第2話
「……話しても信じてもらえないよ」
「うん」
「でもスズカは母さんと仲がよかった。知る権利があると思う」
彼の口調の迷いが晴れたように感じた。
「うちに寄って。母さんに会わすよ」
「え?」
【第2話】
健太郎の家に着いた時、すでに陽は落ちていた。
中に入るのはいつ以来だろう?一階のキッチンを通ると、果歩さんが大きな鉄鍋で手作りハンバーグを焼いてくれた姿を思い出した。あれが元気な果歩さんを見た最後だったんだなと思うと、ぎゅうと胸が苦しくなった。
健太郎は二階の果歩さんの寝室に私を通した。
片付いた部屋の奥にベッドが一つ。
……変だな。
掛け布団だけが少し乱れている。誰かが昨晩寝ていたみたいに。
健太郎は言った。
「母さんなんだ、この布団には母さんがいる」
「どういう意味?」
「会いに戻ってきてくれたんだよ!帰ってきたんだ」
「そんなこと」
信じてあげたいけど……言わなければ。
「健太郎、果歩さんは……」
「分かってる、信じられないのも分かる。でも本当なんだ。横になって、布団を被ってくれ。そうすれば分かる」
そういう健太郎の目は、酷いクマの中でむしろ輝いて見えた。嘘を言っている目ではない。私は怖くなって、逃げるように部屋を飛び出した。
彼は翌日から再び学校に来なくなった。
昨日、飛び出して振り返った時、玄関から置いて行かれた子供の様に私を見ていた健太郎の顔が頭から離れない。
数日後、ようやく士郎さんと連絡が取れた。健太郎の家で会った士郎さんは、とても疲弊して見えた。
私が健太郎から聞いた布団の事を話すと、暫くの沈黙の後「見て欲しいものがある」と士郎さんは果歩さんの寝室へと私を案内した。今日はベッドの掛け布団が綺麗にたたんである。士郎さんは「果歩と不仲ではなかったが『お互い寝る時だけは別が良い』と寝室を別けていたんだ」とバツが悪そうに笑い、
「私が悪いんだ、私は信じてやれなかったんだ」と話し出した。
「健太郎は果歩の葬式以来ほとんど眠れていない様だった。悲嘆にくれて10日余りが過ぎた頃、夜果歩の部屋から呼ぶ声を聞いた。そうしてあの布団で眠ったところ、果歩が語りかけて来た、と言っていた」。
『果歩は死んだんだ、健太郎。悲しいけど、二人で乗り越えなくちゃいけない』
私が言うと健太郎は悲しそうに布団に潜り込み、幾ら声をかけても出てこなかった。
「『勝手にしろ』そう言って私は部屋を出た。一時間ほどが過ぎ、様子を見に行くと健太郎は消えていた」
「出掛けた様子は無かったんですか?」
「私は一階にいた。出たとすれば二階の窓だが、鍵は掛かったままだった。心当たりは全て連絡し、捜索願も出したが行方が分からない。どこか心当たりがあれば教えて欲しい」と士郎さんは言った。
「果歩さんの布団……」
「……」
「士郎さんは、果歩さんの布団に入ってみましたか?」
「私には……何も聞こえなかった……だけどスズカちゃんなら」
「でも」私は俯いた。
「死んだ人間の布団に入るのは気が進まないと思うが……健太郎を探す為にお願いできないだろうか」
そんな言い方。ずるいよ、士郎さん。
「……分かりました」幾分、間をおいて私は答えた。
果歩さんには悪いけど正直怖いし、「少し気持ち悪いな」と思いつつ、私は頭まで布団に潜った。
……何だろう、この安らぐ気持ちは。
私には母親というものの記憶らしい記憶が無い。それでも母に抱かれる温もりというのはこういうものだろうかと思えた。周囲の音が途絶え、温かな湯に包みこまれて深く沈み込んでいく様だった。
賑やかな声にハッと目を覚まし、私は部屋を見渡した。誰もいない。
何やら下が賑やかだ。それに良い匂い。私は訝しみつつも、階下へ降りた。
まさか━━
食卓に健太郎が座っている。良かった、帰って来ていたのか。
「健太郎! 今までどこに?みんな心配してたんだよ!」
「何言ってるんだよ? せっかく母さんがスズカの為にハンバーグ焼いてくれたのに」
「お待たせ!たくさん食べてね」
「そんな……果歩さん? そんなはず無い! だって果歩さんは……」
「そう? でも私の手ごねハンバーグは本物よ」
「うまい! やっぱりこれだな」健太郎は勢いよく食べ始めた。
私の前に置かれたお皿には、少し強めに焦げ目のついたまん丸のハンバーグとさやインゲン、きっと甘めに煮てある鉛筆みたいな切り方の人参と、粉ふき芋が添えてある。
「……頂きます」
ハンバーグにナイフを入れると、肉汁が溢れた。中央がなんとなく生焼けな所まで再現されている。果歩さんはよく「お刺身で食べられるくらい新鮮な牛肉なの」と自慢していたっけ。
私を見る、果歩さんの優しい面差し。
私は思い切って、口に運んだ。
「……美味しい」
でも———
果歩さんは健太郎を取り込もうとしているのだろうか。
「どうしたんだよ?具合でも悪いのか?」
「健太郎……ここは……果歩さんは」
「そうだ、それ食べたらさ、久しぶりに七並べでもやろう!みんな揃ったんだし」
「え? うん」懐かしい。そういえば子供の頃お菓子を賭けて良くやったっけ。
「俺、ちょっと横になるわ」
ひと勝負終わって、健太郎はリビングにごろりと横になった。
「本当、いつまでたっても子供なんだから、ね?」
果歩さんは健太郎に毛布をかけて言った。
「スズカちゃんが私を疑うのも分かる」
「果歩さん」
「お願いがあるの……健太郎を連れて帰って」
「え?……どうして」 【つづく】
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