第3話 燃え尽きる命 その3


 一時間後。レナがやってきた。彼女は送別会に出席するそうで、この後すぐ仲の良い友人たちとレストランに行くことになったらしい。卒業生代表としての立場もあって断りきれなかったようだ。


 申し訳無さそうにする妹に兄は「俺のことは気にするな。今日の主役はお前なんだからさ」と語って送り出す。夕方に広場の噴水で待ち合わせる約束をしたのちルクスは学校を離れ、また大通りへ向かった。


 先ほど同様、大通りは活気に溢れており、特に家族連れの姿が目立つ。ルクスの正面ではレナと同年代の子供が両親相手に町並みや店を楽しそうに紹介している。

 きっと地方から出てきた両親を案内しているのだろう。数年も慣れ親しんだ土地だ。そうしたくなる気持ちもわかる。


 自分が父親だったらきっと嬉しいに違いない。微笑ましくなった彼は目に入ったベンチに腰を掛けて、少しの間、街の活気を満喫した。

 三十分ほどでギルドの宿舎に戻り、部屋のベッドに横になった。天井の一点を眺めているといつの間にか寝てしまった。時刻は夕方を回った頃だった。


「そろそろだな」


 起き上がった彼は部屋を出て、そのまま広場を目指す。大通りを道なりに歩くとやがて広場が姿を現した。

 円形状に作られたこの場所は人々の待ち合わせ場所によく使われる。時期が時期とあって噴水の周囲は現地民だけでなく観光客らも集まって、近づくことすらも困難だった。


「待ち合わせ場所はあそこなんだがなぁ」


 どうしたらよいものかと頭を捻りつつ、仕方なく広場の周りをグルグルと回った。それが二週目にさしかかったときだ。後方からスッと手が伸びて、彼の肩を掴む。


(――敵か!)


 一瞬、びくりと体を震わせながら振り向く。視界に入ったのはレナだった。彼女は驚く兄の表情を見て目を大きくした。


「お兄ちゃん……どうしたの、そんな怖い顔して」

「あ、い、いや……なんでもない。なんでもないんだ」


 反射的に裏の顔を出してしまった。警戒心が招いた不手際だ。軽く謝罪してルクスが話題を変える。


「そ、送別会のほうはどうだった?」

「うまくいったよ。後輩の女の子から『自分も魔法大学志望なんです。一年後にまた会いましょう』。なんて言わたりしてね。ちゃんと勉強するんだぞー、って色々助言してきた」

「すっかり先輩だな。ふっ」

「あー、笑った。想像つかないって感じ? あたし、これでも卒業生代表を務めた首席なんですけど?」

「お、おう……」


 ずいっと顔を近づけてアピールする妹をルクスは両手を突き出して静止する。


「わかった、わかった。とりあえず腹減った。飯、食おう。何がいい? 稼いできたばかりだから遠慮はいらないぞ」


 表と裏の仕事を片付けてきた彼の懐はそれなりに潤っている。彼女の学費をまかないつつ、食事に連れて行くことくらいわけない。


「なら街一番のレストランに行こ? あそこ一度でいいから行ってみたかったんだよねー」

「それはいいが、席は大丈夫なのか? 今日は卒業式だぞ」

「大丈夫。あの店の料理長、後輩のお父さんでね。あらかじめ予約を頼んでおいたから」

「あらかじめ?」

「うん、お兄ちゃんのことだからきっと奮発してくれると思って」


 目を輝かせてサムズアップする妹。


(ほんと、たくましく育ったな)


 ルクスはその成長を微笑ましく思いつつ、彼女に連れられる形で広場を去る。

 中心部に居を構えるレストランに入店したふたりはコースメニューをオーダーした。

 ルクスはメインディッシュに肉料理、レナは魚料理を選ぶ。前菜、副菜と続き、メイン、デザートといった具合に食事が運ばれた。どの料理も細部に至るまでこだわりが強く、ルクスが舌鼓を打った。レナも同様で「これ、すっごく美味しいんだけどっ」と目を輝かせていた。

 兄が支払いを済ませて外に出ると、妹が開口一番、


「うぅん、予約してよかった」


 ガッツポーズした。


「よかったな」


 レナが予約したレストランはこの都市でも指折りの有名店だったようで、その味は王都の高級店にも引けを取らない。それで価格は王都で食べるよりも一回りも安い。自分からこういった店で食べる機会はほぼないに等しいが、覚えておいても損はないだろう。ルクスはそう考えた。

 そのままふたりは、肩を並べて夜の街を歩く。


「ところでお兄ちゃん。今日どこに泊まるの?」

「冒険者ギルドの宿舎に泊まる予定だ。お前は?」

「もう宿は取ってあるよ。ただシングルが埋まっていたから、ダブルで取ったんだよね。ちょっと割高だった」

「そうか。だったら少しぶらついてから分かれるか」

「んー、なんだかそれもさみしいよね」


 レナが続ける。


「せっかくだし、あたしの部屋に泊まらない? 色々さ、話たいことあるし」

「そうだな。そうしよう」


 レナに提案を受け入れ、ルクスは彼女の泊まる宿へ向かう。大通りの中頃から右折してすぐのところにあるこじんまりとした宿だった。送別会から戻った際にチェックインは済ませていたらしく、受付から鍵をもらってそのまま部屋に入る。


 ベッドが二つ並んでいるのどこにでもある部屋だ。人の行き来が多い地方都市とあって床とベッドが綺麗に清掃されていた。これが田舎だと前の客が残したゴミが残っていたりする。


 レナが手前側のベッドに腰を掛け、兄を向かい側に座るように催促した。ルクスは部屋の隅に荷物を置き、彼女と向かい合うようにベッドに腰を下ろした。顔を上げるとレナと目が合う。こちらを興味深そうに見つめる妹。兄は気まずさを覚えつつ尋ねた。


「……どうかしたか?」

「別に。ただ元気そうだなぁって」

「それはこっちの台詞だ。受験直前のお前、相当しんどそうだったぞ」


 受験の数ヶ月前。追い込みの時期にもらった手紙には「受かるかどうか不安」「ベストを尽くすつもりだけど、試験内容が」「甘いもの食べたい」などなど。不安だけでなく愚痴や禁断症状が書き綴れていてルクスはその心労を察したものだった。


「まぁ、最難関の教育機関ですから。けどねぇ……」


 専門学科のある魔法大学は将来のエリートを育成する国の重要機関であり、卒業生の就職先は宮廷魔道士、魔導書庫管理、古書復元、大学教員、スキル研究者など多岐にわたる。厳しい受験戦争の先に待ち構えているのはさらなる競争。

 そこを乗り越えれば確約された将来が待っている。


 そのため入学試験が難しいことで有名だった。試験は知識と問う筆記と技術を問う実技のふたつに分かれる。

 ここまでは例年通りだったのだが、今年からとある科目が追加された。


「今年から実技試験に『試験官との模擬戦』って項目が追加されてさ。阿鼻叫喚だったわけですよ。ハイ」


 そう模擬戦だ。いきなりの導入に受験生たちは困惑し、保護者が大学側に説明を求めたほどだった。当然ルクスも意図を測りかねた一人だった。


「魔法学志望の生徒に戦闘力が必要とは思えないがな」

「だよね。でも『魔法使いの仕事は机と向かい合うだけにあらず。その力はいかなる場所でも発揮できなければならない』とか言い出してさー。これ絶対何か裏があるよね。お兄ちゃん、なんか知らない?」


 妹の質問に兄は首を傾げる。


「しがない冒険者の俺にお偉いさんの考えがわかるわけないだろう?」

「そんなことないって。人生経験、わたしよりもずっと豊富なんだから」


 上目遣いで頼られるとどうにも断れない。


「うーん。そうだなぁ」


 ルクスは思案する。彼女の話を鵜呑みにするなら、今年から魔法使いに戦闘力が求められるようになったらしい。

 まるでそういった場に投入することを前提としているかのようだ。となればおのずと目的は絞られる。


「……緊張が高まっているからかもな」

「他国との?」

「それ以上に魔族領とのだろうな」


 エルトリア王国が属している中央大陸から南下していくと広大な砂漠地帯が広がっている。そこには暗黒大陸と呼ばれ、魔族を呼称する魔物の貴族たちが住む地域だ。去年、先代魔王が崩御し、好戦的な若い魔王が王座についたことで戦争への緊張感が高まりつつあった。

 魔族たちの戦闘力は並の人間を遥かに凌ぎ、幹部クラスとの戦闘になればAランク以上の冒険者が複数、もしくはSランク冒険者の投入を必要とする。


 専門的な教育を受けた魔法使いは一般人よりも強力な力を有していて、戦場でもその力を発揮できる。人間との戦いだけなら騎士や兵士だけで十分だろう。しかし屈強な魔族相手となれば魔法が必要となる。

 むろん冒険者もその勘定に入っているはいるが、国の戦力として当てにならない側面もある。それ故の対策かもしれないとルクスは考えた。


「ふ〜ん」


 レナが兄の目を覗き見る。


「魔族との戦いが勃発したらさ、お兄ちゃんも戦うの?」

「……アルベルトの方針次第だな」


 顎をさすって答えるも、彼の表情はどこか浮かない。


「スタートラムのリーダーさんだもんね。あの人、結構真面目だって言うしね」


 珍しく妹が浮かない顔して喉を鳴らした。


「お前も、アイツのこと知っているのか?」

「当然でしょ。お兄ちゃんの所属するチームなんだから」


 彼女は続けた。


「アルベルトさんとジェインさん以外にも黒魔術の使い手のイザベラさん、ストライダーのエルヴィスさん、音の使い手のロバートさん、格闘家のレインさんに魔法使いマルコさんが在籍していて、層が厚いって言われてるよね。そこにお兄ちゃんを加わって、バランスの取れたパーティって言われてるんでしょ。すごいじゃんね」

「手紙にもそう書いてたっけな。……なんだか恥ずかしいな」


 むず痒くなって後頭部を掻くAランクパーティの冒険者。Aとは最高ランクSの一つ手前のクラスであって、功績次第では十分Sランクに手が届く名誉ある称号だ。

 たとえそれが重荷であったとしても世間はそのように認識している。


「最近は同ランク帯の他パーティとの提携や戦力増強に力を入れているんでしょ? 手堅いよねー、やっぱりアルベルトさんの采配?」

「いや、それはジェインの発案だったかな。『周囲から嫉妬されると仕事がしづらくなる』ってことで協調路線に入ったんだよ。俺としちゃあ、遅いすぎないかとも思ったが」

「でもさ、ちゃんと軌道に乗ってるんだよね。ならよかったじゃん」

「よかったのかまではわからないな」


 質問に答えているうちにふと疑問が湧いた。


「……レナは俺が冒険者として出世するのが嬉しいか?」

「うん。嬉しいよ。皆、お兄ちゃんのこと褒めてくれるし」

「そうか」


 掌を見つめながらつぶやくように言う。傷だらけでゴツゴツした手だ。この手で様々な者たちを狩ってきた。凶暴な魔物、御しがたい悪人、その他の無辜の命。

 直後、掌全体にドロドロとまとわりついたどす黒い血液が幻視される。今の名声があるのはこの手を汚したからだ。魔物と悪党たちだけを始末するだけならどれだけよかったことか。徐々に男の目が細くなる。


「だけどね」


 それと同じタイミングでレナが絞り出すように。


「ホントは無理してほしくないなって思ってる」

「え……」


 ルクスはハッとして妹のほうを見た。まさか勘づいているのか。証拠は残さないように努めていたはずだ。バレるはずがない。

 連中だって関係者の身内に漏らすような真似はない。ならば彼女の言葉の意味は?


「それはどういう……」


 尋ねたとき、すでに彼女の顔が曇っていた。


「だって。あたしを名門校に入れるためにお兄ちゃんは、好きでもない冒険者をやってるんだから」


 ポツリとこぼれる罪悪の念。兄はいや、と否定した。


「お前のせいじゃない。俺が選んだ道だ」

「違うよ。あたしを魔法大学に入れようとさえしなければもっと楽な道があったでしょ?」


 すべて彼女の言う通りだった。ルクスは手先も器用で頭もいい。稼ぎにこだわらなければ妹一人くらい育てるのは容易だった。

 しかし妹には魔法の才能があった。それを惜しんだ父親が彼女を魔法大学に入学させようと考えていたが、とある事件に巻き込まれて亡くなったことで計画が頓挫した。


 父は死の間際まで娘を学校に入れてやれないことを悔いており、後のことを息子に託した。とはいえ、蓄えもそれなりにしかなく、とてもじゃないが妹の分までは持たない。

 そうした事情からルクスは学校を中退して冒険者となった。そこからの彼の人生は苦労の連続だった。

 思い出せば出すほど、心が痛む。反論できず、ルクスは視線を落とした。しばしの静寂が続くかと思いきや。


「だからね」


 レナが口を開いた。


「魔法学校を卒業したらどこかの国の宮廷魔道士にでもなってお金、いっぱい稼ぐよ。お兄ちゃんがもう働くて済むようにね」


 そう言って彼女はそっと微笑んだ。


「だってそうしなきゃ、割に合わないでしょ。いっつも危険な目に遭わせていざ就職したら『はい、今までありがとう、さよならー』なんてありえない。――そういうことなので、もう少しだけ頑張ってね。あたし、お兄ちゃんが死ぬまで面倒みるつもりだから」

「レナ、お前……」


 純粋なまま歪まずに成長してくれている。そんな彼女の存在がルクスにとっての癒やしだった。


「ありがとう。嬉しいよ。――けど死ぬまでってのは遠慮する。兄貴の面倒みてたら結婚できないだろ」

「あたしは結婚とか興味ないけどね。料理苦手だし」


 そう言って舌を出す。夫婦になれば女性が飯を作るのが当たり前の時代。料理が下手な人間にとっては家事育児はストレス以外の何者でもない。


「料理人の男でも見つけてくればいいんじゃないか?」

「あー、それは妙案かもね。面倒くさいからしばらくはそーいうのいらないけど」

「そういうとこ、変わらないな。結構モテるだろうに」

「だから面倒なのよ。勉強で忙しいってのに男子ったらさ『付き合ってくれ』ってうるさかったんだよねー。バラ買ってくる暇あったら勉強しろっての。学費だってタダじゃないんだから」

「ははっ、確かにな」


 兄の前では甘えん坊な彼女だが根っこはどこまで真面目で男を全く寄せ付けない。ガードが堅すぎて泣いた男たちも数しれずいたことだろう。

 その光景を頭に思い浮かべ、いたたまれなくなるも、同時に自分はまだまだこの娘の兄をやれるのだなとホッとした。


「冒険者辞めたら俺はなにしようかね。いっそ妹のお抱え料理人にでもなろうか?」

「なにそれ、専業主夫ってやつ? いいねー、あたし、ラクできそう♪」

「だったら、そーいうことにするか。五年後が楽しみだな」

「「あははっ!」」


 彼女が魔法大学を卒業するまでは頑張ろう。その後は自身の運命にケリをつけよう。たとえ永遠に彼女と会えなくなろうとも――。

 最愛の妹と笑い合いながら男は心に誓った。


 それから話題が変わり、観光の話になった。

 まずはここから馬車で半日掛からない距離にある交易都市を観て回ろうという結論に落ち着く。明日一番で馬車を確保するべく、ふたりは寝支度を整えて床についた。

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