正しい交際(お題:色相)


 色相しきそう たまきにとっては、感情は色である。表情や声音や、その他の微細な徴によって感じるよりも、彼/彼女をうっすらと包むオーラの色を見たほうがてっとり早いし、間違いがない。子供の頃は、そこまで意識してなかったように記憶しているが、思春期を迎える頃には、ほとんどオーラの色で人の機嫌を読み、対応してきた記憶しかない。

 色味はその人の感情の方向性を指し、明度はその感情の正負を表す。

 暗い青は怒りを意味するし、明るい黄色は上機嫌だな、など。

 実際にはオーラの色は一色ではない。綺麗なグラデーションを描いて紫から赤に渡っている時もあれば、色が拮抗してゆらゆら揺らめくときもある。大人になるにつれ、複雑な色のパターンや、移り変わる色味、明滅する具合なども、ほぼほぼ何を意味するか理解できるようになってきた。

 例えば、いま環の正面に坐る男は、暗い喜びの中に微かな情欲と、緊張と不安を散らしている。

「婚前交渉から始めたいというのは、どうなんでしょうか」

 男は言い、自分の言葉に釣られたのか情欲が薄く広く広がる。混じって、怒りの色も滲んできた。

「そういうのは、ちゃんと交際してからのほうがいいと思います」

 言葉で取り繕っているのではないことは、怒りの色がより広範囲に拡がっていることから、わかる。真面目な男なのだろう。

「ちゃんと交際する、というのこそ、どうなんでしょうか。お見合いなんですから、交際ゼロ日で結婚もおかしくないのでは?」

「結婚……してくれるんですか?」

「それを決めかねているから、躰の相性が知りたいのです」

 男が言えば傲慢だ、セクハラだ、何様のつもりだとなりかねない言葉も、女が言えば意味が全然変わってくる。素直に乗ってしまえばいいのに、男は何の面子なのか、何を誤解しているのか、素直にうなずけない。

 環は、ただ見たいだけなのだ。

 自分が情欲に悶えて大きく広がるオーラの色に、男のそれが入り乱れ、混じり、複雑な色味とパターンを描くときのそれを。オーロラよりも艶やかで、神々しい光の紗幕。

 相手は誰でもいいのだが、のは駄目だ。許せない。してみなければ、それはわからない。だから婚前交渉を——

「色相さん、俺を見てもらえませんか」

 強い口調で言われ、環は夢想した世界から起こされる。男の口許には笑みが、ハッとなって視線を上げると、その眼には力が。

「やっと見てくれましたね」

「あなたは」

「見える世界がひとつではないのは、あなただけではないのですよ。俺には、あなたの声音から、心が常にここにはないことがわかってました。乱暴でしたが、使わせていただきました」

 男のオーラが、これまでとはまったく違う展開をしているだろうことは、うっすらとは理解わかっていたのだが、環はそれではなく、男の顔をまじまじと見ていた。

 男は小声で言った。

「やっちゃったら、離れられなくなりますよ、環さん。それでいいんですか?」

 からかうような響きに、環の心は震えた。

 確かに。

 簡単に決めてはもったいないような、そんな事も世には多くあるはずだ。久々に人の顔をまともに見た環は、どう伝わるかなどと考えず、淫らに笑った。

「そうね、交際から始めましょう」

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