day22.雨女
「雨女って知ってる?」
教室移動が早めに済んで、授業が始まるのを待つ少しの時間。ユカがいつものように唐突な話題を振ってきたので「イベント事の度に雨に降られる運の悪い女のことでしょ」と軽く流した。
「ちーがーうー。いや、違わないんだけど、そっちじゃなくて妖怪のほう! 隣町に出るらしいんだよね」
「妖怪?」
最近、そんなのばっかりに縁があるな、とさすがに少しうんざりしてきたカナメに構うことなく、ユカは続ける。
「隣町にさ、立派なお屋敷の廃墟があるんだけど、そこの前の通りに出るらしいんだよね。雨なのに白いレースの日傘を差して、白い着物を着て恨めしげに屋敷を睨む女が!」
「ふつーにその家とトラブってた近所の人とかじゃないの? 住民がいなくなっても執着してるような、ただのおかしい奴でしょ」
とんでもない田舎であるカナメの地元でも、その手の問題はよく耳にした。こんなところ狭しと住宅が詰め込まれている街なら、そこら中にトラブルが溢れかえっていてもおかしくはない。
「それがねぇ、もう何十年も誰も住んでなかったんだって。しかも、最近そのお屋敷が取り壊されて整地されたんだけど、なんと! 敷地内から白骨死体が出てきたんだって!」
「うえー」
もう絶対その周辺に近寄りたくなくなった。最近ほっておいても向こうからやってくるのだから、うっかり自ら出向かないようにしたい。
「殺されて埋められた女の無念が現れていたのだ、だったらキレイにオチがつくんだけどさ。警察がその遺体を調べたら、性別は男性だったらしいよ。まあそういう不思議系のオチも嫌いじゃないけど」
本当に遺体が見つかったのであればその言い様は不謹慎では、と一瞬頭を掠めたが、別に指摘する程でもないと考えてしまうあたり自分も同罪だろう。
その後も滔々と雨女についての講釈が続いたが、カナメは半分以上聞き流していた。なんとなく、詳しく知ってしまうと本当に遭遇するような気がしたのだ。
なるべく近づきたくない、と思っているときに限ってどうしても行かねばならない用事ができてしまうのは何故だろう。
先日遊びに来たついでに、電車についての自由研究をしていった姉と姪。家に帰って後で仕上げている途中で、隣町の駅の写真が必要になったのだそうだ。忙しいなら無理にとは言わないけど、と姉は言うが、テーマを電車にすることを提案したのは自分であるので、責任感に駆られて大学の帰りに隣町に足を踏み入れた。
ユカの話からは、例の廃墟跡がどこにあるかは分からなかった。詳しい住所を聞かされたところで、土地勘のないカナメには分かりようがないのだが。有名な話らしいのでネットで調べれば場所は判明するだろうが、変に気にすると逆に呼び寄せてしまいそうなので、あえて目的の駅までのルートしか調べなかった。
マップアプリに表示される青い点線を辿り、暮れかけた住宅街をゆく。どこにでもあるような、普通の家やアパートが道路沿いに並んでいる。そんな中、少し先に男性が道端で立ち止まっているのが見えた。
カナメよりは少し年上で、青年と言う言葉が相応しい年頃に見えるが、年下だと主張されても納得できるし、実は十以上年嵩です、と言われても頷いてしまうような不思議な雰囲気があった。彼は、手に持っていた向日葵の花束を宅地になっている方に供え、しゃがんで目を閉じ合掌した。
事故でもあったのかな、などと考えながら近づいて行くと、彼が手を合わせている先が広大な空き地になっているのが見えた。
土がまだ掘り返されたばかりのように黒々としており、瞬時にここが例の廃墟跡だ、と気づいてしまった。それと同時に、脚が重くなって自らの意思に反して前に進むことができなくなり、悲しくもないのに涙が溢れてくる。
ちょうど青年が祈り終えて立ち上がり、泣き続けるカナメを見つけてぎょっとする。
「大丈夫ですか?」
狼狽えながらもハンカチを差し出してくれる青年。見ず知らずの男性から受け取っていいものかどうか悩むが、本当に心配そうな表情で怪しい気配もなく、とりあえず妖怪ではなく人間のようなのでありがたく使わせて頂く。
「すみません、なんだか急に涙がとまらなくなって……」
「もしかして、ここで見つかった方のご家族ですか?」
反射的に首を横に振る。おそらく、故人を偲んで泣いていると思われたのだろう。それは仕方ないが、わざわざ花を供えるほどの相手の家族構成を知らないのだろうか。
疑問が顔に出てしまっていたのか、青年は極まり悪そうに頭を掻いた。
「先月、ここで男性のご遺体が見つかったんですが、実はその彼と個人的に知り合いだったんです。でも、ご家族の方がどこにいらっしゃるか知らなくて、それでお墓の場所も分からないのでここにお参りしてて……。なんか、すみません」
初対面の相手に私的な事情を説明しすぎたと感じたのか、青年は済まなそうに頭を下げる。
うっすら記憶に残っているユカの話だと、発見された男性の死亡時期は早くても三、四十年前で、事件性も乏しいから警察も捜査はしていないとのことだったはずだ。目の前の青年は、いくら年齢不詳な雰囲気があるとはいえ、そんな昔に個人的な知り合いを作れるような年には見えない。
どうせ、虚実入り交じるインターネットから拾ってきた噂話だろうからあまり信用はできない。けれど、もしその頃に亡くなったのが事実だとしても、まあ、きっと、そんなこともあるのだろう。最近起こった諸々を振り返りながらそう思う。
「そうだったんですね。私はただ、ここに来たら足が動かなくなって、訳も分からず泣き出してしまっただけで……。お役に立てなくて、しかもハンカチまで貸して頂いて申し訳ないです」
今度はこちらが頭を下げると、青年は恐縮しきった様子でいえいえと手を振る。この場合、おかしな人に思われても仕方ないのはカナメの方であるのに。仕草から、本当にいい人であることが伝わってくる。
「あの、ハンカチ、洗ってお返ししたいのですが」
「いいですよ、良かったらそのまま持っててください」
穏やかに微笑んで青年は花束や、影になって見えなかったが一緒に供えられていた缶ジュースなどを片付け始める。
荷物を纏め終わった彼は「ではお大事に」と短く言い残して去っていった。
彼が背を向けると徐々に涙が治まって、体から余計な力が抜けてどうにか動けそうだった。自覚は無いが、どこか具合が悪いのかもしれない。頼まれた写真はまた後日にして、今日のところはマンションに帰ろう。
来た道に向き直り、歩きだそうとした瞬間にぽつぽつと雨が降り出した。雨具を持っていないので走り出して数メートル、なんだか急に背後から気配を感じたので振り返る。
そこには、先ほどまでいなかった白いレースの日傘を差した、和服の女性――噂そのものの雨女が立っていた。
彼女は青年をじっと見詰め、これ以上無いくらい丁寧にお辞儀をした。彼はそれに気づくことなく、路地を歩み去って行く。――きっと、あんなにいい人だと、色んなものに頼られたりするのだろう。他人事のように、そう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます