無敵の能力

 『奥の手』として投入されたルアル文明最強のロボット兵器・ギガスが敗北した。

 その光景を軍部と政府は、どちらも映像により認知している。大きな衝撃を受けた彼等は一時的にだが思考停止に陥り、指揮系統が機能不全に陥ったほどだ。

 されど不全は一時的なものに過ぎない。

 ルアル文明は聡明な文明である。『強敵』との戦いによりギガスが敗北する可能性は、ある程度は想定していた。究極の文明を名乗れども所詮はでの評価に過ぎない。理解不能な超越的存在と戦えば、こうなる事も可能性として勘案している。

 故に、次の計画はすぐに発動した。


「住人の避難は、現時点で七割が完了しています」


 まず行われたのは、今し方ユミルが隣にいる先輩に向けて報告したように、一般人の避難だ。長く、真っ直ぐ伸びる廊下を進みながら、高機能タブレット端末片手にユミルは落ち着いた口振りで話す。

 ルアル文明において、人命は最優先の保護対象である。

 どんな事があろうと、一般市民を囮に使うような真似は勿論、救助を後回しにする事もしない。現在軍部は総力を上げ、市民の避難を手伝っていた。無論、種族により優先順位を付ける事もしない。人間も霊的生命体も高知能ドローンも、ルアル文明においては全てが市民。平等かつ迅速に避難活動が進められている。

 『戦争』時にそれは非合理的、と考える文明もあるだろう。市民なんかに構わず、軍事的行動を優先すべきだ、と。しかし聡明なルアル文明は知っている。その合理的な考えとやらは、短期的な見方でしかない。

 軍事力を維持するには大量の物資とエネルギーが必要だ。例えば武器や兵士の食糧などがなければその後の戦闘がどうなるかは、言うまでもないだろう。これら戦闘に必要な物資――――兵站がなければ戦いすら出来ないのは、究極の文明であるルアル文明でも変わらない。

 それら兵站を生産しているのは、一般市民達が行っている普通の仕事だ。

 無論実際に関わるのは、例えば食品工場や兵器工場など、直接的な搬入元だろう。だがそれら工場は原料を購入して生産を行っている。原料(食品工場なら生野菜など)は農家など生産者が作るものであり、農家が効率的生産を行うには農業機械や農薬の工場が必要だ。そもそも工場で働くにはある程度の知識が必要で、その知識を学ぶには教員が必要である。建物を建てるにも、建築家や建築作業員が必要で……

 直接軍に関わらずとも、人々の生活は軍事を支えているのだ。エンタメ系だって、社会人のストレス軽減や想像力促進などの効果を思えば無駄ではない。どれかが欠ければ、巡り巡って軍事機能に問題を引き起こす。

 一般市民の被害は、継戦能力の喪失に等しい。故に軍事面で考えた場合、一般市民を大切に扱わなければ敗北する可能性が高くなるのだ。また助けてもらえないと市民が思えば、暴動や抗議活動が起き、そちらの対処にリソースを割かねばならない。一進一退どころか追い込まれている時に、無駄な消費をすればどうなるかは言うまでもないだろう。

 市民の重視と軽視、どちらが有利に戦闘を行えるかは、ルアル文明の高度な戦略シミュレーションにより証明されている。市民の避難誘導は単なる「人命は大切です」という感情論ではなく、継戦能力の維持という合理的判断によるものという事だ。

 ちなみに避難民達には新しい居住地と職場が既にあてがわれており、避難後すぐに新たな仕事をする事が可能だ。これが出来るのもルアル文明の発展した社会学と経済学により、非常時の失業対策が確立されているため。避難民はすぐに物資を生産し、戦いに必要なものを生み出してくれるだろう。

 勿論ルアル文明が如何に市民を大事にしていようと、『敵』がそれを許してくれるとは限らない。

 此度の相手である侵入生物など正にその典型だ。ほぼあらゆるエネルギーを食らい、繁殖するその性質を鑑みれば、あらゆるものを餌と認識しているのだろう。事実ギガス撃破後の侵入生物達は更に勢力を広げたが、生命体のいる星も構わず襲っている。

 侵入生物の捕食方法は極めてシンプル。恒星だろうが惑星だろうが人工衛星だろうが関係なく、頭から突っ込んで衝突するのみ。大気圏やコロナ(恒星表面の薄い層。百万度もの超高温である)なんてお構いなしに突破し、物質も熱も光も全て体表面から吸収していく。十分なエネルギーを得たら身体を突き破るようにして無数の次世代が生まれ、それら次世代がまた手近にあるものを喰らう。その道中に野生動物や市民がいようと関係ない。そして瞬く間に星ごと消し去り、次の餌場を求めて動き出す。

 現時点で直径六千光年の範囲が侵入生物の餌となった。今も避難は続けられているが、間に合わなかった場所も少なくなく、今後も出てくるだろう。


「そうですか」


 ユミルから報告を受けた先輩、ダーテルフスがあまり嬉しそうな反応でないのも、この避難が後手に回ってしまった事への後悔だろう。

 とはいえ、まだこれは挽回可能だ。

 ルアル文明にはバックアップ、生命の蘇生が可能な技術を持っているのだから。侵入生物に星ごと食べられた市民も、遠く離れた安全な場所で今頃蘇生しているだろう。職場など生活基盤も用意され、新しい生活を送れている筈だ。

 無論住み慣れた故郷を破壊されたのは間違いない。思い出などを失った事への精神的負担、食われた瞬間の記憶によるトラウマなどもあるだろう。宗教的事情などでバックアップがない市民の犠牲も、ここまで被害が拡大すれば相当数出てくる。何より被害を抑えられていない今、いずれは全宇宙が喰われてしまう。そうなればバックアップごと食べられ、今度こそ人々は死を迎える。

 何かしらの打開策が必要だ。それを考えるため、また避難を間に合わせるためにも、ある程度纏まった時間が必要である。空間伸長による時間稼ぎは今も行われているが、秒速六億光年で飛ぶ今の侵入生物では抜け出される事が多く、被害拡大を止めきれていない。

 何か、他の対策が必要だ。

 そしてその対策は、既に実行されている。


「侵入生物の進路は?」


「想定通り、ルート1から3で停滞しています。既に七回同じ方法を使用していますが、学習しているような兆候はなく、行動に大きな変化も見られません」


「ふむ。これまでのデータから予測した通りではありますが、まずは一安心でしょうか」


 時間稼ぎが上手くいっていると知り、ダーテルフスの口調が僅かに和らぐ。顔を持たないダーテルフスの感情を知るのは困難だ。けれども先の反応から、安堵したのだろう。

 その気持ちはユミルにも分かる。何しろ、ようやくこちらの仕掛けた作戦がまともに効いたのだから。

 ルアル文明最強の兵器・ギガスさえも打ち破った侵入生物。だがあの生物達も無敵ではない。ここまでの戦いで様々なデータが得られた。

 そして特性も判明している。

 最大の特性は、出鱈目な身体能力には多くのエネルギーが使われている事。その身体能力がルアル文明の環境ではギリギリ維持している状態で、現状維持のまま何かを追加するのが困難である事だ。

 最も顕著に観測出来る例は、繁殖速度だろう。例えばギガス戦以降の侵入生物は、成長に以上掛かっている事が観測された。ギガス戦前と比べてざっと百万倍は時間が掛かっている。ギガスの無限に耐性を持ったは良いが、それはエネルギー消費を増大させ、他機能を退化させるしかなかったのだろう。

 つまり侵入生物は、能力こそ凄まじいが『生物進化』自体は他の生物とあまり変わりない。生物進化は偶然の積み重ねなので、安定した環境でも何かしらの進化は起きる可能性はあるが……何もしなければ、現状から大きな変化はしない可能性が高い。

 そしてもう一つの特性は、ルアル文明に対しという事。思考を読めた訳ではない(読心能力はルアル文明にもあるが侵入生物には通じなかった)が、繁殖優先の行動や勢力範囲の広げ方からして、侵入生物には野生動物程度の意識しかないと思われている。本当にただ迷い込んだだけで、積極的にルアル文明を滅ぼす意思はないのだろう。

 この二つの特性から対策を考える。

 まず不用意な攻撃は、即座に適応される可能性が高く、事態を悪化させかねないので控えておく。それとなんらかの、侵入生物的な『メリット』を示せば、攻撃が目標でない侵入生物の誘導は恐らく容易い。

 そこでダーテルフスは、ダークマター爆弾を囮に使う事を提案した。

 ダークマター爆弾とは『暗黒物質』と呼ばれるものを用いた爆弾である。暗黒物質の意味は文明レベルにより異なるが(例えば恒星間航行を行う前の人類では「銀河の運動などから存在は予言されているが、未だ観測出来ていない物質」である)、ルアル文明では「観測が不可能だと」物質を指す。

 暗黒物質の特徴は観測不能な点だけではない。観測出来ない事で量子の位置と運動量が定まっておらず、その場で取り得る全ての『確率』を内包している。これ自体は量子力学的にはあらゆる種類の量子で起きている事だが ― 量子の存在は確率的に定まり、観測するまでは全ての状態が重ね合わせになっている。観測により数多の可能性から状態が定まる事を『収束』と呼ぶ ― 、暗黒物質はこの可能性が通常を逸脱するほどに莫大である。これは観測の不可能性に由来し、あらゆる暗黒物質が持つ特徴だ。

 この無尽蔵の可能性を、ルアル文明が有する量子力学の一端・無観測確定法(名前の通り観測しないで量子の状態を確定させる方法)で無理やり収束させるとどうなるか? 答えは量子の状態が確定した瞬間、他の可能性……運動の向きや量など『あったかも知れない可能性のエネルギー』が放出される。

 一つ一つの可能性から出るエネルギーは、大したものではない。高々素粒子一個の運動が持つエネルギー程度だ。並の生物では感じ取る事も出来ないし、量子力学の実験で使う器具でも誤差程度の観測値しか出ないだろう。

 だが、変換されるのは確定した一つを除いた全ての可能性である。

 確定した状態から一度右にズレた可能性も、左に一度ズレた可能性も、二度ズレた可能性も三度ズレた可能性も、秒速二十万キロで飛ぶ可能性も二十万キロ一センチで飛んだ可能性も――――の可能性がエネルギーに変わるのだ。それは確かに有限数の事象であり、無限ではないが……到底数え切れるものではない。一グーゴル(十の百乗。つまり十の後ろに0を百個付けた数)よりも遥かに大きな数の可能性が、全てエネルギーと化す。

 もしも制御なしに解き放てば、素粒子程度の重さの暗黒物質でも宇宙全域どころかその『壁』をも吹き飛ばす。無論ルアル文明にはその破壊を抑え込む技術はある。破壊方法は単純なエネルギー量によるものなので、ルアル文明にとって対策自体は簡単だ。されど何もしなければ『世界』を滅ぼせる威力を持っているのは間違いない。

 ダークマター爆弾はこの原理を応用しつつ、適切な範囲に破壊力を集中させたもの。ルアル文明が持つ兵器の中では、比較的シンプルな原理の大破壊兵器だ。

 ダーテルフスはこのダークマター爆弾を『餌』にして、侵入生物の進路誘導を試みたのである。全てを等しく餌と見做しているのであれば、より大きなエネルギーに反応して進む筈。確率が収束した瞬間に放たれる莫大なエネルギーであれば、侵入生物は確実に突撃してくると読み、そしてその通りに侵入生物は動いてくれた。

 使用したダークマター爆弾の効果範囲は半径百億光年程度。そのままでは宇宙の大部分が吹き飛ぶが、現在侵入生物は空間伸長による封じ込めの最中にある。伸び切った空間内であれば、半径百億光年の爆発も『外』には届かない。

 加えて、暗黒物質が放つエネルギーは可能性から生じた仮想的なもの。本来なら存在しないものであり、なんらかの『結果』を起こせばたちまち消えてしまう。侵入生物がエネルギー吸収能力を発動させても、吸収されたという『結果』により消えてしまうのだ。侵入生物の糧になるのは、爆弾が持つ本当の質量分だけ。侵入生物を増殖させる手助けにはならない。

 この作戦は見事成功。侵入生物の誘導、そして完璧ではないものの、繁殖の抑制はかなり出来ている。


「先輩の立てた作戦は順調です。この調子であれば十分な時間を稼げますから、住民避難は問題なく終わるかと。ですから後は……」


「『彼女達』が到着するのを待つだけ、ですね」


 ユミルの言いたい事を予測し、ダーテルフスはそう語る。その予測は的中しており、ユミルはこくりと頷いた。

 ルアル文明最強の兵器ギガスは敗北した。無限個の宇宙を滅ぼせる力も、侵入生物にとっては対処可能な力に過ぎなかった。

 だがルアル文明にとっても、ギガスは三つある切り札のうちの一つである。驕らぬ文明はギガスが敗れた時の手段を用意していた。ダーテルフスの助手として侵入生物対策の最前線に立つユミルは、その次の手について聞かされている。

 そして聞かされるまで、その手段について全く知らなかった。

 ルアル文明が持つ対抗手段は、全てが公表されている訳ではない。仮に侵攻目的の文明が接触してきたなら、なんらかの方法で諜報活動を行う事が想定されていたからだ。全てを明るみに出すのは得策ではない。ギガスはその『単純』な強さ故に、バレても大きな問題にはならないという予測、それと抑止力としての働きを期待されて世間に公表されていた。

 此度使われる対抗手段は、軍部と政府により秘匿されてきたもの。ギガスよりも更に無慈悲な奥の手である。


「噂をすれば、というやつでしょうか。件の人物が見えましたよ」


 ユミルが考えながら歩いていると、ダーテルフスはそう話し掛けてくる。

 彼が(靄状の身体を変形させて)指さした場所は、ユミル達が歩いている長い廊下の真横。そこには大きなガラス……正確には半永久性ガラス様構造体と呼ぶ。何百億年経っても変形しない透明な素材である……が張られ、隣の『部屋』が丸見えとなっていた。

 部屋は数百メートルもの広さがあった。物は殆ど置かれていないが、代わりに巨大な宇宙船が何機もある。この施設の格納庫だ。置かれている宇宙船はいずれも軍用ではないが、民生品とは比較にならない速度と安定性を兼ね備えた高級船。政治家など重要人物が好んで使うものばかりだ。

 それら高級宇宙船の一隻に向かう、三十人ほどの『ヒト』の集団がいた。

 その種族はヒトと呼べる程度には人間的な形をしているが、いずれも頭部に大きな、山羊を彷彿とさせる角を生やしている。肌の色は紫色をしており、他種族との混血など一部を除けば、人間にはない体色だ。ヒトではなく、ヒューマノイド型と呼ぶ方が適切だろう。

 顔立ちも人間的で、非常に整ったものだが……誰もが髪を長く伸ばし、顔を覆い隠していた。着ている服は黒いローブであり、まるで中世の世界からやってきた魔法使いのようである。服の材質は遠目から見るに植物質で、黒さも自然由来であろう素朴さ。あまり高等な科学が使われているようには見えない。

 そんな集団の中心に、人が三人は入れるだろう大きな『鳥カゴ』がある。鳥カゴの下にはキャスターが付いていて、誰かに押される事なく自動的に移動していた。

 この鳥カゴの中に少女が一人いる。

 こちらも同じく顔を髪で隠し、身体にはローブを纏っている。しかし華奢な雰囲気から、感覚的にだがユミルは少女と思った。少女は鳥カゴの中に座っていて、さながら何処かの令嬢のようで――――


「ぅ……」


 不意に、ユミルの身体は『倦怠感』に見舞われた。

 否、そんな生易しいものではない。意識が一瞬で遠退いて消えるような……疲れ果ててベッドに跳び込み、そのまま眠りに落ちるような感覚に見舞われた。

 それが『死』の前兆だと気付いて気を強く持たねば、果たしてどうなっていただろうか。


「……苦情、入れておきますか?」


「い、いえ。大丈夫です、はい」


 ユミルの異変、加えてその『原因』に気付いたダーテルフスが尋ねてくる。ユミルは意識を覚醒させようと顔を振りながら、自分の記憶を呼び起こす。

 あの少女達の種族名はタナトス。

 これはタナトス自身の言葉ではなく、人間が彼女達の在り方を理解するために付けた名だ。正式な種族名はアウペホルトであり、人間でも発音可能な名前だが……タナトスの方が通りが良い。人間以外の種族でも、大凡似たような意味合いの名前で呼ばれているという。

 タナトスは肉体的に見れば極めて凡百な種族だ。人間と同程度の運動能力を持ち、同程度の耐久性を持ち、同程度の知能を持つ。個体差はあるものの、百メートルの高さから落ちて生還するような、極端な突然変異体は確認されていない。

 またルアル文明が接触するまで、そのテクノロジーは石器時代未満の水準でしかなかった。今でも服飾や食事は当時の文化を保ち、ルアル文明由来の技術は宇宙船など一部に限定されている。本来ならルアル文明に参加出来ない技術水準だが……研究観察時に確認された『特殊能力』から、早急な友好関係成立が必要として例外的に接触が行われた。

 その能力とは、死を操るというもの。

 念じれば自由に相手を殺せる、というだけではない。殺そうという『意思』、はたまた危害を加えようとした『行為』をでも理屈抜きに殺す。津波や隕石などの意思を持たない災害さえ、彼女達を巻き込む位置にいればたちどころに消えて死んでしまう。寿命を持たない種族や輪廻転生を行う一族、創始種族のように物質的肉体を持たない存在さえも例外とはならない。

 彼女達の存在を知った種族が『殲滅プラン』を計画した瞬間、種族全てが一瞬で死滅したという噂もある。噂なのは、検証が出来ないため。どうやら種族の情報そのものがため、誰もその種族を知らない状態になってしまったからだ。ルアル文明でなければ、その痕跡さえも発見出来なかっただろう。また彼女達の暮らす星の近くにやってきた宇宙船が事故で漂流した際は、星を巻き込むほどの爆発を起こす寸前に消滅した事もあるらしい。無論乗組員は事故を回避しようとしていたため、敵意ではなく好意をタナトスに向けていた訳だが……宇宙船の消滅と共に、宇宙へと放り出されて死滅したという。

 反抗の意思どころか可能性すら許さない。相手の意思など関係ない。過剰にして無慈悲な死を与え、何がなんでも自分達への危害を排除する。

 正に絶対無敵の能力だ。あまりにも強過ぎたがために、それが彼女達種族の文明が進歩しなかった一因である。敵に襲われる心配がない以上、武器を作る必要がない。精々安定した食糧生産(いくら死を操る力を使っても、生物自体がいなければ食べ物は得られない)のため農耕技術が多少発達した程度。それすら鍬一本でやりくりしていたレベルである。悪天候や害虫の死滅、それに伴う生態系の乱れや環境破壊さえも消滅させたので、最低限の労働で種と文明を保てる。必要は発明の母という言葉があるが、必要ないものは誰も作らないという事だ。

 そしてこの無敵の能力は、これでもタナトスにとっては基礎に過ぎない。赤子でも使える力であり、個体によって能力の強さには強弱が存在する。基本的に未熟で無力な子供であっても宇宙の全てを死に向かわせられるのに、この力には明白な上下関係がある。

 ルアル文明が誇る第二の切り札は、このタナトスで『最強』の巫女だ。ルアル文明の要請により、タナトス最強の巫女が侵入生物達の生息圏へと向かう。その最中の様子をユミル達は目にした。


「……さっきの方が巫女さんなのでしょうね」


「ええ、恐らく。私も知識があるだけで、生きたタナトスは初めて目にしました。そもそもあの方々がタナトスであるかも断言は出来ませんが」


 タナトスの情報は、一般には秘匿されている。

 理由は危険だから。タナトスの特殊能力は、タナトス自身の意思とは無関係に発動する。自分に向けられた殺意や、遠方で生じた災害や事故など、彼女達がまで能力の対象なのだ。おまけに死という結果をもたらすだけに、誤解だという弁明や、反省のチャンスすら与えない。

 タナトス自身は温和で平和的な種族だと言われている。だがその能力があまりに無差別である以上、偏見がなく温和な性格か、合理的思考の個体以外の接触は危険だ。故にこれまで、その存在を広く秘匿されてきた。

 ダーテルフスは存在を知っていたが、ユミルは今日始めて知らされた。敵意など持ち合わせていないつもりだったが、本能的な警戒心がいけなかったのかも知れない。それすら駄目となると、確かに大多数の種族は接触を禁じた方が良いだろう。無意識の敵意を抑え込むなど、普通の生物には不可能だ。

 あまりにも無分別な力であり、正直なところユミルは恐怖心を抱く。されど、だからこそ頼もしいとも思う。

 タナトス最強と謳われる巫女の実力は、実のところ定かではない。何故なら問答無用で『死』を与える能力を数値的に評価する事など出来ないからだ。ましてや赤子ですら評価不能な種族の中での最強など、一体何をどう比較・計測すれば良いのか。巫女が最強というのはあくまでタナトス達の自己申告に過ぎず、科学的計測を行えば別の誰かが真の最強かも知れない。

 いや、そもそも死を操るという力さえタナトス達からの申告だ。確かにタナトス達とルアル文明は友好関係を結んでおり、観測された結果もその申告に合致するものとなっている。しかし同盟国同士でも隠し事はあるように、必ずしも全てを明かしているとは限らない。真に聡明であれば、自分達の能力にどれだけの自信があっても他者への警戒心も失わないだろう。よって真実がなんであるかは、タナトス以外には分からない。

 ルアル文明は、タナトスの能力を殆ど解明出来ていないのだ。

 ……そう、殆ど解明出来ていない。精々どんな事をすれば能力の対象となるのか、そこからある程度の有効範囲を理解しているだけ。タナトスという種族がルアル文明に参加して既に数百万年が経つが、まだまだ原理の片鱗すら掴めない。

 タナトスの力はものと言えよう。

 だからこそ切り札となる。ルアル文明を脅かす未知の存在であっても、同じく未知にして超越するタナトスであれば……勝機は見えてくる。

 無論、ルアル文明の全面的なバックアップは付いている。時間稼ぎが必要ならば派遣された大艦隊や、弔い合戦に来たギガス三体が侵入生物達を相手する手筈だ。万全の体勢で侵入生物を迎え討つ。


「さぁ、我々も行きましょう。間もなく作戦が始まるでしょうから」


「……はいっ!」


 ダーテルフスに連れられ、ユミルは廊下の先へまた歩み出す。

 タナトスと侵入生物の戦い。その結末を観測し、データを得るのが今のユミル達の仕事。

 今度こそ止められると期待しながら、それでも万が一を考えて、願わくば訪れてほしくない『次』に備えるのだった。

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