第4話 燃え尽きる命 その4


 ――明かりが消えたようだな。


 建物の影から小さく声がした。場所は兄妹の泊まる宿から少し離れており、彼らが泊まる場所の死角になっている。


 ――で、どうすんだよ?


 声の主が振り返って尋ねる。相手は身を翻してから背中越しに、


 ――予定通りだ。


 と指示を出して、そのまま暗闇に溶け込むように姿を消す。残された声の主もそれに続いて闇に溶けていった。微かなため息の響きを残して。


  ◇◇◇


 早朝。身支度を整えて宿を後にし、ルクスたちは馬車乗り場に向かう。

 卒業式の翌日とあって、若干の混雑があったが、需要を知っている御者たちが予め待機していたので、すんなりと交渉できた。

 四人乗りの馬車に荷物を積め込み、ふたりは街を後にする。

 遠のく街を振り返って目に焼き付け、やがてレナは前を向いた。


「来月から王都近郊暮らし。……ちょっと緊張する」

「こことそんなに変わらないさ」

「でも貴族とか多いでしょ。なんか色々やりにくそう」

「わからないわけでもないな」


 冒険者はその商売柄、貴族との接点もあった。護衛などは傭兵が受け持つが、領地に現れたモンスターの討伐などは主に冒険者が担当する。

 領地が荒らされては税収が減ってしまう。そのため領主及び命令を受けた役人は全力で排除にかかる。対応する冒険者に高い報酬を出す傾向にあるが、その振る舞いは横暴だ。


 したたかな人物もいたが、基本的にはこちらをバカにした物言いが多く、不快感を覚える相手が多数を占めた。

 魔法学校ともなればその半数以上は貴族の出。一種の伏魔殿のような環境下で平民出身の妹がうまくやっていけるかどうか、ルクスは不安だった。


「なにかあったら、俺に相談しろ。力になれるかどうかわからんが、協力できることはあるかもしれない」


「うん。そのときはアテにさせてもらうつもりだよ。個人で権力に対抗できるわけないし」


「ずいぶん現実的な物言いだな」


「こっちもいたからね。貴族出身の生徒とかさ。プライド高くて本当に面倒だった。あんなのが魔法大学にもいっぱいいるんだろうなー」


「それは知らないが、面倒なヤツが多いのは間違いないだろう」


「だよねー」


「けどまあ、お前ならなんとかなるさ。器用に立ち回れるだろ?」


「うん。そうだね」


 そう言ってのける卒業生首席。この歳で大したものだ。ミランダが通用するといった意味にはこの性格も含まれているのだろう。

 ルクスはほくそ笑んで、彼女の話を耳を傾けた。 


 二時間も立てば話題も尽き、両者に睡魔が押し寄せる。あくびをしたレナが馬車の扉に体を預け、眠りに落ちた。釣られるようにルクスも背もたれに体を預けて目を閉じる。


 馬車は移動を続け、途中休憩を挟み、予想通りの速度で想定ルートを進む。やがて馬車は木もれ陽が降り注ぐ見通しの悪い街道に入った。辺りは鬱蒼と生い茂った緑に囲まれていて、森林の中に作られた一本道のようだった。


 窓から差す光量の変化を感じ取り、ルクスが目を覚ます。こういった場所は襲撃に適した絶好のポイントだ。主に利用する側だが、無警戒とはいられない。

 彼は無意識に異変がないかを確認した。


(特に変化はないな)


 場合によってはスキルを使うことも検討したが、再度眠りについた妹を気遣い、窓を眺めるだけにとどめた。


  ◇◇◇


 馬車の進行方向にある高台の裏側で蠢く影が四つ。


 ――そろそろだな。テメェら、準備はいいな?

 ――いつでもいいよー。

 ――アンタ。初撃、外したら承知しないわよ。

 ――し、し、心配するな。うまくやるさ。ククッ。


 それぞれが一斉に準備に入った。


  ◇◇◇


「ん? 前方で魔力が、溜まっている……?」


 寝ぼけ眼を擦りながら、意識を覚醒させたレナがつぶやく。何気ない一言だったが、ルクスの背中に悪寒を走らせるには十分だった。

 直後、ルクスはハッとした表情で彼女を見やり、咄嗟に彼女の体を抱きかかえ、窓を突き破って外へ飛び出した。

 刹那、紅蓮の波濤が馬車を飲み込み、大爆発を起こす。御者と馬は全身を炎に焼かれ、断末魔を上げながらのたうち回っていた。


 爆発の衝撃を受けたふたりは茂みに突き飛ばされたが、ルクスが上手に体を捻り、なんとか両脚での着地に成功する。反動を殺しきれず地面を転がったが、妹に怪我はない。

 後方を一瞥し、彼はその威力と焼け付く臭いから放たれたのは火属性魔法、それも威力の高い上級魔法だと察した。

 男の目が殺意に燃える。


「襲撃か!」


 相手はどこの者だ? 数は複数か、それとも単独か? 様々な疑念が脳内を横切ったが、それよりも優先すべきことは。


「お、お兄ちゃん、これはどういう――」


 腕の中で怯えている妹の安全だ。


「逃げるぞ。――アクトラル!」


 呪文を唱えると同時に体を極薄の白いオーラが包み込む。それが終わるや否や、彼は妹を抱えたまま茂みの中を一直線に疾走し出した。猫科のモンスターにも匹敵しうる瞬足で道なき道を駆ける。

 単純な身体能力でここまでの速さを出すのは如何にAランク冒険者でも困難だ。それを可能にする手段は限られている。


「えっ、嘘⁉ 初歩の強化魔法でこんなに速く動けるの⁉」


 妹は目を見張った。彼女も魔法には自信があった。けれど、自身の常識以上の力を引き出している兄の存在を目の当たりにして力量の差を思い知らされた。


「体が成長すればお前にもできるようになる」


 軽く答えてからさらに脚に力を込め、奥へと突き進む。ふと、意識を後方に傾ければ複数の足音が迫っているのがわかった。

 こちらの速度に迫る勢いで追走してきている。その距離は100ミトル前後。


(手練れか! どこのどいつだ⁉)


 探りを入れようにも、見通しの悪い中を疾走しながらでは無理があった。

 まずはコイツを逃がしてからだ。彼は自身が所持するスキルの一つを起動し、さらに身体能力を強化した。


 再強化された脚力から出る速度は先ほどの三倍。追手を撒くには十分な速度だ。しかし、この能力は長続きしない。限界まで距離を稼いだらまた別の手を打たねばならないのだ。


 そうこうしているうちに緑を抜けて平地に出た。持続時間も残り僅か。ルクスは逡巡の末、急ブレーキをかけた。後方にサアッと砂埃が舞う。

 完全に勢いを殺したところでルクスは抱きかかえていたレナを大地に降ろす。


「レナ。お前は逃げろ」

「えっ、お兄ちゃんは……?」

「俺は追手を食い止める」

「い、いやだよ! 一人でなんて! 一緒に逃げようよ!」

「レナ」


 兄が両手で妹の肩を掴んだ。


「お前は強い子だ。きっと逃げ切れる。大丈夫だ。俺もあとで合流する――お前は王都に向かえ!」

「でも――」

「いいから、走れ!」

「うぅ……」


 怒鳴るように指示を出したことで、ようやくレナは兄に背を向けて走り出す。その姿に申し訳なさを感じるが、そうも言っていられない。


「俺にこんなことをさせてくれるなんて。……タダじゃおかねぇぞ」


 完全に裏の顔となった彼はそのまま来た道を戻り、再び森の中へ飛び込んだ。少ししてルクスが足を止める。不気味な静寂だ。置き去りにしてきたはずだった追手の足音がしない。

 追撃を諦めたのか、いやそんなことはない。男は腰にぶら下げた剣を抜刀する。そして、それを合図にするかのように。正面の緑が大きく揺れた。


「植物――⁉」


 複数の雑草や蔦が勢いよく伸びて、ルクスに襲いかかる。まるで触手のようだ。この手の攻撃に斬撃は有効ではない。

 瞬時に左手を前に出し、手のひらから炎を出してすばやく草を燃やして処理する。燃えた草は勢いを失い、地面に焼け落ちる。だが、その後ろからさらなる緑の触手が迫る。


「クッ、植物使いか!」


 この世界には植物を操る魔法が存在する。魔力を与えて意のままに操る操作系の魔法だ。となれば魔法使いが近くにいるはずなのだが、こう緑が生い茂っていては視認は困難である。まずは攻撃をいなしつつ、隙ができ次第相手の位置を探るのがセオリー、だったが――。


 ルクスの進行方向の地面がボコッと盛り上がり、先端の尖った岩石が彼の急所めがけて突き上がる。攻撃が当たる寸前、剣を岩石の先端部分に引っ掛けるように当て、体を逸らして回避した。

 咄嗟の行動で体勢を崩すも、持ち前のバランス感覚で転倒せずに踏みとどまる。そこから次の行動に移ろうとしたとき、奇妙な旋律が耳に入った。平衡感覚を麻痺させるような歪んだメロディーだった。


(今度は音の魔法か⁉)


 旋律の正体に勘づいたルクスは体内の魔力をフル稼働させてレジストを行う。しかし、特殊な効果が付与されているのか、効き目がちっとも薄くならない。そこへ真空の槍が音を伴って飛翔する。

 このままでは避けられない。


「クソ――サイレンス!」


 無音魔法を自身の耳に打ち込み、一時的に聴覚を遮断する。視界と感覚が戻ってきた。彼は前方へ体を傾け、地面に滑り込ませることで風の槍を紙一重で躱す。

 風切り音とともに草木が刈り取られ、一瞬風穴が空いたように森の中に外の光を通す。直撃したらひとたまりもない。


「最低でも三人か」


 魔法は連続でキャストできるが、タイミング的から見て複数名が波状攻撃をしかけたと判断するのが妥当だろう。

 自ら魔法を使って、聴覚を遮断しているため、音での状況判断ができない。魔法で攻撃しようにも敵の姿が見えない。ならば、対抗策は一つ。


(スキルを使うしかないな)


 ルクスは体内に内包されたスキルから一つを選ぶ。このスキルならきっと状況を把握できる。

 そう確信したときだった。彼の脳内に青白く光る文字列が浮かび上がる。瞬間、ルクスの顔から血の気が引いていった。


「まさか、な……」


 見知ったスキル。それも他に持つ者がいない、オンリーワンの力。そのとき、彼はすべてを悟った。


「次は俺ってことかよ――」


 歯をグッと噛みしめる。そして、襲撃者の名前を叫んだ!


「エルヴィス!!」

「そうだぜ、シスコン野郎!!」


 斜め前方の茂みから飛び出した紅いマントの女。そう彼の仲間、エルヴィス本人だった。

 呼応するように叫んだ彼女は突如として真っ赤なオーラを全身から放出、そのまま両手に持った短剣でルクスに襲いかかる。相手の姿を視界に収めた彼は無数のスキルから先ほど青白く光った文字を選択し直す。するとルクスもまたエルヴィス同様に紅いオーラをまとった。


 体ごと突っ込むような激しい攻撃をルクスは正面から受け止める。勢いを完全には殺しきれず、後方に吹き飛ばされるが、痛手を負った様子はない。

 受け身を取ってサイレンスを解除する。思った通り、旋律は消えていた。しかしこれにより他の襲撃者たちの正体が確定したも同然。ルクスの顔から血の気が引いていった。今はそれを嘆くことすらも許されないが。


 彼は迫るエルヴィスを見据え、牽制を目当てとした複数の風の刃を繰り出す。

 紅い女はそれを魔力で強化した短剣で撃ち落とし、再びこちらに接近する。彼は後ろに飛び退りつつ、出の早い風の刃や雷を放出しながら相手の動きを阻害する。それでもエルヴィスの動きを止めるには至らない。

 やがて肉薄され、足を止めて剣で打ち合う。ルクスは皮肉交じりに尋ねた。


「今流行りの追放ってヤツか⁉」

「あぁ、そうさ。ただしパーティからではなく『この世から』のだがな!」


 仲間から浴びせられる心無い返答。カッとなったルクスが言い返す。


「なぜだ! 俺はヘマしてこなかったはずだ!」

「オレに聞かれても困るぜ」

「……クッ!」


 二振りの短剣から繰り出される連撃に手を焼きながらも隙を見て言葉を挟む。


「あの人の命令か⁉ それとも、アイツか⁉」

「さぁな。詳しいことは本人に訊きな!」

「どうやって聞けばいいッ」

「知らねーよ! ハッ!」

「――ッ!」


 エルヴィスがその場で大きく跳躍すると同時にルクスの両サイドを塞ぐように斬撃を飛ばした。間髪入れず、赤の女と入れ替わるように黒い閃光が飛んでくる。直撃コースだ。逃げ道はすでに防がれていて避けられない。

 ルクスは剣を構えて攻撃をガードするも受けきれず、はるか後方へ吹き飛ばされる。


「ガァァッ!」


 勢いは止まらず、やがて背中からメキメキと音を立てて大木にめり込んだ。いつの間にか紅いオーラが立ち消え、体中が痛みで悲鳴を上げる。何本かの骨にひびが割れる、もしくは折れているように感じた。


「うぐ――」


 自力で大木の中から抜け出し、着地するも足取りがおぼつかない。

 このままでは負ける。ルクスは彼らのいる方向に背を向けた。レナとは違う方向に走ることで彼女に追手の注意が行かないよう、最低限の配慮をしつつ再び逃走する。が、当然、エルヴィスがそれを阻止すべく追走してくる。

 距離がある程度まで詰まれば、それはそれで有利に働くこともあった。ところが、彼女はその間合いに入ってこず、付かず離れずの位置をキープしている。


「対策は抜かりないってか。……冗談きついぞ」


 手のうちを知り尽くした仲間ほど敵すると面倒な存在はない。だが、こちらも移動しているので、先ほどのような攻撃ならば躱せる。迫りくる無数の蔦と隆起する大地、風の刃、黒い弾丸を掻い潜りつつ、ルクスは状況を分析する。


(森の中の敵は五人。このメンバーで俺を追い越せるのはエルヴィス一人。だったら――)


 まずはこの森を抜ける。わずかな逡巡ののち、方針を固めた彼は真っ直ぐひた走り、やがて森を抜けた。視界が開けるさっきも見た青空に照らされた平地。隠れるところがないのはデメリットではあるが、四方八方から袋叩きに遭うよりはずっとマシだ。


 だが、腑に落ちない。なぜ、あの五人は地の利を捨てたのか。本来なら多少の被弾は覚悟の上で他のメンバーも間合いに入ったほうが勝率が高かったはずだった。こんな面倒なやり方をしなくても自分を倒せたはず。

 ルクスは仲間たちの戦い方に疑問を持った。けれど。


 ――ルクス、止まるんだ。


 その意味を嫌でも理解させられた。


「ジェイン⁉ それに――レナ⁉」


 目を疑った。いつの間にか、ルクスの約50ミトル前方で、銀髪銀目の美少年が最愛の妹を連れて目の前に立っていたのだ。

 妹はわけがわかないと言った顔で呆然としている。なぜ逃げていた自分がこの場に戻ってきたのか、状況を把握できていないようだった。


「――妹を離せよ!!」


 ルクスはさらに脚に力を入れて、ジェインに攻撃を仕掛けようとする。

 やれやれ。ジェインが肩をすくめながら。右手で戦闘用のナイフを取り出し、隣にいる妹の首元にそっと添えた。


「どうなっても知らないよ?」

「……ッ!!」


 止まるしかなかった。彼が急ブレーキをかけ、動きを止める。迫りくる紅いの女とどこからともなく飛んでくる無数の属性魔法。

 すべてルクスには見えていた。躱そうと思えばいつでも避けれた。しかし、人質の姿を目撃してしまった以上、もうできることはない。

 小さくうなだれ、彼はその場に立ち尽くす。そして、迫りくるすべての攻撃を無抵抗で受け入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る