軍事的駆除計画
空間伸長により別宇宙の生命体を封じ込めてから、三時間が過ぎた。
ユミル達実験場職員は、施設脱出後一分と掛からずやってきた軍艦により、全員救助された。軍艦は事故の連絡を受けて駆け付けており、救助後の職員に対し即座に事情聴取を開始。休憩すら挟まなかったが、事が事だけに誰も「疲れたから明日にしたい」とは言わない。時間停止も時間遡行も、単一金属さえも破ったかの生物の力を思えば、一刻も早く報告したいぐらいである。
ユミルも救助してくれた軍人達に、自分が知る限りの情報を伝えた。尤も、今日が初仕事であるユミルには、見たもの以上の話は出来なかったが。
かくして聴取は終わった。しかしユミル達はまだ解放されない。むしろここからが仕事と言うべきか。
これから、あの別宇宙の生命体をどうにかして『排除』しなければならないのだから。
「うぅ……」
そんな重要な作戦の会議がこれから行われる一室にて、ユミルは縮こまって震えていた。
無数のコンピューターとモニターが置かれた、無機質な部屋だ。室内には軍服を着た軍人(種族は様々。人間もいればバクテリア集合体種族、機械生命体もいる)達が忙しなく動き回っている。怒号や叱責など攻撃的な声は飛び交っていないが、彼等が纏う緊張感は針のように鋭く、ユミルは全身でそれらを感じた。
ユミル達に行われた事情聴取から、現れた生物の危険性は軍人達にも伝わったのだろう。だからこその緊張感であるなら、むしろ適切な反応だとユミルも思う。何しろ時間操作系の対策は全部突破され、物理的妨害の最高峰である単一金属さえも破られたのだ。今は空間伸長で時間稼ぎをしており、どうやら移動速度が足りなくて抜け出せないようだが……死んでいない以上安心は出来ない。
何よりこの短時間で、既に個体数が爆発的に増大している。この増殖速度を鑑みれば、この宇宙を食い尽くす事はそう難しくはあるまい。
此処での決定が、宇宙の命運を左右する。
その会議に参加するとなれば、伸し掛かる重圧を苦しく思うのは当然だ。ましてやユミルは、今日職員になったばかりの新人。マニュアルこそ読んだが実務経験などない。一体何をどう答えれば良いのか、何が出来るというのか……
「ユミル。緊張は悪い事ではありませんが、過度に自分を卑下する必要はないですよ」
そんな気持ちを読んだように、ダーテルフスは優しく言葉でユミルを窘めた。
尊敬する先輩からの言葉である。嬉しいと反射的に思うも、こればかりは簡単には受け入れられない。
「で、ですが先輩。私は今日来たばかりの身ですし、先輩達ほど知識も経験もなくて……」
「私があなたをこの会議の補佐に任命したのは、あなたの能力を評価した上での事です。業務は未経験でも、オペレーター教育は学校で散々受けたでしょう。あなたに任せたいのは、あの役割です。今まで通り、学校の時のようにやってもらえれば十分ですよ」
「は、はい……」
激励の言葉に、ユミルは身体の熱さを感じる。
先輩から任された、ユミルの役割。それはダーテルフスや他の人達が会議中に発した意見を、逐次コンピューターに投じてシミュレーションを行う事だ。そしてコンピューターから興味深い、或いは危機的な結果が得られた時は即座に報告する事。
発言の分析自体は、この場を管轄している管理AIが常時実施している。必要ならば管理AI自体から作戦の立案や問題点の指摘もしてもらえるだろう。ユミル達人間が大昔(惑星間の移動も満足に出来なかった頃)に使っていた原始的AIと違い、ルアル文明のAIは人類並の思考力を有しているのだ。
しかしだからといって、管理AIに全てを任せるのは好ましくない。AIの思考はデータ解析に特化しており、所謂独創性に欠けているからだ。というよりルアル文明はそのように『彼等』をデザインした。
やろうと思えば生命体と全く同じ考え方をするAIなど簡単に作れる。だがそれではどんなに優れていようと、自分達に出来る発想の延長線上の考えしか持たない。有機生命体や情報生命体とは異なる発想が、高度文明を育て上げるには必要であり、故にAIはAIらしい考えをするよう設計したのである。その設計思想が正しい事は、数学的シミュレーションの結果からも証明されている事だ。
しかしこれは言い換えれば、AIはあくまでAI的な考えしかしないという事。生命体側も相応に頑張り、様々な考えを持たなければ意味がない。
優秀な機械が描く未来予想図に匹敵する、データに基づきながらも独創的、或いは突飛な発想からの推測。これを行うのが、オペレーターと呼ばれる職種だ。
ユミルはこのオペレーターの才能に優れていた。学生時代から管理AIでは大凡辿り着けないほど空想的で、されど論理的な回答をし、最優秀な生徒と学習機関から認められている。ダーテルフスはそこを評価し、採用したのだと言っているのだ。
ユミルとしてもそこに自負はある。ましてや憧れの先輩に認めてもらえたなら、応えたくなるのは自然な考えだろう……人間含めた多くの知的生命体としては。
「……分かりました。微力ながら、全力で励みます」
「頼みましたよ。さぁ、そろそろ会議の始まりですね」
ダーテルフスがそう言うと、それを合図とするかのように続々と会議室に人々がやってくる。
人々と称したが、必ずしも人間ではない、というのはルアル文明では今更な事。爬虫類型種族や節足動物型種族、鉱石種族や気体種族も室内にやってきた。一部タンパク質どころか固体ですらない種族もいるが、どれもルアル文明基準では『人類』である。厳密には人類という単語は正確ではない(『ルアル共通語』として訳すなら知的生命体とするのが正しい)が、人間の言葉としてはこう表現するのが良いだろう。
やってきた人数はざっと二十人。大部分が軍人のようだが、三名だけ科学者らしき服装の種族、そして一人だけ政治家らしい正装を纏ったもの(幾何学的紋様を身体に刻んだグレイ型種族。目と頭が異様に大きい、毛のない人型生物である)もいる。実際政治家なのだろうが、ユミルは彼もしくは彼女について知らない。別宇宙に行ける技術を有した文明宇宙だけでも、一千六百万以上も所属しているのがルアル文明。政治家の数も星の数ほどに多い。
何しろ平均的な宇宙であっても、銀河は数兆個、銀河一つに恒星だけで数千億個はあるのだ。政治体制とこれを動かす政治家は相応の数が必要である。やってきたのが何者で、どれほどの地位にいるのか、余程の政治マニアでなければ、直接統治されている側でないと分からないのは自然だ。
集まった者達は各々席に着き、しばし待機。その間にユミルは座席に設置された機械端末を起動し、会議室内の記録と管理AIの思考ログを端末モニターに表示する。発言やデータだけでなく、管理AIの『思考』もまた、発想のヒントとなるからである。
数分後に訪れた会議時間を迎えて、ようやくグレイ型種族の政治家が立ち上がり、言葉を発した。
「まずは自己紹介を。私はこの銀河を統括する総督マスキンだ。早速だが、ゲート実験施設で起きた事故、及び観測対象宇宙からやってきた未知の生命体の対策会議を始めたい」
グレイ型種族マスキンは名乗りと共に、手を胸に当てて頭を垂れる。このポーズは彼等の種族にとって、感謝を伝えるものだ。尤も、この場における意味は社交辞令だろうが。
マスキンが名乗りを終えると、ダーテルフスも立ち上がる。正確には身体を伸ばす、だが。靄のような身体である創始種族には足も背筋もない。
「こちらとしても力が及ばず、事故の終息に至りませんでした。お詫び申し上げます」
「……あなた方の行った対処は、管理AIのログ記録から把握している。世辞を抜きに、あなた方は適切な対応をした。最善の結果がアレであると、私は考えている」
ダーテルフスの謝罪に対し、マスキンは冷静な言葉で彼を評価する。
尊敬する先輩が謂れなき批難を受けずに済んだのは、ユミルとしては嬉しい。だが、だからこそ事態の『悪さ』が身に沁みて分かる。
もしも此度の事故がダーテルフスの失態によるものであれば、事態解決は難しくなかったかも知れない。本来なら数々のセキュリティを突破するだけの力を持たない存在が、偶々通過出来てしてしまっただけになるのだから。軍が真面目に対応すればあっさり解決……個々人の感情や人生は兎も角、ルアル文明にとってはベターな結果だろう。
しかしダーテルフスの対処は適切だった。その上で突破されたという事は、二つの可能性が示されている。
その生物が、ルアル文明が過去に接触・想定していない、未知の物理現象に由来する存在か。はたまたルアル文明の技術力を完全に超越する力を有した存在か。
どちらであったとしても、これに対応するのは簡単な話ではない。
「世論は責任についてあれこれ言うかも知れないが、この場において君達を処罰しようとする者はいない。無論資質を疑う者もだ。故に、率直に尋ねたい。此度現れた存在は、単なる想定外なのか、それとも上回るモノなのか」
マスキンが尋ねると、傍にいる軍人達や科学者達の視線がダーテルフスに集まる。ユミルが端末から見ている管理AIの思考も、ダーテルフスの発言の記録に多くの演算リソースを割いている。
注目を集める中、ダーテルフスはハッキリとした口調で告げた。
「上回るモノです」
その一言で会議参加者に動揺が起きる。ついに現れたのかと、驚くように。
冷静なのは事実をデータとしか認識しない管理AIと、ゲート実験場のログデータを事前に見ていたであろう科学者、その場に居合わせたユミル……そしてマスキンぐらいなものだ。
その中でマスキンは、データの内容を詳しくは把握していないだろう。だからこそダーテルフスに根拠を尋ねる。
「根拠は?」
「真空のエネルギーの制御により、我々は宇宙の全物理現象を把握しています。つまり我々に出来る事も、出来ない事も、全て知っている状態です。ですがあの生物は、時間凍結の内側からの解除を行いました。我々がどれだけ物理法則を制御しても、どうにもならなかった事を成し遂げたのです」
「成程。確かにこれをただの想定外と呼ぶには、少々楽観が過ぎるな」
ダーテルフスの説明に、納得するようにマスキンは呟く。
真空のエネルギー。
宇宙の空間を満たす、物理法則の根幹となるエネルギー。宇宙誕生時の相転移の状況次第でどの程度空間に残るかは異なり、それが宇宙毎に異なる物理法則を生み出す。宇宙によって様々な生命が誕生するのも、独自の文化が育まれるのも、全てこの真空のエネルギーの多様さのお陰と言っても過言ではない。
ルアル文明はこの真空のエネルギーを、かなり好き勝手に弄っている。
とはいえこれはエネルギー源として利用しているのではない。むしろ環境改善の一環として、真空のエネルギーの保護及び『調整』をしているのだ。
何故そのような事をしているかと言えば、それは他宇宙の存在と共存するため。今し方述べたように、真空のエネルギーの状態が宇宙の物理法則を定め、それは宇宙毎に異なる。
宇宙ごとに物理法則が異なるという事は、ある宇宙に存在する法則が、別の宇宙にはないかも知れない。
これはあらゆる生命体との共存を目指すルアル文明にとって、大きな課題である。例えば創始種族のような情報生命体は、大雑把に言えば「高密度の情報は実体化する」という法則の下で生命活動を行っている。ところがこのような法則は、必ずしも全ての宇宙に存在しているとは限らない。むしろ少数派と言えるだろう。
「高密度情報は実体化する」という物理法則がない宇宙に、創始種族が訪れたらどうなるか? その身体は、訪れた宇宙にとっては存在し得ないものである。というより存在するための『前提』がないと言うのが正しい。
よってそのような宇宙に行った創始種族は、跡形もなく消えてしまう。じわじわなんて猶予はない。一瞬にして消滅する事になる。
霊魂生命体や記憶生命体、概念生命体なども、その存在を許す宇宙でなければ活動出来ない。有機物が存在しない宇宙というのは珍しいが、ない訳でもなく、そういった宇宙に人間が足を踏み入れれば消滅してしまう。
そして生命体だけでなく、技術なども例外とはならない。前提となる物理法則がなければ、どんなに高度な科学道具もただのガラクタ。素材の前提となる物理法則がなければ、道具自体が消える。
ルアル文明は多種族文明。宇宙同士の交流により発展しようとしている文明である。なのに特定の宇宙に入れない、一部の宇宙でしか使えない技術があっては、順調な発展は出来ず、強みだって活かせない。
そこでルアル文明では真空のエネルギーを調整し、全ての生命体が生存出来るよう宇宙を『改良』している。このような真似が出来るのは、ルアル文明が宇宙に存在する全ての物理法則を掌握しているからだ。様々なエネルギーを注入した結果、場に満ちる真空のエネルギーの量が凄まじい(素粒子一つで平均的な銀河一つ分ぐらいの)ものになったが、この程度であればルアル文明にとっては十分管理可能な水準である。安定しており、まだまだ追加していく事は可能だ。
そして完璧な創り手だからこそ、ルアル文明が認識していない、エネルギー充填時に含めていない物理法則は存在し得ない。
なのにルアル文明の認識していない方法で、奴等は対抗策を突破してきている。なんらかの方法で物理法則の改変を行っているのは間違いない。
重要なのは物理法則の改変自体は、ルアル文明でも可能である事。つまりルアル文明は、物理法則改変という『攻撃』を想定済みである。
故にルアル文明の領域内にある真空のエネルギーは、改変が困難になるよう調整している。その調整さえも突破したからこそ、ダーテルフスはかの生物をルアル文明以上だと断言したのだ。
「ふむ。我々の文明を超えるものが、まさか生命体だとは……さしずめ『究極の生命』といったところか。相手にとって不足なしだな」
「……マスキン総督。その言い方は我々が『究極の文明』と自称するようなものです。此度の事態に対し、油断は禁物かと」
「ああ、そうだな。過信はいけない」
軍人の中の一人(部下なのだろうか)に窘められ、マスキンは軽く笑いながら反省の弁を述べる。
「それはそれとして、呼び名は必要だろう。なんと呼べば良い?」
「外宇宙生物、では他宇宙の生物と区別が付きませんね。向こう側から侵入してきた事から、侵入生物と呼称しましょう」
「ふむ。少々シンプルだが、分かりやすい呼び方だ。私から異論はないが、皆はどう思う?」
ダーテルフスの意見に同意したマスキンが、改めて周りに問う。
軍人達はしばし考えていたが、異論は出てこず。かの生命体の呼び名は侵入生物に決定した。
「さて、この侵入生物の実力が我々よりも上となれば手は抜けない。現時点で用意出来る中で、一番確実な解決方法は?」
「管理AIはどう考える?」
【お答えします。現時点におけるデータから推測した結果、戦闘艦の主砲による殲滅が効果的と考えます」
軍人達が尋ねると、部屋に電子的な声が響く。管理AIの音声だ。
彼が示した作戦は極めてシンプル。物理で叩き潰せ、という事らしい。
賢いAIが出したにしてはあまりにも乱暴なやり方だが、しかし単純だからこそ効果的とも言える。ゲート実験施設では時空を操り封じ込めようとしたが、あれは見方を変えれば極めて回りくどい対策だ。何しろ危険な存在の『生け捕り』を狙っているのだから。最終的に投棄するとしても、あわよくば後で研究しよう、という科学者的願望が透けて見えると言われても仕方ない。
そんな『欲目』を出さず、有無を言わさず蒸発させてしまえば、どんな相手も簡単に無力化出来る。管理AIの回答は極めて合理的と言えよう。
しかし、ユミルには懸念もあるのだが。
「ユミル。何か意見があれば、述べてください。どんな些末なものでも、意図的な嘘でない限り情報やアイディアは有用です」
それを言うべきかどうか、悩んでいるとダーテルフスから窘められた。
確かに、その通りだとユミルも思う。悩んで情報を伝えず、その所為で作戦失敗なんてなれば目も当てられない。それにユミル以外の誰一人として、管理AIさえも見落としている可能性はあり得る。ユミルが言わなければ、見落としたままになってしまうかも知れない。
ユミルは呼吸を整えた後、ここまでで確認出来たデータから自分なりに考えた意見を述べる。
「あ、あの、すみません。実は一つ、大きな懸念があります」
「懸念か。一体どんな?」
「待ち時間の間に、ゲート実験施設を管轄していた管理AIのログを見ていました。侵入生物が大発生した時点でAIも破壊されたようなので、ごく短時間の状況しか分かっていないのですが……その中で一つ、気になる特徴が観測されています」
「気になる特徴?」
「侵入生物がいた周辺空間の真空のエネルギーが、減衰しているんです。観測時点で管理AIは誤差と認識しているようですが、どうも減少幅が時間と共に段々増えていて、指数関数的な規則性があるようで……つまり……」
「つまり?」
「奴等は……真空のエネルギーをなんらかの形で消費しているのではないかと」
ユミルの言葉に、更に軍人達が動じた。
物理法則の改変を行っている可能性は考慮していたが、まさか消費しているのは想定外――――そう言わんばかりの反応に、ユミルは発言した事に安堵する。同時に、これは極めて厳しい状況も意味する。
もしも侵入生物が真空のエネルギーを食い荒らしていた場合、その領域内ではあらゆる物理法則が消えている筈だ。真空のエネルギーは物理法則の基礎なのだから、それがなければ物理は存在しない。つまり、あらゆる攻撃が成立しない可能性があるのだ。
単なる物理法則の改変であれば、そこまで気にしなくても良かった。なんらかの物理が働けば、それに見合った攻撃を行えば良い。
だが物理法則がなければ攻撃のやりようがない。例えるならジャンルの違うゲームの敵と戦うようなもの。ターン制で戦闘を行うRPGの主人公が、動き回るアクション系ゲームの敵とどうやって戦うか? 攻撃コマンドを選択したところで、アクション系のキャラクターはダメージを受けない。『たたかう』コマンドでダメージを受けるという物理法則が存在しないからだ。
勿論普通ならば逆もまた然りであるため、戦い自体成立しないのだが……ルアル文明と侵入生物の場合、侵入生物側の周りだけ物理法則がない状態である。一方的に攻撃が遮断されているのだ。考えなしに攻撃しても通用するまい。
――――考えなしであれば。
「ふむ。ならば多重余剰次元砲が効果的かと思われます」
物理法則の改変が出来るルアル文明が、物理法則を消し去る存在を想定していない訳もない。
「ふむ。それは物理法則がなくても使える兵装なのか?」
「厳密には通過点で余剰次元を発生させる事で、強制的に物理法則を適応させます」
「物理法則の展開であれば相転移弾などもありますが、相手は真空のエネルギーを消費しているとの事。出力の違いはありますが、同質の攻撃は避けるべきでしょう」
「軍用シミュレーターも同じ結論を出しています。また、多重余剰次元砲以外にマテリアルディメンション弾の使用も推奨しています」
「ふむ。確かにあの弾丸は虚空領域でも使用出来たな」
軍人達からは次々と案が出てくる。
いずれも強力な兵器だが、ユミルが特に意識を向けたのは『多重余剰次元砲』について。
余剰次元とは、この世に存在する次元の中で、人間が認識している四つの次元(縦横奥行き時間)以外の次元を指す。これらは通常人間では認識出来ない極めてミクロな状態に巻き上げられており、量子力学でもない限り認識する事は出来ず、またする必要もない。
余剰次元砲はこの隠された次元をエネルギーに変えてしまう一撃だ。意識しなくて良い存在とはいえ、ミクロで見れば世界の根幹を支えるもの。これを変換すれば、莫大なエネルギーが生み出される。
そして余剰次元は、空間が生じる度に生み出される。
多重余剰次元砲はこのメカニズムを利用する。まず量子ゆらぎを操作するインフレーションレーザー(レーザーと言うが見た目の話であって光でない)を撃ち、小規模なインフレーション……宇宙の生成を行う。生成された宇宙は不安定な状態で、即座に崩壊してしまうが、この時に余剰次元のエネルギーを解き放つ。
発生するエネルギーは、照射地点範囲内 ― インフレーションレーザーは射線ではなく『着弾』地天で作用する。着弾場所は座標設定可能なため、障害物で阻まれる事はない ― で宇宙一つ分に相当する。そしてインフレーションレーザーの反応は、凡そ十万回程度連鎖するもの。つまり一発で、着弾範囲に宇宙十万個をエネルギーにした爆弾を撃ち込むようなものなのだ。またこの効果範囲は遠隔操作可能であり、通常でも半径数キロ程度、最大で半径一メートル程度にまで凝縮可能である。
特筆すべきは、宇宙を創生するという性質上瞬間的に物理法則を展開する事。つまり攻撃そのもので発動に必要な物理法則を用意するため、物理法則のない空間でも問題なく使える。次元という『座標』自体をエネルギーに変えるため、大抵の物理法則下で発動可能、即ち物理法則の改変を受けても無効化され難いものも利点である。
更にこれはインフレーションレーザー一発分の話。ユミルの記憶によれば、現在の平均的な戦闘艦であればインフレーションレーザーは秒間六十発の連射が可能だ。しかもこの銀河に配備されている戦闘艦の数は約十億隻。今すぐ動かせるのがそのうちの一パーセントだとしても、十万隻は駆け付けられるだろう。
単純計算で十万隻×十万宇宙質量×秒間六十発相当のエネルギー攻撃が、侵入生物に叩き込まれる。
並の宇宙では耐えるどころか認識さえも出来ない超火力。ルアル文明が本気になれば、この程度の攻撃力を発揮する事など造作もない。もしもこれでも足りなければ、この宇宙全体にある戦闘艦……数千京にもなる艦隊が、それをも耐えるなら一千六百万もの宇宙を守る大艦隊が、敵を完膚なきまでに薙ぎ払う。究極の文明は、軍事力の面でも究極なのだ。
一つ懸念があるとすれば。
「しかし、奴等は真空のエネルギーを消費しているのだろう? もしも真空のエネルギーを吸収しているのなら、エネルギー攻撃は餌をやるようなものではないか?」
マスキンが指摘したように、侵入生物はエネルギーを利用している事だろう。
真空のエネルギーが何故減っているのか。管理AIのログが不完全なため推測するしかないが……侵入生物は真空のエネルギーを食べているのかも知れない。
下手にエネルギーを与えれば、マスキンの懸念通り餌やりにしかならないだろう。しかしその問題を理解していないほど、軍人達も科学音痴ではない。
「断言は出来ませんが、可能性は低いです。多重余剰次元砲により生じる高密度エネルギーは時空も重力も破壊し、最終的に着弾地点の物理法則を完全に消滅させます。全てが無に帰す環境下で、正常な代謝が行えるとは考え難いです」
「そもそも真空のエネルギーと余剰次元砲のエネルギー量は、あまりにも大きさが違います。例えば光合成生物は光エネルギーを吸収して糖を作りますが、夏場など日差しが強い時期には葉焼け、所謂日焼けに似た症状を起こします。ましてや工業用レーザーを当てれば焼き切れます。エネルギー吸収が出来るからといって、なんでも吸収出来る訳ではありません」
軍人達が言うように、吸収能力にも限界があると考えるのが自然だ。どんな理由でエネルギー吸収能力を獲得したにしろ、過剰な能力はコスト面で不利になる。故に適切な、何処かに『限界』がある筈だ。
多重余剰次元砲のエネルギーは、最大限圧縮すればほんの一メートルの範囲に十万の宇宙を詰め込んだものに匹敵する。あくまでエネルギー量であるため、『焼き払う』などの威力で言えば数億個の宇宙は消せるだろう。それを秒間六十発、十万隻の艦隊が撃ち込むのだ。いくらなんでも吸収し切れない可能性が高い。
無論、あくまでも可能性だ。侵入生物がルアル文明を超える力の持ち主である以上、多重余剰次元砲さえも耐え抜くかも知れない。だがそうなったとしても、ルアル文明には『奥の手』はある。
「……分かった。軍部は一時間以内に作戦を立案してほしい。またプランBとして、『ギガス』を用意する事を許可する」
「了解。ただちに作戦立案に移ります」
マスキンが方針を決め、軍人達は動き出す。マスキンも席を立つと、いそいそと部屋から出た。
「お疲れ様です。よく、あのデータのおかしさに気付きましたね」
残っていたユミルは、同じく部屋に残ったダーテルフスから褒めてもらえる。
嬉しい反面、ユミルは少しばかり居心地の悪さも感じていた。
「い、いえ、その、本当にそうであるかは分かりませんし……実際管理AIが算出したように、誤差範囲での変化でして」
「確かに、もしかすると心配のし過ぎかも知れない。だけどそうでなかったなら、攻撃作戦は失敗していたでしょう。最悪を想定するのは作戦立案において欠かせませんよ」
「はい……」
更に褒めてくれる先輩だったが、ユミルの表情は強張ったまま。目を伏し、俯く。
――――きっと上手くいく。エネルギー吸収でも多重余剰次元砲を耐えられるとは思えず、多重余剰次元砲以外の攻撃も行う。万一に備えて奥の手も出すとマスキンと軍人達も話していた。作戦に隙はない。
頭ではユミルもそう信じている。理屈の上でも失敗するとは到底思えないし、仮に失敗したとしてもそこから得たデータで新たな対策が練れるだろう。だが、理性ではない何かは叫んでいた。
これでは駄目だと。
その何かの正体がなんであるのか。考えたユミルは自身の『非合理的』な思考に呆れ、この思考を払うべく首を横に振ろうとする。だが、ふと気付いて思い留まる。
あの未知の生命体達は、果たして知的なのだろうか?
見た目で知能の高低は測れない。観測データも足りていない。しかしユミルの直感は、あれが知的な存在である事を否定する。対話不可能理解不可能な、本能だけで動き回る『生命体』。
その生命体と同じく本能で感じ取った違和感を無視する事は、果たして賢明なのだろうか。
今のユミルには、自信を持って頷く事は出来なかった。
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