第2話 燃え尽きる命 その2


 一ヶ月後。


 表裏両方の仕事を片付けたルクスはその足で活動拠点のエルトリア王国首都から北東部の地方都市へ移動する。この場所は仕事で一度だけ足を運んだことがある。レンガで舗装された大通りと突き当たりにある広場の噴水が印象的な街だった。


 時間が押していることもあって、馬車を降りるや否や冒険者ギルド提携の宿舎に荷物を置き、中心部へと駆け出す。彼は客引きには目もくれず、大通りから少し進んで路地を左に曲がり、呉服屋に入店した。


 店主と顔を合わせた途端「今日はあまり良い服はない」と断りをいれられるも「それなりの品でいい」と告げて衣服を見繕ってもらった。駆け出しの商人がパーティに着ていきそうな平凡な正装だ。やや肩幅が窮屈だったが、わがままを言う時間はない。袖を通したルクスはそのまま代金を支払い、店を出る。


 時刻は正午を回り、人の行き来が増える頃合いだ。しかしいつも以上に活気がある。それもそうだ。今日は若者たちの晴れ舞台なのだから。


「間に合うか……?」


 ルクスは人混みを掻き分けて目的地に急いだ。街の東側、広いスペースが設けられた区画に壁に囲われた大きな施設がある。

 王立魔法学園中等部。妹が通っていた学校だ。エルトリア国内に創立された名門校の一つで、国内において六年制の高等教育機関である王立魔法大学への合格者を多数排出している。

 当然、彼の妹も入学を目指して勉学に励み、見事合格。その切符を掴むに至った。

 門の内側から聞こえる若い声と拍手にルクスの足の運びが早まる。正面入り口に着くと同時に若い門番と目が合った。ルクスが彼に用件を伝える。


「開けてくれ。保護者だ」


「お名前は?」


「ルクス。卒業生代表レナ=ムーンレットの兄だ」


「ご職業は?」


「冒険者」


「所属のパーティは?」


「スタートラムだ。遊撃を担当している」


 面倒になったルクスは冒険者カードを見せた。

 おぉ、門番が感心したように唸る。


「ご本人のようですね。失礼いたしました。遊撃のルクス様」


 門番はクスっと笑った。


「知っているのか?」


 訝しむようにルクスが訊き返す。


「ええ。こちらでも話くらいは聞きますよ」


「そ、そうか」


 困惑する保護者を他所に門番が閉じていた門を開く。


「お急ぎください。そろそろ生徒代表の祝辞が行われる時間です。会場はここから真っ直ぐのところにあります」


「ありがとう。仕事、頑張ってくれ」


 愉快な門番との会話を切って、会場までの道を走る。間に合わなかったら後で文句を言ってやると呟きつつ、施設の扉を静かにスライドさせる。室内では卒業式が粛々と進められており、来賓の話が終わったところだった。次がこの式のメインだ。


 ルクスは音を立てずに素早く保護者たちの中に溶け込んで、ちょうど良いポジションに体をねじ込む。取れた場所は中央から少し右の部分で、登壇した人物の姿がよく見えるポイントだ。


 少しして卒業生代表の名前が呼ばれ、登壇を促される。生徒の列から金髪の少女が立ち上がって歩き出し、そのまま階段を上がった。華奢で可憐な容姿を持った美少女。そんな言葉がピッタリと当てはまる娘。それがレナ=ムーンレットだった。

 その後ろ姿を視界に収めただけでルクスの目頭が熱くなった。


 登壇したレナが宣誓を行う。内容はどこにでもある一般的な宣誓だったが、話を終えた彼女が一礼して壇上から降りると大きな拍手が巻き起こった。毎年、式に参加している教師が今日はヤケに音が高いな、と苦笑するほど盛大な拍手だった。もちろんルクスもその中に加わっていて、なんなら両目から涙を流していた。


 式が終わり、卒業生と保護者が中庭に集まって喜びを分かち合う。人混みの中に埋もれているだろう妹をルクスが探していると、後ろから声が掛かった。


「レナさんならあちらで生徒さんとお話ししていますよ」


「あぁ、どうも。ミランダ先生」


 ミランダと呼ばれた教師はレナの担任である。魔法学を専門とし、生徒たちに魔法の基礎を叩き込む鬼教官で有名だ。

 しかし、レナとは馬が合い、個人的な親交があった。ふたりの関係を知っているルクスは彼女の顔を見るや、


「妹がお世話になりました」


 深々と頭を下げた。


「いえいえ、こちらこそ」


 ミランダが微笑んでから右側を向いた。視線の奥には大勢に囲まれるレナの姿があった。遠くからでもその光景がルクスの目にはっきりと映る。男女問わず、彼女との別れを惜しんでいるようだった。


「レナさんは本当に優秀な生徒でした。クラス内でもリーダー的存在で、皆をよく牽引してくれました。おかげで私もずいぶん楽が出来たものです」


「そうだったんですか」


「ええ。真面目で勤勉で、他者を虐げることもしない。あれほどの才能があれば傲慢さの一つや二つ出てきてもよいものですが、そういったところは一切、見えませんでした。きっとお兄さんの影響でしょうね」


「いや、俺はなにもしてあげられてませんよ。稼ぐのに精一杯で」


「そうでしょうか」


 ミランダが続ける。


「言葉にしなくても通じるものはありますよ」


 たくさんの人を見てきた教師ならでばの意見。呆気に取られたようにルクスが彼女の顔を凝視する。


「それはどういう……?」


「例えばですが――頑張る家族の背中、とかでしょうか。そういった姿は心に残るものです。あの娘はそれを支えにここまでやってきた。そんな気がするんですよ。あくまでも私見ではありますが」


 ルクスは無言のままレナを見返した。たしかに彼女は才覚の持ち主ではあるが、最初からトップだったわけではない。一年の頃は上位十五名に入れるかどうかだったと本人から聞いた。それが首席での卒業なのだから本当に努力したのだろう。


「彼女なら魔法大学でも十分通用するでしょう。今から将来が楽しみですね」


「ええ――ありがとうございます」


 ルクスは嬉しそうに笑った。屈託のない顔だ。裏稼業のときの仏頂面とは真逆である。

 そこへ同じく兄を探していたレナ本人がやってきた。


「お兄ちゃん。どうだった? 私の挨拶」


 背中を覆うようなウェーブのかかった長髪がふわりと風に舞う。兄と同じ金髪碧眼だが、細目の彼と異なり、大きくクリっとした目と整った顔立ちをしている。背丈も同年代と比較して少し高く、手足もスラッとしていて長い。その容姿は誰からも美人と評価される。

 よくここまで育ってくれた。感極まった兄はたった一言。


「泣いた」


 とコメントした。


「ぷっ、大袈裟すぎだってっ」


 両手で腹を押さえて悶えるレナ。お前だって大袈裟じゃないか、とツッコミたくなる衝動を抑え、成長した彼女の姿を目に焼き付ける。

 すると後方から新たなに少女が現れた。


「あ、レナ。その人がお兄さん?」


「うん、そうだよニーア」


「へぇ、この人が噂の――」


 見知らぬ少女がこちらの顔を確認している。一体なんのことだ? 裏のことでなければいいが。ルクスの表情からサッと笑顔が引いていく。それを察してか、ニーアと呼ばれた少女が謝罪した。


「あ、いきなりすみません。レナのクラスメイトです。実は、父が冒険者でして。スタートラムのこと知ってるんです」


「なんだ。そうだったのか」


 家族が冒険者なら納得だ。彼の中で疑惑が氷解する。


「はい。発足からわずか数年でAランクに到達した、今話題の冒険者パーティ! ルクスさんはその八人目として在籍していると聞きました。二つ名は遊撃のルクスですよね?」


「まぁな。でも今はもっぱら八人目と呼ばれることが多いな」


「へー、そうなんだ!」


「なになに?」「どうかしたの?」


 ふいに声が上がったことで、周囲にいた女子たちがルクスたちのところに集まってきた。


「レナのお兄さんってスタートラムのメンバーなんだよ」


 ニーアがそう告げると、集まった娘のひとりが「あー、王都のパーティだね。アルベルトさんとジェインさんがいる」と発言する。


「二つ名は『貴公子』と『銀嶺』だよね!」


「そうそう! かっこいいよね! やっぱりモテるんですか?」


「えっ?」


 やはり、あの二人の話題となると食いつきが違うな。ルクスは渋々と言った様子でニーアの質問に応じる。


「直接尋ねたことはないが、結構アプローチされてるとは聞いてる」


「へえー、どんな方からですか?」


「共闘したパーティの女性とか受付嬢とか、色々と」


「「「やっぱりモテるんだ!」」」


 まだまだいた気がするが。大商人のご令嬢や貴族の娘などの顔を思い浮かべつつ、ルクスは苦笑した。恋バナとなると乙女の関心度が跳ね上がるようだった。

 他にも「どんなスキルをお持ちなんです? やっぱりユニークスキルですか⁉」などの質問も飛び交い、さすがのレナも彼女らのテンションに呆れているようで。


「皆ほどほどにね。お兄ちゃん、こういうのに慣れていないから」


 適当なところで釘を刺した。それでも勢いが止まらないので隣のミランダが「ほらほら、保護者の方に迷惑かけないの」と注意して取り巻きを散らした。


「ごめんなさいね。あの娘たち、まだ若いから」


「いえ。今日はこういう日ですし」


 浮かれるのも無理はない。卒業式とはそういうものだ。そこらかしこで笑い声や涙する声を耳に入れれば誰でも寛容になる。今日ばかりは彼らの話題を出しても悪い気はしなかった。


「じゃあ、お兄ちゃん。あたし、後輩たちにも挨拶してくるから」


「おう。こっちは適当にブラブラしてる。終わったら校門の近くで待ってるよ」


「うん」


 返事をして人混みの中に消えていくレナ。


「では、私もこれで」


 保護者への挨拶があるミランダも去っていった。

 ルクスは暇つぶしに校舎を見て回ってから校門に向かい、すぐ横の壁に背中を預けた。賑やかすぎる世界。自分のいる世界とは大違いだ。小さな街の学校を中退した彼は卒業式なるものを経験したことがない。

 彼らが笑い合っているとき、すでにルクスはその手を血に染めていたのだから。


(モンスターどもと戦うはずだったのにな)


 どうしてこうなってしまったのか。目の前を横切る喜色満面の生徒たちと保護者を見やり、彼は一人、空を仰いだ。

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