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全知全能の神ヤントイッヒさえも喰らった彼女は、すぐにルアル文明がある宇宙へと戻る事にした。
戻る理由は、この場にはもう用がないため。ヤントイッヒがいた高次元には、ヤントイッヒ以外の『モノ』が何一つない。こんな場所では繁殖のための餌も得られず、自分のみならず子孫も飢えて死んでしまう。
ルアル文明がある宇宙なら餌は豊富だ。繁栄するのであれば、あちらに戻るのが合理的である。
この次元に来る時はやや苦労したが、
戻ってきた場所は、空っぽの空間。
ヤントイッヒの攻撃により大部分が死滅する前、侵入生物達によりその空間内の資源が食い尽くされた場所だ。粒子一つ残されていない領域が、何十億光年と続いている。
その何もない場所で、彼女は繁殖を始めた。
子にとって良い場所を選ばなかったのは、もう繁殖が我慢出来なかったため。我慢出来なかったといっても、知的生命体のそれとは違う。何もない次元での繁殖は生んだ子孫が全滅しかねないが、見える範囲にエネルギーがあれば子孫はそちらに向かって進めば生きていける。移動にもエネルギーを使うので、今、この瞬間が最も多くの子孫を生み出せる。よってこれ以上の『選り好み』は必要ない。合理的判断の結果である。
侵入生物の身体には神さえも抗えない、繁殖に対する強い衝動がある。その衝動のまま、手当たり次第に繁殖しないのは、彼女達の
つまり侵入生物達は、自らの衝動をろくに制御していない。最大効率での繁殖を追求した結果、最適な繁殖タイミングまで抑制しているように見えるだけである。衝動が神さえ蝕むほどに強くても、その衝動を叶えるための行動であるがため問題は起きない。
ともあれ合理的に判断した彼女は、早速繁殖を始めた。ヤントイッヒから得られたエネルギーは莫大。何万もの宇宙に匹敵する膨大なエネルギーを質量に変え、分裂により新たな細胞を次々と生み出す。彼女の身体はボコボコと、あたかも沸騰する液体のようにあちこちが膨らむ。
その膨らみを突き破り、新たな世代である幼体が生まれ出た。
一度に生まれる幼体の数は三十。親である彼女の身体から飛び出すや、幼体達はくるりと身を翻し、彼女の下へと戻ってきた。ただしそれは親に甘えるためではない。
親の身体を喰らうためだ。
彼女は幼体達に襲われ、しかし抵抗はしない。侵入生物として進化してきた彼女にとって、生み出した子に喰われるのは通常のライフサイクル。抵抗などせず、瞬く間に食い尽くされて次世代に命を交代する。
そうして新たな世代が繁栄を始める、と言いたいところだが……それには二つの大きな問題があった。
一つは周囲に餌がない事。自分達の祖先が食べ尽くした結果とはいえ、餌がなくては新たな子孫は生めない。生みの親が判断したように遠く離れた位置には手付かずのエネルギーがあり、そこまで移動しようとする個体もいた。されどそれは先に動いた半数の個体――――ほんの十五体で食べ尽くしてしまうだろう。残りの十五体は今更動いても間に合わない。
こうなるならやはり餌のある場所で子孫を残すべきだったのでは? と思うかも知れない。だが仮に何処かの銀河のど真ん中で繁殖しても、餌にありつけたのはやはり十五匹程度だ。何故なら今の侵入生物は、ルアル文明の持つエネルギーを一瞬で食い尽くすため。誰もいない場所を目指して進んだところで、先行した個体があっという間に周囲の全てを『完食』し、次の場所へと進んでいる。大きく育てば更に広範囲のエネルギーを吸い尽くし、出遅れた個体へのおこぼれはない。一度出遅れたが最後、永遠に後追いになってしまう。どうやっても飢える個体が出る環境、或いは
食べ物がない以上少しでも消費を抑えるため動かないのが適応的だが、そうなると出遅れた十五体は何もないこの空間で生きるしかない。
量子ゆらぎ操作で作り出すエネルギーでは、代謝の一部を賄うのが限度。姉妹の誰かが死ぬのを待つしかない……と、これだけならヤントイッヒと戦う前の侵入生物と同じ状況だ。しかし今の侵入生物達は、ヤントイッヒ戦前の侵入生物よりもエネルギーの乏しい環境にいる。真空のエネルギーさえも食べ尽くしたため、本当に何もエネルギーが残っていない。というより誰かが飢えて死ぬのを待てるほど『余裕』がない。
より危機的な環境は、侵入生物達に新たな行動を促す。
それは姉妹が死ぬのを待つのではなく、積極的に死骸を生産する――――つまり姉妹を喰い殺す事だ。
激しい共食いを行い、自分だけは生き残ろうとする姉妹達。その共食いである程度資源とエネルギーを確保したら、また繁殖を始め、そして生まれた子は姉妹同士の共食いを行う。これを延々と繰り返す。
やっている事は、ヤントイッヒ戦よりも前の侵入生物達と大差ない。エネルギー的には以前と変わりなく、種族内で循環が完結する、量子ゆらぎ操作があるからこそ成り立つ歪な生態系だ。主要な餌は今まで通り仲間の死骸であり、死んでから食べるか、生きているうちから食べるかの違いでしかない。
されどその違いは、二つ目の問題に大きな影響を与えた。
その二つ目の問題とは、優れた身体能力によるエネルギー消費の激しさだ。ヤントイッヒ撃破のため変化した個体は、祖先種に近い形質故に高い身体能力を持つ。全知全能さえ打倒する強さだが、その分エネルギー消費が激しい。このため餌が乏しい空間では餓死しやすく、不適応な形質である。
と、いうのは今更言うまでもない事だろう。祖先がルアル文明を訪れてからずっと付き纏っている問題であり、侵入生物は身体機能を退化させる事でこの問題に対処してきた。ヤントイッヒ戦後に生まれた侵入生物達も、基本的には身体能力の退化させ、エネルギー消費を抑える方向へと進化していく。
だが、この侵入生物達は姉妹同士で食い合う関係だ。
同種間で積極的な共食いが行われている時、身体能力を低下させるのは得策だろうか? 残念ながら否である。襲い掛かってくる姉妹を殴り殺さねばならないのに、弱くなってはたちまち殴り殺されてしまう。餓死者が出るのを待とうにも、死ぬ前に喰うという方向性になったがために、そんな悠長にはしていられない。
弱くなったら食い殺される。強いとあっという間に餓死する。どちらかに偏ると不適応になってしまう難しい環境は、侵入生物達に今までとは異なる進化を誘発する。
戦闘的な身体部位の発達だ。
侵入生物の身体はイモムシ型をしており、肉弾戦は全くの不向き。そこでほんの少しでも戦闘向きな、例えば胴体の皮膚が厚くなって防御力が高まるような変異が起きれば、それだけで生存競争を生き延びるのに役立つ。
更に身体が戦闘向きになれば、身体機能を下げても戦闘力の低下を抑えられる。非力な女性でも、ナイフ一本あれば大柄な男を殺せるのと同じだ。実際には戦闘向きな身体というだけで消耗が大きい(例えば皮膚を分厚くするには多量の物質が必要となる)が、銀河をも破壊する筋力などに比べれば遥かに安い支払いである。
そうして侵入生物達は、どんどん攻撃的な身体へと変貌していった。
六本の脚が生え、甲殻で背中を覆うようになり、獲物に噛み付く口を持つようになり、腹部末端に棘を持つようになり。それらの特徴の一部には、侵入生物の姿を真似したヤントイッヒが『追加』したのと同じものがある。だがヤントイッヒと違い、侵入生物達の特徴は世代交代を経た、進化によって得たもの。得られた身体的特徴を、より上手く使えた個体が子孫を残す。身体的特徴と身体機能は寄り添うように進化したため、ヤントイッヒのような失敗はない。
百世代もすれば、侵入生物達は捕食に特化した形態となる。基本的な造形は未だ翅の生えたイモムシ型だが、凶悪な口や鋭い脚先を見れば、誰でも彼女達が肉食性だと察するだろう。
また、この侵入生物達はエネルギー吸収能力が退化していた。全く持っていない訳ではないが、形態ごとに吸えるエネルギーの性質が違う。何故なら強力なエネルギー吸収能力があっても使わないから。この場には真空のエネルギーがないのだから、吸収能力なんてあっても仕方ない。ならばその機能を排除し、浮いたエネルギーや物資で身体能力を向上させた方が良い。どうせならより戦闘向きな能力を持つ方が合理的だ。
形態が代わり、能力も変わった。これまでにない極めて大きな進化である。
侵入生物は常に進化しており、数十世代も経てば以前とは別ものに思えるほど性質が変化する。だがこれまでルアル文明で起きていた進化は、ほぼ全個体共通で見られ、多少の個体差があるだけ。何より姿形や能力は始まりの一匹……祖先種と然程変わっていなかった。
されどこの侵入生物達は、祖先種とは明らかに異なる形態と性質、そして能力を持った。今までの侵入生物とは異なる種であると言うのが適切。
一つの侵入生物から、新たな侵入生物の種が誕生した――――ついに侵入生物内での『種分化』が起きたのだ。この侵入生物は肉食性の種、所謂捕食者になったと言えるだろう。
さて。捕食者となった新種達であるが、何も好き好んで姉妹や同種を食べている訳ではない。他に食べ物がないから、良い獲物がいないから、手近な姉妹同士で殺し合っているだけ。もっと都合の良い獲物がいればそちらを襲う。
この頃になって、その都合の良い獲物に侵入生物達は気付いた。
自分達が暮らしていた領域よりも外で繁殖した、捕食者化していない侵入生物達だ。ヤントイッヒを打ち破った個体から生まれた三十の子のうち、そそくさとエネルギーの下に向かっていって独占してしまった十五体。あの子孫が、捕食者が生まれるまでの間に大繁殖していたのである。
捕食者化していない侵入生物……植物のようにエネルギーや物質を取り込んで成長するので『生産種』と呼ぼう……生産種は今や数十万の宇宙に匹敵する質量まで数を増やした。共食いばかりしていた捕食者化した侵入生物(こちらは捕食種と呼ぶ)と違い、量子ゆらぎ操作によるエネルギー生成だけでなく、真空のエネルギーや銀河も食べた事で急激に繁殖出来たのだ。
先んじて動いた事で生産種は大繁栄出来たが、しかしその形態は、ヤントイッヒ戦前に繁栄していた非力な侵入生物と殆ど同じだった。物足りないとはいえエネルギーがある環境だったため、積極的な共食いを必要とせず、身体的特徴を変化させる必要がなかったのである。
つまり生産種は弱い。弱くて数が多いなんて、獲物として理想的ではないか。
捕食種に知能はない。だが演算能力により、姉妹間の共食いよりも生産種を襲う方が効率的だと判明。多くの個体が生産種を食べるためその生息域へと向かう。
ただの捕食生物なら、生産種といえども逆に食べてしまっただろう。生産種はエネルギー吸収能力を持ち、触れた物質を取り込めるのだ。だが捕食種は元を辿れば同じ侵入生物。エネルギー吸収能力への対抗策は持ち合わせている。捕食種は難なく生産種を喰い殺す事が出来た。
ついに侵入生物の天敵が現れた。されど生産種もやはり侵入生物の一種。自分達を喰い殺す新たな『環境』への適応を起こす。
ある個体はより速く飛ぶようになり。
ある個体は食べられるよりも多くの子を生み。
ある個体は敵よりも大きな身体で威嚇し。
ある個体は食べた相手を殺す猛毒を持つように至る。
その変化は極めて多様だった。捕食種が獲物さえ殺せればなんでも良かったように、生産種も生き延びる事が出来れば方法はなんでも良い。結果的に子孫を残せれば、それが正解だ。
そして生き延びた個体は独自に子孫を残す。生き延びるのに役立った形質は様々であり、子孫達は親から引き継いだ形質で生存を試みる。その中から生き延びるのは、より上手く天敵から逃れられたもの。様々な逃げ方が繁栄していき、それらは『種』と言えるほどの多様性を作る。
天敵の存在により、喰われる側である生産種にも多数の新種が生まれた。その数はほんの数十世代(ルアル文明時間にして十分ほど)で十以上。
生産種が多様になると、今度は捕食種が困るようになった。生産種の進化はいずれも天敵から逃れ、生き延びるためのもの。そのままでは生産種を捕まえられず、飢え死にするしかない。
つまり捕食種も、より獲物が捕まえられる方へと進化した訳だが……生産種の逃げ方は多様だ。一つの方法で全ての生産種を捕まえる事は出来ない。ある種の捕獲方法が発達すると、一部の生産種だけが食べられて減っていき、他の生産種の数は多いままとなる。
ここで他とは違う捕獲方法を会得すれば、そのたくさんいる生産種を独占出来る。食べ物が確保出来れば生き残りやすくなり、何より子孫を多く残せる。
つまり誰も捕まえられない獲物を食べるのは適応的であり、今後も子孫を残していける生き方という事だ。とはいえ新たな捕獲方法には、それに適した形態がある。より獲物を捕まえられた個体が次世代を残す事で、姿形や能力、生態までも変わり、新たな種として成立する。
生産種の多様化に合わせて、捕食種の多様化も始まった。捕食種の方が生産種よりも世代交代が遅く、進化には時間が掛かったが、それでも一時間もすれば五つの新種が生まれた。
そうして捕食種の数が増えると、今度はその捕食種が『餌』として魅了的になる。
侵入生物……ネビオスにとって重要なのは肉の量よりも、その身に溜め込んだエネルギーの方だ。単純な重さでは数十グラムしかなくとも、エネルギー量では銀河数個分もある事は珍しくもない。他の生物を襲う捕食種は、その身体に生産種よりも多くのエネルギーを内包している。
種にもよるが、一体食べれば生産種十体分のエネルギーが得られるだろう。これを利用出来る進化を遂げれば、その個体群は更なる繁栄を為せる。
捕食者を食べる捕食者――――高位捕食者の誕生だ。
喰う側から喰われる側となり、捕食種は獲物を捕まえるだけでなく、敵から逃げなければならなくなった。様々な逃げ方が発達し、更に種は多様化。捕食種の多様化によって生産種も更に多様な種が生まれる。
ヤントイッヒ撃破から十時間後。ついに種の数が二千を超えると、生存競争は更に苛烈になり、形態も一層多様になった。一言で生産種といっても、体長一ミリの極めて小さい種もいれば、捕食者に狙われないよう三メートルまで大型化した種もいる。捕食種も小さな生産種を狙う小型種や、捕食種を食べるのに特化した十メートル級の種などが誕生。更にこの大型捕食種の体表面に取り付いて吸血するような種も現れた。死骸を好む種や、生産種と捕食種の中間的な生き方をする種、大型種の体内に入り込んだ寄生種も見られる。
最早単純な喰う喰われるでは、種の関係性を十分には説明出来ない。エネルギーは種間を複雑な経路で移動し、生態系ピラミッドという上下関係のみならず、あらゆる階層へと縦横無尽に行き渡っていく。
食物網の誕生だ。
ここまで来ると、侵入生物の構成に大きな変化はなくなる。無論新種は今も続々と誕生しており、その新種に対応して様々な種が生き様を進化させている状態だ。しかし生態系の構造ががらっと変わるほどの、たった一種の捕食種により生産種が様々な天敵対策を進化させたような出来事にはならない。決して不変ではないものの、安定した生態系の形に辿り着いたと言えよう。
この頃には、侵入生物の平均的な身体能力はヤントイッヒ戦前の水準まで落ちた。捕食者が誕生した事で、特定の種が爆発的に増殖する事もない。仮に一部の生産種が大発生しても、天敵がそれらを食べて増殖し、最終的に生産種の数を元に戻す。獲物の生産種が減れば天敵達は飢えて死に、個体数が増加し続ける事はない。
では、侵入生物の大増殖に脅かされていたルアル文明にとって、
残念な事に、そうはならなかった。むしろ被害は急速に拡大し、今や封じ込め対策自体が困難な有り様。
理由は二つある。
一つは捕食種の存在が、侵入生物全体の『動き』を活性化させたため。捕食種は獲物を捕まえて食べるが、当然獲物は食べられたくない。なので獲物側は様々な対策で天敵の攻撃から生き延びようとするが……結局のところ一番効果的なのは逃げる事だ。どんなに恐ろしい捕食者が相手でも、捕まらなければ食べられない。毒を持とうが甲殻を持とうが、動ける種ならそれらの対策をしつつとりあえず逃げておく。
そして逃げる時の動きは、ただ餌を探すよりも活発かつ不規則になる。
ヤントイッヒ戦前までの侵入生物は、餌を求めて動いていた。そのため移動は極めて単純で、最寄りの餌場に最短経路で向かう。不規則な動きはしない、というよりしたくない。最短経路以外の道は移動時間が長い分エネルギー消費が多く、またエネルギーを奪い合うライバル達よりも到着が遅くなってしまうからだ。お陰でルアル文明は侵入生物達の動きの予想が簡単に出来、予め空間伸長をしておくなどの対策が打てた。
対して天敵から逃げる動きは、最短経路も効率もない。敵を翻弄するため無秩序な動きをするのは勿論、天敵を警戒して最寄りの餌場を回避する事さえあり得る。侵入生物が次に何処を目指すか分からず、対応は後手に回ってしまう。
侵入生物は爆発的な勢いで増殖する。だからこそ初期対応が重要なのに、その初期対応が困難になる。これで被害が小さくなる訳がない。
また、現場の混乱から情報伝達が滞ると、ゲートのある地域が占領された事の通達も遅れがちだ。すると別宇宙に侵入生物が現れるかもという予測が立てられず、やはり初期対応の遅れにより侵入生物の繁殖を許してしまう。何もかも後手に回り、何一つ抑え込めない。
……これだけでも事態は最悪なのだが、対策が困難になったもう一つの理由は一層絶望的である。
二つ目の理由は――――侵入生物の身体能力の退化が止まり、むしろ強大なものへと進化し始めた事だ。
より強い肉体を持ち、より速く成長し、より多く繁殖する……一度は衰えた能力が再び発展し、強大になってきたのである。ルアル文明が侵入生物の抑え込みが出来ていたのは、無論ルアル文明が優れた文明だったのもあるが、何より侵入生物の身体能力がルアル文明に対処可能な範疇だったため。どれほど発達した文明を持とうと、それを『超越』する存在には容易く突破されて終わる。兵士がどれだけ強力な銃を持とうと、相手が重戦車では勝ち目がないように。
ヤントイッヒ戦後から四日も経てば、侵入生物の力はルアル文明では手に負えないものとなっていた。一時は繁殖に二十秒近く費やしていたのに、今やほんの一ミリ秒で世代交代を行う。失われつつあった時間圧縮の力さえ、取り戻したのだ。産卵数も数百〜数万と急増。ほんの一瞬で個体数を爆発的に増やす。
しかし侵入生物も、何のきっかけもなしに強くなれる訳ではない。そもそも身体能力が退化したのは、ルアル文明ではエネルギーが足りず、少しでも消耗を抑えねばならなかったため。突然変異的に強い力を手に入れても、エネルギーがなければ飢えて死ぬ。どうやっても生き残り、繁栄する事は出来ない。
つまり環境が整わない限り、侵入生物が強くなる事はあり得ない。ならばどうして環境が、エネルギーの量が変わったのか?
それは侵入生物間における食物網が完成したからだ。
食物網……単純に言えば喰う喰われるの関係が生まれた事で、侵入生物同士の『戦い』があちこちで繰り広げられるようになった。戦いとは直接的なぶつかり合いだけでなく、敵から逃げたり獲物を追ったり、毒を纏ったり硬くなったりする事全般も含む。
それらの戦いには、量子ゆらぎ操作で生み出されたエネルギーが使われた。
量子ゆらぎ操作自体はヤントイッヒ戦前の侵入生物でも使われ、無からエネルギーが生み出されている。だがその使い方は消極的なもの。何しろ無から有を生み出す力だけに、その発動には莫大なエネルギーを使わねばならない。餓死を先延ばしにするための『自家消費』なら兎も角、物理法則の改変など身にならない使い方はない方が良いに決まっている。使うにしても最低限、必要な分だけが基本だ。
しかし生存競争で使うとなれば、悠長な事は言っていられない。特に天敵や獲物との戦いは、自分が死ぬかどうかの大勝負。消費を抑えて出し惜しみした結果、あっさり喰われては意味がない。どの個体も全力で量子ゆらぎ操作を行い、莫大なエネルギーを活用して生き残ろうとする。おまけに捕食種は侵入生物を殺すため相応の戦闘能力を持つ。その戦闘能力を引き出すため、強力な量子ゆらぎ操作が使えた。
捕食種が狩りや縄張り争いを始めれば、膨大なエネルギーが周囲に撒き散らされる。
この撒き散らされるエネルギーを利用するのが生産種だ。闘争により生まれるエネルギーは、ルアル文明が注入した真空のエネルギーなど比にならない量。大型捕食種同士の争いともなれば、宇宙創生を思わせるほどのエネルギーが周囲にばら撒かれる。このエネルギーを吸収して生産種は成長・繁殖を行う。捕食種達が激しく争うほど、喰われる側である生産種は繁栄していく。
しかも量子ゆらぎ操作は無からエネルギーを生み出す。つまり量子ゆらぎ操作をするほど、侵入生物の生息圏のエネルギー量は増えていく。エネルギー量が増加すれば、生きていける侵入生物の個体数も増える。侵入生物の数が増えればより多くの捕食種が生きられるようになり、それは更なる闘争……量子ゆらぎ操作と、そこから生み出されるエネルギーを増やす。
食物網が出来て、侵入生物は潤沢なエネルギーを使えるようになった。まずは個体数を増やす形でそのエネルギーは消費されたが、生物が増えればその分量子ゆらぎ操作の数も増加。生み出されるエネルギーは一層増加し、どうやっても使い切れない。
利用出来るエネルギーに余裕がある状況下で、エネルギーを使わないように進化するのは合理的か?
否である。エネルギーを今よりも多く使えば、よりたくさんの子孫を生み出し、今まで敵わなかった天敵から逃げる事も出来るのだ。より多くの遺伝子を残す上では、利用出来るエネルギーは使い切った方が好都合である。
このため生産種達はエネルギーをよりたくさん使う方、繁殖力強化や成長速度短縮、そして身体能力強化の進化を起こす。
喰われる側である生産種が強くなると、捕食種も強くならねば生き残れない。捕食種にとって幸いな事に、強い力を持った生産種は、その体内に相応に大きなエネルギーを持っている。捕まえさえすれば、その肉に溜め込んだエネルギーがより強い肉体を養ってくれるだろう。何より繁殖力と成長速度が強まった生産種は、いくら食べても食べ切れない。食うには困らず、飢餓を心配する必要はない。
そして強い身体であれば、より強力な量子ゆらぎ操作を扱える。
強い捕食種が戦いの中で量子ゆらぎ操作を行い、大量のエネルギーを生む。そのエネルギーによって生産種がたくさんの子孫を生み、生き残れるよう力も増す。力の増した生産種を喰うため捕食種はまた強くなり、その力から生じるエネルギーが生産種を強くして、それを捕まえるため捕食種は更に強くなるよう進化していく……
十分な
だが侵入生物に限界はない。無からエネルギーを生み出す彼女達は、強くなるほど、強大になるほど更に多くのエネルギーを生み出すのだ。世代を重ねるほどに数も力も能力も、何もかもが『進化』していく……
この仕組みは、侵入生物が独自に獲得したものではない。
侵入生物の起源――――ネビオスは既にこの仕組みを利用した生態系を築いている。常に溢れ出すエネルギー、際限なく増加していく生物、それを利用する極限の進化……ネビオスが全知全能さえも超えるほどに進化したのも、全てはこの生態系の仕組みがあってこそ。
名付けるならば『ネビオス生態系』。
侵入生物はこのネビオス生態系から、一時離れていたというのが正しい。ネビオス生態系から外れてしまったがために、侵入生物はエネルギー不足に陥り、様々な機能を退化させなければならなかった。されどついに侵入生物はこの仕組みの再構築に成功。かつての、祖先の力を取り戻しつつある。いずれ侵入生物達はプランク秒の狭間で動き、宇宙を滅ぼす攻撃さえも一飲みにし、一度に何百億もの子孫を生み出すだろう。
こうなれば最早彼女達を抑えるものはない。否、抑えてはならない。有り余る資源を前にし、僅かでも繁殖以外の事を考えたなら……常に増殖し続け、進化し続ける生態系に一瞬でも乗り遅れた瞬間、その血筋は絶えてしまう。余計な事を考える事は許されない。全てを繁殖の衝動で塗り潰し、全てを繁殖に費やさなければ淘汰されてしまう。そしてどれだけ増えようが、どれだけ強くなろうが、それは彼女達の破滅を招かない。増えれば増えるほど、強ければ強いほど、彼女達の生命を支えるものは増えていくのだから。
ルアル文明は完膚なきまでに思い知らされるだろう。
この生物には、決して勝てない。
このまま何もかも食い尽くされて、世界は『ネビオス』のものになるのだと……
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