終わったはずの恋の話(used)


 used


 パン! と頬でもはたかれたのなら、よかった。そうではなく三崎みさきしずかはいつも笑っているような目を、相変わらずの形のまま、背を向けた。夕暮れの教室、広げた模造紙もリュックも置き去りにして、彼女は帰ってしまった。

 丸まった模造紙を広げて、ペンケースを重し代わりにした。もう少しで本日分の作業は終わる。なぜ、もう少し待てなかったのか。下手は下手なりに下書きをマジックでなぞりながら、おれは溜息をついた。

『だって三崎はもう非処女じゃん』

 突然の告白にびっくりしたにしたって、もう少し何か言いようはあったんじゃないか。

 文化祭実行委員に丸投げされたクラス発表用の模造紙の、このやる気のなさよ。外では部活にはげむ生徒たちの活気のある声。少しぐらいは手伝ってくれる奴はいなかったのか。いれば、こんな事態は免れたのに。



 use to


 高校の時の担任が定年だというので、先生を呼んでの同窓会ということになった。およそ十二年ぶりぐらいの集合である。比較的顔を合わせる奴もいれば、ほんとに久しぶりの奴もいて、そこかしこに話の花が咲いていた。

 俺は居酒屋の喫煙所でぼんやりと煙草を吹かす。三崎も来ていて、何度か目はあったが話はしていない。目があうとニコッと微笑むのが、なんだかやりきれない気がした。

「おじゃま」

 ガラッと戸が開いて、入って来たのは三崎だった。俺はせた。

「え、おまえ……煙草吸うの?」

「吸わないよー」

 笑った形の目は相変わらずで、だから本当はどうなのかがさっぱりわからない。

「じゃあ、どうして?」

「君と話すために決まってンじゃん」

 大きめの黒いTシャツにジーンズというさっぱりした格好に、昔とは違うショートヘア。歳が一緒なのにおかしな話だが、なんだかこざっぱりした大人のお姉さん、という雰囲気があった。

「変わったよな」

「変わらないね」

 同時に言って、ぶつかる内容に笑った。

「どう、魔法使いになれそう?」

 三崎が言って、俺は再び咽せる。

「あのな、今時童貞のまま三十過ぎたら魔法使いになれるんなら、そこらじゅう魔法使いだらけだ」

 早口で返したのが可笑しかったのか、クツクツと喉で笑って、三崎が小さく咳ばらいした。

「まあ、冗談は置いとくとして。……久しぶり、元気してた?」

「おう。そっちは?」

「見てのとおり。おしゃれなんかとは無縁の生活してる」

「結婚でもしたのか?」

 束の間の空白のあと、三崎がうなずく。

「まあね。子供はいないけど。あたしも一本もらおうかな?」

「え、煙草、吸うのか?」

「吸ったことないけど、礼儀として」

「礼儀で吸うようなもんじゃないが……」

 ポケットから取り出した煙草を振り出して、ホレ、とパッケージを向けると、三崎がおれの手を包むように持った。どきり、とする。そして顔を近づけ、一本を咥えた。

「なななんだ、その取り方」

 くわえ煙草でニッと笑った三崎は、端的に「火」と言った。


 一口吸って盛大に咽せたあとは、吹かしもせずに銜え煙草をしている三崎の、その横顔を眺めた。誰か喫煙者はいないのか、と思いながらもう一本に火を点けた。

「あたし、あんたのこと好きだったんだよ」

「……当時も疑問に思ったんだけどさ、なんで? 一緒に実行委員やってて情が湧いた?」

「覚えては、いるのか」

「忘れねーよ。おれの、たった一度きりの告白された経験なんだ」

「なんで、あんなことを言ったの?」

「あのぐらいしか、言えることがなかった」

「処女厨だった?」

「そんなことはない。それより罰ゲームの標的にされたのかと思った」

「にしたって」

 三崎は煙草を唇から離し、大きく息を吸ってから吐き出した。煙草のフィルタには、うっすらとピンク色。ふと気になったのだが、両手とも指輪はしていなかった。

「ま、過去形だけどさ」

「だろうな」

 苦笑いしてから三崎の顔を見ると、少し怒っているように見えた。おまえ、そんな目もできたんだな……。


 二次会までは大半が顔を出し、三次会ともなるとグッと数は減った。なんとなくスッと消えた組み合わせもいれば、男同士で連れ立って堂々とキャバクラへ向かった奴等もいた。どうせ家へ帰ってもすることのないおれはぐずぐずと残り、三次会のカラオケへと向かった。花束を持つ先生を駅まで見送ったあと、ぞろぞろと。昔から気の利いた委員長がアプリで予約を取っていたらしく、週末だというのに待たずにすぐに大部屋へ通された。

 三崎は、いた。

 昔ヤンチャをしていた男に言い寄られていたが、うまく逃げたらしい。というより、逃げるために三次会にまで来たのか。

 飲み放題の気の抜けたビールと、冷めたたこ焼きやらポテトやらをつまみながら、おれは皆の歌を聞いた。歌うのは苦手だった。聞くのは嫌いではなかった。三崎の歌が聴いてみたいと思った。だが三崎も歌わなかった。音痴なのだろうか。聞きたかったのに。

 結構酩酊していた。安酒には安酒の回り方がある。全く酔えないか、酷く酔うかのどちらかで、今回は後者だった。ふらつきながらトイレへ向かい、その途中にあった喫煙スペースへ逃げ込む。

 三崎は、今度は来なかった。



  be used to


 痛む頭を押さえて起き上がると、見慣れた小汚い部屋で、服も着っぱなしだった。2階の自分の部屋に来れたということは、そこまで酷く酔っていたわけでもないらしい。が、記憶は穴だらけだ。

 スマホが鳴った。

 見知らぬ番号だった。

 いつもなら出ないのだが、何故かおれは通話していた。

「おはよー、元気?」

 三崎だった。

「全然元気じゃない。頭痛ェ」

「あたしさ、離婚して実家に戻ってきたんだ。春先ぐらいに」

「……ほう。で?」

「結構地元も変わってんのね。なんか近くに大きなショッピングモールとかできたらしいじゃん」

「らしいね」

「で、どんな感じか見に行きたいなあって」

「行けばいいじゃん」

「……車出せっていってんの。わかれよ、ばかやろー」

「なんかの真似?」

「わかった?」

 ケラケラと笑う、その笑い方はとても懐かしく、なんだか一瞬だけ、あの頃の感覚がよみがえったような気がした。

「しようがねえなあ、シャワー浴びてからな」

 壁時計を見て、一時間後の時刻と家まで迎えに行く旨を伝える。もう終わった恋ではあるが、また新しく始まらないとも限らない。それにおれのほうは、あんなことをいったおれのほうは、あの頃からずっと、三崎静のことを好きだったのだから。12年もかけて、ようやくおれはどういう形であれ、決着をつける用意ができたのだった。魔法使いになる覚悟だって、ある。

 ところで、どうして彼女はおれの電話番号を知っていたのか。

 思い出せない。

 しかし、まあ。昔のような失敗は、おそらくしてないんじゃないかと。そう、思いたい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る