石のような食べ物(お題:鉱石)
昔——昭和の話だ。
私が「ひとりのおじちゃん」と呼ぶ、親戚があった。もしかしたら、これは屋号か何かを私が聞き間違えたまま覚えた呼び名だったのかもしれない。
が、私が遊びにいっても、その家族を見たことがなく、私は疑問にも思わなかった。実際に、ひとりでいるおじちゃん、だったのだ。
彼の家は広く、また敷地も広かった。
生業はゴミ拾い(?)で、主に金属のガラクタが家から離れた敷地に積み上げられ、その横にビニールハウスがあった。
そこに遊びに行くと、玄関の靴箱の上に瓶に入った小石があった。
「ねえ、これなに?」
そう訊くと、彼は「これは食べられる石だよ」といった。そして、瓶から小石を掌にざらっとあけると、実際食べて見せた。
私もそれをひとつもらった。
ちょっと堅かったけど、砕けたし、甘かった。本当に食べられる石だった。
そのあとも、遊びに行くたび、私は食べられる小石を、特に断りもなく食べた。
私が胡麻の木を初めて見たのも、そのうちのビニールハウスの中だった。乾燥させないと美味しくないよ、という話を聞きながらも、干してある筒だか藁だかみたいなものから、胡麻を押し出し食べた記憶がある。
味は、覚えていない。
母方の実家には、同じく玄関の靴箱の上に観賞用の金柑があった。私は金柑が大好きで、ねえ食べていい? 食べていい? と聞きながら、答えを待つまでもなくむしって食べた。金柑の酸っぱさと甘み、それから苦味が子供ながらに大好きだった。
その家の、しいたけの原木が並べられている横に、胡桃の実があった。もう何年前からあったのかわからないような実だ、と当時は思ったけれど、いまにして思えば子供の時間は長い。数年もの間、その胡桃を近くで拾った石で叩いて割って中身を食べていたような記憶があるが、もしかしたら同じ年か、精々一、二年のことだったのかもしれない。
そんなお菓子もなく、ひもじかったような年代でもない。祖母にお小遣いをもらい、アイスを買ったり、煎餅を買ったり、10円を入れて遊ぶルーレットをやったりもしていた。
なのに、私はなぜ、あんなに食べ物だかなんだかわからないようなものへと惹かれ、口にしていたのだろう。
ひとりのおじちゃんの死に目に、私は遭えなかった。親は葬儀に出ていたと思う。おそらく懐いていた彼の死を見せてしまうのは、よくないのではないか、と両親が考えたのではないだろうか。
自分では覚えてないが、妹の出産のとき、ねえママは死んじゃうの? ママは死んじゃうの? と私はしきりに心配していたらしい。妹の出産というのだから、おおよそ三歳ぐらいのときの話である。
三歳の時の私が、死というものをどう考えていたかは、まったくわからない。どこでどうやって死という概念を獲得したのかも。もしかしたら、「かわいそうな象」の話を読んで、それで覚えたのかもしれない。
ひとりのおじちゃんの、その奥さんの葬儀が、おそらく私が初めて参加した告別の儀式だった。
棺桶に収まる、生きているのとは明らかに違う何かになってしまったモノに私は触れ、怯えた。妹は怖いといって自家用車へと逃げ、それを追うようにして私も父親から鍵を受け取り、妹と一緒にいるという大義名分を得てそこから逃げ出した。
得体の知れない怖さと場の雰囲気から逃れたかった妹は疲れて後部座席で眠り、その横に座った私はずっと死んだらおしまいだ死んだらおしまいだ、とそんなことを考え、生き物は死ぬ、という現実へ怒りを向けていた。
鉱物のチョコレートだか砂糖菓子は下駄箱の上にはなく、ひとりのおじちゃんも、とっくにこの世からおさらばしたあとのことだった。
あのあともしばらく、いや随分長い間、ガラクタの山は山のままだった。私が車を運転するようになって、国道のその脇を通るようになっても相変わらずに見えた。
私が知らなかっただけで、ひとりのおじちゃんにも息子とか娘とかがいて、放置しているのだか家業を継いだのだか、ゴミ山はトタンの塀をはるかに越える高さで存在していた。
イトコ同士で結婚したからどうのこうの、みたいな話を親から聞かされた気もするが、子供の頃のように遊びに行くでもないその家の事情なんて、私には関係がなかった。
いまでも、あの石のようなあれはなんだったのだろう、とたまに思い出すだけだ。
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