最終手段

「……まさか、こんな事になるとは思いませんでした」


 対策本部の一室、研究分野にて。ダーテルフスが俯きながらぽつりと弱音を吐く。

 創始種族は、決して傲慢な種族ではない。勿論個体差はあるものの、一般的な傾向として極めて合理的な思考を行う。この世には自分達の理解が及ばない出来事が存在し、何時予想外の事象が起きてもおかしくないと認識している。

 しかしそれでも、侵入生物が宇宙間を移動した事――――理論上あり得ない筈の事態には、相当のショックを受けたらしい。学生時代には見た事すらないダーテルフスの落ち込みぶりに、後輩であるユミルは少しばかり動揺を覚えた。


「せ、先輩……元気出してください! 落ち込むなんてらしくありません!」


 思わず激励の言葉を掛けてしまうユミル。もっと傍に寄り添った言い方が良かったか? と今更思うが、出してしまった発言は引っ込められない。

 幸い、此度その言葉は『外れ』ではなかった。ダーテルフスは顔と思しき部分を横に振り、ため息(翻訳機が解釈した結果の音で、実際の吐息ではない)の後に顔を上げる。


「……ええ、確かにらしくありません。どのような事実であろうとも受け止め、それを正しく解析する。それが我々の在り方であり、歩み方です」


「! は、はい! そうでなくっちゃ!」


「ありがとうございます、ユミル。お陰で想定より十分ほど早く立ち直れました。この十分を無駄にする訳にはいきません」


 立ち直ったダーテルフスは早速周りにある端末を起動。侵入生物に関する新たな情報を集め始める。

 先輩の言う通りだとユミルも思う。

 侵入生物が宇宙の壁を乗り越えた。原理は兎も角、他宇宙への拡散が可能となった以上、最早被害は一宇宙では留まらない。事実、侵入生物の宇宙間移動が確認されて僅か一日で、ルアル文明に属している文明宇宙の一割に侵入生物は出現。場所によっては初期対応が間に合い、星系数個程度の被害に抑えられているが……対応が遅れた宇宙は何十もの銀河が食い尽くされた。

 被害が大きな宇宙では多くの支援が送られているが、ここまで増殖した侵入生物は勢いが凄まじい。個体数の多さもあって、封じ込めが殆ど機能していない。本格的な対応が始まったというのに、侵入生物達の拡散は前日よりも悪化しているという。

 恐らく数日中に、宇宙一つが丸々侵入生物の餌となるだろう。

 幸いなのは、侵入生物が確認されたのはあくまでもルアル文明に参加している文明宇宙だけ。つまり宇宙間移動が出来ない、文明が未熟な宇宙要観察対象宇宙には入り込んでいない。

 理由は単純に、要観察対象宇宙とゲートが繋がっていないからだろう。観測された限りの話だが、侵入生物はゲート使用時の『痕跡』を辿って他宇宙に移動している。このため他宇宙と接続した場所以外からの侵入はない筈だ。要観察対象宇宙の観測を行うのは、一部の研究施設のみ。その研究施設が侵入生物の勢力下に入らない限り、要観察対象宇宙に入り込む事は出来ない。

 その意味では、侵入生物が最初に現れたゲートは多数の要観察対象宇宙と接続しているのだが……侵入生物の原種が通った際に痕跡が破損したのか、はたまた別の理由があるのか。現時点で未熟な宇宙への被害は観測されていない。

 またゲートの痕跡を辿っている事から、新たな防疫措置として侵入生物支配下のゲートの接続先では、周辺空間の隔離・破壊措置が盛り込まれた。これも侵入生物からすれば突破可能な措置ではあるが、初期対応の時間を稼ぐ事は出来る。指数関数的な被害の拡大は、これである程度防げる筈だ。

 しかし。


「(最初は宇宙間移動すら出来ないって話だったんだから、これも何時まで通じるのやら……)」


 ユミルは忘れていない。本来侵入生物は、真空のエネルギーを食べ、物理法則を改変しているがために宇宙間移動が使えないと予測されていた。

 しかし奴等はその予想を乗り越えた。恐らく増殖する中で様々な形質の子供が生まれ、偶々ゲートの痕跡を辿れる個体が誕生したのだろう。

 このプロセス自体はなんら珍しくも、ましてや異常でもない。突然変異などで新しい形質を持った個体が新天地に乗り出すのは、多くの生命にとって基本的な進化と繁栄の流れだ。だが侵入生物の進化はあまりに早く、その変異の幅も広過ぎる。個体数の多さを鑑みても、尋常でない多様性だ。この調子では何時、どんな方法を使って、ゲート以外の場所から要観察対象宇宙に侵入するか分かったものではない。

 仮に、ゲートの痕跡を辿る以外の方法が使えないとしても……やはり猶予があるとは言い難い。侵入生物の増殖自体は止まっておらず、その勢力はルアル文明の努力も虚しく拡大し続けている。時間が経てば、侵入生物は宇宙にある全てのゲートを支配するだろう。当然研究施設のゲートも、だ。

 そこが抑えられたら、いよいよ要観察対象宇宙にも被害が及ぶ。侵入生物の飛行速度は秒速六億光年。宇宙の直径を九百億光年だとしても、百五十秒で横断可能だ。しかも二十秒で繁殖を完了するため、瞬く間に生息域は広がる。空間伸長も使えない文明では、一日と経たずに侵入生物に喰われ、跡形も残るまい。

 文明宇宙も、その状況では悠長にしていられない。文明宇宙一つに、ゲートは無数に存在している。つまり無数の『接続ルート』がある状態だ。もしも宇宙一つが丸ごと侵入生物に支配されたら、その無数のゲートを通じて多数の文明宇宙に侵入生物は入り込むだろう。その移動先の宇宙を支配すれば、また多数の宇宙に入り込む……侵入生物に戦略的行動を起こせる知能はないが、圧倒的個体数で虱潰しに移動されれば、ルアル文明全域に侵入するのにさして時間は掛からないだろう。

 最早猶予は残されていない。しかし、一体どんな方法を使えば奴等を駆除、または無力化出来るのか?


「(駆除をするなら、進化と繁殖力が問題なのよね……)」


 侵入生物の進化速度を考慮するに、一瞬で群れを殲滅しなければ克服される恐れがある。

 されど威力と範囲を兼ね備えた攻撃など、早々あるものではない。あったとしても、強力な爆弾のようなエネルギー攻撃は駄目だ。エネルギーを餌とする侵入生物の繁殖を助けるだけである。だからといって物理攻撃も殆ど効果がなく、空間や時間を操る方法も通じない。

 使えるとすれば特殊な能力なのだが、しかし特殊能力でタナトスほどの範囲と殺傷力を持つものはない。タナトスほど理不尽で一方的な力も、だ。一応タナトスと似たような性質(ルアル文明でも原理が未解明)の能力を持つ種族の攻撃も行われたが、これも全く効果なし。どうやら真に『理不尽』な攻撃は侵入生物には全く通じないらしい。侵入生物自体が理不尽の塊なのに。

 駆除作戦は恐らく現実的ではない。だとすると隔離するのが最善か。ゲートの痕跡を辿ってきたのは脅威であるが、見方を変えればわざわざその方法を使ってきたとも言える。つまり当初の予想通り、侵入生物には自力で宇宙を渡るような力はないのではないか。

 断言は出来ないが、もしそうであれば……侵食された宇宙を完璧に切り離せば、侵入生物の封じ込めが出来る。ゲートの痕跡さえ辿る侵入生物を隔離するのに、どれほどの『完璧さ』が必要かは分からないが、ここに希望が見出せる。

 その理論を空間自体に応用すれば、宇宙そのものの切り離しをせずとも、侵入生物の生息域だけを排除出来るかも知れない。


「……先輩。私、侵入生物の宇宙間移動について少し詳しく調べてみます。もしかすると、隔離に使えるヒントがあるかも知れません」


「ええ、恐らくそれが現時点で一番現実的な対処方法でしょう。施設コンピューターの研究演算機能の六割は、あなたに預けます……私は駆除の方法について考えてみます。可能性は低いですが、何か手があるかも知れません」


 ユミルが自分の考えを述べると、ダーテルフスはユミルが切り捨てた方について調べると言う。

 ダーテルフスが言うように、現実的なのは封じ込めだ。だからそれについて最優先で研究を行うのは合理的判断である。

 しかし現実的なのと、現実になるかは話が違う。

 あくまでも実現の可能性が高いというだけだ。侵入生物の能力は未だ未知数な上、猛烈な速さで進化している。封じ込めが出来る、という考え自体が的外れかも知れない。そのもしもに備えて、駆除方法全面対決の手段も研究する必要がある。

 勿論、今のユミルがそれを考える必要はない。ユミルがすべき事は封じ込め方法の研究だ。何より駆除が現実的でないのは、もう散々見てきた通り。一番良い方法を蔑ろにするなど、愚の骨頂である。


「(まずは観測データの解析かな)」


 ルアル文明における研究とは、基本的にはデータの収集及び解析の『指示』をAIに出す事。実験も、観測も、全てAIが代わりにやってくれる。

 未発達の文明だと「機械に任せるなんて」という懐疑的反応があるやり方だが、ルアル文明ほど高度になれば生物人類任せの方が信頼出来ない。何しろ生物の身体は誤差だらけだ。機械が用いるフェムトドローン(フェムトは一千兆分の一を示す単位。一千兆分の一ミリサイズのドローンという事)を用いれば薬品を分子数一個の狂いなく用意し、不純物の完全な排除も行える。化学反応の観測は寸分違わず行われ、観測結果に主観は入らない。

 機械に任せればより正確で安定した、良質のデータが得られるのだ。その解析結果を得るのも、機械はとても得意とする。

 だが得られた結果の応用、『閃き』や『妄想』は苦手だ。ルアル文明のAIならある程度の想像力はあるが、良くも悪くもデータの範疇で物事を考えてしまう。計算する事、数多のデータから法則性を発見するのは得意でも、新しい方程式を考えるのは(出来なくはないが)不得意。

 そこを補うのがユミルのような生物の役割だ。ちょっとばかり飛躍した考えをして、AIの隙を埋める。


「(うーん。これまでの観測データからして、やっぱり宇宙を移動するための物理法則はない感じ。だとすると既存の方法を使ったのは間違いない。そうすると、この空間の亀裂は前からあった筈だから、今まで無視していた訳で……)」


 集めた情報を組み合わせ、一つ一つ、頭の中で積み上げていく。

 新しい知見もあれば、予想されていた知見もある。大事なのはそれを多角的に見る事。そして新たな見方を発見する。

 ルアル文明の技術力ならば、一度可能性に気付けばシミュレーションにより『実験』が可能だ。素粒子一つずつのランダム性によって結果が代わる事も想定し、実験規模にもよるが、十の三十乗回程度の結果を算出。得られた結果を纏めて表に出し、最も起きるケースや、理論上起き得る結果を導き出す。今まではルアル文明以上の力とデータ不足、更にAIの解析能力以上の進化により後手に回っていたが……ここまで戦ってきた記録があれば、そろそろ侵入生物の正確なシミュレーションが出来ると思いたい。

 結果さえ得られれば、後は閃きさえあれば対策は練れる筈だ。ユミルはそう信じている。自分達は、『究極の文明』は、まだやれるのだと信じているがために。


「……さて、どうしたものですかね」


 ダーテルフスも駆除方法という形ではあるが、研究を始めている。こちらは進展がない事が、彼の漏らした言葉から窺えた。

 しかし何処かダーテルフスの声は楽しそうだと、ユミルは思う。いや、楽しそうというのは少し語弊があるだろうか。彼としては真剣に、この文明を守るため努力しているのだから。されど侵入生物が持つ様々な能力に、科学者として純粋に驚き、同時に感心しているのだろう。

 ユミルとしては、こうして先輩と共に研究をしていると学生時代を思い出す。喜ぶべきではないと思いつつも、心の奥底にある感情は自然と頬を弛めた。


「おーい、ダーテルフス。良い話を持ってきたぞー」


 その顔が世間的に良くないものと分かっているからこそ、部屋に突如押し入ってきた水晶生命体――――ベーィムの声を聞いて、ユミルは跳ねるほど驚く。

 ダーテルフスは振り返ると、なんとなく顰めた顔(のように靄状の身体を揺らめかせた)になる。隠そうとしたユミルと違い、ダーテルフスは割と素の反応のようだ。


「……なんですかベーィム。言っときますけど今は仕事中です。合コンする暇はありませんよ。というか時勢が時勢なんですから、流石に遊び呆けたら普通にマスコミに叩かれます」


「……先輩、合コンとかするんだ」


「俺が何時も誘ってるからな。ま、性別がないから足りない方に入ってもらってる感じだが……おっと、そうじゃない。今回持ってきたニュースはもっと良いニュース、お前達の仕事が終わる筈のものだ」


 ベーィムはそう言うと、ガチャガチャと身体を揺する。

 水晶生命体であるベーィムは当然表情筋などがないので、感情が分かり辛い。曰く、彼等は身体の動きで気持ちを示すらしい。人間であるユミルには今し方ベーィムの見せた動きが何かはよく分からないが、声の調子からして恐らく笑っているのだろう。

 それも自虐ではなく、割と心から上機嫌な様子である。

 ちなみに表情筋どころか顔すらないダーテルフスは、本来ベーィム以上に感情が分からない。だがユミルは長年の付き合いというのもあって、ダーテルフスの感情はなんとなくだが窺い知れた。

 ベーィムが良いニュースと言ったところから、かなり嫌悪感を露わにしていると。


「ヤントイッヒが動くそうだ。間抜け共の醜態をこれ以上見てられないってな」


 そしてベーィムが発したこの言葉で、ますます顰めたように歪むダーテルフスの姿。ここまですれば、ダーテルフスや創始種族について知らなくとも、なんとなく嫌悪感は感じ取れるだろう。それぐらい露骨な反応だ。

 ……確かに創始種族にも感情はある。しかし極めて合理的で、比較的温和な思想だ。だからこそルアル文明はあらゆる種族が共存する社会となり、全ての力を友好的に束ねる事で『究極の文明』に至るまで発展した。

 創始種族は、基本的にはどんな種族相手にもこれといった嫌悪感は持たない。タナトスのように死を振りまく種族とも友好を持ち、ギガスを生み出した文明とも(非常識なギガスへの生理的嫌悪は持ちつつ)共存している。原始文明にも敬意を払い、科学文明を心から称賛する。種族によって考え方や嗜好、身体機能や能力が違う事をよく理解し、そこに貴賤はないというのが創始種族の価値観だ。

 にも拘らず今回のダーテルフスは、随分と露骨な嫌悪を示す。

 「間抜け共の醜態をこれ以上見てられない」というベーィムの発言から、話に出てきたヤントイッヒは意志ある存在だと思われる。少々過激な表現であり、カチンと来る気持ちは分からなくない。だがそれを差し引いても、ダーテルフスの反応は些か『差別的』だ。

 誰にでも好き嫌いはあるにしても、創始種族が、そして憧れの先輩がこんな反応を示すとはユミルにとって予想外。何よりユミルは『ヤントイッヒ』なる存在について、これまで聞いた事もない。恐らくタナトスのように、様々な理由から一般には存在が秘匿されていたのだろう。


「あの、ヤントイッヒってなんですか?」


 刺激された好奇心に従い、ユミルはダーテルフスに尋ねてみる。

 思い出すのも嫌だとばかりに、ダーテルフスはますます全身を歪めた。しかし答えないつもりはないようで、少しの間を挟んだ後、割と感情たっぷりな声色でこう答えた。


「ルアル文明が認識している神々の一柱――――そしてです。あの高慢ちきな非合理的存在にだけは頼りたくなかったのですが……背に腹は代えられませんか」

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