Wの喜劇(Why)

「私はおじいさまを殺してしまった!」の名演技で近隣の劇団に衝撃を走らせた、地下アイドルの薬丸シロ子が消息不明になってから早二週間が過ぎた。

 もうじき夏も終わろうとしている。

 シロ子の恋人である公威きみたけは、半ばシロ子はもう戻ってこないものだろうと思いながら、桜木町あたりをふらふらと歩いたりしていた。こんなところにいるはずもないのに。

 そのほうけた様子を気にしながらあとをつけていたのは、公威と同じ大学に通う、お笑い研究会の期待のホープ、易子やすこだった。時に物陰に隠れ、時に前進をして後を追ったのは、公威のことが気になっていたからではあるのだが、そればかりが理由というわけでもなかった。易子は、シロ子へ大金を貸していたのである。もし、本当にシロ子が失踪したのだとすれば、大金を失うことになる。公威がもうシロ子のことを諦めたならば、自分にも目があるかもしれない。だが、金は戻らない。ジレンマ。もはや易子も、何を期待して公威を追いかけているのか、自分でもわからない有様だった。

 そんな状況のさなか、台風の影響か増水していた大岡川で水死体があがった。

 薬丸シロ子の遺体だった。

 わりとなんでも笑い話にしてしまう、K大お笑い研究会ではあったが、さすがに人死ひとじにともなると、いつもの調子で笑いとばすのは難しかった。

 まして当事者が訪れているとすれば、なおさら。

 部室棟にいるのは、学生ながら某お笑い系事務所に籍をおく「マンドリル」のふたりと、セラ公威、それから易子に、シロ子と同じグループに属していた田原トモ世だった。

「私は、公威さんが悪いと思います」

 怒ったようにいうトモ世に、部室にいるみんなは押し黙った。

 何が理由だったかわからないし、なんで死ぬことになったかもわからない。安易な色恋沙汰にして納得しようとするのは、そもそも大間違いかもしれなかった。

「いや、わかってる」

 神妙に答える公威。

「直接的な理由がどうあれ、あいつが死んだのは——あいつの死を止められなかったのは俺の落ち度だ……」

 しんみりした空気をぶち壊すように易子がいった。

「とはいってもですねー、女と見れば『落としてみせる!』とかいう公威さんのはいつものことで、直接関係ないと思いますー、はいー!」

「それもそうだな」

 マンドリルのリーダー、マン・フレッド飛鳥がうなずく。

「最愛の男がどうしようもない浮気性で、それがつらくて川に身を投げたってのは……考えづらいというか、そんな人なら、そもそも頭空っぽで(女に対する)夢だけ詰め込んだようなセラとは付き合わないと思う」

「私がいうことを納得しないのはべつにいいんですが、とにかくなんであの子が、シロ子が、最後に私に謎のメッセージを送ってきたか、それが知りたいんです」

 トモ世がお笑い研究会の部室へと顔を出したのは、そもそもそれが理由だった。

 お笑い研究会には、理屈の鬼がいる、という。真実なのか、それとも単なる理屈のアクロバットなのかはともかく、求めていた答えを与えてくれる存在だと。

 それがフレッド飛鳥だった。

 飛鳥のその超絶技巧は、お笑いのツッコミをするために磨かれたものだという。相方が天然すぎれば、自ずとその解釈と論旨の展開の仕方で笑えるかどうかは変わらざる得ないからだった。

 その期待に応えるべく——というようなキャラではなく飄々ひょうひょうとしている飛鳥だったが、特に混ぜっ返しもせず、律儀に答えた。

「『W90に死す』、か……」

 薬丸シロ子は、地下アイドルグループ『ヘキモリモリ』のたる担当だった。上から下まで100センチというのが売りで、アイドル界のドラえもんなどという異名があった程。樽感を出す為に、ウエストもサバを読んでいたのかもしれない。

「私は、セラさんが『もっと痩せろよこの豚、ウエストがないどころか人としてあるべきシルエットすら保ってねーじゃねーか、よくそれでアイドルとかいってんよな、アイダホの間違いじゃねーのか』とか罵ったのが自殺の原因だったかと」

「いやいや、俺、そんな辛辣なこといわないから! それに女性って、みんな違ってみんないい……だから、ひとつに絞れないんだなあ……」

「そもそも」と飛鳥が言う。「シロ子さんが自殺だというのは本当でしょうか?」

「それは思います、はいー! あたしと同じような体型なのにアイドルやってたばかりか、公演で大型新人あらわるなんてもてはやされて、しかも顔だけは抜群の公威さんが彼氏だっていうんですから、死を選ぶ理由は無いと思います、はいー!」

「ちょいちょい俺のことディスってない?」

「そんなことないですー、なんで好きな男をディスるんですかー……あ」

 ついつい口を滑らせ、秘めていた想いを暴露してしまった易子は、頬を赧らめ黙ってしまった。

「そういえば易子君、君は彼女にお金を貸してたとか? しかも結構な大金を」

「はいー、あたしとシロ子は同郷なんです、はいー。貸してたというか、半ば脅されてたというか……」

 ふむん、と飛鳥。

「もしかして自殺ではなく、怨恨による殺人の可能性も、と思ってたんだが、違うかな」

「ちょっとマンさん、ひどくないですかー、あたしを疑ってたんですかー、はいー⁉︎」

「可能性として一応ね。はからずも自分からバラしてたけれども、金は貸してる、意中の人とは仲良くやってる、そんな相手がいたら恨めしく思うのは人として当然の性だと思うよ」

「易子、……おまえ本当にやってないよな?」

「公威さんにそう言われてはであります、はいー」

「殺人のセンなんて、最初から考えてませんでしたけど、結局シロ子はなんで自殺を? それからW90って……」

 トモ世の言葉に、しばし皆が押し黙った。

 沈黙が続くか、と思いきや、それまでまったく話に参加せず、一人で落書きをしていたマンドリルのもう一方、ドリル蓮が唄う鼻歌が室内に響いた。

「〜Xが凄いじゃない〜Yが上手いじゃない〜♪」

 ハッとした飛鳥が、相方の描く落書きを見た。


 W X Y

 X

 Y


「W90……ウエストじゃなくて、これはバスト90のことだ……!」

 飛鳥の愕然とした言葉に、トモ世がああっと声をあげる。泣き叫ぶ。

 皆は呆然と、その様子を眺めることしかできなかった。


「シロ子はバイセクシャルでした。いつもいつも私の胸を見ながら『いいなあ、トモちゃんの胸に抱かれたい』とかいってて、わたしが『あなたのほうがバストあるじゃない!』というと、『違うんだよなー、大切なのは胸囲じゃなくてカップなんだよ』と。彼女は真性のおっぱいフェチだったんです……」

「ということは、君に相手されないことをはかなんで……?」

 公威がいうと、トモ世は頭を振った。

「いいえ、彼女は公威さんが、公演に来るたび、私の胸にチラチラと視線を向けていたのを知ってたんです。あなたへの愛情は、嘘ではなかったと思います。わたしに欲望を向けてたのも、嘘ではなかったと思いますが」

「気の多い自分だからこそ、公威君の浮気心も許してたと……純愛だね」

「じゃあ、なんでシロ子は死んだんですか、はいー。あたしは返済なども急かしたりはしてませんでしたしー」

 それまで特に意見を挟むでもなくぼんやりと話を聞いてた風に見えた蓮が、ぼそっと言った。

「太ってた人がうまく痩せるとおっぱいだけ残るよね……」

 皆、顔を見合わせた。

 まさか、台風が来ているというのに、痩せる為に運動をしていて、うっかり川に落ちたなどと、そんなことがあるわけがない、という思いで。

「そういえば……あいつ、言ってたわ。夏の終わりには見違えたあたしを見てって。それからずっと姿が見えなくなったんだった……」

 公威が、喉を詰まらせた。

「俺は、樽のあいつが好きで、巨乳も好きだけど、でもあいつの樽のような体も大好きで、べつに変わらなくたってよかったのに……」

 人を殺すのは、何も悪意だけではない。良かれと思ったことが裏目にでることや、よりよく生きようとした結果が死につながることもある。

 単なる不幸な事故に、何か意味を持たせようとしたり、動機や理由があったんじゃないかと追求することで更なる不幸を呼び込むことも。

 しんみりとした雰囲気が部室を満たして、けれどそれは居心地の悪いものではなく、皆が皆、めいめいにシロ子への追悼を胸にしていたようだった。

「にしても、W90に死すってなんだったんですかね、はいー」

「バスト90がトモ世さんを指すのだとすれば、多分賛辞の言葉だったんじゃないかな」

 飛鳥がなんとなく自分を納得させるように口にする。

「尊いとかダメとか死ぬとか……そういう文脈だったんじゃないかな、きっと」

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