8dc4934b899e

 恐怖という感情は、侵入生物達の中には存在しない。

 理由は二つ。一つは侵入生物の身体を通る神経束が未発達で、高等な知能を一切持っていないため。脳と神経を持たない植物が感情など抱かないように、侵入生物達も何も感じない。

 もう一つの理由は先祖である祖先種、そしてネビオスの情報処理能力に由来する。ネビオスの神経を行き交う情報は三十二進数の数(勿論文字としての『数字』ではなく、電流のオンオフで0と1を現すのに似た、概念的なものである)のみ。これらの演算によりあらゆる情報を認識する。痛みも苦しみも全て数学的に判断するため、例え手足を捩じ切られようとも「手足を捩じ切られた」以上の事を思わない。ただ事実を認識するだけ。

 侵入生物の情報処理は、十六進数まで退化したものの、ネビオスと同じく数学的に行う。そこに感情は一切付随せず、事実を事実として認識する事に特化していた。データから予測などは行っても、根拠のない想像には至らない。予測に対してもあれこれ思わない。事実をどう感じたところで意味などないのだから。

 この二つの要素により、侵入生物はなんの感情も持たない生物へと至った。しかしそれは彼女達の『知性』が、単細胞生物下等生物程度である事を意味しない。

 イモムシ型をしている侵入生物の身体。その中心にある一本の神経細胞の集まり……神経束と呼ばれる器官は、中枢神経のように働く。

 特筆すべきはその処理速度。神経細胞は極めて単純な構造であるが、故に十分なエネルギーを注げばいくらでも処理速度を増していける。実際には細胞自体の耐久性が長期的な『上限』であり、祖先種よりも退化した侵入生物はその上限がかなり低いところにあるが――――それでも十分なエネルギー量を注ぎ込めば、銀河全体を飛び交う全素粒子の運動量とベクトル、そして一秒後の位置予測を難なく行えてしまう。

 少なくとも数学的、情報処理的な側面で言えば侵入生物は『天才』である。

 そんな賢い侵入生物達は、自分達に迫る物の評価も瞬間的かつ正確に行う。数学的に表現される結論は人間の心と互換性のないものであるが……今、この瞬間の彼女達が抱いた想いを強引に翻訳すると、大凡以下の通り。

 「危険だ」、と。


【エーテルナックル!】


 宇宙空間で本来響く筈のない声が轟く。

 その声の発信源は、ルアル文明が誇る最強の戦闘ロボット・ギガス。エネルギーを求めて動いていた侵入生物の群れが遭遇した、全長三十兆キロにもなる超巨大兵器だ。今は十五兆キロほど離れた位置にいて、人型らしい動きで振るった拳を放とうとしている。

 厳密に言うなら、声は搭乗員の一人が技名を叫んだ結果生じた。ギガス内部に設置されたソウルジェネレーターが、搭乗員の『勇気』に呼応して莫大なエネルギーを生成。あまりにも強力なエネルギーは機体そのものを傷付けかねない。そこで放出された余剰エネルギーの波形が、搭乗員の叫びと同じ周波数となっているのだ。放たれたエネルギーを身体で浴びれば、声の内容が伝わるのである。

 なんでわざわざ搭乗員の声と同じ周波数なの? もっと効率的な排熱周波数あるじゃん……と創始種族からは怪訝に思われる部分(ギガス開発文明曰く「その方がアガるから」)だが、侵入生物はそんな事など気にしない。声のように広がるエネルギー……この雄叫び一つで惑星どころか銀河も何万と吹き飛ばすだろう……を餌と認識するだけ。

 本来ならそのエネルギーに群がり、食べて、繁殖を行いたい。だがそれよりも今は『危険』への対処を優先する。

 その危険とは、ギガスが放つ鉄拳だ。

 エーテルナックル――――先程叫ばれた、ギガスが持つ技の一つ。傍目にはただ拳を振るっただけに映るその技は、しかし超常のテクノロジーと力を宿していた。

 ギガスの動力であるソウルジェネレーターにより生み出されるエネルギーに、限界は存在しない。搭乗員の勇気に呼応し、何処までも出力を高めていく性質を持つ。しかも三名の搭乗員が心を一つにすれば、相乗効果で爆発的に出力を高められる。

 その状態で放った拳の周りには、ソウルジェネレーターで生み出したエネルギー……『エーテル』が渦巻く。緑色の眩い輝きを放ち、エーテルを纏う拳全体が燃え上がるように発光する。

 このエーテルのエネルギー密度が特徴だ。なんとである。

 無限とはただ大きな数字という意味ではない。全てを飲み込み、全てを虚無に返す、数字の悪魔と言うべきだろう。何故なら無限は希釈されないからだ。

 例えば全ての正の数(1,2,3……)の集まりである集合Aと、三の倍数に当たる正の数(3,6,9……)の集まりである集合Bを用意する。この時、集合Aは集合Bの三倍大きい集まりだと言えるだろうか? 有限数の集合であれば、場合によっては多少の余りが出るものの、大凡正しいと言えよう。仮に1から100までの数であれば、集合Aには百個の要素があり、集合Bは三十三個の要素しかないからだ。

 しかし、無限にこの考えは通用しない。

 集合の大きさを比較する時には、要素を数えるのではなく、対比を使うのが正しい。先の集合Aと集合Bを例にすれば、1―3,2―6,3―9……と対比を作る事が可能だ。これを繰り返すと33―99の時点で集合Bの要素が尽きる。よって集合Aの方が大きいと『証明』された。

 だが、無限ではどうか?

 無限ではこの対比が。何故ならその集合の中に存在する要素の数は無限なのだから。先の例であっても、三の倍数が正の数より先に尽きる事はない。尽きるのであれば、その集合は無限ではないのだから。よって整数の無限集合と、三の倍数の無限集合は、としか言えない。

 そしてこれは他の要素であっても変わらない。全ての自然数を集めた無限も、全ての偶数を集めた無限も、負の数マイナスも含めた無限も……どれとどれを比較しても全て一対一の対比を作れる。無限にあるのだから当然であり、故に全て同じ大きさだ。

 厳密には無限において大きさという『概念』はそぐわないため、濃度と呼ぶ。無限の濃度の前では、有限の概念が何をしたところで性質は揺らがない。

 これは数学的な話である。だが、数学は世界の成り立ちを説明出来る学問だ。量子力学が方程式により証明を行えるように、数学は現実を証明する。つまり数学的裏付けのある事象は、現実で起きる。

 ここで話をギガスに戻そう。

 無限のエネルギーを纏ったギガスの拳は、物理的な変化を起こさない。何故なら無限の濃度を纏うそれは、あらゆる変化を拒むからだ。外から運動エネルギーを加えても、引いても、決してギガスの動きは変わらない。

 そして触れたものは無限の一部となってしまう。

 その現象は、ものを混ぜる時の事を想像すれば理解しやすい。一杯のコップ程度の水にインクを垂らせば、水はほんのり黒く色付くだろう。味が変わったり、毒性も持つ。だが巨大な海に一滴のインクを垂らせばどうなるか? 海のあまりの大きさにインクは希釈され、海の性質は何一つ変化しない。インクの毒性も色も味も、海の大きさの前では全てが飲み干されてしまう。

 無限はこの海よりも遥かに巨大だ。だからこそ有限の存在に触れれば、有限は抵抗さえも出来ず無限の一部とされてしまう。どんな能力も、物質的硬度も、内包するエネルギー量も関係ない。無限から見ればどれも同じなのだから。

 侵入生物のエネルギー吸収であっても、無限相手には意味を為さない。例え宇宙が無数に消し飛ぶほどのエネルギーさえも難なく取り込む力だろうと、所詮は有限の性能しかないのだ。無限から有限の数を引いたところで、無限なのだから無限の大きさは変わらない。際限なく高まる性能も無限には及ばず、処理しきれないどころか吸いきれない。

 数学的処理を行う侵入生物達は、ギガスが無限の力を使う事を察知。これは無理だと回避を試みる。しかし無限の力で動くギガスの拳は、光速よりも圧倒的に速い。秒速六億光年の飛行速度でも振り切れず、全滅には程遠いものの、少なくない数の個体が拳と接触。文字通り消滅させられてしまう。

 そしてギガスは拳一発では止まらない。無限のエネルギーを生み出すがために、ギガス自体には活動限界が存在しないのだ。無限の力が宿った拳を、ただの拳であるかのように何度も放てる。

 侵入生物達は、その拳から逃げ回るばかり。

 何故ならどうにも出来ないから。侵入生物の身体に備わっている機能は、その大部分が祖先から受け継いだものだ。基本的にはそれらが進化したものでしかなく、祖先種が持っていなかった能力は、今のところ備わっていない。

 そして祖先種には、無限をどうにかする力はなかった。故に今の侵入生物達にも無限を耐える事は出来ないのである。

 今まで翻弄されるだけだったルアル文明が、ついに効果的な『対策』を行えたのだ。


【よっしゃあっ! コイツも喰らえッ!】


 ギガスの搭乗員は改めて叫び、そしてエーテルナックルを繰り出す。ただし今度の拳は、ただ殴るだけのものではない。

 拳に纏った無限のエーテルを、動きに合わせて放射したのだ。

 その様相は例えるならば、びっしょり濡れた拳を振った時に飛んでいく水のよう。さながら刃のように鋭く、長く引き伸ばされたエーテル緑の光が侵入生物を飲み込み、消し去っていく。

 拳よりも遥かに攻撃範囲が広い上、無限故に薄く引き伸ばしても威力は衰えない。しかも無限の力を持つエーテルナックルは、無限の射程を有す。強いて欠点を言うなら、本当に何処までも飛んでいくので巻き込む被害も甚大なところだ。

 だが危険な攻撃は、今まで以上に侵入生物を駆逐する。銀河中心部まで届いた攻撃により、数千兆でも足りぬほどの数の侵入生物が消え去った。そして直径四十五光年にもなる巨大な群れが、エーテルの力によってに分断される。

 侵入生物の総数から見れば、死んだ個体はほんの一部。だが宇宙規模の巨大な群れが分轄された光景は、実数以上のダメージを与えたと知的生命体に『錯覚』を抱かせるだろう。

 これは搭乗員達の精神を安定させた。

 ギガスの動力ことソウルジェネレーターは、勇気を力に変えている。つまり搭乗員の精神状態が不安定になるほど、その出力は落ちてしまい、満足に戦えなくなってしまう。

 相手にダメージを与えられた、という希望的な光景は、搭乗員達の士気を高めた。気持ちが程よく安定し、ソウルジェネレーターの稼働を維持する。あまり一方的だと勇気が萎えてしまう事もあり得るが、侵入生物達は直径四十五光年の範囲を食い荒らした怪物。手を抜き、虐め倒そうと思うほど、搭乗員達の心は弱くない。

 尤も、仮に侵入生物が圧倒していたとしても、それはそれで更なる勇気を生み出し、ギガスを強くしただろう。搭乗員達はそんじょそこらの兵士ではない。あらゆる逆境にも挫けない、強く逞しい戦士なのだ。

 これがギガスの強みでもある。搭乗員の心持ち次第、という前提はあるが――――有利な相手には性能が安定し、不利な状況ほど力を生み出す。強敵であるほど、ギガスは一発逆転を引き起こすだけの爆発力を生む。

 正に最強最良のロボット兵器。

 侵入生物達もただやられるだけではない。エーテルナックルが纏う無限のエネルギーは、ルアル文明により物理法則が改変されたこの宇宙でも長時間安定して存在し続ける事は出来ない。状態を維持出来るのは拳など機体に纏っている分だけで、振るう事で飛ばした力は急速に崩壊していく。『無限』を作り出す事は、ルアル文明であっても簡単ではないのだ。

 崩壊した無限はこの宇宙でも安定的な形、有限のエネルギー(より具体的には光エネルギー。これがギガスの拳が放っていた緑色の輝きの正体だ)として散らばる。侵入生物達はこれを吸収し、繁殖を行う事で個体数を回復させていた。

 しかし失った数全てを補うほどではない。

 勇気により生み出された無限の力。ルアル文明でも安定して存在させられないその力は、発生源であるギガスの手から離れた途端急速に。本来存在しない力なのだから、消えてしまうのが最も安定的なのだ。エネルギーになるのは、普通ではない振る舞いをした僅かな分だけ。

 これでは十分な繁殖が行えない。侵入生物達の個体数は急激に減っていき、けれども右往左往する事しか出来ず。

 このままでは滅ぼされてしまう。

 しかし侵入生物達は特段恐れる事も、ましてや慌てもしない。数学的思考はいずれの感情も持たず、ただ状況を淡々と認識。その状況に合った行動を起こすのみ。

 仲間が次々に殺され、自分も何時死ぬか分からない。この時すべき最善の行動は何か?

 。種の絶滅も、仲間の死も、自分の命さえも、侵入生物達にとってはどれも重要ではない。自身の遺伝子を増やす事こそが至上命題であり、エネルギーを奪い合う同種がいないならば今がチャンス。自分の命だって、繁殖して子孫を増やした後なら消えても問題ない。

 結局やる事は、何時もと何も変わらない。侵入生物達は続々とこの辺りで最もエネルギー密度の濃い場所……ギガスの周りに群がる。少しでも繁殖をするためであり、恐怖がないからこそやれる真似だ。

 そうして群がる侵入生物達の一部が、ギガスに突撃を仕掛ける。

 攻撃の意図はない。ただギガスが巨大な質量を持ち、ソウルジェネレーター由来の膨大なエネルギーがあるため、餌と誤認しているのだ。とはいえ食べてしまえばそれでも十分『攻撃』にはなる。

 だがギガスにその攻撃は通じない。何故ならギガスの身体には、エーテルフィールドと呼ばれる防御シールドが展開されているからだ。

 このエーテルフィールドは名前が示すように、エーテルナックルと同じ原理で生み出されたエネルギーを用いている。即ち無限の力を持つエーテルが、機体全体をぐるっと覆っているのだ。

 無限であるがためにエーテルフィールドはどんな攻撃を浴びても、決して揺らがない。宇宙を一撃で滅ぼすエネルギー弾の連射だろうが、ビックバン百万発分の拳だろうが、全次元を握り潰すほどの握力だろうが――――それが『有限』である限り、無限にあるエーテルフィールドの前では無限に希釈されてしまう。フィールドは揺らがず、その奥にある本体には決して届かない。それどころか本質的にはエーテルナックルと大差なく、触れたものを無限の中に取り込んでしまう。

 機体を食べようと突撃した個体は、エーテルフィールドに接した瞬間消えてしまう。突撃時の運動エネルギーが貫通する事もなく、ギガスには傷一つ与えられない。尤も、例え宇宙を指先一つで滅ぼす神々だろうと、ギガスの無限は貫けないが。

 この状況が変わるとすれば、ギガスの搭乗員達から勇気が失われた時。

 だがそれはあり得ない。彼等はギガス搭乗員として性格診断を受け、過酷な訓練も受けてきた。油断も絶望もしない、真に気高き勇者が如く精神性を持っている。戦いが終わるまで、闘志の炎が消え失せる事はない。


【うおおおおおおおおおおっ!】


 燃え上がる闘志のまま繰り出される無数の拳が、侵入生物達を次々と削り取る。暗黒に閉ざされた宇宙が、少しずつ星の光を取り戻す。

 ……ギガスの弱点を述べるなら、攻撃範囲の狭さが明確に挙げられる。

 広範囲攻撃もやろうと思えば可能だ。拳でエーテルを飛ばした時のように、広範囲にエーテルを撒き散らせば良い。いずれ消えてしまう力だが、飛ばす速さを腕でなく無限の力自体に頼れば、それこそ無限大の速度を生み出せる。つまり消えてしまう前に、彼方まで飛ばせば良い。

 しかしギガスの攻撃は『無限』である。無限はどうやっても薄める事は出来ない。

 つまりギガス自身でさえ、無限を制御する事は出来ないのだ。無限の力で速さを出そうとすれば、これもまた調整出来ない。このため広範囲攻撃を繰り出すと、無限の力が無限の速さで飛んでいく。無限の速さという事は、計算上ほぼ〇秒で宇宙の端から端まで届いてしまう。要するに、一度放ったが最後宇宙一つを消し飛ばしてしまうのだ。勿論そこに暮らす市民やバックアップ諸共。

 市民を守るためには、攻撃範囲を有限の力で制限しなければならない。これが、ギガスが拳で戦う理由だ。拳以外では攻撃範囲がコントロール出来ず、ルアル文明を滅ぼしてしまう。

 とはいえ一発の攻撃で足りぬなら、百発、千発の攻撃を繰り出せば良い。動力から無限のエネルギーが供給される以上、ギガスに活動限界はないのだ。何度も何度も拳を振るい、侵入生物達を滅殺していく。

 その種が滅びる時まで、手抜かりなく続ければ良い。

 ――――それで勝てる、と搭乗員達は奢らない。あくまでも勝ち筋が見えただけであり、まだまだ侵入生物は宇宙を埋め尽くすほどの数が生息している。全力の殲滅を心に近い、一切手は抜かない。事実このままであれば、間違いなく侵入生物の撲滅に成功しただろう。

 だが、侵入生物達に『このまま』なんて事はあり得ない。

 彼女達が優先するのは自らの繁栄。繁栄のためには、今の環境に適応していかねばならない。そして環境とは気温や地形だけではなく、天敵も災害も、あらゆる危険も含む。ギガスだろうと例外にはならない。

 そして侵入生物達は


【……? なんだ……】


【どうした?】


【機体温度が不安定に……?】


 攻撃を繰り返していたギガスの搭乗員達が、ふと気付く。

 操縦席に備え付けられた計測機器の一つ、ギガスの表面温度を測っているものの数値が揺らいでいた。

 揺らいでいると言っても、一秒間に〇・〇〇〇一度程度上下しているだけ。普通のマシンであれば留意する必要のない、些末な値だ。

 しかしギガスは違う。この機体の表面には無限の力であるエーテルフィールドが展開されている。外から飛んでくる宇宙線も原子も、全て無限に触れた瞬間混ざり合い、その奥にいるギガスまでは届かない。そして有限の力がどれだけ加算したところで、やはり無限の濃度は変化しない。纏う無限に変化がないのだから、中のギガスが何か影響を受ける訳もなし。このためギガスは外からの影響を完全に遮断している状態だ。外の様子を観測しているカメラは量子テレポーテーションの原理を利用しており、ギガスと外の空間に直接的な繋がりはない。「カメラを介して」という可能性もないのである。

 なのに変化が生じた。例え〇・〇〇〇一度の振れ幅であっても、普段が完全な0である以上異常値に他ならない。

 ギガスの搭乗員達は暑苦しいほどに熱血系であるが、難しい事を気合いと根性で押し通そうとする阿呆ではない。ギガスの根幹である無限を扱うため、数学的知識についても学んでいる。だからこそ計器の異常さに気付き、想定外を考えて警戒心を強めた。

 気付いた時には、もう手遅れだと言うのに。

 ギガス内部に損傷が発生した旨を伝える警報が鳴り響いたのは、搭乗員達が異変について考え出してすぐの事だった。


【な、にぃぃっ!? これは――――!?】


 驚愕しながらも、ギガスの搭乗員達は即座に状況の把握を試みた。強い精神力があるからこそ、冷静かつ合理的に事態に対応出来る。

 そして優秀な彼等は、短時間で原因を突き止めた。

 


【ば、馬鹿な!? どうしてフィールドの内側に!?】


【フィールド出力に変化なし! 穴も見付からない!】


 搭乗員達は原因について理解した。だが、何故そうなっているのかまでは分からず。

 そうこうしている間にも、損傷を伝える警報は激しさを増す。モニターには破損箇所を伝える映像が次々と表示され、激しく変動する計器の値がそれらの警告が誤作動ではないと示す。

 一体、侵入生物は何をしたのか? どうやって無限を突破したのか? そのメカニズムを説明するには、量子力学におけるとある用語に触れなければならない。

 それはゼロ点エネルギーと呼ばれるものだ。

 これは空間が持つ『最低』のエネルギーを示す言葉だ。最低と言ってもゼロではない。むしろあらゆる粒子とエネルギーを取り除いても、なおも空間に残り続ける……何もない筈なのに、何故か存在している存在。これだけだとなんとも胡散臭く思えるだろうが、ある程度発達した文明はこのエネルギーの存在に気付いている。

 最も分かりやすい例が、液体ヘリウムの存在だ。

 まず物質の状態というのは、その物質を形成する原子がどの程度激しく動き回るかによって決まる。気体は分子が激しく動き回り、液体はやや自由に動く。固体では動き回る事が出来ないが、振動という形で『運動』はしている状態だ。そしてこれらの動きの激しさは温度によって決まり、高いほど激しく、低いほど弱くなっていく。温度とは原子など小さな粒子が持つエネルギーの事なのだ。

 理論上の話で言えば、絶対零度の原子は一切運動しない。何故なら絶対零度とは、原子のエネルギーがないからである。エネルギーがないから動かない。実に当たり前の話である。

 ところがヘリウムは、圧力などを掛けない限り絶対零度下でも固体にならない。エネルギーがゼロの筈なのに、ヘリウム原子は振動し続けているのだ。これは原子量が小さいヘリウムは、ゼロ点エネルギーの影響を受けやすいため。ほんの僅かなエネルギーでも振動するので、ヘリウム自体のエネルギーがゼロでも運動が止まらないという事だ。

 ゼロ点エネルギーは実在する。ではこのゼロ点エネルギーの量は、一体どれほどのエネルギー量があるのだろうか? 実は不確定性原理を用いる事で計算可能だ。

 そして答えは、無限である。

 ……これは誤りではない。数学的にこの結果は導き出される。即ち空間には、全てを取り除いても未だ無限のエネルギーが存在しているのだ。

 ただしこの無限のエネルギーにヒトや物が飲まれ、焼き尽くされる事はない。何故なら世界におけるエネルギーの大小というのは、このゼロ点エネルギーからの『差分』であるから。ゼロ点エネルギーは例えるならば無限の深さを持つ海であり、あらゆる存在はその海面に立っている状態。海がどれだけ深くとも、その上に立っている限りなんの影響も与えない。ゼロ点エネルギーは無限である前に、世界の基点なのである。

 ――――ここで話を侵入生物達に戻そう。

 侵入生物達はこのゼロ点エネルギーの原理を利用した。即ち『無限』であるゼロ点エネルギーに何故宇宙にある物体が飲まれないかと言えば、そこを『基点』としているため。

 ならばギガスが纏う無限を基点とすればどうなるか?

 侵入生物達は量子ゆらぎ操作の力を使い、ゼロ点エネルギーの規則を。より具体的には無限の力を『天井』とし、ゼロ点エネルギーと無限の間にある『有限』を感知可能なエネルギーと定義。これにより無限のエネルギーをゼロ点エネルギーと同じ、確かに存在しているが感じる事も出来ない『基点』にしたのである。

 この能力は、今までの侵入生物達は持ち合わせていなかった。だからこそギガスの攻撃に為す術もなくやられ、エーテルフィールドに突っ込んでは消えていた。

 しかし侵入生物達は余波のエネルギーや仲間の残骸を用い、少しずつだが繁殖していた。繁殖するという事は、様々な遺伝子の個体を生み出すという事。侵入生物の身体には複数の遺伝子が含まれているため、ただ増殖するだけで無尽蔵に新たな遺伝子を作り出す。

 その中に偶々、先のゼロ点エネルギーに関与する物理法則改変を行う個体が現れた。これが無限に対する『抵抗性』として働き、エーテルフィールドなど無限の力を受けても消えずに済んだ。だから突破出来た――――ギガスに侵入生物が接触出来た『メカニズム』はこんなところである。

 ただしこれを奇跡と呼ぶのは早計だろう。このゼロ点エネルギーの再定義は、確かに祖先種には備わっていない力であるが……祖先種よりも更に古い、幾つも前の種では能力なのだ。繁殖時に起きた変異の中で、偶々その古い遺伝子を引っ張り出せた個体が居たのである。

 では何故遥か以前の先祖は、無限への耐性を持っていたのか? 理由は言うまでもない。

 ネビオスにとって無限の力というのは、捕食者が扱う力の一つに過ぎない。捕食や戦闘などで頻繁に用いられ、大昔の先祖達は無限対策が必要だったのだ。ギガスと違い天敵達は積極的に先祖達を滅ぼそうとはしない(あくまで餌なのだから)。先祖達は長い時間を掛けて進化する余裕があり、この特殊な能力を獲得出来た。

 そして祖先種まで進化した頃には、その無限への耐性は退化。遺伝子の奥底にひっそり情報が残るだけとなった。

 ……何故折角獲得した耐性が退化したかと言えば、エネルギー消費が非常に大きいため。無限の力は触れた瞬間に死が確定するため、ゼロ点エネルギーの改変は常にし続けなければ意味がない。ネビオスにとって物理法則の改変は難しい事ではないが、全く消費もなく出来る訳もなく、使えば使うほど体力を消耗する。

 更にゼロ点エネルギーは物理法則の中でも、かなり根源的な部分に位置する原理だ。ここを弄るのは、他の物理法則を操作するよりも慎重にしなければ危険である。そのため神経を活発に動かし、複雑な演算を常時しなければならない。演算にはエネルギーを使う。

 エネルギーをたくさん使うと、成長に時間が掛かる。子孫に与えられる分も減り、子の数が大きく減る。端的に言えば繁殖力が落ちてしまう。

 多くの天敵が無限の力で襲い掛かるなら、それでも『元』は取れるだろうが……多くないなら、そのエネルギーでより多くの子を生んだ方が、自分の遺伝子を増やせる。

 そもそも無限の力による攻撃というのは、ネビオスからすれば攻撃方法の一つに過ぎない。一時期無限の力を使うのが捕食者の主流になっても、何百世代もすれば(獲物が抵抗性を持つなどして使い物にならなくなって)衰退し、別の能力が生態系の主流となる事など珍しくもない出来事だ。無限を使う天敵が減ったなら、そんな耐性はさっさと捨てて、他の能力への抵抗性にエネルギーを回した方が生き残りやすい。

 だから祖先種は無限への抵抗性を捨てた。今の環境に適応し、更なる繁栄をするために。そしてその抵抗性を今、侵入生物達は取り戻した。長い進化の中で幾度となく繰り返したものを、また行っただけの事。

 それだけすれば、ルアル文明の奥の手を打ち破るなど容易い。


【う、うううおおおおおおおおおッ!】


 侵入生物が想定外の行動を見せても、ギガスの搭乗員は闘志を失わない。追い詰められるほどに勇気が高まり、無限を超える無限がギガスから溢れ出す。コントロールされていなければ、ルアル文明が管理する宇宙全てが一瞬で消し飛んでいるほどの力だ。

 だが無意味である。もう侵入生物達はその無限を感知しない。全ての生物が無限のゼロ点エネルギーを認識出来ないのと同じように。

 むしろこの攻撃は、状況を悪化させている。無限への耐性を持つ個体にとって、一番の脅威は無限への耐性を持たない個体だ。耐性を持たない個体は、余計な消費がない分、繁殖力とエネルギー効率に優れる。このためエネルギーが尽きた空間では、耐性を持たない方がより長生きし、瞬く間に数を増やして残り少ないエネルギーを食べ尽くす。耐性持ちは飢えて早々と死ぬのに加え、耐性なしに餌を奪われて増える事が出来ない。戦ってエネルギーを奪おうにも、耐性にエネルギーを消費しているので身体能力も耐性なしより弱い有り様。同種間で争えば、どうやっても負けてしまう。

 だがギガスは無限の力で侵入生物達を攻撃した。これにより耐性を持たない個体は一斉に排除される。耐性持ちの個体は最大のライバルがいなくなり、悠々とエネルギーを独占。繁殖して数を増やしていける。

 ギガスが無限の力を使う事こそが、耐性持ち個体の繁殖を手助けしているのだ。だからといって攻撃や防御を止めれば、今度は耐性なしの個体が無防備なギガスを貪り食うだけだが。

 耐性持ちの個体が生まれた時点で、ギガスの勝ち目は完全に失われたのだ。


【こ、こんな……俺達が……いや、まだ……まだやれる事は、あるッ!】


 追い込まれたギガスの搭乗員は、未だ絶望せず。勇気を奮い立たせ、エネルギーを作り出す。

 その無限の力を内部に巡らせ、機体そのものを爆破させた。

 自爆だ。勝ち目がない事を察した搭乗員達は、自分達の命を捨ててでも彼女達を滅しようとしたのだ。彼等は一般的な兵士と違い、肉体のバックアップは用意していない。『勇気』を発揮するため、後に引けない状況を作らねばならないからだ。この死は、本当の死となる。

 相談する言葉は一つとして交わされなかったが、搭乗員達の心は寸分も違わず一致している。誰一人として、自爆を恐れる心の持ち主はいなかった。世界のためなら命も投げ出す、気高い心の持ち主だった。

 しかし命を賭そうが、勇ましい心を一つにしようが、無限の力である以上進化した今の侵入生物達には通じない。

 ギガスの自爆により、無限の力は銀河中心部を跡形もなく消し飛ばすほど広がった。されどその一撃で消えるのは無限への耐性を持たない古い個体だけ。それどころかギガスが消え去った後、無限の力は『無限』を維持出来ず、消費可能なエネルギーとなって霧散する。

 残されたエネルギーは、全て侵入生物達のもの。

 瞬く間に侵入生物達は増殖し、空白だらけになった宇宙を満たす。そこまで増えた頃には、もう宇宙艦隊も最強ロボットもいない。全てが失われた、虚無が広がるばかり。

 侵入生物達の本能は繁殖を求めた。繁殖のためには餌が必要だ。

 ルアル文明最強の兵器を打ち破った事への歓喜など感じぬままに、彼女達は次の食べ物――――まだ見ぬエネルギーを求めて、宇宙空間を自由に泳ぎ始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る