第28話 彼女の素顔
「幼い頃のあの子はね。とてもお父さんっ子だったのよ」
それは酷く言えばファザコンともいえる程のものだったそうだ。
幼稚園に通う前は家でお母さんと何をしたか幼稚園や小学校に通うようになってからはそこで起きた事を欠かさず父親に報告しとても楽しそうにしていたらしい。
「幼い頃は、それがとても微笑ましくて。私達夫婦は一人娘だったあの子をとても可愛がった。これ以上ない程に沢山の愛情を与えてあの子がどんな辛い事があっても逞しく生きていけるように。でもそれが良くなかったのかもしれない」
何処か寂しそうな目をして、お母さんが続ける。
「あの子はそれから年をどれだけ重ねても幼さの抜けない父親に強く頼ってなつく子のままだった。世の中的に、ファザコンと呼ばれるような……」
普通年を取れば、年相応に親との関係も変わって行くものだ。女の子なら、徐々に父親よりも母親との結びつきも強くなろうものである。
ただ、春日野さんはそうでは無かったようだ。
「小学校を卒業しても、あの子はまだお父さんに甘える弱くて幼い子だった。同級生の子達と比べても精神はまだまだ幼くて。その時から段々私達はあの子の将来が不安になり始めていたの」
親としては子の自立を促していきたいもの。
普通であれば父親とも母親ともだんだんと適切な距離感になっていく筈のところ、未だに父親にべったりではとお母さん達は娘の行く末を案じるようになっていったようだ。
「私達夫婦は考えた。どうしたらあの子が自立していけるのかを。そして思いついた事は、桜を姉にする事だったの。いくらあの子でも、弟と妹が生まれたら、姉としての自覚を覚えて、自立への道を進んでくれるんじゃないかって。私と夫はそう考えたのよ。そして産まれたのが、楓と紅葉よ」
お母さんが指さす先には、弟さんと妹さんが楽しそうに駆け回っている。
そっか。あの二人が生まれたのにはそういう経緯が。
「私達の思惑は、上手く行ったわ。弟と妹が産まれた事で、あの子は少しずつ姉としての自覚が芽生えていった。それから、あの子は成長を初め、徐々に大人への階段を上り始めた。でも……事件は起きてしまった」
そこで一度言葉を切り、お母さんは目を伏せる。そこに不穏なモノを感じて、僕は反射的に身を乗り出す。
「事件…事件って、」
「あの子の父親、私の夫が、亡くなったの…」
「!」
僕は言葉を詰まらせる。
予想はしていたが、この話は想像以上に重たいモノだ。
「今から二年余り前の十二月、事件は突然起きたわ。あの人は、会社の帰り道である家で起きた火事の現場に出くわしたの」
そういうお母さんの声のトーンが少しずつ重くなった。
それは当然だろう。
何しろ、愛する旦那さんを失った時の話だ。
いくら時間が経過していたところで、それは思い出すのも辛い思い出だろうから。
「その家は細い、車が一台しか通れないような、所謂抜け道に使われるような道に面していた。火が出ている事に気が付いた近隣の人がすぐに消防車を呼んでいたらしいわ。けど、何しろ細い道を通らないと現場までは到着できない、その上に消防署とその家の付近は運悪く結構遠い場所だった事もあって、消防車の到着が遅れてしまったらしいのよ」
出火の原因は不明だがその家は酷く激しく燃え盛ったらしい。
何しろ古い木造の家で家具も木製のモノが多かったらしい。
その上、その日に限って風も強かったものだから、火の勢いは余計に強かったとの話だ。
「幸い、家の人達は無事に逃げられていたようだった。ともかく、消防車の到着を待つしかない。夫はその家の前で様子を見ていたようだった。消防車が来ない事には打つ手はないけれど夫は元々正義感の強い人でね。逃げてきたその家の人達の介抱などを手伝っていたそうよ」
「なるほど。その場に居合わせたから、放っておけなかったんですね」
お母さんの話すのに、僕は相槌を打つ。
確かに、正義感の強い人なら、そうした現場に居合わせたら放ってはおけないだろう。家の父さんもそんな感じだ。
「そうね。だけど、家の人達の一人が、急に気付いたように何かを探し出し、妹は何処だ?と騒ぎだしたみたい」
「いもう…と。 まさか!」
僕は嫌な予感がして思わず叫んでしまった。その状況で考えられる事は、一つだけだ。
「その妹さんは、まだ燃える家の中にいたんじゃ!」
「! ええ、そうよ。その娘は、家の中に一人取り残されたようだった。今すぐにでも助けに行かなきゃと、さっき騒いだその子のお兄ちゃんらしき人が疲れた体を引きずって、もう一度燃え盛る家に戻ろうとした。だけど、その人では助け出す事はままならないだろうと思って夫は…代わりに自分がって」
想像した通りの最悪の展開。
正義感の強い人がやりそうな事だ。父さんはそこまで無茶はしないだろうが、何となく分かってしまった。
「そのせいで……桜さんのお父さんは……」
「そう。取り残された女の子をあの人は救出した。でも、その代わりにあの人は命を落とした。あの人が突入して少ししてから消防車が来たから、それまで待っていれば、そんな事にはならなかったのに。私達が病院に到着した時、あの人はもう……」
暗い声で告げるお母さんに、僕も目を伏せる。
考え得る上で最悪の結末だ。
「それが……桜さんが言う嘘をつくようになった、原因…」
「そう。あの子があの人の真似をするようになったのは、夫が亡くなってから暫くしてからの事よ。亡くなって少しの間は、毎日泣いていたけど、少し立ち直り、何とか日常生活を送れるようにまで回復して少しした頃から、あの子はあの人の真似をするようになった。理由を聞いても、父さんを知らない弟と妹に父さんの事を教えてやりたいってだけ……でも、きっと何か理由がある筈」
「理由がある筈って……どうして、そんな事、」
「私はあの子の母親よ? 母親なら、実の娘に何かがあった事ぐらい分かるわ。それに、あの子があの人の真似をするようになる直前に、仏壇のお父さんの写真に手を合わせた後、急に狂ったように泣き出した。その日からよ、あの子があの人のモノマネをするようになったのは……」
「……その後、何かありましたか?」
「いいえ。あの子は泣きやんで夕食を食べてからは、お風呂に入るまでずっと自分の部屋にいた。そこで騒いでいた形跡も無かったから、何があったかまでは分からないの」
「……そうですか」
家族、それも母ですら知り得ないモノマネの謎。
それはどうやら、本人に当たる以外に方法はないらしい。
「ごめんなさいね、役に立たなくて」
「あ、いえ! 助かりました! 桜さんの事、かなり分かりましたから。後の事は、彼女から何としても直接聞きだします。僕は彼女にフラれた事、何も納得してませんし、それに……」
「それに?」
「きっと桜さんのお母さんだって桜さんの事、心配してると思うんです。だから、残りの謎は僕が解き明かして見せます。絶対に!」
「ふふっ…」
と、不意にお母さんが楽しそうに笑う。
「え? どうかしたんですか?」
「ああ、ごめんなさい。何だかあの人の事を思い出しちゃってね」
「え? あの人って、桜さんのお父さんの事ですよね?」
「そう。あなた、何処かあの人に似てる気がするわ」
「そうですか?」
「ええ、そう。あの子が貴方を選んだ理由が分かったわ。確かに竹越君はあの人との約束の人ね」
僕が困惑していると、お母さんからまた分からない単語が飛び出した。
「約束?」
「ええ、約束。昔、桜がまだ幼稚園に入ってすぐの頃にその時行った遊園地で『私、お父さんと結婚する!』って言ってね。そしたらあの人、『お父さんはお母さんと結婚してるから無理だよ』って。そして『だから桜、お父さんみたいな人を探すんだ』って言ったのよ」
そこで一度言葉を切って続けた。
「桜が『お父さんみたいな人って、どんな人』って言うから、私が『勇敢で、正義感が強くて、人の為に傷つく事が出来る優しい、そんな人』って教えてあげたの。きっとあの子の中でその約束は生きていたのね。だから、あの子は自分の意志であなたを選んだのよ。自分の身を犠牲にしてでも誰かを守ろうとする貴方を」
そう言われて、僕はきょとんとした。
「え? 僕、そんな人間に見えますか?」
「ええ。何しろ飛んできた野球ボールに飛び込んじゃうような人だもの。それに、今の宣言も勇敢そのものだったわ。あなたなら私も安心して桜を任せられる。改めて、桜の事、宜しくお願いします」
「はい! 必ず、彼女の事、何とかしてみせます」
最後に深く頭を下げられ恐縮しながらも力強く答えた。
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