もうひとりのアイツ(The double)


 田波たなみ、こないだ池袋にいなかった? と訊かれたすぐあとに、昨日新宿にいたでしょう、と言われた。最近池袋に行った記憶はないし、昨日はずっと家で伏せっていた。奴らもわかった上で言っているのを、こちらも当然わかってはいたのだが、なんだか腹立たしい。

 新型コロナ以降のクセで、週一で行なっているオンライン飲み会の席だった。

 サークルのメンツ三人に、部外の二人、それから俺。

 必ずしも全員集まるわけではないし、今日も一人が欠けていた。

「もうさ、そういうのいいから。俺は昨日は頭痛くてずっと部屋にこもってたよ」

 新しい缶チューハイを開けながら俺は答え、そっかあ、なんてケラケラ笑うふたりを尻目に、ぼそっと言う奴がいた。

「俺も、見た」

「俺を?」

「ああ。いま帰省してるんだが、街中で田波を見た。あれはおまえだと思う」

 あまりにも真面目で辛気臭い言種いいぐさだったのが可笑しかったのか、先程の二人は爆笑した。

「いつの話よ?」

 俺は、そいつ——池畑が冗談を好むような類いではないのを知っていたので、茶化さず訊いてみた。

「今日だ。今日の昼。おまえは、同い年ぐらいの女と歩いていた。楽しそうに笑っていた」

「池ちゃんの田舎って宇都宮だっけ?」

 まだ苦しそうに息を上げながらシンジが言った。

「餃子でも食べに、ぶはっ、行ったのか宇都宮まであはは」

 喋る途中でまた吹き出して、新宿にいたかと訊ねたケイコがつられた様に笑いを再開した。二人の笑い声が響く。

「あたしも……」

 さっきからじっと話を聞いていた山田が、言い淀むように言った。「あたしも、見たんだ、タナっち。やっぱり女と一緒にいて、お邪魔しちゃいけないかなあと思って声はかけなかった」

 俺は溜息を吐きながら訊く。「どこよ、宇都宮?」

「ううん、長野。あたしも帰省してる」

「世界にはそっくりさんが」とようやく笑いやんだケイコが言った。「三人はいるとかなんとか……あれ、七人だっけ?」

「もう、おまえら、そんな話はいいよ。どうせ俺がそこらじゅうにあるような、ありふれた顔だって言いたいだけなんだろ!」

 不貞腐れた俺の言葉のあと、シンとした雰囲気が漂った。

 だったら良かったんだけどな、と誰かが言った。

 おまえの隣にいたの塩田だろ、と誰かが言った。

 アヤちゃん、ずっとしつこく言い寄られて困るって言ってた、と誰かが言った。

 頭が痛かったなんて嘘だろ、あんたは怖くて逃げたんじゃないの、と誰かが言った。

 俺は怖くなってノートパソコンを閉じた。

 蒸し暑い部屋の中、俺は昨日、何をしてたかを必死で思い出そうとして、それが叶わず、憤りをテーブルの上のPCへと叩きつけた。鈍い音がしたが、壊れたかどうかまではわからない。

 俺じゃない、やったのは俺じゃない、俺に似た誰かの仕業だ、と誰かが言った。

 夏の暑さに絶え絶えになったのか、虫の音も聞こえず、うっすらとしたホワイトノイズに、どこかのテレビが吐き出した、わざとらしい笑い声が流れて、消えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る