第36話 僕はあなたを…
唐突に告げられた言葉に、僕は衝撃を受ける。
彼女の告白が、嘘?
やけに大袈裟な告白だと思ったが、まさかそれがお父さんに重ねていたせいだったって言うのか?
推論としては忠司の推論であっていたが、全くの想定外だ。
「だから、私は君と共にいるべきではない。君を愛してると言ったのに実は父親の代わりにしていたなんてそんなふざけた事あっていいわけない」
僕が呆然としていると、春日野さんが畳みかけるように言った。
「それって遊園地の時に思ったんですか?」
「ああ。そうだ。君があの時してくれた事は父さんと同じだった」
そうか。
まさか予想外の方向に失敗をしていたとは思わなかった。
それではまさか手の甲を見ていたのは、その事を思って?
「だから、これ以上私を探さないで欲しい。私もこれ以上君に固執したりしない」
そう言って、彼女は僕に背を向け遠ざかっていく。
まずい!
遠ざかる彼女の背を見て危機感が湧きたつ。
このままではせっかく彼女を連れ出せたのに目的が果たせない。
どうする。
どうしたら。
どうしたらいいんだ!?
『昔、桜がまだ幼稚園に入ってすぐの頃に行った遊園地で『私、お父さんと結婚する!』って言ってね。そしたらあの人、『お父さんはお母さんと結婚してるから無理だよ』って。そして『だから桜、お父さんみたいな人を探すんだ』って言ったのよ』
と、そこでふとお母さんと話をした時のことが思い出された。
『桜が『お父さんみたいな人って、どんな人』って言うから、私が『勇敢で、正義感が強くて、人の為に傷つく事が出来る優しい、そんな人』って教えてあげたの。きっとあの子の中でその約束は生きていたのね』
『あなたなら私も安心して桜を任せられる。改めて、桜の事、宜しくお願いします』
リフレインした言葉は僕の背中を押してくれた。
そうだ。僕は友人達に、美也子さんに、そしてお母さんに託されたんだ。
ここで黙って彼女を見送る事なんて出来ない。
気付けば僕は春日野さんの腕を掴んでいた。
「待ってください!」
手を引くと春日野さんの足が止まる。
「まだ、まだ貴方を返すわけにはいけない。僕はまだ皆との約束を果たせていません」
「……。君は、本当にしつこい人だな」
春日野さんはゆっくり振り返る。
その顔には朝であった時よりも明らかに沈んでいた。
「私は君を父の代わりにした。そんな女になんで君は固執する」
「さっきも言ったでしょ。僕は貴方が好きなんです。それにお母さんからも貴方を任せると頼まれたんです! だからあなたを諦めない!」
僕は力強く宣言する。
「母さんが、そんな事を」
「はい! 言われたんです。そしてこうも言っていました。僕は本当にお父さんに似てると」
僕は自分から溢れる言葉に任せてただ語った。
さっき掴んだ糸口から浮かんだ本能的筋道をたどって。
「だから、遊園地の事も単に似た人間だからそうした。そうは考えられませんか?」
彼女ははっと息を呑む。これは想定外の言葉だったようだ。
「僕はこんな姿の人間です! 見た目こんなでも中身は男だって友達から言われた。だから、きっとお父さんとは似ても似つかない。生まれも育ちも多分違う。だから、似たのはただの偶然。そして、一部似ただけで他は全然違うかもしれない」
僕は出たとこ勝負で畳みかける。
そして、その先も思いつくまま叩きつける。
「…。確かにそうだが」
「僕はお父さんそのものじゃない。でも、貴方は反応した。それはお父さんと似たような事をしたから。なら、あの野球ボールから守った時や遊園地以外はどうでした? 僕はお父さんそのものでしたか?」
「そ、それは、」
しどろもどろになる春日野さん。
僕は畳みかけるだけ畳みかけ彼女を追い詰めた。
「きっとそうじゃない。付き合い始めて、僕の事を少しずつ貴方は見ている。その上で貴方は僕との付き合いを止めようとせずにデートにまで連れ出した。どうしてですか?」
「……」
「あなたには、僕のお父さんと似ている部分しか見えませんでしたか? きっとそうじゃない筈です。カッコ悪いところだって見せてた」
力強く言い切ると、思い出したくもない記憶が頭を過る。
だが、そんな事今はどうだっていい。
「交際がバレて群衆から逃げる時にあなたに手を引かれたり、彼氏なのに彼女にお迎えの先を越されたり」
群衆から逃げる時も、先にお迎えに来られた時も本当に恥ずかしかった。
群衆から逃げる時、彼女は僕の顔こそ見てないが結局追手が僕の様子を実況してたから丸わかりだろう。
それなのに……。
「それなのに、あなたは僕との交際を止めなかった。それは僕の中のお父さんを見てただけではないから。違いますか?」
ダサい自分を見られても、彼女は僕から離れようとしなかった。
これが、僕をお父さんと重ねていないという事実にはならないだろうか?
「僕の見た目は一般男性とはかけ離れてる。重ねようとしても完全には重ならない筈。見た目と行動がかみ合ってない。こんな成りなのにカッコいいとまで言われたぐらいですから」
「ッ…」
彼女は息を呑む。
僕は答えを待って静かに彼女を見つめていた。
「なんで……」
暫くして、彼女は涙が浮かんだ瞳で僕を真っ直ぐ見つめる。
「なんで君は、そんなにも頑なに私を受け入れようとする。もうとっくに亡くなった父に縋るファザコン娘なんかを…」
その瞳には、切実な色が浮かんでいた。
そして声色も、女性そのものだ。
何処かで見た事のある色んな感情が混ざっている複雑な表情が浮かんでいる。
その顔を見て、僕はようやく気付く。
この表情は僕が浮かべていたものだ。
僕と同じ、簡単には解決できそうもない悩みを抱えている人特有のものなんだ。
「私は未だ父さんに甘えるただの子供! もうこの世にいない人に、いつまでも甘えて縋って依存して。もしこのまま君と恋人同士になったら君を本当に父さんの代わりしちゃう」
悲しい瞳で僕を見つめる。口調も女の子のそれに代わってる。
恐らくこれが、本当の彼女なんだろう。
「私が他の子と違う事は自分だって分かってた。周りの友達は父親の話などしない。最初こそ気にしなかったけど、だんだんとズレが出てきた事を認識していた。私は違う、ただのファザコン娘だ」
悲しげな目で強く訴えてくる彼女。
そして、もうその瞳から溢れた涙が少しずつ流れ出す。
「このままではダメ。いつまでも誰かに依存してはいられない。親が安心してみていられる人間にならなくちゃ。それが親の願いで私自身の願いなのに」
もはや涙も頬を伝い彼女は切実に叫ぶ。
「強くならなきゃ! しっかりしなきゃいけないのに! 誰かに甘えて。頼って。私はいつまでも弱くて。もう、どうしていいかわからない」
頭を抱え涙ながらに訴える。そこにいたのは父親が大好きなだけの一人の弱い女の子だった。
「だから、あなたにも頼ってはダメ。頼っちゃダメなの」
その叫びは、僕の心に強く響き渡った。
ああ。
これが彼女が僕から離れようとした本当の理由なんだな。
僕をお父さん替わりにしてしまう事自体が問題じゃない。
その結果誰がに依存してしまうのが彼女にとっての問題なんだ。
これは未だお父さんのモノマネをして自分を偽っている彼女からしたら最も恐れている事なのだろう。
何しろモノマネをしている理由こそが依存だから。
それが今度は僕に依存してしまったら、
今までと何も変わらない。
だけど。
この言葉には、答えはすぐに見つかる。
「大丈夫です」
「えっ!?」
「今は依存してくれても、お父さんの代わりでも、良いんです」
僕は躊躇いなく続けた。
「依存したって、甘えたって良い。今はお父さんの代わりだって良い。だって僕らはまだ未熟で、全然独り立ちもしてない子供です。完全に両親が安心して見ていられる人間になるにはまだまだ時間がかかる」
諭すように、穏やかに優しい口調でそう語り掛ける。
「だから、今はまだ良いんですよ。それに、きっと春日野さんの悩みは、僕と同じで一人きりで解決できるような悩みではないんだと思います」
両親が安心して見ていられる人間にならなくてはならない。
それは深刻な悩みなのだろう。
お母さんと、亡きお父さんの願いなのだから当然だ。
でも、それは簡単に解決できる話じゃない。
彼女は大切な人であるお父さんを失ったのだから。
思春期にそんな事があったらきっと心に深い傷を負っただろう。
僕だってそうだ。
散々周りに可愛い可愛いと言われ悩み傷ついたのだから。
程度の差はあれど、僕ら子供には深刻なんだ。
簡単に解決しようが無いのは僕の事例からも簡単に理解できる。
僕も小学生の頃から悩み続けて、解決したのは本当につい最近。
でも今、僕に出来る事はそんなにない。
「僕はその状況を受け入れます。お父さんの代わりなら今はそれでいい。僕は貴方と一緒にいたい。今はそれだけで十分です!」
「ッ!」
彼女は大きく目を見開いた。
「そして、必ずあなたに僕の中のお父さんではなく、僕自身を愛させて見せる! そして、いつか必ず大人達が見ていても安心な僕らになりましょう」
僕の言葉に、困惑した様子で一歩後退る春日野さん。
「どうして、どうして君は…」
「言った筈です。僕は貴方を諦めないと。これは誰との約束でもない。僕自身の願いです!」
見え切りのごとく堂々と言い切る。
「それから僕も嘘をつきました。あなたを好きだというのは、嘘です。だから訂正します」
そして、肺いっぱい空気を吸い込み
「どうやら僕は! 貴方を愛していまったようです! だから、僕と付き合って下さい!」
一世一代の告白。
彼女に告白された時と同じ文言で。
これはただの賭け。
勝算など何処にもありはしない。
でも、絶対に伝えなければならない事だ。
そのまま、僕らの間には暫しの沈黙が流れた。
その沈黙は重苦しい緊張感があった。
どうなるかは、もう彼女に委ねられている。
相手がどう反応してくるかは分からないが、待つより他にない。
「……まったく」
涙声が頭の上で響く。
僕がふと顔を上げると、春日野さんの頬に涙が流れている。
「どうして君は、……こんな私を」
涙でくしゃくしゃになりながら笑っているのか泣いているのか分からない表情だ。
その涙から今まで抱えていた感情が流れていくようにも見えた。
「そんなの決まってます」
誠心誠意の声が、当たり前に口から音として出ていく。
「僕はあなたを愛してしまった男です。色々なあなたに触れていくうちにいつの間にかね。だからあなたを諦めない。必ず僕を愛させてみせます!」
「……ッ」
大丈夫! 僕は何処へも行きません! だから、貴方の隣にいさせて下さい!」
伸ばした手は真っ直ぐに突き出し、彼女の瞳をありったけの力を籠めた視線で見つめる。
彼女は瞳を揺らしながら、僕を黙って見つめていた。
そして、その頬に涙が一滴流れ落ちる。
「はい」
そして、彼女は笑顔で僕の手を取った。その笑みはくしゃくしゃだったが、今まで見た中で一番綺麗な笑顔だった。
その可愛さと告白成功に僕の顔もほころんだ。
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