day21.自由研究
「カナメちゃん、こんにちわー!」
姉と、今年から小学生になった姪が遊びに来た。実家に祖父母と住む姉は、普段田んぼと畑に囲まれて電車など乗る機会のない娘に公共交通機関の使い方などを教えたい、ということで一晩の予定でうちに泊まってちょっとした社会見学をしていくようだ。ちなみに、義兄は仕事で来られないらしい。
姪は夏休みの真っ最中らしく、日に焼けている。一方母親である姉は帽子や日傘、サングラス、アームカバーといった重装備で一切の日焼けを許していない。
「ひっさしぶりー! ヒナ、ちゃんと夏休みの宿題やってる?」
「やってるよぉ。もう、みんなそればっかり!」
家主より先にテーブルについた姪のヒナが、頬を膨らませる。実家で曾祖父母に両親に、散々催促をされているみたいだ。
「やってるって、自由研究がまだじゃない。一番面倒なんだから、最初に終わらせなさいって言ってるのに」
いつまで経っても、姉が母親らしい口を利くのに慣れない。なんだかこちらまで、居住まいを正さなければならないような気がしてくる。
「終わったもん、自由研究」
「嘘おっしゃい。一度も見たことないわよ?」
「見せてないだけだもん。だってママ、変とかおかしいって言うでしょ。カナメちゃんだけに見せてあげる」
リュックを手にした姪に、部屋の隅に連れて行かれる。ヒナはこそこそと周囲を警戒しながら、スケッチブックを取り出す。姉は呆れたように肩をすくめ、自らの荷ほどきに取りかかった。
「ママには内緒だからね」
学校の宿題なのだから、最終的には先生が見ることになるのだが、それはいいのだろうか。まあ、確かに姉は子ども相手でも辛辣に率直な意見を伝えたりする人なので、見せたくないのは分かる気がする。
スケッチブックには色鉛筆で軒下の燕の巣が描かれており、横に日付と燕の様子が文章で記入されている。いわゆる観察日記というやつだ。身内の贔屓目だろうが、六歳にしてはなかなか上手に描けている。
最初の二、三枚は、巣や餌を運ぶ様子が描写されたものが続いている。「上手じゃん」と姪を褒めながら微笑ましく眺めていると、次のページに突然、黒い服を着た少年の絵が現れた。
先日助けてくれた彼だ、とすぐに分かった。やはり普段は実家にいるのだな、と得心がいった代わりに、誰にでも少年の姿に見えるのだろうかという新たな疑問が浮かんだ。
「このツバメさんね、ママには見えないみたい。『そんな燕はいません』って。でもツバメさんは本当にいるし見えるから、だからママには自由研究見せてあげないの」
そんな燕はいない。人間に変身する鳥などいないと言う意味なのか、それともその燕の姿が見えないと言う意味なのだろうか。そもそも姉が生き物に興味がなく、庭に来る燕など見ているようで見ていなさそうだから判断が難しい。
絵姿の横には、覚え立てのひらがなで『おれのことはきにするな。きをつけてあそべ、といわれました。』と書いてある。彼が言いそうだな、と苦笑しながらページを捲ると、そこには首のない人間の絵が大きく描かれていた。観察日記じゃなかったのか、と驚きながらよく見ると隅の方に小さく、少年とヒナ自身が並んでいた。
『きょうはにわにくびのないひとがいました。びっくりしましたが、つばめさんは、あいつはなにもしないからきにするな、といっていたので、そのままにしました』
ホラー映画でもよく出てくるが、子どもの絵はなぜこんなに不気味に感じるのだろう。怖さの割に、余白に書かれた文章によると何事もなさそうでとりあえず胸をなで下ろした。
そこからしばらく、普通の燕の観察が続いた。観察対象が対象なので、黒っぽい地味な画面になりがちだ。だから、その真っ赤な人型をした何かが大半を占めるページが現れたときには、思わず息を呑んだ。
『きょうはあかいひとがいました。つばめさんは、あかいひとをみつけるとこわいかおをして、きょうはそとにでるな、といいました。』
上部の空白に、少し震えたような文字。続きは赤い人間モドキを挟んで下の方にあった。
『いえのなかでげーむなどをしていましたが、あきて、そとにいきたくなりました。ちょっとだけ、とおもってげんかんのどあをすこしだけあけたら、めのまえがまっかでした。びっくりして、こわくなって、いそいでどあをしめて、そのままおばあちゃんのところにいきました。』
読み終えて、思わず小さな体をぎゅっと抱きしめた。不思議そうに見上げてくる彼女に、どう伝えればいいかカナメはしばし悩む。
「うーん。ヒナの観察日記、すごくよく描けてるんだけどね……」
「ほんと? 上手に描けてる?」
「うん、すっごく上手! だけどね、えっと、あれだ。カナメちゃん、この燕さんと知り合いなんだけど、実はね、彼スパイなの」
「スパイ」
最近姪が夢中になっているアニメに絡めて、彼の素性を偽る。案の定、スパイと聞いてくりっとした目が輝く。お節介かもしれないが、もっと先生が受け入れやすい、クラスメイトに揶揄われたりしない自由研究の方が良いような気がしたのだ。
「そう、スパイ。だからね、どこで見た、とか情報が残っちゃいけないの。だから、この観察日記はカナメちゃんとヒナだけの秘密にして、電車の乗り方とか種類とか、そういう自由研究を一緒にしよっか」
ひみつ、と小さく口の中で繰り返して、姪は頭を何度も縦に振った。とりあえず、この件は大丈夫そうだが、きっとヒナのために真っ赤な何かを対処してくれたであろう彼が心配になった。
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