あいびき(Mince)
閑散とした気配漂う商店街の、一角を目指して彼女は早足で歩いた。お目当ての店はやっていた。もしかしたら盆休みかもしれない、と彼女は考えていたので、やっているだけでありがたかった。
「おっちゃん、メンチカツある?」
「ああ、あるけども、すぐ食べるならこれから揚げる感じになんぞ。それでもいっか?」
「なに言ってんの、揚げたて食べれるなら、待つよ、待つ!」
白いブラウスに細身の黒いパンツルック。高めのヒールを持つサンダルのせいで、やけに長身に見える。
店主は、どっから来た、と訊きそうになったがやめた。店に来るなりまっさきにメンチを頼むなんて、地元っ子以外のはずがなかったからだ。
「帰省か、嬢ちゃん」
フライヤーの前に立ち、背を向けたままで店主は話しかけた。
「そうなのそうなの。帰ったらまっさきにおっちゃんのメンチ食べようと思って。さとうのメンチも美味いけど、でもわたしはこっちのほうが好き。牛100%のジューシーさも捨てがたいけど、合い挽きの旨味と優しさがやっぱりメンチって感じがして」
「さとうがなんだかわからんが、うれしいこというねえ」
「まけてくれる?」
「お盆価格だ。二割マシ」
「えーっ!」
たわいもない会話をしているうちメンチカツがからっと揚がった。彼女はメンチを三つ買って、肉屋を後にした。
商店街に並走する裏道と、古くからあるビルや元書店の建物の並び、それから大きめの露天駐車場の間は、形から名前をとって三角公園と呼ばれている。正式名称は、そもそもあるのかないのか。
大きな通りからそれほど離れてもいないのだが、近くに学校もないせいか、いつも人気がない、小さな公園だ。
ベンチが二脚に、大人の膝ぐらいの高さの小さな鉄棒しかない。
木陰になっているほうのベンチに坐って、彼女はメンチにかぶりついた。まだ充分に熱い。肉汁が口内で弾けて、火傷したな、と思う。ザリザリした衣の食感と肉の脂の旨味を堪能しながら、大きめのメンチだというのに、数口で食べ終えてしまった。手についた脂をしゃぶって、それからハンドバッグの上に出しておいたウェットティッシュで手を拭いた。
「パンも欲しかったなあ」
うん、と伸びをして、バッグから文庫本を取り出す。吉行淳之介の掌編小説集だった。
読み進めていると、人の気配がして彼女は顔を上げた。
「よ」
と、スーツ姿の男が言った。
「八年ぶりぐらいか?」
よく冷えたペットボトルのお茶を手渡すと、男は彼女の横に坐った。
「どうだったかな〜」
遠慮なく受け取ったお茶を開け、ごくごくと飲んだ。
どこかで車がクラクションを鳴らした。
「随分垢抜けた女がいるな、と思ってたじろいだんだが、こんなところにいるのが女優なわけもないしな」
「褒めたって——あ、出すものあったわ」
脇に置いていた紙袋を男に渡す。
「イトーのおっちゃんちのメンチ」
「お、いいねえ。昼飯食ってないから腹減ってたんだわ。で、用事は?」
「……べつに。たまたま役場であんた見かけたから。まさか届くと思わなかった、ショートメッセージ」
男は袋から取り出したメンチを一口齧った。
「熱々が最高なんだけどな。でも、うめえな。……そっちこそ、よく番号とっておいたな。あの頃は、まだガラケーだった」
風もなく、暑い中、シャクシャクという男の食べる音だけが続いた。
セミも暑さのせいか、例年よりおとなしいのかもしれない。
「俺さ、結婚したんだ、みいと」
「聞いてる」
「で、ぼちぼち子供も生まれそうなんだ」
「……へえ。おめでとう」
「だから、逢引のつもりで来たわけでもないんだ。懐かしくって」
ふひっ、と彼女は笑った。「逢引って。普通はもっとこそこそ会うもんなんじゃないの?」
「それもそうか」
笑いかけた男へ、彼女は流し目をしながらぼそっと言った。
「やりたいっていうんなら、やってもいいけど。帰郷して、また出ていく後腐れのない女とひと夏のナマでやり放題セックスとかそそるよね?」
「ごめん。俺が軽率だった」
男は視線を逸らし、逸らしたまま頭をグッと下げた。太腿に指が食い込んでいる。
語尾がちょっと震えてたな、と彼女は思いながら、空を見上げた。
立ち上がり、パンツの尻をパンパンと叩いた。ハンドバッグを手を伸ばして取り、肩にひっかける。
顔をしかめてから、俯いている男へ発破をかけた。
「しゃんとしろ、新米パパ! 子供が生まれるのに小せぇことでクヨクヨすんじゃねえ、バータレ!」
驚いた顔を向ける男へ、屈んで顔を近づけ、小声で伝える。
「ほんとは、ちょっとだけ火遊びしたかったんだ……」
「え——」
「冗談!」
けらけらと笑いながら手を振って、彼女は公園を後にした。
「どうだったって? 安心して、シロよ。乗っかってくる素振りも見せなかったわ。まあ、あいつがロリコンで現役女子高生じゃなきゃ勃たないとかいうんなら——冗談、冗談よ。子供作っといて、なに本気にしかけてんの。え、違う? 慰めてくれてんの。ってバカ、わたしの魅力の問題とか言いはじめたらお話になんないでしょーが。……うん、わかってる。え、まけてくれって? お友達価格? ……お盆だからね、二割マシだよ。……冗談だって」
電話を切ってから、彼女は車内でしばし、ぼーっとした。旧友からの依頼は、ほんの少しだけ苦かった。
——子供ができたというのは聞かされてない。それがみいなりの思いやりからだったとしたら、やりきれない。みいは知らないだろうが、その原因を作ったのは、あなたの旦那の身勝手さだったのだ。
いや、責任を相手だけに背負わせる身勝手さは私もか——
等と。
以前からずっと子供なんて欲しくないと、そう考えているくせ、こういう時だけ悲劇のヒロインぶってしまう感情の動きこそ、唾棄すべきものだと彼女は知っている。
「あー、くそっ! やっぱ強引にでも一発やりゃあよかったな! モヤモヤする!」
それだけで、随分と見える景色も変わってきたような気がするが。どのみち、すでに離れた場所、過去の場所のことに過ぎない。
「決めた! やっぱメンチ買って帰ろう。今度はソースをたっぷりつけて食ってやる!」
車を降り、バタンとドアを閉め、また商店街へ向かって歩く。
日に二度は、食欲旺盛なあの頃ですら行ったことがなかったな、と思うと、足も多少は軽くなった。
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