魂の持続性(Transaction)
空間移送システムが実用、民生化されてから人々の生活は変わった。距離と必要な時間経過が比例しなくなったことで、生活様式は元より、意識までも変革されたようなところがある。
誰でもどこへでも気軽に行けるということは、帰属意識の低下と見果てぬ地への憧れの喪失を意味していたからだ。
いまなら三蔵法師はガンダーラなど目指さなかったろうし、アムンゼンとスコットも苛烈な競争などすることもなかっただろう。
ただし、空間移送システムへの畏れというものはすっかり失われたわけではない。そもそもがまったく未知の技術、完全なブラックボックスということもあって、現代ならではの怪談話のようなものもあった。
例えば移送門を潜った品物とその転移先に届いたものの同一性であったり、
それは人に使用可能なのか、使用前後で同一性は保証できるのか、同一に思えたとして本当に魂までも転移できているのか、というような話は初期からあり、勿論人は好奇心旺盛であるので、まずは小動物からスタートし、犬、猿などが移送門を潜った。
問題はなさそうに思えた。瞬時に転移した類人猿の変化を確認するため、飼育係が飛行機で36時間かけて確認することに成功した、というのをマスコミは喜ばしい話題として大々的に喧伝したが、そもそもその飼育係の同一性が怪しいなどという笑い話の種にしかならなかった。引き攣った笑いである。
己の命を賭して冒険へ赴く者は太古からいて、勿論現代にも存在した。ただ、なにかどこか勝手が違うというのか、失敗すれば命が失われるならともかく、ことによっては魂の尊厳が喪われる事態がありえると皆が知るにいたっては、命知らずすら二の足を踏んだとしても仕方のないところだろう。
ハエ男の恐怖という映画がある。それはやはり転移装置をモチーフにした映画だった。オリジナルの白黒映画は転移実験の結果、装置に紛れ込んだハエとともに出力され、人の体にハエの頭を持つ異形と、人の頭を持つハエに分かれた。ハエは蜘蛛の巣に捕われ、必死で助けを乞うが、声は届かない。
リメイク版はハエと合成してしまった学者が、昆虫ならではの膂力を得て人生を謳歌するも、どんどんとハエ化が進んで最後にはハエの化け物と化してしまうという話だった。
他にも日本の子供向け漫画に出てくる未来の道具も、実は複製された肉体と記憶だけを引き継いだ別物を転位先で生成しているだけだ、という冗談などがあり、たとえ科学に詳しくないものでも、異質すぎるテクノロジーにはどこか恐ろしい罠がしかけられているのではないか、と考えるのは、人としてごく自然なことなのかもしれない。
そのような状態が十年ほども続いたある日、人類に空間移送システムを授けた、上位存在が再び人の前に姿を現した。
「あなたたちは何を恐れているのですか?」
音としては意味を成さず、けれども意味だけは通じる彼らの言語を介して、人は何に恐怖しているかを伝えた。
彼等は言った。
「それは杞憂に過ぎません。魂の同一性など、考えるから怖くなるのです。でも、あなたたちは何故気づかないのですか?」
「な、なにを……?」
「寝て、起きたとき、すでにその過程は行われているというのに。人の僅かな持続性の中ですら、それは数万回単位で行われているのですよ」
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