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 侵入生物達は繁殖を続けていた。

 祖先が辿り着いた最初の宇宙は、タナトス族との戦いから四日目にして十五の銀河が侵入生物の身体に。ゲートの痕跡を利用して移動した先の宇宙の数は百六十万個を超えており、流石に対策の普及から増殖速度は落ちたが、確実に勢力を広げている。対応が後手に回った一部宇宙では、六割近い範囲が食い尽くされた。ここまで被害を受けると政府機能が停止し、住民の避難誘導で手いっぱい。最早侵入生物を抑える余裕はなく、侵入生物達は自由な繁殖を謳歌出来る。

 侵入生物の総質量(細胞内のエネルギーを除いた純粋な質量)は、今では平均的な宇宙個分相当に達している。進出した宇宙の数よりも遥かに重たいのは、ルアル文明の文明宇宙では真空のエネルギーなどが空間に『追加』され、総エネルギー量が一般的な宇宙よりも遥かに重いため。それと量子ゆらぎ操作により創られたエネルギーの加算も忘れてはならない。侵入生物の総数が増えればそれだけ量子ゆらぎ操作も活発になり、無から生み出されるエネルギーも増加し、それが更に侵入生物を増やす。

 壊滅的被害を受けた宇宙は数百個程度であるが、封じ込めに成功した宇宙でも、侵入生物の支配域は徐々に拡大している。その支配した場所から次の宇宙に入り込み、そこでまた繁殖し、更に次の宇宙へと飛び立つ。

 駆除方法が確立していない以上、個体数の減少はない。侵入生物達の繁栄は、これから更に加速し、長く長く続いていく。

 ――――尤も、数学的思考をするだけで自我などない侵入生物に、そんな事を考える個体はいないが。いたところでそもそも種族の繁栄などどうでもよく、自分の遺伝子を増やす事以外に関心がない。

 だから侵入生物達は、これまでの暮らしを続ける。そしてそれだけで、今まで通り更なる繁栄を得られただろう。

 この瞬間、正体不明の力に襲われなければ。

 予兆は、少なくとも侵入生物達に感じられるものはなかった。何処から力がやってきたかも分からない。しかもその力は、数多の宇宙に拡散しているに襲い掛かる。

 受けた力の形質は『消滅』。

 跡形もなく、存在そのものを消そうとする力だった。それも情報すら残さず消そうとするほど圧倒的な出力である。情報の消失とは、単に姿形が消え失せる事ではない。そこにいた、それまでいたという『記録』さえも消えてしまうのだ。星を喰らったという実害があったにも拘らず、何故そうなったのかさえ、誰にも……その光景を見ていた被害者であっても分からなくなる。

 量子ゆらぎを用いた物理法則の改変もあるため、特殊な能力であれば簡単には通らない。タナトスが使う能力のような、『説明不能』な力となれば一切通じない。だがこの力は、侵入生物達も使う物理法則を基軸にしている。これは流石に無効化するのは困難だ。耐性や持ち前の能力でどうにかするしかない。

 それなのに襲い掛かってきた力は出鱈目なまでの……宇宙の一つ二つが消し飛んでも有り余るほどの出力を有している。どれだけ高度な守りを持っていても、こうも圧倒的な力でゴリ押しされると、流石に防ぎきれない。それは侵入生物であっても同じだ。 

 この攻撃により、大繁栄していた侵入生物達の四割が跡形もなく消えた。エネルギー保存の法則すら無視して、何も残さずに消滅したのである。

 しかし全滅はしていない。

 生き延びた個体は消滅の力に対し、消えた個体よりも強い耐性を有していた。その耐性は『量子ゆらぎを操る』力そのもの。宇宙の誕生と同じ機能を持つその力は、消滅とは真逆の『創生』の力である。他よりも強い創生の力によって、消滅の力から辛うじて逃れられたのだ。

 六割の生き延びた個体達は、動きが活性化。情報ごと消え失せたため仲間がやられた事にどの個体も気付いていない(そもそも気付くほどの知能もない)が、自分の受けた攻撃が極めて強烈なものなのは本能的に認識した。何かしらの対処をしなければ不味いというのも、本能で分かっていた。

 全ては本能的衝動のまま、侵入生物は力に対抗する。

 まず侵入生物達は、力が何処からやってきたかを探る。触角を振り回し、全方位を探知した。だが、力が流れたであろうルートは見付からない。

 十一次元全ての座標を観測しても、全く位置が掴めないのだ。位置が分からなくては攻める事も逃げる事も出来ない。観測する向きが悪いのかとばかりに侵入生物達はあちこちを飛び回るが、やはり力は何一つ感知出来ず。

 そうこうしている間に、二度目の力が押し寄せてきた。

 『消滅』という性質は変わらないが、先程よりも強烈な一撃だ。この攻撃により、残る個体の三割が消え去る。最初よりも被害は少ないが、しかしそれでも大打撃。二回の攻撃により、彼女達は全個体の半分まで数を減らしていた。

 近くの餌を食べて増殖を始めようとする個体もいるが……ここまで繁殖する中で、侵入生物達はあらゆるものを食い尽くしている。真空のエネルギーさえも空っぽなのに、都合よく残っているものがある訳もない。そして情報自体が消えたため、消滅した仲間の死骸はない。量子ゆらぎ操作でエネルギーは生み出せるが、これだけでは基礎代謝も賄えない。餓死を防ぐための時間稼ぎが限度だ。

 何より繁殖に必要な最短時間である十八秒が経つ前に、三度目の力が襲来。二撃目を更に大きく上回る攻撃により、残りの半分の個体が跡形もなく消滅した。

 三度の攻撃を受けるまでに掛かった時間は、十秒も経っていない。だというのに、彼女達は攻撃開始前の四分の一近くまで数を減らした。未だ質量換算で宇宙一千二百五十万個分を誇るが、これ以上強力な一撃が来れば果たしてあと何度耐えられるか……

 しかも世代交代がまだろくに出来ていない。進化というのは新しい世代が生まれ、その世代の大部分が淘汰され、生き残った個体が繁殖し、より環境に適応した個体群が形成される過程を指す。だから何はともあれ世代交代を行わなければ、進化は起きようがない。

 ルアル文明と接触してから、侵入生物達は幾度となく攻撃を受けてきたが……此度のものは一味違う。瞬く間に追い詰められ、絶体絶命の情況と言うしかない。

 その絶望的情況が、侵入生物の『行動』を引き起こす。

 周辺の個体密度がごく短期間で急減した。攻撃者を探す過程でその情報も得ていた侵入生物達は、極めて強大な天敵が現れ、事を本能的に察知する。

 侵入生物のみならず、祖先種含めた全てのネビオスは極めて自分本位の生命体だ。自分の子孫を残す、いや、自身の遺伝子を増やすという衝動で活動している。知性を持たない祖先種や侵入生物達に至っては、それだけが行動指針と言うのが正しい。故に自分達の種が栄えるかどうか、或いは種にとって有益かという判断基準や適応はない。栄えたいのは自分の遺伝子であって、種ではないのだ。むしろ繁栄の邪魔になるなら同種だろうと『排除』する事も厭わない。

 しかし種そのものが危機を迎えているのなら、恐らくは自分もその危機から逃れるのは困難だ。自分の遺伝子が絶えてしまうのはネビオスにとって最も忌むべき展開。それを避けるためなら、文字通りなんだってする。今まで殺し合った相手だろうが、自分を見捨てた姉妹だろうが、そんな事はどうでも良い。利害の一致した存在が近くにいるのなら、それらと助け合う事は

 だから侵入生物達は、生き延びた全ての仲間達と協力する事にした。

 誰かが叫んだ。叫びと言っても身体を満たすエネルギーの波動であり、声ではない。されど空気のない宇宙空間では、エネルギーの叫びこそが伝わる。更にこのエネルギーは空間位相跳躍という伝達方法を用いており、光速など比にならない速さで広まっていく。

 叫びを受け取った侵入生物達は、叫びを上げた個体目指して動き出す。宇宙間を行き来するのに使った亀裂からも、僅かだが叫びのエネルギーは伝わる。別宇宙にいた個体群も動き出し、続々とその一体に向けて集まり始めた。

 とはいえ流石に拡散し過ぎたため、短時間で全てが集まる事は出来ない。それに次の攻撃が始まるまで精々数秒しかないため、秒速六億光年で飛び回る侵入生物達でも、今すぐ集結出来るのは精々四十億光年の範囲内のものだけ。

 しかし集まればその分、局地的な量子ゆらぎ操作の力は強まる。強い量子ゆらぎの力は消滅の力を打ち消し、生存する個体の数を増やす。そうして稼いだ時間で更に多くの個体が集まり、また量子ゆらぎ操作の力が強まっていく……

 どうにか数分の時間を稼いだ事で、生きている侵入生物の大半が一ヶ所に集結した。存在座標をなどの方法も用い、銀河一つ分程度の範囲に、宇宙十万個分相当の質量の個体が渦巻く。途方もない数だが、攻撃を受ける前までの個体数からすればあまりにも少ない。

 この段階で、これまで受けてきたものより更に強力な消滅の力が迫る。

 幾度となく受けた事で、侵入生物達も攻撃の『予兆』と『規模』ぐらいは感じ取れるようになっていた。その感覚通りであれば、次に来るのは過去十数回と放たれた攻撃が、一つに纏まったかのような出力のもの。いい加減敵も業を煮やしたのか、はたまた止めを刺しに来たのか。いずれにせよこんな攻撃を受けたら、いくら群れていても耐えられそうにない。

 あと一手遅ければ、ここで侵入生物は完全に消滅させられていただろう。だが、彼女達は間に合った。

 力を受ける直前、侵入生物達はその身体を傍にいる仲間へと勢い良く触れ合わせた。

 元々ちょっと壁にぶつかるだけでぐちゃぐちゃに、液状と言えるぐらい潰れてしまう身体だ。侵入生物同士が強めに触れ合っても、その身体は簡単に崩れてしまう。では、崩れた身体同士が触れ合えばどうなるか?

 想像すれば容易い。簡単にだろう。そして身体の形を再構築する過程で、触れ合った個体同士が一つとなる。

 侵入生物達は迫る危機に対し、『融合』という方法で挑もうとしているのだ。

 通常の生物には真似出来ない事だ。それは身体を触れ合わせて混ざる、という芸当についてだけではない。一般的な生物では、自分以外の細胞が体内に入ると拒絶反応を起こし、免疫系の攻撃が始まるからだ。

 この仕組みはウイルスや細菌など感染症を確実に撃退すべく、非自己を攻撃対象にするためのもの。身体に侵入してきた「自分じゃないもの」は、正体を気にするよりもとりあえず攻撃した方が合理的である。これは敵かな? 味方かな? などと考えている間に、致死性の細菌が繁殖しては目も当てられないのだから。その仕組みの優秀さは生命が何十億年もウイルスや細菌に負けず、生き延びた事からも明らかだが……臓器移植など文明的な治療を阻む一因ともなっている。他人から提供された臓器も身体からすれば「自分じゃないものよく分からないもの」なので、とりあえずで徹底攻撃してしまい、臓器を破壊してしまうのだ。故に移植手術後は経過観察や、投薬などのコントロールをしなければならない。

 しかし侵入生物達は拒絶反応など起こさない。何故なら彼女達の身体には元々複数の遺伝子が存在している。それはつまり、彼女達は自分と異なる遺伝子の産物……細胞もタンパク質も許容する存在だからだ。このような仕組みでは免疫系は細菌などを認識出来ないため、感染症などに弱くなるのが普通。だが侵入生物、そしてその祖先種は吸収能力で触れたものを取り込んでしまう。ウイルスだろうが細菌だろうが関係ない。体内に侵入した全てを、彼女達は喰らうのだ。

 同種同士であれば、自身の吸収能力の応用により吸収の阻害が出来る。多少吸収されたところで、肉体的に混ざるのだからそれもまた自分の身体。『自滅』する事はない。

 融合はほんの一瞬で完了。銀河一つ分全長十万光年はある巨体を手に入れた侵入生物達……いや、『彼女』は襲い掛かる力を全身で受け止めた。

 力は全身に均等にやってきた。いくら融合したとはいえ、消滅の力は全ての侵入生物を同時に襲ってきたもの。総量に変化がなければ、巨体だろうとやはり耐えられない。

 だが巨大な身体を使えば、高度な処理は行える。例えばエネルギー循環の仕組みを応用し、受けた消滅の力を血流のように移動させる。流れた消滅の力が向かうのは身体の中心部分。

 そこには一般的な銀河の十分の一はある、巨大な塊が存在していた。ここを形成している組織はを放棄している。そして消滅の力に対抗する量子ゆらぎ操作に注力していた。全てを投げ売って作り出したエネルギーは、通常とは比較にならない膨大なもの。流れてくる消滅の力を、さながら解毒するように相殺していく。

 一秒と経たずに消滅の力は完全消化。殆ど犠牲を出さずに、彼女は過去一強力な攻撃を耐えきったのだ。

 しかし安心は出来ない。先の攻撃が『敵』の限界であるとは限らないのだ。いや、こうも簡単に出力を上げてきた事を考慮すれば、まだまだ本気には程遠いと考えるのが自然。警戒する理由はあれど、油断する理由は根拠のない楽観以外存在しない。

 知性はなくとも、侵入生物の高度な演算能力を用いればコンピューターのように冷静な『状況認識』は行える。加えて今の彼女は、十万もの宇宙に匹敵する数の個体が一体化しているのだ。演算能力も相応に高くなり、今やルアル文明が持つどんなコンピューターも足下に及ばない演算能力を持つ。

 聡明な彼女は、現状打開に向けて『演算』を始めた。

 計算対象は力の発信源。一体で調べた時は、何処から力がやってきたのか分からなかった。十一次元の全座標を観測しても、である。恐らく距離を無視するタイプの攻撃だと推定された。攻撃を願えばその瞬間目標に『着弾』するのだろう。理屈のない攻撃だが、それでいて侵入生物に『感知』出来るよう調整されている。本来ならばあり得ない、矛盾した攻撃だ。

 普通ならば、このような攻撃をされて相手の位置を特定するなど不可能である。理屈がないのだから、道理を遡って調べる事など出来ないのだから。だが、今の彼女の『目』は誤魔化せない。

 攻撃を当てるという事は、何かしらの『観測』をしている筈だ。得られた観測結果が映像か座標かその他なんらかのものか……詳細まで算出する必要はない。重要なのは観測したからには、そのデータは相手に渡っているという事。

 情報の流れを追えば、敵に辿り着く。

 彼女は身体の中に複数の特殊な量子を配置。それは状態が定まっていない、重ね合わせ状態(位置や運動量が定まっていない、確率的に存在している状態)の量子だ。本来なら誰かが観測するまで量子の状態は変化しない。

 だから彼女は、自分でそれを観測する。

 彼女は巨大な『触角』を二本形成し、自分の作り出した量子を観測したのだ。一本で銀河数千億個分の質量が詰め込まれた代物。単体では決して発揮出来ない性能で、たった一つの量子の全てを調べ尽くす。

 当然こんな事をしても『敵』の姿は見えないが……元より、今探しているのは敵の姿ではない。

 だ。

 彼女が用意した量子は、ただの未観測量子ではない。『量子もつれ』状態にある特別なものだ。この量子もつれとは、ある量子の状態が確定した瞬間、もう一方の状態も確定する特別な関係を指す。このような量子の存在は恒星間航行も出来ていない人類文明でも認知しており、実験により存在も実証されている。ルアル文明もこの量子もつれを用い、侵入不可能な場所の観測を行っていた。

 彼女が使ったのは、ある意味ではそれと似たようなもの。量子もつれ状態の量子を作り、のだ。敵が何処にいるかさえ分からないのに。

 これは仮想量子演算効果と呼ばれる、ネビオスが持っていた技術だ。「敵の傍にある量子と量子もつれ関係にある量子」というピンポイントな存在を。当然何処にいるか分からない敵の傍にそんな量子は作れないため、片方だけ生み出される事になるが……これでは概念に矛盾が発生してしまう。

 矛盾した概念があると、『世界』が不安定になる。すると『世界』はより安定した状態へと戻るため、敵の傍にもつれ関係にある量子が

 ここで言う安定・不安定とは、エネルギー的な意味合いだ。例えるなら坂道の縁にあるボールがぐらぐら揺れている状態を、不安定と呼んでいる。このボールは何かのきっかけ(風が吹くなど)があれば坂を転がり落ち、やがて穴などに嵌ってそれ以上転がらなくなるだろう。或いは坂道の終わり、『底』に辿り着いても止まる筈だ。状態はなんであれ、ちょっとやそっとの事では動かない状態を安定と呼ぶ。

 この不安定な概念的量子を生み出すには、極めて高度な演算力と膨大なエネルギーが必要だ。ネビオスなら難なく使えたが、退化した侵入生物では扱えない。だが無数の個体が集まって生まれた『彼女』ならば、どうにか生み出す事が出来た。

 量子の状態が確定したところで、彼女はその情報を逆算。何処にペアとなる量子がいるかを算出する。敵が何処にいようと関係ない。或いは概念的な立ち位置により、物理的な座標がなかったとしても問題ない。『敵の傍にある量子』が誕生した事で、敵の座標さえも確定したのだ。

 狙い通り、彼女は敵を発見する。

 厳密には見付けたのは敵ではなく、その傍にある量子。しかし今まで居場所すら分からなかった相手が、ようやく見えたのだ。

 どうやら敵は十一次元の更に外側……あらゆる次元よりも上の、『高次元』領域に潜んでいたらしい。これは最早物理的な座標どころか、宇宙の外側ですらない。宇宙間移動すら出来ない文明では勿論、ルアル文明でさえ未だ確固たる理論が確立していない領域だ。

 ルアル文明だろうと、その領域に辿り着く術はない。一体の侵入生物でも無理だ。されど祖先種……ネビオスならばこの程度の道のりは難なく進めただろう。

 そして全ての侵入生物が融合して生まれた彼女なら、苦労はするが突入出来る。

 まず身体の次元をずらす。十一次元であれば通常の宇宙に存在し得る次元のため、それを認識する彼女達にとっては歩いていくのと変わりないが……その外の次元へと行くには、身体が持つ次元が足りない。

 そこで量子ゆらぎの力を用い、身体の次元数を増やす。ただし平面を立体にするように、十二次元や十三次元になるのではない。此度の目的地である高次元とは辿のだ。どれだけ次元数が増やしても俯瞰する事が出来る『超越的』な座標。それが此度目指す高次元であるのだから。

 必要なのは『全次元を俯瞰出来る位置』という概念に立つ事。

 彼女もこの概念は持ち合わせていなかったが、量子の座標を確認した事で認知出来た。知りさえすれば計算により必要な状態は算出出来る。答えを導き出したら自分の身体を包み込むように量子ゆらぎを操作。物理法則を書き換え、高次元の領域へと飛ぶ。

 この代償は小さくない。高次元に到達するための概念は極めて複雑で、莫大なエネルギーが必要だった。これを生み出すために全体重の一パーセントを失ったほどである。質量換算で宇宙一千個分に達し、決して小さな損失ではない。しかも自身の生活空間とは異なる領域のため、居続けるためには膨大なエネルギーを消費し続けなければならない。長時間滞在する事は難しい。

 数々のデメリットが彼女達を苦しめる。だがこうしなければ相手がいる高次元領域に踏み入れない。

 そうまでしてわざわざ高次元を訪れたのは、脅威を排除するため。このまま敵を野放しにしても滅ぼされるだけと判断し、種族総出で敵を打ち破ろうとしている。

 侵入生物達はこれまで、幾度となくルアル文明からの攻撃を受けた。しかし一度も、彼女達は『反撃』をした事などない。本能のまま動き、エネルギー源として捕食しただけ。何しろ彼女達の祖先種は生態系の最底辺であり、他のネビオスに食われるばかりの存在。戦って勝てる相手などいないのだから、脅威と出会えば逃げるのが最善手である。

 しかしここまで一方的なら話は別。逃げても無駄なら戦うしかない。

 『敵』はあまりにも侵入生物達を追い詰めてしまったのだ。とはいえ戦い方は今までとなんら変わりない。彼女達の身体に武器なんて何もなく、やれる事は極めてシンプル。

 突撃し、接触し、吸収する。

 彼女は感知した量子の場所目指して突き進む。此処は座標がなく、時間もない、故に速度を表現出来ない領域。知的生命体では『どのぐらい』さえ表現出来ない、存在さえ想定されない空間であるが、彼女は難なく駆け抜け――――

 やがて見えてきたのは、眩い光。

 厳密には電磁波ではない。光のような情報を持った何かだ。物理法則から逸脱しながら、何故か彼女の感覚器で拾える。

 そしてその光の中心に、彼女は『人影』を見る。人影と言ったのはそれが光で出来た人間的な輪郭を持ちつつ、目や鼻などの顔、爪や体毛などの人間的なパーツが何一つ見当たらないから。身長も三メートル以上と人間よりずっと巨大だ。光で出来た人の形、というのが妥当な表現だろうか。

 彼女は人型の存在が高次元にいる事に疑問など持たない。だが近くに目印としていた量子がある。ならばコイツが敵だと判断。

 強敵と戦うために彼女はその姿をまた変える。

 巨大な、丸い肉塊へと――――

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