窓越しの宇宙(お題:窓越しの)


 全天周囲モニター越しの宇宙は、きれいだ。

 満天の星。

 だが、これは本物の宇宙ではない。

 合成された、シミュレートの闇と星。

 タツトは実戦さながらの宇宙服パイロットスーツ越しの手を伸ばし、伸ばした手の所在なさに溜息をついた。

 立ち上がると警告音、

『クレナイ訓練生、いまは模擬戦中だぞ』

 教官の声が操縦室コクピット内に響く。

 敵の探索波に捕まったことを知らせる強警告音、その手は偽の宇宙には届かない、背伸びして、同時に激しい振動と炸裂音が鳴るが、転ばずに立ち尽くすタツトの眼前から宇宙は消えた。



 皮膜一枚隔てた粘膜接触。

 摩擦は快楽だ。

 タツトは小さく呻いてキヨカに覆いかぶさり、這い出した彼女は涼しい顔で荒い息の男の横顔を眺める。ごろりと転がり、天井を向いたタツトに、

「今日は随分早かったわね、疲れてる?」

 その言い方は、中身とは裏腹に慈愛に満ちていた。同じく天井へ顔を向ける。

 タツトは億劫そうに半身を上げ、スキンを塵紙で拭いとった。

「間抜けな姿。つけなければいいのに、そんなの」

 カチリと音がして蒸気煙草の煙。サイドテーブルにあった、タツトのそれをキヨカが吸い始めたのだ。

 訓練生同士の性交は推奨されていた。遺伝子は多様性を求めている。受精し、着床した卵子は採り出され、保育器送りになる。妊娠による訓練の中断もない。

 だがタツトは怖かった。自分の遺伝子が、例え半分とはいえ自分の外にあるのは。皮にくるまって焼却されるぐらいの、束の間ならまだしも。

 何がおかしいのか、キヨカがふふっと笑った。


 戦闘訓練へ向かう途中、不意にタツトは許せなくなった。はめ殺しの窓に映る、豊かな自然の姿が。

 風になびく野っ原が、その先で霞む山の稜線が、薄青い空が、そこに棚引く雲が。

——すべて欺瞞だ。

 窓ガラスを拳で叩く。

 共に歩んでいた訓練生が宥めようとして声をかける。だが、それがなんだというのだ。

 もう世界は終わりかけている。

 戦うべき相手どころか、戦うべき自分すら失われつつある。

 宇宙へ行くどころか、俺はこの建物の外にすら出たことがないじゃないか——!

 駆け寄ってくる足音が聞こえる。

 俺は狂ってしまったのだろうか。

 宇宙服越しの背に何か押し当てられる感触があり、頚椎を走る刺激、徐に視界が閉ざされていく。

 窓に押し当てられた手が、重力へ引かれていった。



「適任者が現れたとか?」

 司令室に陣取る人物が、やってきた腹心の部下へと片頬を上げながらいった。

遺伝子槽プールから採りあげても大丈夫そうだよ。世界への違和感はかなり大きい」

「愉しい箱庭より、恐ろしい現実を尊ぶ、か」

 司令官の椅子から立ち上がったのは、老人といっても差し支えのない人物だった。目には強い光があり、背もピンと伸びているが、それでも老人としかいいようのない、くたびれた気配を漂わせていた。

 数歩進むその先には宇宙。

 眼前に拡がる宇宙には、星の姿はほとんどない。

 窓越しのその光景は、タツトが見た荘厳さが微塵もなかった。

 播種船は、次なる銀河へ向けての航海の途中にある。

 老人は闇へ手を伸ばし、ゆっくりと拳を握った。

「私はもう疲れたよ。適任者が現界したら、そろそろ眠らせてもらうよ」

「さようで」

 慇懃に答えた腹心へ、老人は笑いながらそっと腕をおろした。

「この窓すら突き破ろうとする者であることを、共に祈ろう」


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