センリツ(お題:さやかな)
そのスタジオで録音すると、妙なノイズのようなものが入り込む、という話だった。近くに高速道路や鉄道が走ってるわけでもなく、古びた雑居ビルの一室ではあったけれど防音もしっかりしているはずなのに、と。
「で、ノイズってどんなのよ? ホワイトノイズ? 機材の問題じゃね?」
俺の部屋にやってきた智樹は遠慮なくもなく床に坐った。俺も構わず、PCデスクに腰を下ろし、回転椅子をゆらゆらさせた。
「機材もべつに古くはないんだよなあ。なのに安いからよく利用するんだが」
趣味のバンドをやっている智樹が俺のところにこの話を持ってきたのは、そういう奇妙な話に目がないと思われてるからだろう。
期待されてるなら、応えてしんぜよう。
「事故物件か? 機材も悪くないのに安いとか、それもうオーナーわかってんじゃねーの?」
「いや安いのは立地が悪いからだと思う」
あ、そう。
「しかし、それが本当にノイズなのかどうかは気になるな。ボリューム上げるとお経だったりとかしない?」
「やめてくれよ、そういうのは苦手だ」
「でも、そーゆー可能性考えたから俺に話振ってきたんじゃねーの?」
「じつはさ、」
智樹が少し青ざめた表情で言う。
「あそこでデモ作るようになってから、ボーカルが妙に生魚ばかり食べたがるように……」
「いーじゃねーかよ! 暑いからだろ! てか生魚ってなんだ、刺身っていえよ刺身って!」
「だって鯉とかフナまで生で食うんだぞ……?」
「それは洗いだろ! 酢味噌で食うやつ! 好きにさせてやれよ! まあ、それはいーや。んで、音源はあんの?」
ポータブルHDDを智樹はテーブルに置いた。手を伸ばしてそれを取ると、HUBに差した。そのぐらいで入るノイズに消される程度の音なら、そもそも何でもないような代物だろう。
ヘッドホンをかけ、音源を聴いてみる。俺は絶句した。
「……相変わらず下手くそだな、おまえのバンド……」
「味があるといってくれ。あ、魚のアジじゃないぞ」
無視して聴き続けると、微かに、けれど確かに間奏部分には違和感があり、ブレイク部分には奇妙な音の連なりがあるように感じられた。
俺はPCへと腰を据えた。
「ちょっと試してみるわ。冷蔵庫にビールあるから好きに
波形編集ソフトを使って、明らかに異音であろう部分だけ抜き出してみる。周波数帯に目星をつけて、載っていてしかるべき音にできるだけマスクをかけてみる。
何か周期的なものは感じるが、ほとんどノイズのようなもので意味を成すようには思えなかった。
「おい、智樹!」
振り向くと、Switchで何かを遊んでいる智樹が目だけを覗かせた。
「マスタリングする前の元音源とかないのか? これだけじゃどうにもならん」
「あるよ、でも待ってくれ。もう少しでサイドアームがクリア」
「なにカプコンアーケードスタジアムやってんだよ、……まあ、いいや、俺もいったん休憩するわ」
「あ、やられた」
クラウドに上げていた元データを落として、音源から除いていく。残った音は確かにあり、しかし、やはり意味のないノイズのような音だった。
「機材の不調なのかな?」
「そのセンもあるが、うーん。おまえはサイドアームやっとけ」
波形を色々と見比べて気づいたのが、どうやら音源データの左右で波形が違う、ということだった。周波数帯も違う。明らかに棲み分けている。
混ぜるな、危険、ってか?
どちらが正解かはわからないが、一方の周波数帯に合わせて、波形を合成してみた。
ささやかな旋律が聴こえた気が……ゲインを上げてみる。
「うわあ!」
俺はのけぞった。
のけぞった調子にヘッドホンが外れ、同時にスピーカへと音が送られた。
さかな、さかな、さかな〜。
「これは……、魚屋の旋律……!」
智樹が呆然とした口調で言った。
そうだ、これは魚屋でよく聞く、そう、「おさかな天国」の旋律だった……。
俺たちは呆然として、しばらく無言で「おさかな天国」を聞いていたのだった。
(了)
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