深夜50時(お題:深夜二時)


 深夜二時が深夜二時である人は幸いである。深夜二十六時である人はご愁傷様。ところで俺は、現在深夜五〇時を迎えて、まだ仕事の終わる気配がない。

 考えて、書いて、止まって書いて、などとしている余裕がない。中身などは考えてはいけない。考えていたら終わりゃしない。かといってまったく考えないわけにもいかない。曲がりなりにも資料には「○○タイプは〜」などと説明があり、そのタイプが「明日、素敵な出逢いをするために」といったことを書かなければならないからだ。

 知るか。

 出逢いが欲しけりゃ外へ出ろ。会社帰りにコンビニで安酒なんか買ってないで、バーへでも行け。そもそも「出逢い」ってなんなんだよ!

 などと思いながら『内側に素敵な世界がキラキラと輝いているけれど奥手で人とのコミュニケーションが苦手で誘われてもつい断ってしまう』タイプへ素敵な出逢いを——いや、それにつながる何かの「気づき」を与えなければいけない。

 マジに考えてたら時間が足りない。

 マジに考えたらマチアプでもやっとけ、ぐらいしか言えない。

 けれど300文字は書かなければならないので、あれこれと適当なことを書く。あんまりにも書くことがなさすぎて、けれど手を止めてられないので「そもそも出逢いとは、なんでしょう?」から始めたりして、自分でも笑ってしまう。ことによったら仕事をクビになるかもしれない、などと思いながら、いっそクビにしてくれないかなあなどと考えながら、とにかく指先を動かし、キーをタイプする音を途切れさせないようにひたすら文字を連ねていく。

 考えないつもりでも頭はここにあって、見た目だけはそれなりにまともな文を指の慣いだけで打ちつけながら、関係ないことを考えてしまったり。

 ……なんでこんな曖昧な区分で人を24パターンにもわける。奥手で人見知りはいいとして、奥手だけど人見知りはしない、ってなんなんだ。人見知りはしないけど、深く人に関わっていく勇気がないってことなのか?

 監修、もしくは名義貸しのセンセーが手ずから書いてるならまだしも、もっと細かい分類のほうが喜ばれるだろう、なんて意識で会社の担当が勝手なことをしたのだろう。何もしない無能よりやる気のある無能のほうが害悪だというのをひしひしと感じる。


——実際に出逢えるか出逢えないかは問題ではありません。出逢おうとした気持ちを前向きにとらえ、世界を見つめなおしましょう。多くの出逢いが、そこに息を潜めています。


 まともなことを書いてしまって、まともなことを書いてしまったことに頭を抱える。そんなの誰も求めてないんだ、もっと安易に、こうすれば出逢えるを求めているんだ、ダメだこんなの、と思いながらも、いまさら書き直す時間が惜しい。

 次のパターンは頭に入っている。このファイルでは、すでに二十通りのシチュエーションで書かされているのだから。

 時刻はまだ深夜50時3分。

 早く、仮眠ではなく、ちゃんとした眠りにつきたい。布団に入って。時間を気にすることなく。

 眠りについたとて、急な仕事が入ったと、起こされる可能性もあるのだが。

 それでいて、一週間以上もなんの音沙汰もない日が続いたり。そんなことを考えると胃が痛くなるだけなので、考えない。

 何も考えない。

 ただ、手を動かすだけ。

 三時までに二十パターンいけたら、一時間半ぐらいは仮眠とれそうだな、とそれだけを心の拠りどころにして。

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