を捕まえる甲殻類型の種もいれば、大きく広げた翅を網のように使う種も見られる。寄生性の種も珍しくなく、その寄生者に寄生する種も誕生した。まだ細菌のような種はいないが、一歩手前ぐらいの極小多細胞生物はいる。更なる小型化が進めばいずれは細菌化するだろう。
『彼女』もまた、多様な進化の一形態だった。
「キィアァウゥウ」
大きな口を開けて彼女は鳴く。宇宙空間に空気はないが、彼女の声は電磁波(に似た別の何か。ルアル文明にすらこの波形を説明する用語はない)の形となって空間そのものを震わせていた。
彼女の姿は、祖先とは大きく異なる。
体長、いや、身長は二メートルを超えている。ぶよぶよの肉塊だった祖先種と違い、その身体は引き締まった繊維質……筋肉に覆われていた。尤も、その肉体は全身から生える黒い毛に覆われて輪郭しか見えないが。体毛は長さ二センチ程度と短いが密集しており、全身が覆い隠されている。この体毛は保温のためではなく、受けた攻撃の衝撃を素早く分散させ、体組織を保護するためのもの。つまり身を守るための鎧である。
四枚の肉々しい翅は進化の過程で変化し、四本の『手足』となった。手足の位置は
手足の先には四本の指があり、多少不器用ながらも、物を掴む事が出来る。脚部より後ろにある身体は細く締まり、長さ二・三メートルの尾に変化していた。尻尾は自由に動き、あらゆる角度に振るう事が可能。身体のバランスを取るのは勿論、その逞しい筋繊維のお陰で武器としても使用可能だ。
発達した神経は背中側に集まっており、その神経を守るように
頭部も祖先種とは全くの別物。祖先種は体長の割に頭が大きかったが、彼女の頭は二十センチ程度と然程大きくない。頭部には鉤爪状に曲がった角にも見える触角を二本生やし、獲物を効率的に食べるため再獲得した口は左右に割ける形で開く。
「……カジュゥ、ジュゥゥ」
例えばその手に掴んでいた肉も、バリバリと噛み砕く事が可能だ。
彼女の前には一体の侵入生物が横たわっている。
体長は二メートルほど。彼女と互角の大きさだ。形態は翅の生えたイモムシ型と、最もよく見られるものだが……二つの前脚を持つ。脚は長さ一メートルほどもあり、先端は鋭い鉤爪状をしていた。
そして五十センチもある頭部は根本からパックリと、上下に開く口になっている。口の中には針のように鋭い歯がずらり、というよりギッシリと並んでいる。触角は長さ四十センチと非常に長く、探査能力が高い事を表す。
様々な外見的特徴が示すように、この種は肉食性の種だ。そして彼女が仕留めた獲物であり、戦いで消費した分と繁殖のため、食べなければならないものである。
侵入生物に食欲と呼べるものはない。繁殖に必要だから食べるだけで、何かを「食べたい」とは思わない。あくまで繁殖活動の一環だ。
彼女にとってもこの食事は、繁殖をさるのに必要だからしているだけ。食欲なしの食事に対し、彼女の背中側にある神経系は、人間の言葉に訳すとこのような事を考えた。
面倒臭い、と。
「ウブゥィー」
それでも噛み、飲み込み、運ぶ手が止まる事はないが。
……この「面倒臭い」という思考は、人間など多くの生物からすれば珍しくもないだろう。だが侵入生物からすれば異常な思考だ。
何故ならここまで多様化した侵入生物の中で、ただ一つ見られない形質が『知能』なのだから。
侵入生物は演算能力には優れるので、単純な計算力では全種知的ではあるが……それを『知能』で制御する種はいない。理由は単純明快。生存の役に立たないから。どの侵入生物も計算能力には優れており、あらゆる情報を数字で認識している。自分の置かれている環境、危険性の有無、繁殖に必要なエネルギー、餌までの距離……それら一つ一つに優先順位を付ける事で合理的に行動する。これは本能的行動であり、侵入生物達は何一つ考えていない。
ここで人間のような知能を持ち、本能を制御したとしよう。それは適応的な形質だろうか?
否である。まず侵入生物の本能的行動は、優れた演算能力により導き出されたものだ。数学的に正しさが担保されたものであり、感覚的にどれだけ誤っていても、最も『得』をする選択である。
知能があれば、その選択とは別の行動を取る事は出来る。出来るが、最良ではない行動をしても意味がない。敵が最良の行動をしているのに、わざわざ不利な行動をすれば死ぬのはこちら側だ。結局同じ選択をしなければならず、故に知能で判断する必要はない。
また、知能で判断を行うと、その分僅かだが『遅延』が発生する。処理を一つ余分に挟むのだから当然だ。これでは他よりも判断が遅れてしまう。同じ最良の行動でも、一瞬でも遅れれば不利な行動になる。常に一手遅い状態で競争しても勝ち目などない。一瞬の隙も許されない環境ならば尚更だ。
侵入生物にとって知能は、生存力を高めるどころか不利に働く。故に持とうとする種はいなかった。
「カジュカジュカジュカジュ……」
『彼女』の種が生まれるまでの環境では、という前置きは必要だが。
様々な新種が生まれ、侵入生物は繁栄した。捕食種が現れた事で生産種は対抗出来るよう様々な進化をし、その中には大型の身体を持つものもいた。大きな生産種を仕留めようと、大きな捕食種も誕生し、あちこちで見られるようになる。
大きな生物種は、その分エネルギーをたくさん含んでいる。小さな種を何匹も捕まえるより、大きな獲物を一体仕留める方が効率的だ。
という訳で大型種を狙う捕食種が現れたが……そういった生き方をする種は、あまり繁栄しなかった。
理由は大型種を仕留めるには、その種に『特化』した進化をする必要があったから。大型種は身体が大きい事で、小型種よりも高出力または高度な能力を持つ事が多い(というより同程度の能力だと繁殖力と
対策なしで挑むのは自殺行為であり、なんらかの能力を進化させる事になるが――――獲物側の能力も多様だ。ある種の能力への対策は、他の能力相手だと通用しない事が多い。
このため狙える獲物は、その獲物の近縁種含めて数種類が限度。余程特殊な能力への対策だと、その一種にしか通用しない。三千億種も多様化したと言えば聞こえは良いが、それは有限の資源を三千億分割しているとも言える。しかも捕食種は他の生物を食べる、即ち生命活動の源として依存している都合、どうしても獲物より増える事は出来ない。『資源量』で言えば獲物の十数分の一未満が普通だ。
『種』というのは生き方なので、絶滅しない程度に数が増やせれば成立はする。特定の獲物に特化するやり方も、ライバルがいないという意味では安定的で悪くない。だが更なる繁栄が出来るのは、よりたくさんの獲物を得られたものだ。様々な形質が誕生し、成功した個体はより多くの子孫を残す。
その成功した形質の中で特に上手くいったのが、『知能』を持つというもの。
本能的な行動は最良であるが、同時に短絡的かつワンパターンである。つまり種によって、ある程度行動パターンが定まっているのだ。獲物のパターンを読み、それに合った行動をすれば、能力の相性が悪くとも勝てる可能性がある。
しかしそれをするには、本能的行動を抑える必要がある。『知略』は短期的判断ではなく、長期的判断をしなければならないからだ。攻撃が迫った時、本能は回避可能ならさっと避けてしまうが、相手に肉薄するため敢えて受ける事も知略では必要となる。
本能的行動を抑制する神経。それを獲得したある種の個体は、多くの獲物を捕まえて繁栄した。子孫も本能を適度に抑制するものが生き延び、更に高度な状況判断を行えるよう神経系は発達。神経が発達すると想像力や計画性など、本能にはなかった考えが生まれ……
ついに『知性』と呼べるだけの、高度な精神性が宿った。彼女は知性を持った、最初の一個体なのである。
「ケップゥ」
尤も、知性があるからといって、その存在は特別でもなんでもない。少なくとも侵入生物にとっては。彼女も自分の『特殊性』は認識しても、それが特別だとは思わない。
事実侵入生物の生態系は、知性ある彼女をしっかり組み込んでいる。
例えば周囲を飛び回る小さな羽虫。体長〇・二ミリ〜一センチ程度の小さなイモムシ型の侵入生物が、何万どころか何百万も彼女の周りをぐるぐると周回していた。明らかに纏わり付いている。
彼女の身体から放出される、多量のエネルギーを目当てにしているのだ。彼女はただ食事をしているだけだが、その食べ物は死んだ侵入生物。異次元物質で出来た身体は頑強で、また有害な物質も含む。それらの代謝には少なくないエネルギーを使わねばならない。
そして代謝で使われたエネルギーは、熱などの形で外に放出される。再利用する種もいるが、捕食のため、戦闘能力に特化した彼女達の種はその能力を持ち合わせていない。小さな侵入生物達はこの排熱を食べに来た訳だ。
二メートル級の侵入生物を殺せる事から分かるように、彼女の力ならこの小虫達は簡単に殺せる。だが殺すにもエネルギーが必要であるし、食べてもこんな小ささでは腹の足しにもならない。排熱を食べるだけなら彼女の体力を奪う訳でもなく、総合的に考えると好きにさせるのが一番合理的である。
だが、有害でも無視せざるを得ない相手もいる。
「クジジュジュ……」
ボリボリと鋭い指先で背中を掻く。
痒み(ただし人間が感じるものとは別の、数学的情報だが)を感じたそこには、体長〇・七ミリの小さな侵入生物がいた。扁平な身体付きをしており、翅も脚もない。身体は硬質化していて、極めて頑強だ。
この単純な身体の下側には、鋭く尖った針のような口がある。これを彼女の表皮に突き刺し、体液を啜って食べている。
所謂吸血性の種だ。ノミやダニのようなものと思えば良い。彼女は掻き毟る事でこの邪魔者を排除しようとしたが、相手もこの生き方をするため進化した侵入生物。エネルギー型強制連結や重力操作を併用し、強固に張り付いていた。
彼女の指先も空間切断系の能力を纏っているが、この吸血生物の身体を切り裂くには出力が足りない。全力で攻撃すれば殺せない事はないだろうが……強い攻撃は相応にエネルギーを使う。害虫退治で使うのは割に合わないし、しかも自分の皮膚を掻き毟るのだから自傷もしてしまう。おまけに吸血生物の数が多く、全滅させるのはほぼ不可能だ。
幸い、彼女の体表面にはこの害虫を好んで食べる小さな捕食者が棲み着いている。全滅はさせられずとも、害虫が増えるのは抑えてくれるだろう。彼女自身がわざわざ体力を消耗したところで、結果は然程変わらない。放置するのが一番合理的である。
「ウギゥゥ……」
その天敵が害虫を減らしてくれるまで、痒みは我慢しなければならないが。
……知的であっても、
しかしこの過酷な生態系から抜け出す事もまた、彼女には出来ない。
その身体を維持するには多量の獲物が必要だ。高い知能にもエネルギーを使うため、身体の大きさの割には大食いである。そのエネルギーを賄えるのは十分に大きな侵入生物であり、大きな侵入生物を養うには豊富な小型の侵入生物がいなければならない。
つまりある程度生態系が出来上がった、生命が豊富な土地でなければ彼女の種は生きていけないのだ。種にもよるが、たった一体でもなんやかんや生きていける生産種の方が、生物としては余程逞しい。
例えまだ誰も手を付けていない『新天地』があっても、その新天地の生態系が十分育つまで進出は不可能だ。
彼女の同種であれば、この事実をどうとも思わない。判断力はあっても知能はないので、出来るかどうかの判断しかしない。しかし聡明な、自我を持つ彼女はこの状況を忌々しく思っていた。
誰よりも早く新天地に入り込む事は、メリットが大きい。例えば誰よりも早く子孫を増やせば、後発でやってきたライバル達を数の暴力で叩き潰せる。それに数世代でも世代交代すれば、僅かだが自然淘汰による進化・適応をしている状態だ。後からやってきた、まだ適応していないライバルと有利に戦える。
早く入り込めれば繁栄出来るのに、ライバル達も入れる状況になるまで待たねばならない……それを忌々しく思うぐらい、彼女の知性は優れている。だからこそどうすれば実現出来るか考え――――そして閃いた。
要は獲物がいれば良い。
餌として使える生産種を新天地に誘導し、そこで繁殖させる。知能で一部の侵入生物の拡大を促し、そこに便乗して自分の子孫を増やすという作戦だ。
「グジジジゥ」
掻くのを止めた彼女は、『足下』に合図を送る。
彼女がいた場所は、一体の侵入生物の背中だった。翅を生やしたイモムシ型と、体型的には最もよく見るものだが……特筆すべきはその大きさ。体長は十二メートルにも達する。
表皮は肉厚で弾力があり、ちょっとやそっとの攻撃では傷付かないほど頑強。身体の側面に鋭い棘が何本もあり、頭部は硬質化している。中々厳つい姿であるが、手足などの攻撃的形態は見られない。この大型生物はエネルギー吸収で生きている生産種であり、大きな身体は天敵対策として進化したものだ。
成体の強さは、いくら知性ある彼女でも簡単に返り討ちに遭うほど。しかし手頃な大きさまで育った幼体ならば、獲物とするのに丁度いい。
この巨大種を新天地で繁殖させれば、自分も新たな土地で子孫を残せる。彼女はそう考えていた。
そして彼女はこの巨大生産種の操り方を知っていた。厳密には動かせるよう『調教』した。背中を叩くなどして合図を送り、それが餌の場所を示すのだと学習させたのである。この巨大生産種にも知能はないが、情報解析能力は高く、何度も刺激を与えればパターンとして学習する事は出来た。
ただしあくまで統計的な記憶だ。背中の叩かれた位置に進路を取ると、エネルギーが豊富にあるという『傾向』を学んだだけ。その意味や意図は理解していない、というより理解出来ない。理解しようとする知能がないのだから。
だから行く先にあるものが空間の亀裂でも、それが危険でなければ躊躇いなく飛び込む。
その亀裂は宇宙の外へと繋がるもの。全てを無に帰そうとする虚数空間が襲い掛かるも、今の侵入生物達にとっては微風でしかない。彼女や巨大種だけでなく、纏わり付く小型種や吸血生物さえ一匹たりとも脱落せず。
難なく亀裂の先にある宇宙へと、彼女達一行は進出した。
「ウギゥウゥ」
彼女は角のように発達した触角を使い、周囲を探る。見知らぬ宇宙でまず得るべきは情報だと、聡明な彼女は知っているのだ。
大きく発達した触角の性能は優秀である。空間の歪み方や重力を感じ取り、遥か百億光年彼方も瞬時に見通す。これもまたネビオス生態系の形成、それにより高エネルギーの餌が得られるようになった結果だ。潤沢なエネルギーのお陰で、ここまで優れた情報処理能力が維持出来る。
素早い探索の結果、此処は侵入生物の支配域ではないと分かった。
新天地――――まだルアル文明が残っている宇宙だ。小さな生産種は幾らか入り込んでいるが、捕食種はまだ来ていない。
彼女の種やライバルが入り込めるほど生態系が育っていない、目論見を果たすのに丁度いい環境である。
「クキキゥゥイィー!」
彼女は喜んだ。このまま上手く事が運べば、自分の子孫をたくさん残せるがために。
侵入生物は繁殖を至上とする。
それは祖先種、いや、ネビオスが持つ根源的性質。知性を持つ彼女はその衝動を自覚していたが、抗おうという意識は持たない。人間がこれといった事情がなければ食欲や睡眠欲を我慢しないのと同じだ。強いて違いを言うなら、餓死寸前の人間が抱く食欲よりも、彼女達の繁殖衝動の方がどす黒いほどに『濃い』だけ。
そして彼女達には知性こそあれど、理性はない。自らの繁殖のためなら、どんな行為も厭わない。
「ウジウゥゥ」
彼女は乗ってきた巨大種に指示を出す。あっちに行けとの命令に、巨大種は大人しく従う。
向かわせた先には、他の生産種がまだいない宇宙の奥地。
小さな生産種がいる領域は、何もかも食い荒らされた跡地だ。餌となるものは残されておらず、捕食種が入り込んで『闘争』を行わない限り大きなエネルギーは生じない。
彼女が連れてきた大型種は身体が大きい分、生きていくには相応のエネルギーが必要だ。既に小さな生産種に乗っ取られ、尚且つ捕食種がまだいない環境では生きていけない。大型種を繁殖させるには、小型生産種が進出してなく、尚且つ大きなエネルギーの残っている場所が好ましい。
例えば彼女のいる位置から凡そ四百億光年先――――宇宙の端っこに集まっている、民間人を乗せた何百万隻にもなる避難船は手頃な『餌』だろう。
「ウジュジャアァッ!」
彼女は巨大種に対し、その避難船に向けて突撃するよう改めて指示を出す。
知性ある彼女は、避難船に乗っているのが単なる『エネルギー』ではなく生命だと理解していた。それも他の侵入生物と違い、自分と同じ、或いは自分以上の知性がある存在だと。
だがそんな事は興味もない。彼女にとって重要なのは、どうすれば自分の子孫を残せるのか。船と知的生命体を大型種に食べさせる事で、獲物となる大型種が繁殖する……その方が遥かに重要だ。
当然、知性すらない巨大種が相手の事など気にする訳もない。猛然と宇宙船目指して突撃していく。
宇宙船の大きさはバラバラで、百メートルぐらいのものもあれば、数百キロはあろうかという巨大船もあった。飛行速度も疎らで、秒速一億〜百億光年ほどと開きが大きい。大まかな傾向ではあるが、大きな船ほど速いようだ。
しかしどれだけ速くとも、秒速六百億光年で飛ぶ巨大種からすれば鈍足だ。膨大なエネルギーを頼りに『進化』し続けた侵入生物は、今やルアル文明の船さえ振り切れない力を手にした。
そして時間圧縮により体感時間も引き延ばしているため、超光速の船の動きに対応する事など造作もない。
巨大種は周囲三億光年圏内で一番大きな、全長二百キロを誇る巨大船を目標に定めたようだ。一直線に向かっている。こうなったらもう彼女でも制御は出来ない。巨大種も自身の遺伝子を繁栄させるために行動しており、端から彼女の『支配下』にはいないのだから。
迫る巨大種に気付いたのだろう。巨大船から幾つものミサイルが飛んできた。
鋭い刃を持ったドリル型をしており、爆発ではなく物理攻撃で敵を排除するタイプのようだ。侵入生物が物理攻撃に比較的弱い事から採用した防衛手段だろう。確かに昔の侵入生物相手なら、身体を粉砕して時間稼ぎは出来た。
しかし進化した今の侵入生物相手にこの程度の攻撃など通じない。ましてや天敵対策として
それで満足すれば止まりもしただろうが、こんなミサイル程度で侵入生物の腹は満たせない。巨大種は全くスピードを落とす事なく突き進み……
ついに巨大船の側面に、体当たりをぶちかます。
巨大船は最後の抵抗とばかりに時空転移シールドを張るが、巨大種は時空の歪みを一瞬で修正。船体に難なく接触した。衝突時の反動は、乗っている彼女には殆ど伝わらない。運動エネルギーも巨大種は吸い尽くしているからだ。ただ、船の『残骸』などは彼女にも降り掛かるが。
「ウギィイ……!」
巨大種と違い、エネルギー吸収能力に優れない(持っていない訳ではない)彼女は残骸の衝撃には耐えねばならない。とはいえ鬱陶しい程度で、巨大船が見舞われた悲劇を観測するのに支障はない。
巨大種と触れた瞬間、船はエネルギー吸収能力によって吸われる。その様相はまるで液体が如しであり、中にいた民間人百万人諸共一気に巨大種の一部と化す。
巨大船の持つ膨大なエネルギーは、巨大種の卵を成熟まで育む。
育った卵は即座に産み落とされた。産卵環境(天敵の有無)に問題がなければ、即座に卵を産めるのが侵入生物の強み。巨大種が一度の産卵で生む卵は凡そ十と、今の侵入生物にとっては少なく、それ故に一つ一つがとても大きい。大きな卵からは大きな、体長五十センチもの幼体が生まれ出る。それは誕生した瞬間から、大きさ相応の力が使えるという事。
誕生した幼体達は、近くにある宇宙船へと突撃。思うがままに食い漁っていく。
彼女が連れてきた大型種は、大量の宇宙船を糧にして大繁殖。これだけ『獲物』が増えれば、しばらく彼女は食うに困らない。繁殖する事も可能だろう。大型種が生きていける(たくさんの中〜大型の捕食種が
その頃になってようやく彼女と同等の……同種含めたライバルがこの宇宙にやってくる筈だ。強力な競争相手だが、先んじて進化・適応した彼女の子孫の方がこの宇宙では断然有利。競争になっても子孫達が打ち勝ち、彼女の血縁がこの宇宙を支配するだろう。
知性を持つ彼女は未来を思い描ける。約束された繁栄は彼女に『幸福感』を感じさせた。
だが未来を考えられるがために、疑問も抱く。侵入生物である彼女の思考は数学的であるため、知的といえども人間とは全く異なる感性であるが、強引に訳せば大凡こんな事を思う。
一体コイツらは、何処に向かっているのか?
他の船が巨大種に襲われても、宇宙船は振り返る事はおろか、助けようともしない。ただ逃げるだけにしても、同じ方向へと進むより、四方八方に散る方が合理的だ。合理的行動をせず、脇目も振らず向かう先に何があるのかは気になる。
試しに触角で探ってみれば、答えはすぐに見付かった。
此処から一千万光年彼方、宇宙の端とも言える領域。そこに大きな『輪』が浮かんでいる。
大きさはバラバラ。大きなものは直径一光年を誇り、小さなものは百メートルほどしかない。どれも表面はボロボロで、製造されてから相当の年月が経っているようだ。
この古ぼけた輪――――仮に『リング』と呼ぼう。宇宙船達は全てそのリングに向かっている。こうもあからさまな行動となれば、リングに何か秘密があると考えるのが自然。
「……………」
故に、彼女は観察する事にした。自分から触れに行く事はしない。もしかすると触れた瞬間に発動するトラップがあり、自分達を殺せるなんらかの現象を引き起こすかも知れないのだから。聡明で合理的な彼女の知性は、未知に対し、自分ならば助かる等という楽観を抱かない。
都合の良い事に、頭空っぽな巨大種の幼体達がリングへと突撃していく。彼女の観測でも、リングが大きなエネルギーを有しているのは感じ取れた。そのエネルギーに惹かれているのだろう。巨大種の身に起きた事を見てから動いても、遅くはあるまい。
それよりも早く、宇宙船達がリングへと飛び込むのだが。
宇宙船が近付くとリングの中心に、青と黒の二色が混ざり合った、奇妙な渦が生まれた。渦の中心は空間が歪んでいて、尚且つ奥行きがある。
どうならアレは別宇宙に繋がるためのゲートのようだ。数が多いのは全ての宇宙船が通るのに、一個だけでは時間が掛かるからだろう……彼女の聡明な知能は『渋滞』の概念を自力で想像する。
そしてリングに作られた空間の歪み方が、一つ一つ僅かに異なるのは――――異なる場所に出るためか。
どうやら脱出先は一つではなく、無数にあるらしい。少なくとも彼女が見た限り、一つとして同じものはない。
彼女に分かるのはここまで。
その先に続く宇宙が、ルアル文明にとっても『未調査』である事は、流石に知りようもなかった。
何故宇宙船は未調査の宇宙に逃げ込むのか。それは侵入生物から逃れるためだ。過去になんらかの形での接触、それこそ観測程度でも行った宇宙には痕跡が残っている。侵入生物はその痕跡を経由して宇宙間移動が出来るため、一度でもゲートを使った場所は避難場所として使えない。
そこで未調査の宇宙が避難先に選ばれた。とはいえそれは危険な賭けでもある。調査が何一つされていないため、その宇宙がどんな物理法則をしているか分からないからだ。宇宙船の動力が止まるだけならまだしも、あらゆる生命体の存在が許されないかも知れない。仮に生き長らえても、侵入生物以上の化け物が跋扈する環境という可能性もある。
だが、それでも逃げねば未来はない。
勇猛果敢か、或いは蛮勇か。もしもこの情報を彼女が知れば、合理的な判断だと思っただろう。例え九割が死滅しようと、ほんの一割が生き残れば子孫は増やせる。ならばなんの問題もない。大体そうしなければ絶滅するのだから、やらない理由がないのだ。
しかし問題がある。
別宇宙に移動した瞬間、宇宙間を通った痕跡が生じる。つまり逃げた時点で、侵入生物が入り込む余地が生じるのだ。
ルアル文明の事情をよく知らない彼女も、宇宙間の移動では自分達から逃げ切れない事は分かっている。自分より賢い生命体がそれに気付かないとも思えない。いくら追い詰められたとはいえこんな無駄な逃げ方をするだろうか?
「ウジュウウゥ……」
やはり罠ではないか。疑う彼女は注意深く、異常がないか観察する。
その疑問の答えは、いよいよ大型種幼体がリングに迫った事が明らかになった。
宇宙船の一隻がリングに飛び込むのと同時に、大型種幼体がリングに到達。他宇宙への旅立ちを恐れる個体などいない。そもそも理解している個体がいない。リングと幼体が勢いよく接触――――する直前の事である。
リングが作り出していた空間の歪みが、忽然と消えてしまったのは。
宇宙船を追っていった大型種幼体は、そのままリングの向こう側へと通り過ぎてしまう。目標が突然消えて、しかし幼体達は特段驚かない。どれだけ優れた演算能力を持とうと、侵入生物に自我と呼べるものはない。エネルギー源である宇宙船が突然消え、別宇宙への入口が消失しても、そうなったという『情報』をそのまま認識するだけ。「近くに餌はない」と判断し、すぐに別のエネルギー源へと向かう。
惟一、彼女だけはその現象の意味を考える。
「……………シュァウ……!」
そして残っていた疑問の答えに辿り着く。
リングの起動には、特別な物理法則が使われているのだ。だから自分達では通れない、と。
彼女は知らない事だが、それは『魔法』と呼ばれる現象だった。ルアル文明が接触した文明(厳密には宇宙)には魔法を使うものがあり、そのテクノロジーを応用して作られたのがこのリング――――通称『マジックリング』である。動力は勿論、空間を歪ませる方法も魔法が使われていた。
特徴的なのは、別宇宙との繋ぎ方だ。
魔法の力により繋がれた宇宙は、リングに出来た時空の歪みが境目となる。概念的置換作用により、そこだけ別の宇宙が隣接した状態を作り出すのだ。つまり他宇宙までの距離はゼロとなり、そこを跨ぐだけで宇宙間を移動出来る。元々は異世界=別宇宙の生物を召喚する魔法だったが、ルアル文明のテクノロジーと合わさり、長距離宇宙間移動の技術として発展した。
ただしこの魔法、一つ大きな欠点があった。
空間が歪むと安定性を欠き、接続が切れるという『事故』を起こしやすいのだ。困った事に空間というのは重力で歪む。つまり大質量の物体(といっても惑星や恒星質量ほどは必要だが)は、マジックリングを通れない。
他にも精度が低い、出力が安定しない、これといった原因がないのに故障する……など細かい問題が山積み。より安定的で大質量物体が通れる、今のゲート理論が発展した事で衰退してしまった。
重要なのは、この技術は『道』を作る訳ではないという事。
マジックリングは目的地と直接繋がる。いや、繋ぐというのも厳密には違う。境目の向こう側が目的地だと、概念的に置き換えているだけ。概念が消えれば繋がりは失われる。
道は最初からない。つまり痕跡なんてものはなく、マジックリングの魔法が消えるのと同時に目的地との行き来が不可能となる。
そしてこの魔法は、侵入生物には使えない『説明不能』の力である。
侵入生物は進化の結果、説明不能の力を常に無力化している。宇宙全てを消滅させられるタナトスの力だけでなく、全知全能の創世神の力さえも例外とはならない徹底ぶりだ。マジックリングの魔法はその二つと比べるまでもないほど貧弱だが、説明不能には違いない。侵入生物が近付くだけで魔法は霧散し、別宇宙との繋がりは消えてしまう。
通り抜ける方法があるとすれば、量子ゆらぎ操作の力を止めるぐらいか。魔法が消えてしまうのは量子ゆらぎ操作の結果、周囲の法則に『説明不能』の力が張り込めないからだ。それさえしなければ突破出来る可能性は高い。
だがそれは不可能だ。量子ゆらぎ操作によって引き出すエネルギーがなければ、侵入生物は時間を歪める事も、超光速で動く事も出来ない。それどころか肉体を形作る異次元物質は、量子ゆらぎ操作なしには生成はおろか維持すら出来ない代物。量子ゆらぎ操作を止めれば身体が崩壊してしまう。
自分達の『強さ』を逆手に取られた形だ。これは流石にどうにもならない。
「ウゥシュウゥ……!」
彼女は唸る。
宇宙船を追えないと困る、という事はない。ルアル文明の領土は間もなく全て侵入生物のものとなり、数え切れないほどの宇宙で栄えていく。この宇宙で繁殖した彼女の血縁も、いずれは見知らぬ宇宙にも進出出来るかも知れない。
ルアル文明が逃げ込んだ宇宙に拘る理由はない。だが新天地に行けば、今回のようにまた多くの子孫を残せるかも知れない。
それを知りながら見逃すなんて、彼女には我慢ならなかった。
「……ッ!」
故に彼女は思索する。
何かあのリングを動かし、その先に行く手立てはないのか。電子機器を上回る演算能力を、自らの思考能力を最大限働かせる。
そして、一つの方法を閃いた。
この方法ならば、時間は掛かるが宇宙船の後を追える。この宇宙とは異なる別の宇宙へ、自分の遺伝子を拡散させられる筈だ。とはいえ今すぐは出来ない。というより何時出来るか分からないので、かなり気長に待たねばなるまい。恐らく自分とその子孫では無理だと彼女は思っている。
一番の問題は……頭が空っぽな巨大種の幼体は、次々とリングを食べている事。折角閃きが実現しても、マジックリングが一個も残っていなかったら作戦はお終いだ。
「……キシュアアッ!」
威嚇の声と共に、彼女はマジックリングの一つへと飛んでいく。
ルアル文明よりも遥かに厄介な侵入生物達から、ルアル文明が遺した最後の文明の産物を守り抜くために――――
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