第8話 魚のダンジョン お助けカガリくん



 角を曲がった先で人がいた。


「おや、こんにちは。そんなところで何をしているんだい?」


 男たちもギターの音に目を丸くしている。

 水に浸からない岩の上で座っている二人は、武器を下ろすと申し訳なさそうな顔になった。

 魔物と勘違いしたのだろう。

 人間であることがわかっても、楽器を奏でながら近づいてくるカガリに、男たちは若干警戒しているようだ。


 岩に残る水の渇き具合から、二人が少し前にその状態になったであろうことが想像できる。

 カガリに任された仕事は、無事に完遂できそうだ。


「すみません。そこの靴下、取ってもらえます?」

「いいよ」


『いいよ』と言った割には、カガリは動かない。なぜなら演奏をしているから。


「…………」

「…………」

「…………」

「あの」

「今いいところだからちょっと待ってね」

「あ、はい」


 男たちはふよふよとカガリの後ろをついてきているコメントを見ながら、カガリのことを吟遊詩人であると認知した。そして、二人は近くで奏でられる音楽に耳を傾ける。


「いい曲だった」

「ああ、心に染みた……」

「聞いてくれてありがとう」


 演奏を終えた吟遊詩人カガリは、笑いながら優雅に一礼する。

 そして先ほど取ってほしいと言われた靴下。少し深い水の底に沈んでいるそれを躊躇なく掴むと、彼らの元へ持っていった。

 完全にトリバサミの存在を忘れていたカガリの袖はびちゃびちゃだ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 靴下を受け取った男はぎゅっと絞って、岩の上に置いた。


 アキト:任務完了だな


「うん。私はカガリ、吟遊詩人とも呼ばれているよ。そちらの名前を聞いてもいいかな?」


 おっさん二人はチラッとカメラを見た。


「あ、カメラ。配慮が行き届かず申し訳ない。映像NGの方ですか?」

「情けないところを見られるのは恥ずかしいけど、大丈夫です」

「ええ。問題ありません」

「よかった」


 ニコッと笑うと、カガリは二人のいる岩の上によじ登った。


 カガリはマイペースなのだ。やりたいことをやるし、やりたくないことは出来るだけやらない。そして相手に関わらず、パーソナルスペースだとかも関係なく、ガンガン距離を詰めていくタイプである。


「ところで、君たちは何をしているんだい?」

「足が痛いので休憩しています」

「シワシワになってしまって」


 裸足はだしの肌は確かにシワシワになっていた。乾かしているだろう靴も、おそらく水没して、未だ水を含んでいることだろう。


「そうだ名前。俺は中川なかがわ 拓磨たくま。かなり天才だ。よろしく」

「自称天才な」

「なんだと!? 俺より天才がいれば連れてこい!」


 ガシッと相方の肩を掴んだ三十代風おっさんを無視して、男は優しそうに微笑んだ。


「僕は東本元ひがしほんもと 光風みつかぜ。こいつとは腐れ縁です」

「生涯のダチだよな」

「腐れ縁だ」

「素晴らしい。お互いにいい縁で結ばれているようだね。その関係が生涯続くことを願って、一曲奏でよう」

「いや、別に――」


 ♪〜〜


 まぁ良いかとおっさんが優しい音色に耳を傾けた瞬間、少し遠くから水の音がした。

 大きさ五十センチほどのカエルだ。真っ白で聴覚に優れ、目が退化しきっているのが特徴である。ツルツルぬるぬるしている表皮は剣を滑らせるとか。


「中川、魔物が寄ってきたぞ」

「……カガリさん。…………ちょっ、え? やめないの?」


 カエルはすぐには襲ってこなかった。あたりを見渡すような仕草をしている。

 カガリは決して狙ったわけではないが、東本元は音で撹乱かくらんしているのかと、吟遊詩人カガリの行動に感心していた。


「音が反響して、場所が特定できてないようですね」



 アキト:適当なところでカガリは演奏をやめるから、今のうちに仕留めてもらえると

 お姉さん:カエル! アキトカエル!

 アキト:はいはい。カエルだねー

 アキト:いって! なんで叩くんだよアルカナ姉さん!?

 お姉さん:カエルー!

 アキト:カエルが何!?


 :あぁ、なんていい曲なんでしょう

 :お姉さんが荒ぶってらっしゃる

 :早く魔物やっちまった方がいいですよ

 :いい曲だ

 :いい友情だ



 コメントを見ていると、なんとなく恥ずかしくなってきたおっさんたちは武器を取る。

 中川は剣を。東本元は槍を。水に足をつけることに躊躇して、ジャンケンに負けた中川が岩から飛び降りた。


 急な水飛沫みずしぶきに飛び退いた魔物へ、中川は剣を向ける。そして一閃。水辺が割れ、次の瞬間には魔物が黒煙となって消えた。

 その様子を見ていたカガリは、楽器を奏でながら目を丸くする。


「おや、君たちはこのダンジョンをクリアしているのかな?」

「いえ、水中での戦闘が嫌で、飛ばした感じです」


 東本元は少し恥ずかしそうに視線を逸らす。


「一度飛ばしましたが、やはりクリアしといた方がいいかなと。何かいいもの出るかもしれませんし、奇跡の回復薬と奇跡の実や、武具なんかも多ければ多いほどいいですから」

「ならイレギュラーが起こらない限り、余裕かもしれないね。それでも気を引き締めていこう。ダンジョンは命の危険と隣り合わせだ」

「カメラ回しながら演奏している貴方に言われると、あまり説得力がありませんね」

「あははっ、確かに! 私としたことがいらぬ世話だったようだ」


 中川がぱちゃぱちゃと戻ってくる。


「東本元。瓶と液体が落ちたんだが」

「確か、化粧水になっているはず。割るなよ」



 液体の入った瓶と魔石は腰のポーチに入れられた。高い魔工学の技術が使われているアイテムバックと呼ばれるものだ。

 入手方法はダンジョン協会から購入するか、ボスを倒した後の宝箱ガチャから出てくるか、あとは個人的な取引である。

 アイテムバックの効果は、入れられる量が増えるというもの。カガリのような例外を除き、長くダンジョンへ潜る攻略者に取っては必需品と言えるだろう。


 中川は再び水の上で座る。


 ギターの弾き終わった吟遊詩人は、一応確認するように聞いた。


「そういえば、どうして長靴を履いてこなかったのか聞いてもいいかな?」

「水浸しのダンジョンだとは聞いてましたけど、防水の靴で大丈夫という記事を見て信じたら。普通に膝まで水がありましてね……」

「マジで低級ダンジョンだからと油断したよな。情報はちゃんと記述してほしいぜ」

「ふふ、罠だね」

「ちゃんと香奈美さんの攻略ページを見るんだった」



 苦々しい顔をする東本元を、中川が笑って叩く。


 カガリは〈楽器収納〉から、黒のコントラバスバックを取り出す。二人が何事かと眺めていると、チャックの開かれた中には長靴が入っていた。

 これこそ、カガリが頼まれていた、お助け仕事だ。


「おっちょこちょいな紳士たちに、長靴のプレゼントだよ」

「!?」

「いいのか? どうして俺たちに……」


 困惑するのも無理はない。常識的に考えて、まさしくこれは変な事態だ。

 カガリは思い出すように目を閉じて、ついでに煌めく。


「ふふ。どうやら君たちで間違いないようだね」


 嬉しそうな瞳が開き、口元が笑った。

 ゆっくりな仕草が少し気にかかるものの、おっさん二人は無言を貫く。

 本人が見ていない、ちょっとおかしいコメント欄の賞賛も見て見ないふりをする。



「……早く言ってくれないか」

「すまない。君の瞳に映る私が美しすぎて、つい見入ってしまった」

「そ、そうか」


 おっさんたちのなんとも言えない空気を無視して、カガリは語り出す。


「実は『観測班』の人が、シワシワになる足なのに靴で入って行った二人を見かけたから、貸し出し用の長靴を持っていってくれないかって言われたんだ。おそらく君たちのことだろう」

「シワシワになる足って……」

「貸し出しなんて制度があったんですね」

「いや、これは彼の善意だよ。自腹で買ったものを貸し出しているらしい」

「それは……申し訳ないな」


 二人は新しい靴下と、長靴を履く。


「ピッタリだ……」


「彼は相当な足フェチなようだね」

「ちょっと怖いな」

「うん」


 岩の上て踏み心地を確かめている二人は、また微妙な顔をした。


「持ってきてくれてありがとう」

「ええ、助かりました。引き返すにも十一階層上らなければならなかったので」

「ということは、このまま進むのかな?」

「そうだな。足もだいぶマシになってきたから、攻略を目指そうと思う。な?」

「そうですね」


 中川の決定に、東本元は頷いた。


「ならば一緒に行動してもいいだろうか」

「もちろんですよ!」

「僕も最前線にいたりする吟遊詩人と会えて嬉しいですし、構いませんよ」

「では行こう。ロマンと夢と希望を求めてっ」


 ♪〜〜〜



 岩から降りた一行は歩き出す。


「いいなぁさっきの言葉。最前線の奴らってみんなそんな感じなの?」

「ダンジョン関連は、希望にすがる欲望に塗れた人間とか。闇方面の人間にばかり会う僕らにとっては、とても染みる言葉だった……」


 ほろり。


「お、おい。泣くほどか?」




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