day7.ラブレター

「それでさー、その女。ちょっと優しくしてやっただけで勘違いしちゃってさ。ウザったくてしょーがねぇの」

 大学の昼休みもそろそろ終わろうと言う頃。次の教室へと移動するカナメとユカの前を、服装の派手な男子学生、五、六人のグループがたらたらと歩いている。

 カナメとしてはどうしても田舎者、と馬鹿にされるのではという被害妄想を抱いてしまうため、あまり近寄りたくない集団だった。同じ高校だった奴がいる、と言っていたユカはいい思い出はないらしく、露骨に顔を顰めている。

 彼らは周りの迷惑も考えず廊下の幅いっぱいに広がっており、追い越すのも容易ではない。ユカは注意したくてうずうずしているようだが、あまり関わり合いになりたくないカナメに合わせて今は大人しくしてくれている。彼女一人だったら蹴りのひとつでも入れていそうだ。

 話題の中心になっている真っ赤なパーカーを着た男子学生は、周囲に「でもけっこーカワイイ子だったじゃん」と、肘で突かれたりしながら冷やかされている。もう目の前が階段だからそんなことしてると危ないぞ、と余計な心配をするカナメの横を、ひらり、と髪の長い女が重さを感じさせない動作ですり抜けた。

「だってそいつ、イマドキ……」

 ドンッ!

 本当に、一瞬の出来事だった。階段を降りようとしていた男子学生を、カナメを追い越した女が後ろから突き飛ばしたのだ。

 ズダダダダダ、と赤いパーカーが階段を擦る音が響き渡る。数秒遅れて、きゃあ、とかうわぁ、とか驚きと恐怖の混じった悲鳴があちこちから上がる。

「待ちなさい!」

 呆然と一連の事態を眺めることしかできないでいたカナメと違って、ユカは突き落とした勢いのまま階段を駆け下りる女を追いかけていた。

「待って!」

 反射的に追い掛けようとしたが、それにはぐったりと動かない男子学生の横を通り抜けなければならない。少しの間逡巡して、廊下の反対側にある別の階段を降りることにした。大学自体の出入り口はそちら方面にあるので、女が外に逃げようとしているのだったら、上手くいけば挟み撃ちにできるかもしれない。

 二階、一階と息を切らせながら階段を駆け下り切った瞬間、目の前を例の女が走り抜けていった。その少し後を、真剣な表情のユカが追い掛ける。持久力のないカナメは、ふらふらになりながら二人に続く。

 女はピロティを横切り、端に隠されるように設置されている喫煙所で何故か立ち止まった。円柱型の灰皿から何か拾い上げた彼女は、今にも飛びかかろうとしていたユカと、少し遅れて追い付いたカナメに見せつけるようにそれを掲げた。

 誰かが置き忘れたのか捨てたのか、蛍光ピンクの使い捨てライターだ。女はゆっくりとした動作でボタンを押し、火を着ける。

「な、何をするつもり……?」

 女に肉迫していたユカは、慌てたように後退って距離を取る。まさか放火でもするつもりでは、固唾を吞んで見守っていると、女は自らの体――胸の辺りにライターの火を押しつけた。真っ赤な炎が、一瞬で女の全身を包み込んで燃え上がる。

「きゃあぁぁぁぁぁぁっ」

 甲高い悲鳴が自分のものかユカのものか、それとも女のものなのか分からない。

 誰か、と叫び声が喉元までせり上がった刹那。炎がごお、と一際激しく揺らめいて霧散した。同時に、女の姿が跡形もなく消えてしまった。ただ、無人の喫煙所に、カナメたち二人だけが残された。

「え……?」

 何が起こったか理解できず、視線をさまよわせる。彼女が立っていた場所に焦点が定まると、わずかに残った焦げ跡の上に紙片のようなものが落ちていた。

 おそるおそる近寄ると、ほとんど燃えてしまっているが、手書きの文字が書かれた便箋のように見える。

 煤けて原型をとどめていないが、かろうじて読み取れる「あなたが好きです」の文だけで、それがどんな手紙だったかが分かってしまった。

 ──きっと、捨てられてしまって、役目を果たせなかったのだろう。階段から突き落とすのは良くないけれど、それくらい悔しかったんだ。さっきまであんなに怖かったのに、今は切なさがこみ上げてきた。

 騒ぎを聞き付けた人たちが集まってきた頃、大粒の涙のような雨が降り出した。

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