day19.トマト
トマト、タマネギとベーコン、そしてちぎったスライスチーズを、炊飯器の中の洗った米の上に載せる。味付けは塩こしょうとコンソメキューブで、具材から水分が出るので水は少なめにする。あとは炊飯ボタンを押せば、数十分後にはトマト炊き込みご飯のできあがりだ。
先日の仕送りの段ボールに入っていた、大量のトマト。実家でたくさん採れたらしく、冷蔵庫の野菜室が真っ赤に埋め尽くされている。他がジャガイモなど常温で置いておける野菜で助かった。
ここ数日、悪くなる前に使い切らなければと、ほぼ毎食トマト尽くしである。今からの夕食も、トマトをおかずにトマト炊き込みご飯だ。さすがにちょっと限界を感じてきたので、タコさんとか透子さんとか同じマンションの知り合いにお裾分けをするべきだろうか。ふたりとも、食事を摂る必要があるかどうか怪しいものだが。
おいしいけどいい加減飽きてきたな、でも祖父母が作ったものを粗末にするのも申し訳ないし、できるだけ食べたいな、などと考えながら炊き込みご飯を口に運ぶ。もぐもぐ食べ進めていると、換気のため網戸だけにしてした窓の向こうからばさっ、と大きな鳥が羽ばたくような音がした。
カラスでも匂いにつられて飛んできたのかと、音のした方に目を遣ると、ベランダの手摺りに天使のような羽のある人が腰掛けていた。
本当はもっと驚いたり、目を疑ったりするべきなのだろうが、最近は色々ありすぎて、もうこれくらいでは動じなくなっていた。本当に天使なら縁起が良さそうだし。翼の色が茶と白の斑であることと、真夏なのに羽と似たような色のロングコートを着ていることだけ気になるが。
羽のあるひとは、体つきも顔つきも男女どちらとも言いがたい雰囲気で、ただ凜々しくて綺麗だった。どこかで読んだ天使には性別がない、という話は本当だったんだとしげしげ観察してしまう。
無遠慮な視線に気づいたのか、真っ黒な瞳と目が合う。色素の薄い唇が、何か問いたげに開く。
「最近そればっかり食べてるね」
思わず、コントのようにズッコケそうになった。まさか、食生活について突っ込まれるとは。飽くまでカナメのイメージだが、天使は食べ物の話なんてしないような気がしていた。
「おいしいの? その赤いやつ」
「まあ、おいしいかどうかで聞かれたらおいしいですけど……。食べます?」
食べかけの炊き込みご飯を分けるのは気が引けるので、切ったトマトを盛ったお皿を手に網戸を開ける。もうこの際、トマトの消費を手伝ってくれるなら、天使でも悪魔でも何でも良かった。
網戸越しでなく直に対面すると、綺麗というよりもいっそ神々しいような印象が強かった。そんな存在に野菜を差し出す自分が、少し滑稽に思えてくる。
相手方もそう思ったのか、驚いたかのように目を瞠ると、視線を外して少しの間まごつく。そして、オレンジと青が混じり出した夕暮れの空へ飛び立ってしまった。顔が赤いように見えたのは、夕日のせいだろうか。
翌日。さすがにもう無理、と限界を感じたので、今晩のメニューはツナのパスタである。別に、そればっかり、と指摘されたのが恥ずかしかったからではない。
そもそもトマトなんて体に良いのだから、いくら食べてもいいはず。誰に対してか分からない言い訳を脳内に並べつつ、久しぶりに酸味のない食べ物の味を楽しんでいると、コツ、コツ、と固い物が窓に当たるような音がした。
今日は湿度温度ともに高かったため、窓もカーテンも閉め切ってエアコンを稼働させているから外の様子が覗えない。風のいたずらかと無視を決め込んでいると、もう一度コツコツと、先ほどより強くガラスを叩く音が聞こえた。
恐る恐るカーテンを開いてみると、そこには昨日の天使らしきひとが立っていた。口の動きで「開けて」と言っているようだ。
何だろう、と躊躇いもなく窓を開けると、いきなり室内に向かって拳が突き出された。
「あげる」
白い手が握っていたのは、真っ赤なトマトだった。今一番見たくない野菜を前に、うげ、と身を引く。そんなカナメに構わず、天使は受け取れと言わんばかりに、さらに拳を突き出す。
仕方がないので受け取ると、いつも食べているものより色ツヤと形が良く、いいお値段で売られている高級な部類のトマトではないかと思われた。
こんなのどこから持ってきたのだろう、と掌の上で弄んでいると、天使の冷たく整った顔がむすっとした表情になる。
「食べて」
「えっ、今?」
羽のある人は何も言わずに頷く。真剣な目で見つめられると嫌とは言えず、遠慮がちに一口だけ頬張る。少量でもはっきり分かるくらい甘みが強く、齧る前に水に沈めて糖度を確かめる実験をしてみたかった。
カナメがトマトを飲み込むのを見届けると、今度は満足げに何度も頷く。そして「今度ちゃんと迎えにくるから」と言い残し、夜が深まってきた空に飛び去っていった。
その意味は図りかねるが、なんとなく、面倒なことになったのは察した。
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