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 伸び続ける空間の中で、侵入生物達はその個体数を順調に増やし続けていた。

 空間に満ちている、物理法則の源である真空のエネルギー。無尽蔵のエネルギーは彼女達の身体の材料となり、子孫を増やすのに役立っている。

 だが、順風満帆な暮らしとは言えない。

 空間が引き伸ばされるほど、真空のエネルギーの密度は低下していった。それに侵入生物の数が増えれば、その分餌として消費するエネルギー量も増えていく。あまつさえ一度『身』となれば、それが真空のエネルギーとして空間に還る事はない。死骸はすぐに他の個体が食べてしまうのだから。

 しばらくすれば、そこはなんのエネルギーもない空間と化した。

 生きていく事は出来る。量子ゆらぎ操作でエネルギーを引き出し、仲間の死骸を食べるだけで個体数の維持は可能だ。いや、無からエネルギーを取り出す量子ゆらぎ操作があるのだから、少しずつ個体数を増やしていく事も出来る。

 しかし適応的ではない。

 侵入生物……ネビオスの行動指針は自身の遺伝子を増やす事。エネルギーが足りず、餓死する個体が続出する環境下では自分の遺伝子が増やせない。彼女達がそれを自覚して『何か』する事はないが、より多くの遺伝子が残せるように、急速に進化していく。

 消費するエネルギー量は大きく減った。一ゼプト秒(十のマイナス二十一乗)秒掛かっていた成長速度は、一ナノ秒(十のマイナス九乗秒。〇・〇〇〇〇〇〇〇〇一秒)まで落ちている。それだけ時間圧縮を退化させ、量子ゆらぎ操作や身体機能も衰えさせた。

 空間伸長で閉じ込められた時よりも、身体は大きくなった。今では体長十五センチ未満の成体は殆ど見掛けず、十八〜二十二センチ程度まで大型化している。真空のエネルギーを効率的に吸収するためというのもあるが、エネルギー消費が落ちたため細胞機能も脆弱化し、貯蔵出来るエネルギー量も減った影響も大きい。少しでも大型化し、『貯蔵量』を増やそうという試みである。

 生み出す子の数も三十まで減った。より飢えに強い子を生むため、より生き残りやすい子を残すための進化。生まれる子も大型化し、エネルギーの乏しい環境での生存能力に優れる。

 これらは空間伸長を受ける前の、ゲート実験施設内でも見られた進化だ。基本的な環境は変わっていないため、起きる進化の傾向も今までと大差ない。

 ただ、一つだけ今までと違う進化も起きた。

 である。侵入生物達の進化はランダムな変異と自然淘汰の積み重ねであり、何かを狙って進化する事はない。この形質が進化したのも、より速く動ける方が数少ない餌である仲間の死骸に、誰よりも速く辿り着けるというのが主な理由だ。

 しかしそれが『有利』になる環境は、ルアル文明が用意したもの。

 即ち空間伸長である。一メートルの距離が、秒速換算で三億光年にも伸びる空間。仲間の死骸という貴重な食糧を得るには、この拡張速度を上回る速さで動かなければならない。

 そこで起きた進化は二つ。

 一つは長くて平たい翅への進化。空間中の真空のエネルギーを効率良く回収する構造は、空間の流れに乗って飛ぶ侵入生物達にとっては機動力の向上も兼ね備える。空間の流れを操作するにはエネルギーも必要であるが、それは体液循環の仕組みの変化で対応出来た。翅から吸収した多量の真空のエネルギーを回収する仕組みは、より多くのエネルギーを運べる構造でもあるのだ。

 もう一つの進化は、身体に生えた『産毛』のような細かい突起物である。

 この突起物はある種の突然変異により、短い触角が頭以外から生えたというもの。知的生命体には薄気味悪く見える構造物だが、侵入生物にとって重要なのはその働きだ。元が触角だけに、突起物は様々な情報を拾う。

 特に空間の情報を多く取得し、根本の細胞へと伝える。これらの情報は姿勢制御や空間の流れを把握するのに使われ、俊敏な動きや、加減速の制御に役立った。

 このように飛行能力を積極的に高める仕組みは、祖先種は持ち合わせていない。身体機能がずば抜けて高いので単純な『速度』は侵入生物より上だが、同じ世界で生きるネビオスと比べればそこそこ速い程度でしかない。体毛や翅の長さなどを進化させればもっと速く飛べるだろう。

 だがそれには理由がある。空間推進は非常に優秀な飛行方法で、ちょっと体型に気を付ければ十分に速く飛べるからだ。実際には少なくない数が天敵に捕まって食べられているため、もっと速く飛んだ方が生存率は高くなるが……多産多死型である祖先種は。むしろあまり飛行能力を追求し、産卵に費やせるエネルギーが減ってしまう方が問題である。それに多少速く飛べたところで、それより速い天敵などいくらでもいるのだ。適度なところで妥協するのが一番多くの子孫を残せる。そこら中にエネルギーが満ちているので、敵さえいなければ急いで飛び回る必要もない。

 必要がないから、ネビオスは速く飛ぶための進化をしなかった。侵入生物も必要でなければ、速く飛ぶ事はなかっただろう。

 だが必要であれば、その形質は瞬く間に広まっていく。生き残るのに、子孫を残すのに有利になるのだから。数百世代と経てば、速く飛び回る形質は侵入生物の大多数が持つものになっていた。

 やがて死骸を瞬く間に食い尽くし、真空のエネルギーもなくなって――――食べるものが何時もない空間になった時。ついに彼女達は、自分達を閉じ込める『世界』の外に目を向ける。

 最初に行動を起こしたのは、ただ一匹の個体。空間伸長によって引き伸ばされている領域の最外周を飛んでいたその個体は、自分達の暮らす領域の外に大きなエネルギー……手付かずの真空のエネルギーがあると気付いた。

 気付けた理由は、勿論空間伸長されている領域と、その外の境界線に近かったのもある。だがもう一つの理由は、発達した触角のお陰だ。空間伸長により引き伸ばされる空間で、僅かに発生した『エネルギー』を捉えるため、今の侵入生物の触角は高度に発達している。

 本来空間伸長領域で、外のエネルギーを感じ取る事は出来ない。情報は光速で伝わるものであり、光速以上の速さで遠ざかる空間内では、何かの下に届く事はないからだ。時速百キロで動くランニングマシンの上で、人間がどれだけ全力で走ろうとも、前に進めないのと同じだ。

 しかし侵入生物達の触角は、空間自体に刻まれた情報を読む。『空間解析』と呼ばれる方法であり、これは一瞬で、の情報を取得するというもの。一度に大量の情報が流れ込むのが欠点であるが、侵入生物達の数学的処理能力があれば問題ない。

 かくして餌の在り処を突き止めて、その個体は外の世界を目指す。

 空間は秒速三億光年の速さで伸びていく。だがこの個体は秒速六億光年の速さで飛行する事が可能だ。この速さは侵入生物の中でも随一の速さであり、伸長する空間よりも圧倒的に速い。

 飛べば飛ぶほど、空間中のエネルギー濃度が増している事を触角で感じ取る。空間伸長の外側は伸びていない状態。外側ほど伸長速度は遅いため、その分まだ真空のエネルギーの密度が比較的濃い。

 飛翔で消費したエネルギーを、真空のエネルギーを吸い取りながら補う。だが繁殖するにはまるで足りない。巨大な果物に穴を開けるイモムシの如く、ジグザグに飛びながら吸収。餌があるほうに本能のまま、無秩序ながらよりエネルギー密度の濃い、空間伸長領域の外を目指すように飛んでいき――――

 ついにその個体は、空間伸長の外へと抜け出す。

 ルアル文明があらゆる種族との共存のために用意した、莫大なエネルギー。無尽蔵の資源を身体で感じ取ったその個体は、早速思うがままにエネルギーを吸収し、身体を作る異次元物質へと変換。成熟するのに一ミリ秒もあれば十分なため、早速細胞分裂を始めた

 が、それよりも速くがやってきた。

 侵入生物に攻撃を仕掛けてきたのは、遥か三十光年彼方に佇む『宇宙戦艦』。全長六十八メートルを誇る球体であり、液体金属のように時折波打つ。躯体の中心から巨大な筒が伸びており、それが透明な『歪み』を放っていた。

 これはルアル文明で最も多く運用されている戦闘艦、エイピアート級小型戦闘艦だ。開発されたのはかれこれ一千万年以上前だが、近代化改修を続けて今でも現役の船である。球体をしているのは、上下左右が存在しない宇宙空間での戦闘を想定しているため。機体は高流動性液体金属で出来ており、自由自在に変形する事で状況に応じた様々な武装やシールドを生み出す。更にヒッグス場コントロールを用いて質量まで操作可能。あらゆる能力を変化させられるため、どんな戦局であろうと役割を果たせる優れものだ。

 そしてこのエイピアート級から伸びている筒状の突起物……これこそがルアル文明が持つ戦闘技術の一つ・多重余剰次元砲である。着弾地点で十万もの宇宙の誕生と死を起こし、それを物理攻撃として用いる正に神が如く一撃。

 その現象を生み出すインフレーションレーザーが、エイピアート級小型戦闘艦の主砲に集約。何時でも発射可能な体勢を取っている。

 ルアル文明は既に待ち構えていたのだ。侵入生物達が空間伸長の領域から出てくるその時を。最初に脱出したこの個体は、その瞬間を見られたがために初撃の相手になってしまった。

 初撃と言ってもルアル文明は手加減をしない。三十光年先に展開しているのは十七万隻ものエイピアート級小型戦闘艦の大艦隊。それらが一斉に、侵入生物に向けて余剰次元砲を放つ。

 一隻分だけでも、十万の宇宙を燃料にするような攻撃だ。単一の宇宙は勿論、多次元文明だろうが跡形もなく消し飛ばす。それが十七万隻分となれば、例えルアル文明と同じ多宇宙文明だろうと容赦なく滅ぼすだろう。

 たった一体の生物に向けてこれを撃つなど、ルアル文明にとっても前代未聞の行いだ。事情を知らぬ者から見れば、軍人達は気が狂ったのかと思うだろう。

 しかし聡明なルアル文明は分かっていた。自分達が作り出した様々な対策を次々と打ち破った侵入生物達は、自分達を超える力の持ち主だと。ならばたった一体であろうとも、手を抜く事などするべきではない。過不足ない攻撃をするのは、倒した後で考えれば良い。

 むしろ心配すべきは、耐え抜かれた後。

 無論、その対策もしている。もしこの攻撃に耐えても、次は六百光年彼方で控えている三十五万隻のエイピアート級小型戦闘艦が砲撃を行う。これにも耐えたら九千光年先で待機している二百万隻のエイピアート級小型戦闘艦、そのエイピアート級の百隻分に相当する戦闘力を持つタイガトロン級大型戦艦六万隻が攻撃を行う手筈となっていた。これにも耐えたなら、銀河中にある宇宙基地で発進準備を整えている二億隻のエイピアート級小型戦艦と一千万隻のタイガトロン級大型戦艦、更に二兆三千億機のエルシオ級無人戦闘機と共に出撃する。銀河の外にも系外攻撃型機動衛星アスフィリアが三百基ほど臨戦態勢を維持。アスフィリアは大型戦闘艦十万隻に匹敵する戦闘力を誇り、最大火力で攻撃を行う。

 もしもアスフィリアが動く事態になれば、その時繰り出される攻撃は数千垓個もの宇宙を滅ぼす攻撃だ。しかもこれはほんの一秒程度の出来事。効果が認められるまで攻撃は続けられる。そしてそれを可能とするエネルギー生成ラインをルアル文明は持つ。ルアル文明はここで侵入生物達を確実に滅するつもりだった。

 ――――しかしルアル文明はミスを犯した。

 ルアル文明は思い込んでいたのだ。どんなものにも限界はあると。確かにそれは正しいかも知れない。だがその限界が、自分達の理解の及ぶ範疇にあるとは限らない。自分達を上回ると思いながら、その限界を理解出来るなどとはおこがましいと気付かず。

 侵入生物の祖先は、ネビオスの中でも特に小さく非力な存在として生きていた。自分達よりも遥かに強い生命体に襲われ、喰われ、殺されるばかり。幸運にも生き延びた個体だけが子孫を残し、生まれた子はただただ喰い殺され、殺されるよりも多く子を生むだけの日々。

 そんな彼女達にとって、餌となるものは何か? 膨大なエネルギーを持つ、大気のような特殊生物? 確かにそれらも餌としていたが、摂取量で言えばおやつのようなもの。もっと膨大で、あちこちで得られるエネルギーがある。

 だ。厳密には日常生活で発生したエネルギーも別け隔てなく糧にしているが、主食と言えるのは戦闘で生じたものだった。

 量子ゆらぎ操作を扱えるのは祖先種だけではない。ほぼ全てのネビオスがその能力を持ち、無から膨大なエネルギーを生み出している。祖先種は非力で脆弱な種であるため、量子ゆらぎ操作で生み出すエネルギー量は(ネビオスの中ではという注釈は必要だが)かなり少ない。だが他のネビオスは違う。

 宇宙を纏めて幾つも破壊する鉄拳。

 三十六次元の座標を纏めて焼き払う光学的攻撃。

 時間を自由に操り、過去も未来も因果さえも干渉する能力。

 それら全ての攻撃を遮断する障壁。

 他の生き物を喰らう捕食者や、それらに抵抗するための力を持った被食者、はたまた同種との縄張り争い。膨大なエネルギーを利用して、多くのネビオスは途方もない破壊力の攻撃を振る舞う。それこそ微生物だって、小さなライバルや天敵との競争で量子ゆらぎ操作を行うのだ。

 祖先種が属していた融細胞生物ドメインは、他の生物が『生活』の中で放出したエネルギーを吸収する事に特化した進化を遂げた。自分からはろくに戦わず、誰かの生活を横で眺めるだけで生きていく……その生き方に特化する事で『最も繁栄したグループ』になったのだから、ネビオスの戦いで生じるエネルギーの大きさは窺い知れる。

 そんな環境下で暮らしていた生物にとって、幾万の宇宙を焚べたような攻撃などに過ぎない。祖先種からすれば一食分の食事に過ぎず、これを処理するための仕組みは身体に備わっていた。

 そして侵入生物の身体も、これを受け継いでいる。

 多重余剰次元砲から放たれたインフレーションレーザー……それは侵入生物のすぐ隣で『着弾』。無数の宇宙の誕生を引き起こし、直後に崩壊に伴う破壊を振り撒く。侵入生物の周りにはもう真空のエネルギーがなく、物理法則も存在しないが、宇宙物理法則を生むインフレーションレーザーには関係ない。

 放出されたエネルギーは半径十メートルの範囲に押し込まれる。これは高い威力と、確実な命中を期待して設定されたもの。尤も、仮に最小範囲である半径一メートルまで凝縮しても侵入生物は逃げなかったが。

 余剰次元のエネルギーは侵入生物を直撃。瞬間、侵入生物の身体はそのエネルギーを直ちに吸収した。

 数多の宇宙を消し飛ばす超高エネルギーの吸収。ここまでいけば吸い切れない、というのがルアル文明の読みだった。だが侵入生物の表皮は、エネルギーについては全く抵抗性を持たない。電気も熱も余剰次元も素通りさせ、体内へと送り込んでしまう。即ち、『吸い切れない』という状態がないのだ。

 勿論取り込んだエネルギーが適切に処理(代謝への利用や成長など)出来なければ、そのうち細胞の容量が限界を超えてパンクしてしまう。だがこれも問題はない。取り込んだエネルギーの処理は個々の細胞により代謝されるが、侵入生物の細胞はエネルギーが多いほど活性化し、際限なく処理能力が高まっていく性質を持っている。

 というのもエネルギーの処理を行う媒質が、そのエネルギー自体なのだ。高エネルギーが身体に入れば、その高エネルギー自体が強烈に作用し、エネルギーを生きるのに必要な形に素早く変換していく。高エネルギーであればあるほど変換速度は早くなり、成長に必要なものが瞬く間に作られる。細胞機能ではなくエネルギー量に由来するため、処理限界が存在しないのだ。

 対エネルギー攻撃に対し、無敵と言える仕組みである。このような仕組みがあるからこそ、融細胞生物達はネビオスのエネルギーを利用するという生き方が出来るとも言えよう。

 ただし深刻な弱点も抱えていて、それは常にエネルギーを変換してしまう事。どういう事かと言えば、エネルギー自体を処理の媒質にしているため、エネルギーがあると勝手に仕組みが働いてしまう。そして生きた細胞であれば、多かれ少なかれエネルギーは持っている。しかも処理は細胞機能に依存していないため、細胞側からこれを止める事が出来ない。

 例えるなら、これは何も食べていないのに胃液がガンガン出ているようなもの。これを『空回し』と呼ぶ。エネルギー処理自体にもエネルギーを使うため空回しであってもやればやるほど身体は痩せていく。しかも空回しは細胞への負担が大きく、劣化や損傷が引き起こされ、修復に無駄なエネルギーを使う羽目になる。

 要するに維持に膨大なエネルギーを使い、それを止められないため、飢餓に非常に弱いのだ。ネビオスの世界であればあちこちに生物がいて、ただ生活するだけで膨大なエネルギーを撒き散らすため問題にならなかったが……もしも普通の宇宙だったなら、ネビオスは瞬く間に餓死しただろう。生き残るにしても、エネルギー吸収能力を大幅に退化させねばなるまい。

 だが侵入生物達は環境に恵まれた。

 ルアル文明は空間にたっぷりと真空のエネルギーを充填していた。このため何処にいても『少量』ずつのエネルギーを吸収出来、エネルギー処理の空回しをいくらか防げたのである。

 あくまでもいくらかであり、ネビオスの世界と比べればやはりあまりにもエネルギーは少ない環境のため、祖先種と比べればエネルギー吸収能力は大きく退化している。具体的には変換効率が悪く、エネルギーの種類によっては反応が遅いなどの点だ。だが他の身体機能、時間圧縮や繁殖能力と比べれば、幾分祖先種の頃の力を残していると言えた。

 その幾分の力があれば、多重余剰次元砲を消化しきるのは難しくない。

 宇宙に匹敵するエネルギーはたちまち消費され、侵入生物が新たな子孫を生み出すための糧となる。生まれたての幼体でもエネルギー吸収能力は備えており、親の身体から直後に余剰次元のエネルギーを吸い取っていく。親の身体は子に食われていくが、余剰次元砲のエネルギーがあれば子の成長よりも早く『再生』が可能だ。本来五十しか生めない子を百も二百も生み出し、その数百の子が同じく数百の孫を生み出す。

 未だ侵入生物の身体は、一般的な物質と比べれば比にならないほどのエネルギーを使う。例え宇宙十万個相当のエネルギーだろうと、誕生する個体はそこまでの数にはならない。

 だがそれでも侵入生物は一気に数を増やす。内包するエネルギーを除いた、純粋な肉体質量に換算すれば、最早銀河数十個分相当はあるだろう。それだけの数が一ヶ所に纏まるほど、侵入生物はお行儀の良い存在ではない。今まで研究施設跡地の範囲を埋め尽くす程度は黒い群れは、さながら宇宙のインフレーションを再現するかの如く光速度以上の速さで膨張していく。

 膨張した先には真空のエネルギーだけでなく、無数の星間物質や恒星が浮かんでいた。それらも全て侵入生物達は喰らっていく。後には素粒子一つ残さず、更に個体数を増やしながら銀河に広まる。

 その群れは、やがて三十光年離れたルアル文明の艦隊に迫ろうとしていた。

 攻撃した直後の大増殖。吸収能力の限界を想定していたルアル文明にとって、それは予想を上回る帰結だ。だが想定していない展開ではない。このような場合に備えた兵器を、ルアル文明の艦隊は装備している。

 侵入生物の一群が、多重余剰次元砲を撃ったばかりのエイピアート級小型戦闘艦に迫った。この群れは秒速六億光年の速さで飛んでおり、三十光年先の場所にも僅か〇・〇〇〇〇〇〇〇五秒(五十ナノ秒)で到達する。普通の生命体ではこの短時間で反応・対応する事は不可能だ。

 だが戦闘艦にはその運航を制御する管理AIが搭載されている。侵入生物の接近を感知した管理AIは、まず船内の時空操作を実行。船内時間を遅くする事で、外での一秒を何百年もの年月として『体感』するよう調整する。これで船内の知的生命体も、侵入生物の超光速移動に対応した認識や指揮が可能となった。

 そして搭乗員達が状況把握と作戦会議をしている間に、管理AIは迎撃を行う。

 侵入生物は余剰次元砲を吸収した。よってエネルギー系の攻撃は効果がない、或いは逆効果になると予想。そこで管理AIは実体弾による攻撃を行った。

 艦体の一部を変形させて銃口を作り、装甲の一部を弾丸に流用・射出したのだ。実体弾と言ったが、ルアル文明の最高峰テクノロジーで改良された代物だ。ただの弾丸とは一味違う。

 撃ち出された弾丸はマテリアルディメンション弾という代物。

 マテリアルディメンション構造と呼ばれる作りをしている事から、その名が付けられた。これは数多の次元に跨って存在するという特殊な構造だ。時空間にも跨っており、を同時に攻撃する事が出来る代物である。その打撃を大まかに表現すれば、当たる前にダメージを受け、当たった時にもダメージを受け、当たった後にもダメージを受けるようなもの。しかも跨がる時空は過去・現在・未来の三つではない。時空の最小単位であるプランク秒の単位で、数兆もの層に跨がっているのだ。つまり『命中』すれば、数兆発の弾丸を一点集中で受けるようなものとなる。

 エイピアート級小型戦闘艦が放った弾の威力は、射出速度と硬度から算出すれば精々銀河の破壊に匹敵する限度。宇宙を消し飛ばす余剰次元砲と比べれば、副砲どころか機銃としても物足りない。だがマテリアルディメンション構造を持つがために、数兆倍にも破壊力が増幅している。宇宙に存在する銀河の総数は(宇宙によって差はあるが)数兆個。単純計算では、やはりこの弾丸も宇宙を容易く破壊するものなのだ。しかも複数次元に跨るため、三次元空間から逃げた存在にも攻撃を当てられる。

 更にマテリアルディメンション構造は、それ自体が物理法則として働く。これもまた侵入生物達の真空のエネルギー消費を想定した、物理法則がなくても機能する攻撃だ。

 そして一番の特徴は、理屈はどうであれ『物理攻撃』である事。

 これが侵入生物に対し効果的だった。飛んできたマテリアルディメンション弾の直撃を受けるや、侵入生物の身体は粉々に粉砕されてしまう。耐える事はおろか、掠めただけで塵にしか見えないほど細かく砕け散っていく。

 何故こうもあっさりやられるのか。それは侵入生物の肉体はかなり脆弱であるため。この形質は祖先種から受け継いだものだ。

 祖先種は生態系の最下層に位置していた。日々天敵に襲われ、喰われていく。しかし天敵達に襲われない強さを得るのは至難の業。というのも細胞同士の結合が弛い融細胞生物ドメインの生物は、その弛さ故に強い身体を維持し難い。持てない訳ではないが、戦闘向きな身体構造を持つ種と比べれば、同じ強さを得るのに多くのエネルギーを必要とする。消費するエネルギーが多くてはライバルとの競争は不利であり、どうにか強くなってもやはり勝てないのだ。そもそも上にはいくらでも上がいて、生半可な強さでは食われる側という立場は変えられない。

 どうせ天敵に食べられるのなら、強い肉体なんて必要ない。むしろそのコストを産卵など、繁殖に費やした方がより多くの子孫を残せる。

 そのため祖先種は、強靭な肉体を持つような進化をしてこなかった。侵入生物も基本的な生存戦略は同じ(天敵はいないが肉弾戦で争うような相手もいない)であり、強くなるという進化はしていない。むしろ量子ゆらぎ操作の力が弱まり、異次元物質の性能が弱体化。元々弱い身体が更に弱くなっている。

 また、祖先種は運動エネルギーの変換をあまり得意としていなかった。あくまでも相対的に苦手なだけで、変換自体は問題なく行えるが……若干反応が遅い。細胞機能が退化した侵入生物ではこの欠点が顕著。恒星との正面衝突ぐらいならば問題ないが、『一回』で銀河をも破壊するマテリアルディメンション弾の運動エネルギーは処理しきれない。

 そうした諸々の弱点を突いたがために、マテリアルディメンション弾は侵入生物の破壊に成功したのだ。

 だが侵入生物は死んでいない。

 そう、以前述べたように――――侵入生物達、その先祖たる祖先種が属する融細胞生物ドメインは細胞同士の結合が弛い。この弛さのため身体組織の液状化が可能なほどだ。液体のようになった身体は、千切ろうがバラバラになろうが死なない。

 食われる側である彼女達は、その弱い身体だからこそバラバラになっても生きていけるのだ。一ミリもないような肉片は勿論、細胞一個からでも十分なエネルギーを得られれば再生していく。大きさが足りなければ隣にいる細胞、元自分どころか血縁関係すらない他人の細胞とも一纏めになって、肉体を再構築する事さえ可能だ。一つの身体に多種多様な遺伝子を持つ性質があるため、身体を構成する細胞が『自分』由来である必要すらないのである。

 粉々になった侵入生物の肉片が再生し、更に数を増やして迫りくる。今度こそ想定外を前に、多くの戦闘艦の動きが鈍った。攻撃を続ける艦もあったが、少しでも数を減らせたものはない。

 ついに侵入生物が間近にまで迫ると、エイピアート級小型戦闘艦は三種類のシールドを展開。接触を防ごうとする。しかし最早苦し紛れである事は、管理AIや軍人達には分かっていた。

 最初に展開したのはエネルギーシールド。高出力のエネルギーを展開し、接触した攻撃を破壊、または進行を阻害するというものだ。仕組みは単純であるが、だからこそ効果的な防御である。ましてやルアル文明のテクノロジーであれば、例え宇宙全体が吹き飛ぶ規模の衝撃を受けても難なく耐えられるほど……しかし侵入生物達はエネルギーを吸収する生命体だ。エネルギーフィールドなど餌に過ぎない。難なく通り過ぎ、挙句数まで増える始末。

 次に展開したのは次元転送フィールド。接触した物体やエネルギーを、別次元に転送してしまう事で無力化するというもの。エネルギーフィールドを貫通するような凄まじい攻撃でも、何処か別の場所に飛ばしてしまえば無力化出来る。だが侵入生物達は空間に存在する十一の次元全てを認識し、その中を自由に動き回る生命体。別次元に飛ばしたところで、ちょっと軸をずらされた程度でしかなく、簡単に戻ってきてしまう。こちらは壁にすらなっていない。

 最後に展開したのは歪曲フィールド。周囲の空間を複雑に捻じ曲げ、飛んできた攻撃を逸らす。これを突破して接触するのは、例えるならば迷路を解くようなもの。故に普通ならばシールド内の物体への接触は困難なのだが、侵入生物は空間に干渉しながら飛行を行う。捻じ曲がった空間を修正するなど造作もない。迷路を直進して突破するように、力尽くで破ってしまう。

 全ての防御は難なく突破され、侵入生物達はついにエイピアート級小型戦闘艦と接触。船体に激突した衝撃で身体は潰れたが、弾丸を受けた時と同じくその程度では死なない。むしろ艦表面を覆い尽くすように広がり、液状化しながら船体を侵食していく。

 エイピアート級小型戦闘艦は液体金属で出来ており、この液体金属内には自由に泳ぎ回るナノマシンがいる。ナノマシンは船体内部に入り込んできた敵対存在へと接近し、さながら免疫細胞のように攻撃を試みるが――――エネルギー攻撃は餌として吸収されるのがオチ。物理的に細胞を刻もうとしても、触れた瞬間質量=エネルギーとして吸収されてしまう。

 侵入生物の食事を阻む事は出来ない。

 戦闘艦の船体の質量、それと稼働に使われていたエネルギーを糧にして侵入生物達は増殖。そのまま内部へと入り込み、武装も動力もAIも人員も、全て等しく飲み込んでしまう。

 搭乗員である軍人達は最後まで抵抗を試みた。持っていた質量弾を撃ったり、特殊な能力が使えるならそれで応戦したり。だが如何なる足掻きも侵入生物には通用しない。搭乗員が有機生命体以外の、霊魂生命体だろうが機械生命体だろうがお構いなし。等しく食べ尽くし、全てを自分の子孫の材料として活用する。

 戦闘艦を糧にして侵入生物達はまた増える。たくさんの仲間が増えたが、彼女達に仲間意識を抱くような高等な知性は備わっていない。姉妹と他者を区別する能力もないので、近くにいるのはみんな『同種』。同種は同じものを食べるライバルであり、出来れば近くにいたくない。自然と侵入生物達は互いに距離を取り合う……光速よりも速く飛びながら。

 適度に分散した状態で侵入生物達は生息圏を拡大。進出した先でエネルギーを食い荒らし、増えればまた拡散する。

 瞬く間に、ゲート実験施設が存在していた銀河中心部から三十光年の範囲は、無数の侵入生物で埋め尽くされた。それも一つ一つの間隔が数光年もある恒星や、一立方メートルに原子数個程度の星間物質と違い、数十センチの距離を仲間が横切るような超高密度。直径十万光年の銀河と比べれば遥かに小さな領域だが、その質量は既に銀河を大きく上回る状態だ。

 誰の目にも明らかな大繁栄。侵入生物達の中にある『自分の遺伝子を増やす』という、ネビオス由来の衝動が満たされていく……と言いたいところだが、侵入生物達が満足する事はない。確かに増えたいという衝動はあるが、食欲や睡眠欲と違い「どのぐらい」はない。永遠に満たされない衝動であり、だからこそ侵入生物は決して繁殖を止めず、餌がある限り増え続ける。

 そしていずれは宇宙を埋め尽くす。

 順調にいけば、それはそう遠くない未来の話だった……そう、順調であれば。しかし物事は早々思惑通りにはいかない。ましてや侵入生物達が相手するのは、究極の文明ルアル。

 。文明の危機が迫った時に使われる『奥の手』はまだ残っている。ルアル文明発足以来、それら奥の手を積極的に使った事はないが……ついに使う時が訪れた。それに足る相手だと侵入生物達は認められた。

 文明の思惑など、知能を持たない侵入生物達には知る由もない。だがその奥の手が今、自分達に迫ってきているのは感知している。

 数多の宇宙を滅ぼす力さえも比にならない、否、比較さえ出来ないほどに大きな力が――――

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