day11.錬金術
「お前が錬金術師か」
宗教学の授業中。右隣に座った見知らぬ男子学生がそう言った、気がした。
はっきりとは聞こえなかったし、まさか自分に向かって話しかけられたとは露程にも思わず、変わった独り言だな、と無視して、アルファベット混じりの単語が書き連ねられるホワイトボードを眺め続ける。
男子学生も、表面上は真面目に授業を聞いているように見える。やはり聞き間違いだろうと、手元のノートに視線を落とせば、右側からすっ、と小さな紙片が差し出された。
初めはよくある他愛もないおしゃべりを書き留めた、ノートをちぎったものだろうと考えた。が、手に持ってみるとクリーム色がかった厚手の紙で、明らかにこの場にふさわしくない上質な紙であることが分かった。名刺大のそれを捲ってみると、そこには次のような文が綺麗な手書き文字で綴られていた。
『新たな錬金術師殿。貴殿を「塔」の次代の主と認める。ついては午後六時に「塔」に来られたし』
意味が分からず何度も読み返している内に、いつの間にか授業が終わってチャイムが鳴った。学生たちの気怠そうな会話でざわつく中、隣の男子学生もそそくさと荷物をまとめて立ち上がる。
「確かに渡したからな」
そう言い残してさっさと教室を出て行ってしまった。
ひとり残されたカナメは、数秒後、ようやくこれが人違いなのではと思い当たった。ソシャゲのキャラじゃあるまいし、錬金術師なんて心当たりがなさすぎる。
気づいて追い掛けようとした時には、教室にも廊下にも男子学生の姿はどこにもなかった。
理系の学部の実験施設が詰め込まれている、二号館。文学部のカナメには縁がないが、管理栄養士になるための勉強をしているチヒロなどはよく訪れるそうだ。二号館自体、いつも通っている本館から離れているのに、例の塔はそこからさらに敷地の奥の方へ進んだ先にある。
何のために作られたのか今となっては誰も知る者はいないと噂の、古い煉瓦造りの塔で、ついたあだ名が錬金術師の塔。
来週の授業の時に彼を探して返すことも考えた。けれど、急を要する用件であれば色んな人が困るのでは、と指定された場所で差出人本人に会って返すことにした。
手紙にあった午後六時、塔の前に来てみたが誰もいない。入口の扉は固く閉ざされ、立ち入り禁止の張り紙がされている。確か地震に耐えられないとか、実は中はもうボロボロで今にも崩れ落ちそうだからとかで、生徒は建物内に入ることが禁じられている。
入るワケじゃない、中を覗くだけ。本当に危ないなら、もっと厳重に近寄れないようにされているはず。半ば好奇心で錆の浮かんだ把手を掴む。
その瞬間、「オマエジャナイ」と直接脳内に響くような声がして、手に電流が走ったような感覚と、背中に強い衝撃を覚えた。
どんな仕組みか不明だが、扉に触れた途端に数メートル吹っ飛ばされたらしく、気づいたら無様に地面を転がって青空を見上げていた。以前見た、畑を囲む電気柵に触ってしまった狸の姿が今の自分に重なって情けなくなる。
そういえば一時タロットカードにハマっていた姉が、塔のカードは災いを表す、としたり顔で宣っていたのを思い出す。結局は、呼ばれてもいないのに自ら災いに近づいたのが悪いのかもしれない。カナメは自分にそう言い聞かせて、無理矢理に納得することにした。
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