第8話 シャルルの暴走
「僕の話を聞いてください。手を、離しますから」
私が頷くと、シャルルはそっと手を離した。急なことで驚いたけど、手を離してもらって落ち着いてきた。彼も冷静さを取り戻そうとしている。
私は辺りを見回す。今の私とシャルルのやり取りに目を向けていた人間は居ない。そのことにほっとしつつ、彼にまた目を向ける。
「姫様、僕は」
「シャルル。あなたは落ち着かないといけないわ。あなたが冷静さを欠くぐらいのことだから、それはよっぽどのことなんでしょ?」
「そう……ですね」
シャルルは何かに耐えるように辛そうな表情をしていた。
「落ち着いて話せる?」
「はい……さっきのようなことには、ならないと誓います。ただ、できるなら人に聞かれない場所で話したいことです」
彼が重要なことを話そうとしているのは明らかだ。彼が望むように場所を変えるべきなのかもしれない。
「……分かったわ。私の部屋で話しましょう。それで良いかしら?」
「はい、ありがとうございます」
ほどなくして、私たちは宮殿の私室へ移動した。辺りは騒がしいが、私の部屋へ入ってくる者は居ない。ここでなら、シャルルと二人で落ち着いて話をすることができる。
「シャルル、聞かせて。あなたは何を伝えようとしているの?」
シャルルは頷き。
「順番に話をさせてください」
そう言った。
「順番に? 分かったわ」
これから彼が話すのは大事なことだ。それは感で分かる。彼は「いいですか?」と前置きをしてから言葉を続ける。
「まず、ヌビス王子たちが亡くなったのは今日の午前中のことだそうです。死体の状態から、そのように推察されています」
「午前中、ね」
つまり私たちが学園で授業を受けていた頃には、ヌビス王子、クリード、そしてアーリヤの三人は亡くなっていたということだ。
「……話を続けます。今、姫様は時戻りの探検を使おうとしている。ヌビス王子たちの死を回避するためには今日の朝以前には戻らないといけない」
「そうなるわね」
「はい、そうなります」
シャルルはまた辛そうな顔をした。
「つまり、今の僕は消えてなくなるんです」
その言葉で分かった。分かってしまった。彼が辛そうにしている理由が。
「……今日の午後からの、私たちの時間は消えてなくなる」
シャルルは頷く。悲しそうに。
「雨の庭園に居た僕たちは消えてなくなる。思いの通じあった僕たちは消えてなくなる。僕にはそれが、たまらなく辛い」
「……シャルル」
「過去に戻った姫様がどう行動するかは分からない。でも、今ここにいる僕は、今 ここにいる姫様についていくことができないんです」
シャルルはうつむき「もしかしたら」と言った。
「もしかしたら?」
「過去に戻った姫様は、今ここに居る僕とは違う時の中の、違う世界に移るのかもしれない。時戻りの短剣を使って過去に戻った姫様と、ここに取り残される僕とで別々の時の中へと、分かれるのかもしれない」
シャルルの言っていることは、なんとなくだが、理解できた。理解できたからこそ、それが彼には恐ろしくてたまらないのが分かる。
「姫様、あなたが時戻りの短剣を使ったとして、僕は姫様の居ない世界に残されるのかもしれないし、あるいは、ここにある僕という存在がなくなるかもしれない」
シャルルが顔を上げる。
「このまま消えるくらいなら、このまま滅びる国と運命を共にするくらいなら」
私は、彼が怯えているのだろうと思った。実際、怯えては居るのだろう。今の彼は、あの燃える宮殿の彼のように自らの未来に対する覚悟はできていない。
「僕は置いていかれたくない。僕は、あの雨の中でだけの関係で終わりたくない」
だからこそ、彼が何かを決意するかのような顔をしていたのが意外だった。
「姫様、僕は時戻りの短剣を破壊する。そうして、あなたを連れ出しこの国を捨てる。僕が、今ここに居る僕が、あなただけでも破滅の未来から守り抜く」
「シャルル。あなた自分が何をしようとしているか分かっているの?」
問いかける私に、シャルルは決意のこもった眼差しを向けて答える。
「分かっています。今、僕はフラム王国を裏切ろうとしている。姫様の意思をはばもうとしている。僕には、それでも守りたいものがあるんです」
「決意は固いようね」
味方の時は誰よりも頼もしいのに、こうなると彼は厄介だ。私は立ったまま彼の青い瞳を眺めている。美しい瞳の中に宿る決意を砕くためには、私は何をすれば良い?
「シャルル」
「はい」
「あなたを説得するにはどうしたら良いかしら。私はシャルルを力ずくで押し通ることができないし、説得する道しか残されてないように思うのよね」
「僕を脅してみようとは思わないんですか。誰かに助けを求めてみようとは思わないんですか?」
したくないのよ。そんなこと。
「はあ……シャルル。あなた本当に本気なのね」
悲しみと恐怖でおかしくなってしまった……というわけではない。なぜって、彼の背を押してしまったのは私なのだから。
「私が求めるものに正直でありたいと思ったから、私が求めるものを素直に求めたいと言ったから、何よりそういう生き方を私たちは肯定してしまったから、だからでしょ。シャルル」
私の言葉にシャルルの表情が曇る。
「シャルル。私たちが素直でいられた時間は、あの雨の中だけだったのよ。私たちはこの国を守る姫と騎士に戻らないといけない。それが私たちの幼い時からの使命なのだから。雨の時間は終わったの」
シャルルは何も言わない。彼自信、自分がやろうとしていることが正しくはないのだろうと思っている。
私たちは見つめ合う。お互いの瞳に、お互いの決意が見えるはずだ。しばらく無言の時が過ぎ、そして動く。
「シャルル」
「一言だけ」
私の言葉をシャルルが遮った。彼は言う。
「一言だけ、聞きます。あなたの一言だけだ」
私は言葉を遮られた状態でシャルルを見る。もう長いこと、こうして彼と向かい合っている気がする。
「姫様なら、僕を一言で止めることができるはずです。それ以上の言葉を必要とするのなら、僕は耳を塞ぎ姫様をこの国から連れ出しましょう」
シャルルは本気だ。彼はもう自分で自分を止められないのだ。でも、自分を止められないことを理解しているから、私に救いの言葉を求めている。彼を止めて上げられる正しい言葉を。
騒がしかったはずの王宮が、急に静かになった。そんな気がした。
今という瞬間、私は思考を加速させている。愛のせいで、私を愛する心のせいで、止まることができなくなった彼に、私が言うべき言葉は何か。
考える。シャルルは私を愛している。だからこそ、彼は私から離れることを恐れている。私との絆が断ち切られることを恐れている。何より最も恐れているのは……私が伝えるべき言葉は。
「シャルル」
「はい」
私は目の前に立つ彼の姿をしっかりと見ながら、言う。
「私はあなたを忘れない」
「……その言葉で僕をいさめられると思ったのですか?」
彼が問いを返してきた時点で、その一言は正しかったのだろう。あとは語るべきことを語るだけだ。
「そうよ」
シャルルは真剣そうな顔のまま「理由を聞かせてください」と私の言葉を待つ。
「シャルル。あなたは自らが消えることや、残されることを恐れているかのように言っているけど、実際は私に忘れられることを恐れている。私との絆がなくなることを恐れている」
「それはなぜ?」
「あなたが言っていたのよ。ここに居るシャルルが、ここに居るマリーについてこられないんだって」
さらに私は付け加える。
「ここに居るあなたは連れていけない。それでも、あなたとの記憶はどこまでも連れていける。だからね」
私は彼に一言、伝えるのだ。
「私はあなたを忘れない」
シャルルは……緊張の糸が切れたかのように表情を緩め、大きく息を吐いた。
「はあ……姫様は僕のことが分かってる。それに、僕のことを覚えてくれている。それが、ちゃんと分かって……うん……それだけで、良かった」
「シャルル、じゃあ」
シャルルは、ほっとしたような、何かを諦めたような顔をしていた。
「ええ、過去を救ってきてください。そこに僕との記憶も連れていってください」
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