第7話 雨の中の時間
私たちは今、宮殿の中にある庭園を歩いている。宮殿の庭園は広い。多くの草木や花が庭園を美しく飾っている。
「ねえシャルル」
私は横を歩く彼に声をかけた。彼は「なんでしょうか?」と訊いてくる。私たちのやり取りは落ち着いている。
「聞いてほしいの。私のこと」
「どんなことでも聞かせてください」
「ありがとう。少し心の準備をさせて」
「分かりました。姫様の準備が出来るまで僕は待ちますよ」
ほどなくして、私たちの前に簡素な建物が現れる。屋根と席だけが用意された、あずまやだ。
「シャルル。少し休みましょうか」
「はい、姫様」
私たちは、あずまやの席につく。二人で向き合って座り、周囲に人の姿はない。私はシャルルを見る。彼は平静を保っているようにも、少しそわそわしているようにも見えた。
「……シャルル。馬車の中でも言ったけど」
「はい」
「私は変わりたいんだと思う。ヌビス王子のように。求めるものへ、もっと素直になりたいんだと思う」
「素直に……ですか」
シャルルの表情に変化はない。彼は私の言葉が続くのを待っている。
「私には好きな人が居る」
「それは……ヌビス王子ですか?」
不安そうに訪ねてくるシャルルは可愛い。私は首を横に振った。
「違うわ。あの方には憧れるけど、それは恋愛感情じゃない。直接話してみて、それがよく分かった」
「では、誰に思いを寄せているのですか?」
私はシャルルの顔をじっと見た。そして……目を伏せる。
「私はこの気持ちに素直になっていいのか分からない。判断ができないの」
「それは何故ですか?」
私は再びシャルルを見た。その顔には寂しさや悲しさと言えるような感情が隠れているように見えた。もしかすると、彼は私の思いに気づいているのかもしれない。
「初めは、その人を守らなければいけない、そんな感情だった。王宮の中で不遇の彼に味方をしてあげたい。そう思っていたの」
「そう、だったのですね」
私は頷く。
「その人とは幼い頃から一緒だった。彼はいつでも真剣で、成長していく姿は美しくて、今も幼いころの可愛さが残ってる」
言いながら、恥ずかしい気持ちになり、私は笑ってしまった。シャルルも優しく微笑んでいる。
「その人のことは前から気になっていたんだと思う。でも、私はその気持ちを隠して気付かないようにしていたんだと思うわ」
「なぜ隠していたのですか?」
「それは……」
怖い。私は、それを確認するのが怖い。そして、それはきっと許されないことなのだ。
私は何も言えずに居る。そんな私をシャルルは静かに待ってくれている。
ふと、分かった。彼は、私のことを信頼してくれている。彼は燃え落ちる宮殿の中でも、再開した時でも、私に言ってくれていた。どんな時でも、彼は私の剣であり盾なのだ。
「シャルル。あなたは私を信頼してくれているのよね」
「はい、どんな時も僕は姫様を信頼しています」
「なら私もあなたを信頼しないといけない。隠し事はよくないわね」
シャルルはいつも、私をまっすぐに見ていてくれた。だから、私も彼をまっすぐに見る。もう、彼を見ないふりは終わりだ。
私は求めるものを求めてみる。ヌビス王子のように。それが許されないことだと分かっていても、変わるのは今だ。
「……覚悟を決めたわ。シャルル」
私はまっすぐに彼を見る。そして。
「私は、あなたのことが好き。それがきっと許されない、姫と近衛騎士との恋だとしても、姉と義弟との恋なのだとしても。マリー・フラムはシャルル・フラムを愛してるの!」
「……姫様」
シャルルは嬉しそうで、同時に悲しそうでもあった。
「姫様の言葉は嬉しいのです。ですが……」
雨が降り始めた。雨粒が、あずまやの屋根を打つ。庭園に雨が降り続ける。
「それは許されない恋です。僕たちの間には、巨大な壁が存在するんです。身分の差だけでなく、僕はあなたの義弟なんだ」
分かっていた。私たちの恋は叶わない。でも、気持ちは伝えた。
「私はシャルルに素直な気持ちを伝えられた。それだけでも良かったんだと思う」
私は顔を伏せていた。降り続く雨が私の心を表しているかのようだった。
「僕たちの恋は叶わない」
シャルルは言う。
「でも、そうだとしても」
シャルルが席を立つのが分かった。彼はゆっくりと私に近づいてくる。彼は私の前で立ち止まって、ひざまづく。
「僕も、姫様のことを愛しています」
シャルルは私の手をとり、その甲にキスをした。いきなりのことで、私は慌ててしまう。
「シャルル!? 何を!?」
心臓が激しく鼓動しているのが分かる。顔が熱くなっていくのが分かる。そんな私をシャルルは見上げ、子どもっぽく笑った。
「姫様が僕に素直な気持ちをぶつけてくれたから、僕も姫様に素直な気持ちをぶつけようと思ったんです」
「だ、だからってねえ!?」
「だめでしたか?」
そう聞かれると。だめとは言えない。
「構わないわ……むしろ」
「むしろ?」
「手の甲にキスだなんて、そんなのじゃ足りないわよ。私たちの恋が叶わなかったとしても、今くらいは、誰も見てないのよ?」
「……そうですね」
シャルルは立ち上がり、私も彼に手をひかれて立ち上がる。寄り添うように、私は彼に触れる。
私とシャルルの目があった。ほんの少しだけ、彼の方が背が高い。未来で彼の背はもう少し高くなる。そうなると、私は彼を見上げるようになるだろう。
シャルルが私の顔を見ながら言う。
「姫様、本当に良いのですか?」
「この雨が降っている間だけでも、私たちは恋人でいたい。それくらいは、一国の王女にだって許されるはずよ」
「……分かりました」
そうして、私とシャルルは唇を重ねた。私たちの恋を降り続く雨が隠していた。
やがて雨が止む。そのころには、私とシャルルは姫と近衛騎士の間柄に戻っていた。姉と義弟の間柄に戻っていた。
「姫様、雨が止みました」
「そのようね。王宮に戻りましょうか」
「そうですね。戻りましょう」
私は庭園を歩きながら、さっきまでより少しだけ成長できたんじゃないかと考えていた。
これまでの私は自分の気持ちを隠そうとするところがあった。後ろ向きな性格とかそういうことではなく、素直ではなかったのだ。でも、これからの私は、以前より素直に生きていくことができると思う。それはたぶん、シャルルも同じだろう。
そんな風に成長を感じながら宮殿内へ戻ると、妙に騒がしい。
「何の騒ぎかしら?」
「僕が確認してきます」
そう言ってシャルルが走っていく。
なんだか嫌な予感がした。私はこの感じを知っている気がした。ずっと昔にも感じるその時、そうだ。あの時は確か。
すぐにシャルルが戻ってきた。彼は青い顔をしている。この世の終わりかのような表情だった。
「姫様……!」
その表情から大変なことになったと分かる。
「何が、何があったのシャルル!」
「ヌビス王子とクリード、そしてアーリヤが亡くなりました。互いに争った形跡があり」
シャルルは手で額を覆う。
「まずいことになりました。フラム王国の学園内で南の国の王子と、東の国の王女たちが亡くなったんです」
「ええ……それは……まずいわね」
聞いていて気分が悪くなってくる。アーリヤとクリード、そしてヌビス王子。三人の死。
「……宝物庫へ行くわ。今こそ時戻りの短剣を使わなくては」
三人を、そして我が国を戦争の未来から守るために。
私は宝物庫へ向かって進もうとした。だけど、そんな私を止めるものが居た。彼は私の腕を掴んでいた。
振り返った私の目に写ったのは悲痛な顔をしたシャルルだった。
「姫様、待ってください。待って、ください」
シャルル? どうして?
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