day23.ストロー


「いやー、ごめんな。休みの日にこんなこと手伝わせちゃって」

 降りしきる蝉時雨。足下で踊る木漏れ日。目の前には赤い鳥居と虫取り網を持ったサークルの先輩。今日はせっかくの日曜日なのだが報酬につられて、彼の課題の手伝いをするため神社まで昆虫採集にきている。

「別にそれは構わないんですけど、手伝いって私一人だけですか?」

「うん、みんな虫を捕まえるっていうとイヤがっちゃってさ。来てくれたの深澤だけなんだよ」

 虫を捕まえるといっても、地面から芋虫をほじくり出すわけでもなく、樹木にとまって鳴いている蝉を捕まえればいいだけである。なのにそこまで皆嫌がるものなのだろうか。終わったら焼き肉を奢ってくれるというのだから、かなり割のいい手伝いだと思うのだが、都会の人たちの考えることはよく分からない。

「いいですけど、ちゃんと焼き肉奢ってくださいよ」

「奢る奢る。人が集まらなかったから予算余ってるし」

 久しぶりの焼き肉目がけて、カナメは張り切って虫取り網を振るった。先輩の指示によると、ここの敷地内まんべんなく蝉の種類を調べたいとのことだったので、社殿の裏手奥の林に踏み込む。参道の明るい雰囲気とは違って、かなり鬱蒼としていて暗い。

 これならカブトムシだっていそうだな、と辺りを見回していると、一際貫禄のある大木に、藁人形が打ち付けられていた。

 古式ゆかしく五寸釘で縫い止められているそれは、どう見ても藁が新しく、最近作られた物のようだった。

 今時こんなことする奴いるんだ、とちょっとした感動すら覚えた。この感情を共有したくて、近くにいるはずの先輩を大声で呼びつけた。

 先輩は何事かあったのかと、すぐに駆けつけてくれた。そして、藁人形を見つけ、顔を引きつらせる。

「先輩、藁人形です」

「見れば分かるよ! なんで、こんな……ああもう、俺は何も見てない、何も見てない……」

 ぶるぶる震え、真っ青な顔で頭を抱え出す先輩。もしかしたら、ホラーっぽいものが苦手だったのかもしれない。

「すみません、先輩こういうのダメだったんですね」

「そんなことはないっ!」

 カナメが憐れむような目を向けると、急にきりっとした表情で気をつけの姿勢になる。きっと強がっていないと、心が折れてしまいそうになるのだろう。

「この辺りは私がやりますから、先輩は参道側で調査続けてもらって大丈夫ですよ」

「いやいやいや、大丈夫大丈夫。こんなの全然気にならないから。サア、ガンバッテ調査スルゾー」

 力が抜けるようなかけ声を発して森の奥に向かって歩き出すが、同じ方の手足が同時に前に出ている。さすがに憐れに思えてきたが、その後、ちょっとの物音でも飛び上がるように驚く先輩の様子が段々と面白くなってきた。ここで急に大声を出したらどんな反応をするのだろう、と企みはしたが、焼き肉のことを慮って実行には移さなかった。


 最初にそれに気づいたのはいつだっただろう。

 たぶん、神社で蝉の調査を手伝った次の日の夜。寝る前の習慣として粘着クリーナーでコロコロとカーペットのゴミを掃除していたとき、髪の毛に混じっているのを見つけたのが一番初めだった気がする。

 真新しい、薄茶色の藁。実家では稲刈りの時期によく庭や作業小屋のあちこちに散らばっていたが、ここは周囲に田んぼなんて無いマンションである。仕送りの荷物もきれい好きの祖母が詰めただけあって、ゴミや塵の類は一つも入っていなかった。

 日本で一番作られている農作物なのだから、どこかでくっついて、部屋に落ちることもあるだろう。初めはそう考えていた。しかしその日を境に、一日に一本、部屋の中に藁が落ちているのを見つけるようになってしまったのである。

 こうなると、否応なしに思い出すのが例の神社の藁人形である。藁人形を使う呪い――いわゆる丑の刻参りは、人に見られると失敗すると何かで読んだことがある。詳しくは知らないが、儀式に使った藁人形も同様なのだろうか。であればもっと森の奥で実行すべきだと思うのだが、いずれにせよ、実行者はターゲットをカナメに切り替えたのかもしれない。

 近ごろ不思議なことは沢山あったけれど、ここまで明確に敵意を向けられたのは初めてである。今のところは藁が部屋に落ちているだけで実害は無いが、いつエスカレートするか分かったものじゃない。

 今日は窓際に落ちていて、拾い上げて呑気に「困ったなぁ」などと一人呟いてみる。そのまま窓を開けてベランダから外に放り投げる。そのまま途方に暮れて夕日を眺めていると、ふと透子さんのことが頭に浮かんだ。先週実家から送られてきた野菜をお裾分けした際、かなり喜んでくれて「お礼になるか分からないけど、その方面で困ったことがあったらいつでも相談してね」と言っていた。

 社交辞令かもしれないが、他に頼れる相手もいない。とにかく、相談するだけしてみようと、交換した連絡先に掛けてみた。

「無視することね」

 一通りカナメの話を聞いた後、暑いならクーラーをつければいいじゃない? みたいな簡単な調子で返された。あまりに軽い調子で言われたので、思わず「えっ」と声が漏れてしまった。

「大したことないじゃん、って言ってるワケじゃないのよ? でも呪いの一番の目的って、相手の体力精神力を削ることだから、実は気にしないのが一番なの。他の落ちてるゴミと一緒に掃除しちゃって、何事もなく過ごすのが向こうにとっては地味に効いたりするんだよね」

「なるほど」

「それでもどうしても気になるなら、燃やすことをオススメするわ。火っていうのは強い浄化作用があるし、燃えてこの世からなくなるところを見るとなんだか落ち着くし。そうすれば、これ以上エスカレートすることはないはず」

 その後はアドバイス通り特別気に掛けないようにして、他のゴミと一緒に就寝前に掃除して捨てることにした。どうしても何か嫌な感じがするときはコンロで燃やしたが、それも一回か二回あったきりで、気がつけば部屋の中で藁を見かけることはなくなった。

 雰囲気が少し明るくなった部屋を眺めながら、困ったときは誰かに相談することの大事さを改めて感じた。改めて透子さんにお礼をしなきゃ、と考えながら、カナメは久しぶりに心安らかに眠りに就いた。


 気がかりがひとつなくなったら、最近サークルに顔を出さない例の先輩が気になった。課題が忙しいのかと思ったが、今まであんなに熱心に部室を訪れていたのに、全く姿を見せなくなった彼のことが急に心配になった。

 まさか、と思って同じ学科の別の先輩たちに様子を尋ねてみると、カナメと神社に行った頃から顔色がどんどん悪くなり、ここ何日かは大学を休んでいるらしい。友人の一人が電話で様子を伺ったところ「藁が……藁が……」と繰り返すばかりで、さっぱり会話が成立しなかったそうだ。

 どうしたんだろうね、と困り顔の先輩たちに、カナメは曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

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July fairy tales 白瀬るか @s_ruka

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